ピアノを少々
国士無双の剣士セルバンテスを倒したという噂は国中に響き渡る。王立学院に最強不敗の令嬢がいると人々は噂をするようになった。
まあ学院の生徒たちからは化け物扱いされるのはなれているのでどうといったことはないが、レベルが九九なのが露見したことにより面倒ごとが発生する。
エリザベートを政治利用しようとする輩が現れたのだ。
王国の官僚の息子であるとある生徒がこのような提案を持ちかけてきた。
「レベル九九の侯爵令嬢、どうか我が息子と結婚していただけませんか」
この国の官僚である腹の出た紳士はそのように持ちかけてきたが、その魂胆は見え透いていた。エリザベートを生物兵器代わりにして軍事力として扱うつもりなのだ。
「我が息子と貴殿が結婚すれば政治と武力が融合する。さすればこの世界に怖いものなどなくなる。さあさ、我が息子と結婚されよ」
そのように鼻息荒く言い放つが、肝心の息子のほうはエリザベートのほうをまともに見れない。とても肥えており、おどおどとしていた。いわゆる陰キャオタクというやつである。
「パ、パパが結婚しろというから結婚してあげるんだな」
と女性をときめかせないことこの上ない台詞をくれる。
ああ、面倒くさい連中と出会ってしまった、と肩を落とす。
先日のセルバンテスとの決闘以来、この手の輩は後を絶たない。エリザベートを嫁にすればこの国をかすめ取れると思っている輩が雨後タケノコのごとく出てきたのだ。エリザベートはその手の手合いをあしらうのになれつつあった。彼らにはこのように言ってやればいいのだ。
「わたしの武力を目当てに世界征服を企むのはいいですが、それはゼルビア王国に対する反乱をも意味するのではないですか?」
と。このように言えば大抵の輩はすごすごと引き下がるが、目の前の親子はそれでも引き下がらなかった。
「いやいや、我々は反乱など望んではいない。この世界を征服するのは国王陛下のため、貴殿を使って得た領土はすべからく国王陛下に献上する」
そしてその功績を持って宰相に任命してもらうのだ、鼻息荒く言うが、そのような夢はひとりで見てほしかった。エリザベートはしなを作ってこのような発言をする。
「わたし、結婚に向いていませんの」
「そんなことはない。貴殿は侯爵家の令嬢ではないか」
「そうなのですが、礼儀作法の学ぶのを忘れていまして、趣味がピアノなんですが」
「ピアノ、令嬢らしいではないか。倅に聴かせてやってくれ」
「それができませんの」
「趣味はピアノと言ったじゃないか」
「いえ、趣味はピアノを〝持つ〟ことなんです」
そのように言うと音楽室にあるグランド・ピアノを片手で持ち上げる。
「おいちにさんし」
軽く上下運動させると官僚の親子はすくみ上がる。
「き、聞きしに勝る強力だ。こ、この力があれば我が一族は栄えるに違いない」
これでも諦めないとはやっかいな連中である。エリザベートはピアノをゆっくり置くと、頬を赤らめながら言った。
「婚約の申し出、大変嬉しいのですが、わたしにも好みの殿方はあります。失礼ながらご子息はわたしの好みではなくて」
「どのような男子が好みなのだ」
「そうですね。せめてアップライト・ピアノを持ち上げられる男子と結婚したいですわ」
と第二音楽室へ向かうと摘まむようにアップライト・ピアノを持ち上げ、それを親子に渡す。無論、ただの人間であるふたりにアップライト・ピアノを持ち上げることなど不可能だ。彼らはむぎゅうとアップライト・ピアノの下敷きとなる。
それでようやく諦めてくれる親子、可哀想なのでアップライト・ピアノを除去するとふたりは去って行った。
「ふう、やっと去ってくれたわ」
そのように吐息を漏らすと、エリザベートはひとり、ピアノを弾く。
ピアノを持ち上げるのが趣味と言ったが、実はピアノを弾くこともできる。いや、ピアノを弾くのが好きであった。エリザベートはお得意の曲を軽やかに弾き始める。
「ピアノ・コンチェルト、月花夢想――」
一〇〇年前にピアノの詩人と呼ばれる天才作曲家が作曲した曲。浪漫的で情緒溢れるマイナー調の曲で元気が取り柄のエリザベートらしからぬ曲であったが、エリザベートはこの曲を気に入っていた。流水のような指裁きで弾いていると、いつの間にか観客がやってきた。
「人間誰しもが取り柄はあるものだが、レベル九九のカンスト令嬢はピアノも得意であったか」
そのように言い放ったのは土の騎士ルクスであった。
「ルクスさん、こんにちは」
鍵盤から目を離さずに言う。
「君はピアノの名手だったんだな」
「はい。自分で言うのもなんですが、それなりに得意です」
「聴いていてもいいか?」
「もちろん」
そのようにやりとりをするとルクスは目をつむりながら月花夢想を聴き入った。
しばし、ふたりは沈黙し、美しい調べだ下が音楽室に響き渡る。
心地よい時間が流れるが、楽譜には終幕があった。三分ほどですべて弾き終えると最後の鍵盤を叩いた。するとルクスは満場の拍手をくれる。
「俺は王族で色々なピアニストの曲を聴いたが、おまえが奏でたものはその中でも上位だ。素晴らしいな」
「ありがとうございます」
「まったく、面白い女だな。ピアノを軽々と持ち上げたかと思えば、一流のピアニストにもなる」
「さっきのやりとりを見ていたんですか?」
「ああ、悪いが一部始終見させてもらった。一般人がひとりでピアノを持ち上げられるわけないだろう。そんなことができるのは四騎士でもふたりだけだ」
「え? 騎士様は持ち上げられるんですか?」
「なめるな。レウスのやつは脳みそまで筋肉でできているんだぞ」
「たしかにレウス様ならばひとりで持ち上げてしまいそう」
「あとはおれだな。俺もパワータイプの騎士だからな」
「あらま、意外」
「なにを呆けている」
「いえ、だってわたしはアップライト・ピアノを持ち上げられる異性が好きって言ってしまいましたから」
「そうなるとおれも恋愛の候補のひとりになるな」
「え……」
と驚いているとルクスはアップライト・ピアノに近寄り、「ふぬぬ」と持ち上げ始める。エリザベートのように片手で摘まむようには持ち上げられないが、両腕をてこのように使ってアップライト・ピアノを持ち上げた。そしてピアノを元の場所に戻す。
「これで音楽教師に叱られずに済むぞ」
そのようにうそぶくが、かなりシュールな光景だった。
「ありがとうございます、ルクス様」
「なあに、騎士の鍛錬だ」
と腕を見せるが彼の腕は太い。エリザベートの二倍はあるだろうか。
「というかおまえのその細い腕はなんだ。なんで俺の半分も太さがないのに一〇倍は力強いんだ」
その細身の身体のどこに強さの源が、とルクスは遠慮なくエリザベートの腕を触ってくる。
「毎朝、腹筋とスクワットをしているからです」
「それなんだが、おまえのトレーニングは少ないほうだぞ」
「え、そうなんですか?」
「ああ、腕立てと腹筋を五〇回などぬるいメニューだ。学院の騎士科の連中の十分の一も鍛えていない」
「自分では地獄のトレーニングを積んでいるつもりなんですが」
「天稟というやつなのだろうか、凡人と天才の差なのだろうか」
ルクスは頭を抱え込む。基本ナンパ師の彼であるが騎士としての気高い志も持っているようで武を極めることに関しては一家言を持っているようである。エリザベート程度のトレーニング量で最強を極められるのは納得いかないご様子。
「しかし、わたしは幼い頃からダンジョンに潜って戦闘を行ってきました。それがレベル上げに繋がっているのでしょう」
「それなんだよな。俺たち四騎士も幼い頃から魔物を倒している。無論、おまえのように効率的なレベル上げは行っていなかったが……」
魔物を倒しているだけでレベルがぐいぐい上がるエリザベートの体質が心底うらやましいらしい。遠慮なしに触ってくる。
しかし、エリザベートは女、無遠慮に触られるのは好まない。彼から軽く離れる。
「ルクスさんは女性と距離が近すぎます」
「ああ、勝手に触ってすまなかった。普段は女のほうから触れてくるから距離感がわからなくなるんだ」
「相変わらずモテモテですね」
「この端正な顔立ちに王族という立場だからな。それを目当てに女どもがよだれを垂らしてやってくる」
「そのような人気者になりたいものです」
「面倒なものだぞ、異性がやってくるというのは」
「そうでした。先ほどもわたしを生物兵器として利用しようとしている男子がやってきたのです」
「王族も同じだ。俺を政治的に利用しようと令嬢の親がけしかけてくるんだ。俺を純粋に好いてくれているのはそのうち何割なのやら」
互いに「ふう」とため息が漏れてしまうが、こんなところで息を消沈させても仕方なかった。
魔王討伐に関係ない彼らはいったん放っておいて、魔王討伐に邁進する、というのがエリザベートの基本方針であった。この日はこのようにして解散したが、ルクスがアップライト・ピアノを持ち上げられるのは計算外だった。ちょっとときめいてしまったのは内緒だ。ただ、やはりアップライト・ピアノではなく、グランド・ピアノを持ち上げられる男子のほうがいいと心を切り替えると、平常心を取り戻した。
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