悪役令嬢の身体を手にいれたぞ
商家の娘、エリザベートは生まれつき病弱であった。
赤子のときには三歳の誕生日は迎えられないと医者に宣言され、五歳の時には七歳のお祝いはできないと予告され、八歳の時には生涯学校に通うことはできないだろうと告知されていた。
そして今現在は両親はエリザベートの結婚式を見ることができないだろうといわれている。
死ぬ死ぬと幼い頃から医者に脅かされているので両親は気楽に考えているようだが、エリザベート自身は自分の死を身近に感じていた。
(……なんとかだましだまし生きてきたけど、わたしの人生ももはやこれまでのようです)
自分の身体のことは自分が一番よく分かる、ではないが、死神さんが鎌を研ぐ音が聞こえてくるようだ。
エリザベートは病室の窓から外を覗く。そこには一本の大きな木があった。季節は秋なので紅葉の時期を迎えていたが、やがてあの木からも葉っぱがすべて抜け落ちよう。その頃合いにはエリザベートは天に旅立っているような気がする。
(……もしも次に生まれ変わるのならば健康な身体を手に入れたいです)
自由に出歩き、友達と遊んでみたい。
そんなささやかな願いを心に抱いていると突如、突風が吹く。木々が大きく揺らめき、あれほどたくさんあった葉っぱのほとんどが吹き飛ばされる。
(……ふふふ、わたしの人生ってこんなものです)
必死に笑いをこらえる。
生まれたときから死刑宣告をされ、病院と自宅の往復。恋人はおろか、友人のひとりもいない。
もはやこの世界に留まっている意味はないであろう。そう思った瞬間、木に残されていた最後の枯れ葉が落ちる。
その瞬間――、エリザベートは16年の人生に幕を下ろす。
この世界ではないどこかに旅立ったのだ。
――気が付くと足下には雲海、空には青空が広がっていた。
ここはいったいどこであろうか。山の上? いいや、それはありえない。病弱なエリザベートが山の上まで歩いて行けるわけがない。ならばここはどこだろうか。どこかとても高い場所なのは分かるが。
よたよたと歩いていると、雲の端に到着する。するとそこには絶景が広がっていた。どこまでも続く広大な平地、点在する町並みはとても小さい。どうやらエリザベートは雲の上から下界を眺めているようだ。
(まさか、ここは天界なのですか!?)
そのように思うと、呼応するかのように声が聞こえる。
「正解じゃよ。お嬢さん」
その声の主に反応すると、そこには白髪の老人がいた。長いあごひげを伸ばした老人だ。まるで小説の中に出てくる神様のようであった。
「それも正解じゃ。わしは神様じゃ」
エリザベートはびっくりする。
「あなたは神様なのですか?」
「そうじゃ、信じられないか?」
いいえ、と首を横に振るうエリザベート。
「自分が死んだという自覚はあります。それにここが天上だということも。ならばあなたが神様である可能性は非常に高いでしょう」
「ふむ、冷静な上に淡泊な娘じゃのう」
「生前、不健康でしたので本がお友達でした。死後、神様と出会う小説を無数に読んできたのです」
「ならば話は早い。貴殿には転生をして貰おうと思っているんじゃが」
「転生ですか?」
「そうじゃ。おぬしではない別の人間に生まれ変わって貰う」
「それは本当ですか!?」
ぱあっと顔を輝かせるエリザベート。
「おやおや、まさか、こんなに喜んでくれるとはの」
「はい。転生をすれば〝普通〟に生活することができるんですよね?」
「普通の定義は?」
「夜、眠る前に明日の朝を迎えられるか不安にならない生活です」
「死の危険に怯えずに済む生活ということじゃな。ならば大丈夫、次の転生先は健康優良児じゃ」
「健康優良児!」
目を爛漫に輝かせるエリザベート。
「健康も健康。この世で最強に近い肉体を持っている。なにせ彼女は魔王の娘なのじゃから」
「魔王の娘!?」
「そう。次のおまえの転生先じゃ。その娘はとある学院に通う予定になっている悪役令嬢じゃ」
「悪役令嬢ですか」
「さすがに悪役令嬢という言葉は知らぬか。その世界はいわゆる乙女ゲームの世界でな。剣と魔法が存在している」
「剣と魔法ですか」
「そうじゃ。おぬしはそこで魔王の娘として生まれ、身分を隠し、学院に通う。おぬしはいわゆるラスボスなのじゃ」
「ラスボスですか」
「ラスボスとはの。主人公たちによってやがて討伐される存在じゃ」
「わたし、殺されてしまうのですか?」
「そうじゃ。いやか?」
「人間いつか死ぬものです。しかし、それまでは健康に生きられるのでしょう?」
「風邪ひとつ引かないはず」
「ならばその運命を受け入れましょう」
「あっさり受け入れるのじゃな」
「はい。長年、病苦にあえいでいたので健康な身体さえあればどうでもいいのです」
「ううむ、達観した娘じゃのう」
「健康な身体を手に入れればそれを使って鍛錬することもできますよね? そうしたら主人公さんたちを撥ね除けることもできるかもしれません」
「ポジティブな娘じゃ! 気に入ったぞい。おぬしの人生、いや、生き様をしっかりと見させてもらおう。さあて、それではそろそろ異世界に転生してもらうが、準備はいいか?」
「はい、大丈夫です」
「おぬしは6歳になればわしとの会話を思い出すだろうが、そのときからが勝負じゃな。正史では主人公とその攻略対象たちに滅ぼされる運命にあるが、見事、それを回避するのじゃぞ」
「はい、なんとかして見せます」
そのように宣言するとエリザベートの身体が薄くなり始める。天界から別の世界に移動する準備が始まったようだ。
「おぬしは魔王の娘、学院でも嫌われるじゃろうが、健気に強く生きるのじゃぞ」
「はい。健康な身体さえあれば人間どうにかなることを証明して見せます」
よろよろの身体でガッツポーズをするが、この身体もこれが最後だと思うと少し名残惜しかった。
†
目覚めるとそこは知らない天井であった。
まず確認するのは己の手足。
とても短く、小さい。まるで幼児のようだ。
「……神様は6歳児の頃に記憶が蘇ると言っていたけど、本当なんですね」
6歳児と言えば自我もはっきりとして知恵も回り出す年頃であるが、エリザベートには前世の記憶があった。並の6歳児にはない知識と頭の回転がすでに揃っている。
なのですることは状況確認。
ベッドから起き上がると準備体操。いちにさんしっ!
「け、健康です。息も上がらないし、身体が羽毛のように軽い」
神様がこの世界でのわたしは健康優良児と言っていたが、その通りであった。
これは助かる。もはや、死の影に怯えながら生活をしないで済む。
「神様は魔王の娘と言っていましたが、ここは魔王城なのでしょうか?」
当たりを見回すが、禍々しさはない。置かれている調度品や家具を見る限り、前世よりも生活水準は良さそうだ。
「貴族の家なのでしょうか?」
そのような感想を抱いているとガチャリと扉が開き、そこからメイドがやってくる。
「あら、お嬢様、このように早起きされるなんて珍しい」
当たりのようだ。少なくともメイドがいる経済的余裕のある家のようだ。
慎重なエリザベートは幼児の振りをして彼女から情報を聞き出すが、どうやら自分はこの屋敷で〝貴族〟の娘として暮らしているようである。
話を総合するに、エリザベートは魔王の娘であるらしいのだが、それは世間はおろか、両親にも秘匿されているようだ。〝人間〟の娘として侯爵家で育てられているというのがエリザベートの推論であった。
「……なるほど、魔王の娘であることは隠し通さないといけないようですね」
即座に理解したエリザベートは6歳児らしく振る舞うが、何年か先に王立学院に入学し、主人公たちと対峙することを考えると時間がない。今からなるべくトレーニングを積んでおきたかった。
エリザベートは昼間は6歳児として振る舞いながら、夜は鍛錬をする。腹筋にスクワット、それに魔法の鍛錬。幸いにもこの屋敷には立派な書庫があり、魔術書の類いはいくらでも読むことができた。
夜な夜な蝋燭を持って図書室に入り込む幼女はある意味不気味であったが、細心の注意を払ったのでメイドや家人に見つかることはなかった。
そのような生活を5年ほど続けるとエリザベートは魔法を自在に操れるようになっていた。
屋敷の庭、大空に向かって火球の魔法を放つと、巨大な火の玉が勢いよく飛び上がる。なかなかに強力そうだ。これくらいの魔法が扱えるのならば次の段階に入れるだろう。そう思ったエリザベートは郊外にあるダンジョンに出入りをするようになった。そこで自分を鍛えるのだ。
この世で最も深き迷宮と謳われたダンジョンに潜るとエリザベートは必死に鍛錬に励む。最初はスライム討伐、次に狼、さらに熊、大蛇と徐々に敵を強くする。
5年ほど地道にレベルアップをすると最後のほうには巨人や竜さえ倒せるほどになっていた。
「ふう、これでレベルはカンストというやつでしょうか」
よく分からないが、これ以上、レベルが上がらないと悟ったエリザベートはダンジョン探索をやめると、王立学院への入学の準備をする。
ここからが本番なのだ。
神様が言っていた主人公と呼ばれる聖女、そして攻略対象と呼ばれる取り巻きたち。彼らの悪意と殺意を撥ね除け、学院生活を送らなければいけない。
なぜならばエリザベートは〝悪役令嬢〟なのだから。
RPG風乙女ゲーム「聖女と四人の騎士たち」に登場する黒幕なのだ。
気を引き締めていかなければならない。
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