閑話─嫁ぐ娘
この日は公爵令嬢として公爵家で過ごす最後の日。
明後日の結婚式には早朝から儀式などの支度をしなければならない事から、明日の夜は皇宮に泊まる事になっている。
なので……
この日の夜が家族で過ごす最後の夜となる。
ラウルに連れられてサハルーン帝国から帰国した時は、母親のローズは涙を流した。
アルベルトとレティが2人仲良く公爵邸に現れたからで。
レティを叱るつもりでいたルーカスは何も言えなかった。
2人があまりにも幸せそうな顔をしていたから。
2人の想いが通じ合って……
婚約をしたいと言って来たあの夜を、ルーカスは思い出していた。
その数日後に……
殿下とイニエスタ王国の王女との婚約が、会議で決まったとレティに伝えたあの辛い夜の事も。
初めから……
前途多難な恋だったのだ。
ルーカスはレティがサハルーン帝国に行ってからずっと考えていた。
やはり殿下には嫁がせたくは無かったと。
本心は……
もうこのまま別れたら良いと思っていた。
この先もまた……
レティに辛い思いをさせる事になるかも知れないと。
帰国してからも……
幸せそうな2人を見るたびに、父親としても宰相としても胸が苦しくなった。
それが……
結婚式での号泣に繋がったのだった。
「 親父……皇族や王族が何故政略結婚をするのかが分かったよ 」
最後の夜だからとレティとローズが一緒に寝ると言ってキャアキャアと支度をする姿を見ながら、ラウルがルーカスに言った。
居間で2人で酒を酌み交わしている所だ。
絶対に世継ぎを成さなければならない立場の皇太子夫婦に、世継ぎが出来なければ側妃を必要とするのは当然で。
それはどんなに愛し合う2人であろうとも……
皇太子としての立場を優先しなければならないのは何ら変わらない。
皇太子夫婦が愛し合っているのならばその決断は余計に辛く。
政略結婚ならば……
まだそれを認める事も出来るだろうから。
しかし現実は……
政略結婚であろうとも、側室が出来れば何処の国もどろどろだったが。
「 そうだな…… 」
ルーカスはグラスに入った酒を一口飲んだ。
枕を持ったネグリジェ姿のレティが、ローズの部屋に歌いながら入って行くのを見つめる。
レティがご機嫌な時に歌うあの歌は……
相変わらず同じ場所で音を外していて。
父と兄はクスリと笑った。
誰よりも可愛かった娘。
自分の名のリティエラがちゃんと言えなくて、レティと言ったのは何時だっただろうか。
「 おにーたま 」と回らない舌で、俺の後をトコトコと付いて来た可愛い妹。
「 おとーたま 」と言いながら、小さな両手をいっぱいに広げて抱き付いて来た私の愛しい娘。
あの政変が無かったのなら……
もっと一緒にいられたのだろうか。
公爵家の娘は皇太子妃になる。
結婚式は明後日だ。
父と兄はカツンとグラスを合わせた。
***
子供の頃は領地に母親が来ると何時も一緒に寝ていた。
月の半分は離れていたからかレティはローズに遠慮無く甘える。
大人になってからも。
勿論それには……
20歳で死んでしまうかも知れないと言う想いがあったからでもあるのだが。
「 おかーたまと言って、わたくしに抱き付いて来ていたのがまるで昨日の様だわ 」
ベッドの上で枕を並べて2人で小さい頃の想い出を話すが……
レティとしてはもう記憶が薄れる位に前の話だ。
本来ならば15年位前の事になるのだが……
ループを繰り返しているレティにとっては、15歳より以前の記憶は30年以上も前の記憶なのである。
どの人生も……
お父様もお母様も私のやりたい様にやらせてくれた。
1度目の人生で自分のお店を持ちたいと言った時も。
ローランド国に逃げた時も。
2度目の人生では医師になりたいと言い、皇宮病院から庶民病院に移った時も。
3度目の人生は騎士になりたいと言ったのだ。
本当に感謝しかない。
女である私にも色んな事に挑戦させてくれた事を。
もし私が死んだ後の続きがあったとしたら……
2人がどんなに泣いたのかと思うと、胸が苦しくてたまらない。
「 あのグランデルの王太子との決闘は興奮したわ 」
あの時はドゥルグ夫人とディオール夫人が代表になり、張り切って応援団を結成したのだとローズが言う。
皆で紫のハチマキをして私を応援したのだと。
紫の色は我がウォリウォール家のカラー。
高位貴族の夫人達のお茶会サークルがあって、私も何度か参加した事がある。
これからは皇后様主宰のお茶会に出ないとならないのが少し湯鬱だ。
「 ドゥルグ夫人とディオール夫人からは、殿下と婚約破棄をしたのならうちの嫁になる様にと言われたのよ 」
「 えっ!? うちのって……エドとレオ? 」
「 そうよ。 エドガーとレオナルドならわたくしも安心よ 」
冗談で言われたのだろうとお母様に言えば……
どうやら本気だったみたいで。
サハルーン帝国の皇太子に私を取られる訳にはいかないと言っていたらしい。
それって……
何だかちょっと複雑だわ。
それでも……
私の貰い手はあったのかと思うと可笑しくなって笑った。
こんな傷物になったからには、何処からも求婚されないと思っていたから。
だけど……
エドとレオの嫁になるなんて想像出来ない。
お兄様と結婚するのと同じ位に無理だわ。
「 殿下がレティを追い掛けて行かれた事には感動したわ 」
アルの姿絵を見ながらお母様が言う。
お母様の部屋にもアルの姿絵がある。
これは私がお土産に買って来た物で、アル推しのお母様は大層喜んでいたのだ。
「 ええ……だってアルはわたくしを大好きなんですもの 」
記憶を失っていても私を好きになったとアルに言われたのよと、お母様に言った。
これを言うのはちょっと恥ずかしいわ。
「 まあ! レティは幸せなのね? 」
天井を見つめていたお母様が、横に並んで寝転んでいる私の方を向いた。
「 辛かったら……何時でも帰って来なさい。お母様は何があっても貴女の味方だから 」
お母様の声が涙声になった。
そして……
この後、暫く2人で泣いた。
皆に心配をかけた。
皆から大切にされていた。
それがとても嬉しい。
とても有り難かった。
私がこの恋を諦めても……
アルは諦めずにいてくれた。
私は……
シルフィード帝国の皇太子殿下と結婚をします。
5度目の人生は……
皇太子妃として殿下と共に生きていきます。
レティはローズと手を繋いで眠った。
幼い頃の様に。
こうして公爵家の家族水入らずの夜は過ぎて行った。
***
翌朝になると……
アルベルトがレティを迎えにやって来た。
待ちきれないと言って。
皇子様には遠慮と言う文字は無いのだ。
「 おい! 家族水入らずで朝食を食べてるのに邪魔だぞ! 」
「 俺も家族だ! 」
ラウルの言葉をかわして、アルベルトは食卓に着いているレティの頬にキスをする。
「 おはよ 」と甘い甘い声で言って。
明日が結婚式の2人なのだ。
砂糖を大量に嘗めてる様な甘い空気に、公爵家の使用人達はウフウフと微笑んでいて。
ラウルは胸焼けしそうになっているが。
そしてアルベルトもレティの横に座った。
公爵家で朝食を食べると言って。
メイド達が慌てて来客用のカトラリーを並べている。
「 家族と言うなら、これからは俺の事を兄上と呼ぶ様にしてくれ……義理弟よ! 」
「 それは無理だ 」
アルベルトはきっぱりと否定をする。
ラウルを兄上と呼べるわけがない。
「 お前こそ、レティを妃殿下と呼ばないとならないんだけど? 」
「 それは無理 」
「 あら? 妃殿下と呼びなさいよ! 」
レティがラウルそっくりな悪そうな顔をする。
「 アルを殿下と呼んで無いのに、何故お前を妃殿下と呼ばないとならんのだ? 」
ラウルはアルベルトと初めて会った時から、アルベルトを皇子や殿下と呼んだ事は無い。
ルーカスに何度と無く叱られたが、友達だからと言わないと言って。
友達ならば対等だと。
それを聞いたアルベルト皇子は本当に喜んだと言う。
そんな3人の何時ものやり取りを、ルーカスが渋い顔をして新聞を読みながら聞いていて。
ローズはずっと楽しげにコロコロと笑っていた。
明日の結婚式の日を前に……
公爵家はワチャワチャと賑やかな笑い声に包まれていた。
読んで頂き有り難うございます。




