記憶の終わり
まるで……
スローモーションの様だった。
皆が顔をひきつらせて叫びながら走って来る。
グレイ班長はこっちに向かって弓矢を構えた。
ガーゴイルを狙うつもりなのだろう。
班長なら絶対に外さない。
「 レティーっ!! 」
お兄様が私の名を叫んでいる。
アルが泣きそうな顔をして……
私を見上げながら白馬に乗って駆けて来るわ。
上から見ても格好良い。
私は……
何処まで飛んで行くのかしら?
ガーゴイルの目に矢を突き刺そうとした瞬間に、レティは空に浮いた。
そして……
くるくると回りながら上空に舞い上がって行った。
手には雷風の矢が握られたままで。
ガーゴイルはアルベルトが聖剣から放出された魔力で、吹っ飛ばされ……
気が付いたら飛ばされてるレティの横にいた。
パチリと目が合った。
ひぇ~っ!
ガーゴイルはそのまま飛ばされて行き……
レティは凄い力で落とされて行く。
その時……
とても素敵な香水の香りに包まれた。
アルが好きだと言った香水。
イザベラの香水ね。
そして……
フワリとお姫様抱っこの様になったレティの身体が、両手を広げているアルベルトの腕の中にゆっくりと収まった。
「 レティ! レティ……レティ…… 」
泣きそうな声でレティの名前を連呼して……
アルベルトはただただレティを抱き締めた。
一体何が起こったのか。
良くやったと言う賛美の声が、集まった魔力使い達の間から聞こえて来る。
レティをすんでの所で、上空に向かって吹き飛ばしたのは風の魔女イザベラ。
アルベルトは聖剣を持つ手の反対の手を、ガーゴイルに向けて雷の魔力を放出して吹っ飛ばした。
落雷するだけだった雷の魔力の新しい使い方だ。
ガーゴイルとレティは同じ瞬間に、風の魔力と雷の魔力の各々の魔力で吹っ飛ばされ、2人共に空に舞い上がったのだった。
危なかった。
アルベルトの腕に大事そうに抱かれているレティに皆が安堵した。
吹っ飛ばしたガーゴイルはグレイが矢を命中させ、地面に落としていた。
危なかったのはガーゴイルに殺られる事だけでは無かった。
レティが持っていたのは雷風の矢。
これがガーゴイルに刺さればどうなるか……
爆発してレティ、アルベルト、周りにいた騎士やラウル達も吹っ飛んでいただろう。
レティとアルベルトが放つ聖なる矢となった雷風の矢は、ガーゴイルに命中すると浄化されて消滅するが……
浄化されていない雷風の矢は、その飛距離と爆発力を誇る武器なのである。
頭を落とせば絶命させる事が出来る魔獣ならば……
この雷風の矢で頭を吹き飛ばせば、絶命させる事が出来る。
だから……
魔獣の発生する国境付近の騎士達や、デニス国防相やロバート騎士団団長兄弟は手放しで喜んでいるのだ。
この雷風の矢が発明された事を。
この雷風の矢を作った錬金術師シエルは、今年の軍事式典で表彰されている。
「 お前はバカか!? 」
ラウルが血相を変えて2人の側に駆け寄って来た。
「 雷風の矢が爆発する所だったんだぞ! 」
「 あっ!! 」
レティは青ざめた。
3度目の人生では……
雷風の矢は存在しなかった。
だから……
3度目の人生の時と同じ様に、ガーゴイルに矢を突き刺す事には何の躊躇いも無かったのだ。
レティがラウルから叱られている間も、アルベルトはずっとレティを抱き締めたままでいた。
もう……
レティが自分の馬に乗ると言っても離しはしない。
駄目かと思った。
レティがガーゴイルに飛び掛かろうと馬の背に立ち上がった瞬間に……
まるで思い出したかの様な光景がアルベルトの脳裏に浮かんだ。
あの時の俺は……
雷の魔力の開花をしていない俺は……
ただレティに庇われただけで何も出来なかった。
「 殿下は私が守る! 」
そう言ってガーゴイルの目を突き刺し、その翼で地面に叩き付けられ絶命した小さな女性騎士が……
確かにいたのだ。
その姿が脳裏に浮かび……
アルベルトは胸が抉られそうになっていた。
「 良かった 」
レティを腕に抱き締めている事に安堵する。
雷の魔力を開花させたのもレティがいたからで。
自分が魔力使いである事がこんなにも嬉しい。
「 死ななかったわ 」
「 ………… 」
アルベルトは……
無言のままレティを抱き締める手を緩め馬から降りると、地面に落ちていたオハルを拾った。
騎士が武器を捨てる時は死を覚悟した時。
「 騎士が武器を捨てたら駄目だよ 」
アルベルトはそう言って……
オハルにキスをしてレティに渡した。
レティもオハルを受け取ったら、チュッとキスをした。
クスクスと2人で笑って。
「 何処も怪我は無い? 」
「 ええ……アルは? 」
「 忠義な家臣が守ってくれたからぴんぴんしてるよ 」
アルベルトは馬に跨がっているままのレティの腰に手を回して、頭をそっとレティの腰に埋めた。
有り難うと言って。
レティは風の魔女イザベラに手を振った。
感謝の気持ちを込めて。
アルベルトも片手を上に上げ感謝の意を表した。
彼女がいなければ……
間違いなくレティは死んでいた。
風の魔力使いである彼女を、生かした事の意味がここにあったのだとアルベルトは思った。
アルベルトはあの時……
部下に命じてその場でイザベラを処刑するつもりだった。
勿論、顔見知りであり、風の魔力使いである事に躊躇いはしたが……
皇族に向ける刃は摘み取らなければならない。
それがどんな些細な理由であれ。
レティの必死の懇願で……
その場での処刑は取り止め、後にルーカスに命じられた刑も軽いものになった。
イザベラはじっと2人を見ていた。
良かった。
これで私の命を助けてくれた彼女に恩返しが出来た。
フフフ……
あの皇太子があんな泣きそうな顔をするなんて。
あんな情けない顔になる事もあるんだ。
それでも良い男だわ。
あの綺麗なアイスブルーの瞳に……
私が映ってると思っただけでドキドキする。
本当に……
好き。
マシューの次に。
昨夜踊った……
ディオール家の侯爵令息にも惹かれたが。
次の恋は身の丈に合った男と決めていた。
イザベラは新しい恋に向かっていた。
まだ……
炎の魔力使いの……
マシューからの返事は貰ってはいないが。
絶対に口説き落とすつもりだ。
***
「 アル……ここから先はね……私の知らない世界なの 」
レティは小さな声で呟いた。
レティが死んでいたら……
今、学園の入学式にいるのだろうか。
俺と出会う前の。
レティは……
入学式が終わると退学して、予言書を作り、それをルーカスに渡して無人島に行くと言う。
アルベルトは……
そんな事にならずに良かったと、クスリと笑いレティの頭に唇を寄せた。
「 これから先は私の知らない世界だわ 」
ちょっと怖いかもとレティは言う。
「 どうして怖いの? 」
「 これからはズルは出来ないもの 」
学園の試験の問題は知っていたのだと言う。
「 それは悪い生徒だ。他には何を知っていたの? 」
「 流行りのドレスとか…… 」
ちょっと先取りして金儲けをしちゃったわと舌をペロッと出す。
「 未来の記憶があるのは……駄目よね 」
「 でも……君の記憶があったから……色んな事が大惨事にはならなかった事は確かだ 」
「 うん……私のループが役に立ったのよね 」
良かったとレティは嬉しそうな顔をした。
何故レティだったのか……
ループするのは俺でも良かったのに。
こんな小さな少女が……
我が国の最高位の公爵令嬢が……
どれだけ重いものを背負って生きて来たのかと思うと、胸が痛くなる。
アルベルトはレティの頭に唇を寄せた。
「 お前ら! イチャイチャしてないで早く聖なる矢を射ろよな! 」
ラウルの呼ぶ声がする。
見れば弓騎兵たちが次々とガーゴイルを落とし続けている。
新米弓騎兵達もかなり上達している様で。
グレイの……
懸命に指示を与える姿が見えた。
「 そうだわ! 感傷に浸っている場合では無いわ! 」
「 俺達も行こう! 」
アルベルトとレティはガーゴイルに向けて馬を走らせた。
ここからは……
レティの知らない世界が始まるのである。