風の魔女と宮中舞踏会
建国祭はシルフィード王国が帝国になった日をお祝いする日である。
それは……
国と国が戦い抜いた末に、シルフィード王国が完全勝利した日でもある。
シルフィード帝国の属国となった近隣諸国の王族を建国祭に招待するのも、その頂点に君臨する皇帝陛下への絶対的服従を誓わせるものであった。
一昔前までは。
勿論同盟国となった今では……
友好と交易の為の場として、色んな国の要人達が集まるシルフィード帝国の建国祭は、各々の国の外交の舞台となっている。
***
イザベラは皇宮の大広間にいた。
虎の穴には何度も来てるが……
宮殿に入るのは初めて。
ドレスは急遽レディ、リティーシャの店『 パティオ 』で購入した。
今まで着た事も無い豪華な夜会用のドレス。
コルセットを着けなくても良いほどの、細く括れた腰をスタッフ達から絶賛された。
皇后陛下と婚約者の公爵令嬢のドレスの色と被ら無い様に、無難なぼやけた色のドレスを薦められて気落ちする。
赤や青の原色が好みなのだが仕方無い。
大広間は千名は入る広さ。
高い天井にはシャンデリアが幾つもあって、ホールの中心には豪華な大シャンデリアがある。
壁の至る所には豪華な飾りの灯りがあると言う、見たことも無いきらびやかな世界がここにあった。
貴族達は色とりどりの豪華な衣装を着てあちらこちらに集まり、それぞれの会話を楽しんでいる。
「 この大シャンデリアの下で踊れたら最高だわ 」
初めて貴族の舞踏会に足を踏み入れたイザベラは、まるでお上りさんの様にキョロキョロと辺りを見回して、夢の様な世界を楽しんでいた。
「 宰相の娘だから…… 」
声のする方を見ると……
扇子で口元を隠しながらお喋りする夫人達がいた。
「 あら? 皇太子殿下が学園時代に公爵令嬢にアプローチしたって、本には書いてありましたわ。劇場のお芝居でも…… 」
「 親子で仕組んだ話だと言う説もありますわ。お2人の出会いが公爵邸だなんて……大体、皇太子殿下が公爵邸に行かれる事事態が妙ですわ 」
「 どんな理由でお呼びしたのかしら? 」
「 他国の王太子と決闘をする様な行動派の令嬢ですもの 」
やり手なのよと、夫人達が扇子の下でクスクスと笑う。
悪意をもった言い回しである。
「 貴族の皆から祝福されてる訳では無いのだわ 」
王太子との決闘は……
シルフィード帝国の貴族女性のプライドを掛けてのものだったのだと、以前にシエルから聞いた事があったが。
その時……
他国の王族達の入場を告げるアナウンスと共に、きらびやかな衣装で沢山の王族が入場して来た。
全員が頭を下げ、カーテシーをして彼等を出迎える。
やはり普通の貴族とは違う圧倒的なオーラがどの王族にもある。
イザベラも皆に習ってカーテシーをする。
何度も練習をしたから少しは貴族らしく見えるかしら。
そしてついに……
「 皇帝陛下、皇后陛下並びに皇太子殿下、公爵令嬢のご入場です 」
先程入場した王族達よりも、オーラを持った人達が入場して来た。
皇帝陛下は皇后陛下を、皇太子殿下は公爵令嬢をエスコートして。
皇帝陛下と皇后陛下は平民にとっては天上の人。
イザベラは思わず土下座をしてしまいそうになるのを辛うじて押さえた。
私も貴族なのだと言い聞かせて。
他国の王族達もが彼等に頭を垂れカーテシーをしている姿は、我が帝国の皇族がどれだけ凄いのかを実感させられる。
それがとても誇らしくて……嬉しくて。
そして……
なんて凛々しくて素敵なの!
輝く黄金の髪に綺麗なアイスブルーの瞳。
誰よりも背が高く、そして長い手足の皇太子殿下がいる。
今宵は紫と黒の夜会服。
皆がほぅぅと溜め息を付きながら彼に見とれている。
彼の横には公爵令嬢がいた。
アルベルトと揃いの紫と黒のドレスを着たレティは、少し後ろに下がって静かに頭を垂れていた。
自分はまだ皇族では無いからと、何時も民衆の前で皇族と並ぶ時は一線を引いて後ろに佇む事を心掛けている。
それが公爵令嬢の嗜みなのである。
ロナウド皇帝は建国祭を祝ってくれた事に感謝した後に、皇太子と公爵令嬢の成婚の日が決まった事を他国の王族や要人達に改めて報告をした。
アルベルトは後ろに下がっていたレティに手を差し出して自分の横に引き寄せた。
それはそれは蕩けそうな顔をレティに向けて。
会場からは甘い甘い2人に大きな拍手が沸き起こった。
そして……
両陛下のファーストダンスが始まる。
皆が一斉に壁際に移動してホールには大きな空間が出来た。
大シャンデリアの下で踊る2人に場内からは感嘆の声が上がる。
美男美女の2人の様相は今でも健在で、2人の仲睦まじい姿は国の安寧をもたらすものであった。
一夫多妻制度があったのにも関わらず、周りの側室を薦める声には耳を貸さず、シルビア皇后以外は頑なに娶らなかったロナウド皇帝の帝国民の人気は絶大である。
アルベルト皇太子殿下も……
そんな仲睦まじい両親を見て来たからこその側室制度の廃止だと言われている。
両陛下のファーストダンスが終わると……
アルベルトがレティの手を引いて大シャンデリアの下にやって来た。
片手を胸に当てて腰を折る皇子様と、ドレスの裾を持ち、膝を屈める公爵令嬢が、向かい合って音楽が鳴るのを待っている。
何か話をしているのか2人でクスクスと笑い合って。
そして……
宮廷楽士達のご機嫌な曲が奏でられると2人はお互いの手を合わせ、アルベルトはレティの腰をグイっと自分の腰に寄せる様にして、軽快なステップでホールを弾むように踊り出した。
若い2人で無ければ到底踊れないホール中を駆け回るダンスだ。
2人が楽しそうに踊る軽快なダンスは、今や宮中舞踏会ではお決まりとなっている。
歓声や拍手でいっぱいの会場は……
2人が踊りながら近付いて来るとキャアキャアと黄色い声が飛び交い、会場中が湧きに湧いて凄い盛り上りだ。
イザベラは驚いた。
退屈な貴族の社交ダンスにこんな楽しいダンスがあったのかと。
それに……
皇子様はかなりのテクニシャン。
もう……
腰使いや身体の線、足の運びはプロより完璧で。
女性をリードするテクニックは長けていて、パートナーの女性はさぞや踊りやすいだろうと。
イザベラは初めて見るアルベルトのダンスにも心を奪われた。
「 ワタクシも皇太子殿下と踊ってみたいわ 」
まるでイザベラの心を代弁したかの様に、近くにいた貴族令嬢が広げた扇子の下から目だけを出して羨ましげに見ている。
「 皇子様は、婚約者か王女としか踊りませんものね 」
残念ですわと言うもう1人の令嬢は、同じ様に扇子で口元を隠している。
「 皇子様のご結婚のお相手がイニエスタ王国の王女だったら、諦めもつきましたのに 」
「 ワタクシは兎に角、宰相の娘で、皇子様のご学友の兄がいると言う有利な立場が気にいりませんわ 」
愛人でも良いとか、せめて一夜だけでも良いとか……
あの腕に抱かれて逞しい胸に顔を埋めたいだとか。
それからの話は聞くに絶えない話で。
貴族令嬢が……
まるで娼婦の様な会話をしている事にイザベラは驚いた。
勿論自分も……
同じ事を思っていたのだと思うと血の気が引く思いだ。
その歪んだ嫉妬心故のあの風の魔力の暴走だったのだから。
踊り終わるとアルベルトはレティを抱き締めて、頭に唇を寄せる。
息一つ乱れていないアルベルトはハアハアと息の荒いレティを労って。
会場からは拍手と歓声が送られている。
そして……
レティは皇子様にカーテシーをした。
皇子様へのありったけの敬意を込めて。
誰もがうっとりとする程の美しい見事なカーテシーを。
***
思い起こせば……
イザベラとレティとの出会いは奇妙な出会いだった。
皇都広場の小さな舞台で踊るイザベラの前に現れたのは、小作人の着る服を着た変装したレティであった。
最初は自分のファンの男の子だと思っていた。
そして……
彼女はレディ、リティーシャとしてデザイナー件店のオーナーとして商売もしている。
また……
医師であり、虎の穴での薬学研究員でもあった。
どれ程の才色兼備の持ち主なのか……
しかし、聞こえて来るのは……
他国の王太子と決闘をしたとか、軍事パレードで騎士の姿でパレードに参加したとか勇ましい噂ばかりで。
イザベラのレティ像とは……
美しい少女だが、快活で口調も砕けていておよそ貴族令嬢らしく無い存在。
劇場のあの下品なお姉さま達にも可愛がられている位なのだから。
早く言えば……
貴族の女性としてはかなり劣っているのでは無いかと、少なからずレティを軽視していた。
もしかしたら……
父親が不貞をして平民に生ませた子なのかもと。
だから……
レティに親しみを感じていたりもしたのだが。
しかし……
ここにいるレティは正に我が国の最高位貴族である公爵令嬢だった。
他の王族とも堂々と渡り合う姿にイザベラは感動すらした。
共通語もペラペラで。
貴族社会の事はよく分からないけれども……
彼女の公爵令嬢としての姿は完璧なんだろうと。
「 どう?アタシがあの娘にあのステップを教えたのよ 」
その時クネクネした1人の紳士?がイザベラに話し掛けて来た。
貴女は劇場で踊っているダンサーよねと言って。
評判の踊り子のイザベラのステージを何度か見に行ったのだと。
「 アタシはあの娘の社交ダンスの講師なの 」
この紳士?はゴンゾーだった。
「 彼女……あのステップが出来る様になるまで足腰が動かなくなるまで練習したのよ 」
がんばり屋さんなんだとハンケチで涙を拭う。
リアクションがいちいちオーバーである。
実は……
踊り子であるイザベラはもうあのステップを踏める。
多分今から踊れと言われたら……
ある程度は踊れる筈。
アルベルトの巧みなリードがあれば尚更で。
「 リティエラ様はお妃教育も熱心ですよ 」
そう言って横から話し掛けて来たのは、レティのお妃教育の講師であるトラスだ。
これから皇后陛下に就いて宮中の祭祀や祭儀などを学ぶと言う。
これがまた大変な作業で、ミスが許されない世界なのだと。
祭祀?
祭儀?
イザベラには聞いた事も無い言葉がゴンゾーとトラスの間で飛び交う。
貴族の世界……
いや、皇族の世界は国民の税金で贅沢をしているだけでは無いのだと、イザベラは思った。
平民の生活の方がお気楽だ。
アルベルトは王女達と踊り出した。
今回は3人の王女が来国して来ていた。
まだアルベルトにある少しの望みと、公爵令息であるラウルとの婚姻も考えて。
王女達の嫁ぎ先問題は深刻。
第2王女や第3王女なら尚更で。
彼女達はこの後はラウルとダンスを踊る予定だ。
レティはウィリアム王子と踊る。
これは友達として。
まだレティは正式な皇族では無いので、公務としてのダンスは組まれてはいない。
寧ろ王女とのダンスを予定されているラウルが不思議がる。
「 何で俺が…… 」
この舞踏会取り仕切る皇后陛下の秘書官から告げられた事だから絶対で。
***
この皇宮でのやんごとなき人達が送るきらびやかな世界は、あらゆる努力の積み重ねの上にある事を、男爵であるイザベラは知る事となった。
そんな凄い立場のレティが……
屈託の無い笑顔で劇場のお姉さま達の元に訪れているのだ。
彼女達から婚約者の心を繋ぎ止める方法を真剣に聞いたりして。
まだ、レティの正体を知らないお姉さま達からの伝授される方法は激しい。
婚約者って皇太子殿下の事かと想像すれば……
こっそりと聞いているイザベラは真剣はレティに何時も吹き出すのだった。
レティが劇場に来ると、イザベラはそっと居なくなり会わない様にしていた。
きっとまだアルベルトへの恋心があるからで。
ワルツが奏でられると……
再び踊り出した皇子様と公爵令嬢。
周りで踊るカップルなんか目に入らないかの様に、愛しげに見つめ合って踊る2人。
ゆっくりとステップを踏みながら皇子様は何度も何度も彼女の頭や指先にキスをする。
公爵令嬢はクスクスと笑いながら皇子様を見上げている。
その姿だけで……
どんなに愛し合っているのかが分かる。
イザベラはずっと2人を見ていた。
あの時彼女に助けて貰った命。
彼女を傷付けていたかも知れないこの風の魔力が……
何時か彼女の役に立つ日がくれば良いのだけれども。