お伽噺の目撃者
港街は大騒ぎになっていた。
大勢の皇宮騎士団の騎士達が船の下で待機しているのだから、この船で何かあるのだろうと。
騎士達の説明では訓練だと言うが。
訓練だとすればもしかしたら皇太子殿下が来られているかもと、誰かが噂をすれば……
たちまちその嬉しい噂が広がって、早朝にも関わらず、街には近隣の町からもどんどんと人が押し寄せて来る事態になっていた。
騎士達が船に駆け上がって行くと……
暫くして小さなエンジンボートが船に近付いて来た。
当然ながら人々の視線はそのボートに集まった。
乗っているのは男2人。
頭からフードを被っているからよく顔は見えないが、外国人の様だ。
彼等は船下の舵の部分で何かを取ろうと作業をしていたが……
彼等を見ている人々の多さに驚いて直ぐに立ち去った。
そして……
再びやって来て小舟を船の側に止めると、男達が舵のある部分を指差して何かを話している。
船に何かをするつもりだ。
あそこの上にはエンジンルームがあるんだぞ。
誰かが悲鳴を上げた。
「 止めろーーっ!!」
「 誰かーっ!自警団を呼んで来い! 」
「 いや、船にいる騎士を呼んで来い!! 」
岸にいる人々はパニック状態になった。
そして……
1人の男が片手を上に上げる。
「 もしかして……魔力使いか!? 」
光の魔力使いが街灯に光を付けているのを見た事があると言う者や、火事の時に水の魔力使いが火を消しているのを見た事があると皆は口々に言う。
あの男は同じ所作をしていると。
「 逃げろーーっ! 船が爆発するぞー!! 」
誰かが叫んだ。
そこに……
1人の少女が船の手摺にスクッと立った。
既に手に持った弓矢を構えている。
彼等を的にして。
彼女の放った矢は矢は男の腕に刺さった。
大歓声が沸き上がる。
「 行けーっ!! 」
「 やれーっ!! 」
続いて少女は後ろの男の頭に矢を射った。
男達は頭を抱えて踞り、直ぐに船のエンジンを掛けて逃げて行った。
「 やった!! 」
歓喜の声を上げたとたんに少女が落下した。
あの高さから……
キャー!!
あちこちから悲鳴が上がる。
すると……
黄金の髪の男が少女の後を追う様に飛び込んだ。
なんて……綺麗。
こんな事態なのに皆が一瞬見惚れた。
その後には次々と騎士達が海に飛び込んで行く。
「 殿下ーっ!! 」と叫びながら。
「 殿下だって? 」
皇子様が飛び込んだのか!?
「そうだ!あの黄金の髪は皇子様だ!! 」
「 キャーーーっ!!」
先程とは違う黄色い声があちこちで上がり、港は凄い騒ぎになった。
「 あの少女は婚約者だわ! 」
誰かが叫んだ。
そうだ!
婚約者だ。
彼女は剣だけで無く弓矢をやると聞く。
凄い……
これはまるでお伽噺の世界。
悪人を皇子様の婚約者が撃退し……
海に落ちた婚約者を皇子様が海に飛び込んで助けに行く。
……と言う感動の物語だ。
人々はその後も見守った。
海面に出て来た皇子様の腕の中には婚約者がいた。
とても大事そうに……
皆は拍手をした。
良かったと言って涙を流す者も。
そして……
彼女は近付いて来た手漕ぎボートに乗せられ、皇子様が舵に近付き雷の魔力で針金を切った所も見ていた。
凄い……
素敵……
きっと後々には……
『 シルフィード帝国皇太子殿下御成婚物語 護衛騎士達から見たお2人の愛の奇跡 』の続編の1ページになるんだと歓喜した。
我々はお伽噺を目撃しているのだと。
***
ジルも岸からこの一部始終を見ていた。
リティエラ様がやって来て、大勢の騎士達が港に来ている。
それもこの騎士達は第1部隊。
第1部隊の騎士達は、皇太子殿下が馬車で移動をする時でないと出動はしない。
自分も何度も彼等に守られて馬車に乗っていたのだ。
だから……
きっと皇子様が来てる筈。
逸る気持ちを押さえて岸に立っていた。
遠くからでも良いから一目お姿を見たいと。
海から上がって来たアルベルトが髪をかき上げる。
なんて色っぽい仕草。
神々しい位に素敵な姿に……
人々は、この場に遭遇している事を神に感謝した。
レティは座り込んでいた。
近づいて来るアルベルトを見上げる大きな瞳からは、涙がボロボロと零れていた。
アルベルトは優しく微笑んで、全身びしょ濡れのままにレティを横向きに抱き上げた。
レティ念願のお姫様抱っこだ。
毛布にすっぽりとくるまれた彼女の顔は人々からは見えない。
周りからは……
ほぅぅと溜め息が漏れる。
本当の皇子様とお姫様。
まるで1枚の絵の様な光景だった。
ただ……
お姫様は芋虫みたいに毛布にくるまれているのが残念だったが。
気が付いたらジルは走り出ていた。
全身びしょ濡れの2人を何とかしたいと思って。
「 殿下! 」
「 !? ジル……久し振りだな 」
ジルに気付いて答えたのはクラウド。
アルベルトは……
抱き上げた毛布から見える亜麻色の髪に、優しくキスをしていた。
もはやレティしか見ていない。
「 あの……出入国管理事務所にシャワー室がございます。殿下を……お2人をそこで着替えさせてあげて下さい 」
「 ああ……助かる 」
クラウドはそう言って、アルベルトにジルの言葉を伝えた。
「 分かった 」
アルベルトはそう言って頷いて、毛布の中を優しく覗き込みながら何かを話している。
ドキドキ……
皇子様が自分の方を向いてくれるのかと胸が高鳴ったが。
皇子様は毛布の中だけを気にしながら、彼女を抱き上げたままでスタスタと歩いて行く。
いつの間にか騎士達が人垣を整理していて、皇子様はその中をゆっくりと進んで行く。
その後ろをびしょ濡れの騎士達が続く。
ジルはアルベルトと言葉を交わす所か……
近付く事さえ許され無かった。
それが皇子様と職を離れた平民の彼女の距離だった。
クラウドはレティの世話をジルに頼んだ。
アルベルトから言われて、2人の着替えを持って来ていたのだ。
海に落ちるかも知れないからと。
酒に酔ったりして海に落ちるトンチキもいる事から、事務所にはシャワー室が2つ完備していた。
夜勤の者も使える様にと。
アルベルトの世話はクラウドがして、ジルはレティがシャワー室から出て来るのを洗面室で待った。
毛布にくるまれてガタガタと震えていたレティが、ワンピースに着替えて出て来た。
青ざめていた顔はほんのりとピンク色になっていた。
ああ……
良かった。
ジルはレティの髪を乾かす。
優しく櫛でといて。
なんて……
なんて艶々とした髪。
細くてサラサラと流れる様な亜麻色の髪。
まだ水を拭ききれていない白いうなじは、水を弾いている程に弾力があって滑らかな肌だ。
女性の自分でも思わず触りたくなる様な。
女官達がうっとりとしながら彼女の髪や肌を誉めていた事が分かる。
「 殿下が喜びますわね 」
熟練主婦である女官達は明け透けだ。
あの旅ではレティの世話をしなかった事から、ジルは初めてレティの髪に触れ、肌に触れたのだ。
彼女は生まれながらの公爵令嬢。
その全てが洗練されているのは当たり前で。
「 終わりました 」
「 有り難う 」
レティはジルを見た。
そしてにっこりと笑う。
「 あの時のスキンクリームはもう無いでしょ? 」
「 えっ!? ……は……はい 」
唐突な質問にジルは驚いた。
ジルは皇宮から移動になりここに来る前に、こっそりとレティの店『 パティオ 』にスキンクリームを買いに行っていた。
バレていたのだと少し顔を赤くした。
「 今日のお礼にスキンクリームを送るわね! 」
あれから効能アップさせたのよと楽しそうに笑う彼女に鼻がツンとした。
そう……
彼女はこんな人だ。
彼女の人となりには誰もが惹き付けられてしまう。
こんなに可愛らしい令嬢が……
あんな場面に遭遇して怖く無い筈が無い。
だけど彼女は立ち向かうのだ。
一歩も引かずに。
そして……
そんな彼女を全力で守る皇子様。
この2人にどれだけの物語があるのだろうか。
別に皇子様とどうこうなれるなんて少しも思っていなかった。
いや……
本当はお伽噺を夢みていたのだ。
もしかしたらと。
平民の私が皇子様の側にいる事が出来た。
皇子様は平民である私を特別目に掛けてくれた。
あの綺麗なアイスブルーの瞳で優しく見つめられて……
お伽噺は本当にあるのかも知れないと舞い上がった。
学園時代に流行った小説に庶民棟の女生徒達は色めき立った。
『王子様とその辺の娘の恋物語』
その名のとおりに王子様と平民の少女のシンデレラストーリーである。
しかし……
皇子様はその辺の娘とは恋には落ちない。
彼女がこんなにも素敵な女性だから恋に落ちたのだ。
皇子様御一行様が港を発つ時……
事務所所長とお礼の言葉を交わしている時に、一瞬ジルと視線が合った皇子様はジルに微笑んだ。
あの頃と少しも変わらない優しい微笑で。
心臓が跳ね上がる。
後から皆に聞かれるだろう。
ジルは……
皇宮女官をしていた事は話していたが、皇太子殿下就きとは言ってはいなかった。
勿論、これからも言うつもりは無い。
自分だけのお伽噺を大事にしたいから。
ジルは馬車に乗り込む2人を人垣の合間から見ていた。
自分はここにいる人々と同じただの一般人だ。
ジルは深く頭を下げた。
港を……
自分の居場所であるこの地を守ってくれて有り難うと。
皇子様が愛して止まないヒロイン……
いや、勇敢なヒーローに。
***
皇子様と公爵令嬢の恋はお伽噺の様だ。
そう言われる様になったには訳がある。
劇場の『 皇子様と公爵令嬢の恋 』は空前の大ヒットを記録していた。
オペラ観劇には貴族か金持ちの平民しかいかないのだが。
平民達がこぞってチケットを買った。
少しドレスアップして観劇に行くのが彼等の楽しみになった。
遠くからも足を運んでくる程に。
貴族達も何度も何度も足を運ぶ。
あの素敵な世界に浸りたいと言って。
近々、皇帝陛下と皇后陛下も観劇に行くと言う。
勿論、当事者の2人は……
何時も命懸けだ。
決してお伽噺では無い現実がそこにあるのだから。