大人の時間
「 しっ!……静かに…… 」
「 ……… 」
レティの口を塞いだのはアルベルトだった。
嗅ぎ慣れているアルベルトの優しく甘い香りが、レティの戦闘意欲を失わせる。
そのままアルベルトの腕の中に抱き寄せられて。
ここは何よりも安心出来る場所だ。
2人は木の影にしゃがんで潜んでいる。
何かしら?
ワクワクしますわ。
「 何から逃げてるの? あっ! もしかして……女性? 」
嘘!? 女性に追われているの?
「 ち……違う! 」
アルベルトが慌ててレティを見るが……
レティの目がランランと輝いている。
またあのバトルが出来るのねとやる気満々だ。
「 どこかしら? 獲物は? 」
「 良いから……黙って…… 」
立ち上がってキョロキョロと辺りを見渡すレティの手を引いてしゃがませた。
全く……
この張り切り様は何なんだ?
確かに……女性と言えば女性なんだが。
そのまま耳を済ましていれば……
アルベルトの部屋の開いた窓からはシャーロットの泣き声がしている。
「 姫様! 早く姫様のお部屋に戻りましょう 」
「 ロロはお兄様と寝たいの~ 」
「 殿下には大人の時間がありますから、邪魔しちゃいけませんよ 」
「 大人の? 」
「 さあさあ……お部屋に戻ってご本を……… 」
バタンとドアが閉まる音がして声が聞こえなくなった。
ハァ……っとアルベルトが息を吐いて胸を撫で下ろした。
レティもハァっと息を吐いて……肩を落とした。
2人の吐いた息は意味が違う。
「 シャーロット王女から逃げてるの? 」
「 夜も一緒に寝るって言うから…… 」
むむむ……
それも夜這いよね。
4歳の王女の夜這い……
眉間にシワを寄せてぶつぶつ言っているレティの腰に手を回して、アルベルトはレティを抱き締めた。
「 ああ……レティだ…… 」
「 一緒に寝てさしあげれば良いのに。泣いてたじゃない 」
「 あの乳母の言うとおりに……僕には大人の時間が必要だ 」
そう言いながらアルベルトはレティの頭に唇を寄せた。
「 あっ! そうだ! 何で窓から飛び降りたりしたんだ? 」
「 あら?………見てたの? 」
アルベルトの部屋はレティの部屋の隣。
レティが窓から飛び降りるのを見て、自分も窓から飛び降り様とした時に枕を持ったシャーロットがやって来たのである。
警備の騎士達も相手がシャーロット王女ならば為す術も無い事で。
「 ロロはお兄様と寝るの 」
「 ダメだよ。今から大切な用事がある…… 」
アルベルトを見上げるシャーロットの目にうるうると涙が溜まって……
今にも泣き出しそうだ。
ここで泣かれては大変だと、側にいる侍女に片手を上げてごめんの合図をしながら逃げる様に部屋から出て行き、隣のレティの部屋に入って行った。
婚約者の部屋に入って行ったアルベルトを見て、若い侍女達は顔を赤らめた。
そこに乳母がやって来てシャーロットを連れて帰ったのだった。
乳母は侍女よりも強い立場にあるのだ。
そして……
レティが庭園の小道を歩いているのを確かめてから、部屋の窓から飛び降りたのだ。
「 窓から外を見ていたら君が転がってたので驚いたよ。怪我は無いか? 」
「 ええ……2階から飛び降りる事位はなんて事無いわ 」
このお転婆め!
……と、アルベルトはレティの鼻を摘まんだ。
「 ………で? 何で抜け出したの? 」
理由を言えとレティの顔を覗き込んで来る。
「 ………ちょっと自由になりたくて…… 」
「 自由になりたかった? ん? それはどう言う意味? 」
「 ずっと……護衛騎士が私の側にいるでしょ? 何だか息がつまりそうで……気が付いたら窓によじ登ってたの 」
アルベルトはレティの手を引いて歩き出す。
そうだ。
レティは何時も他人から見られている俺とは違うんだ。
彼女のストレスを思いやってあげなければならなかったのだ。
「 それでも……1人で出歩いちゃ駄目なのは分かっているよね? 」
特にここは他国なんだからと。
レティはコクンと頷いた。
「 そんな時はちゃんと僕に言ってよ。次は2人で一緒に抜け出そう 」
「 うん……わかった 」
全く……
返事だけは何時も良いな。
アルベルトはクスクスと笑う。
「 ………そう言えば……俺も今は自由だな 」
2人共窓から抜け出したので、警護の騎士達はアルベルトはレティの部屋にいると思っているのだ。
明るくライトアップされた庭園を楽しみながら仲良く手を繋いで歩いて行く。
「 出発する時は8月の暑い夏だったけれども……もう9月に入っているのね 」
マケドリア王国はシルフィード帝国よりは少し北よりなので、夜は少しひんやりしていた。
「 そろそろシルフィードが恋しくなって来たね 」
アルベルトは自分の上着を脱いでレティの肩に掛けた。
「 有り難う。 アルは寒くない? 」
「 レティを抱き締めていたら寒くないよ 」
四阿のベンチに座わると、アルベルトはヒョイとレティを自分の膝の上に乗せた。
「 やっぱりロロは軽かったなぁ 」
「 そりゃあ、私は重いわよ 」
「 うん……この重さが大好きだ…… 」
アルベルトはレティの頬にチュッとキスをした。
そして……
レティの頬に手を添えると唇に口付けをした。
少し冷たい風が吹いて……
サワサワと木の葉が揺れる音が秋の気配を感じさせていた。
「 ここは父上と母上が初めて出会った庭園なんだよ 」
アルベルトがレティに上着を掛け直しながら言う。
熱心に口付けをしていたので上着がずれてしまっていたのだ。
「 まあ! ここがあの有名な場所なのね 」
皇帝陛下と皇后陛下のご成婚に因んだ本はレティも読んだ事がある。
「 政略結婚だけれども……母上の姿絵を見た父上は、どうしても母上に会いたかったんだって 」
「 お2人はここで恋をしたのね 」
「 うん……普通なら絶対に出会わない2人がここで恋をして……僕が生まれて……そして……僕は君に出会って……君に恋をしたんだ 」
見つめ合っていた2人は自然と口付けを交わしていた。
「 ロロとクリスといたら……僕と君の子供も……こんな感じかなって…… 」
アルベルトは恥ずかしそうに俯いた。
まあ!
アルはそんな事を思っていたのね。
「 僕達の結婚式が待ち遠しいよ 」
そう言って愛し気に見つめて来るアルベルトに、レティはそっと首に手を回してその形の良い唇に唇を寄せた。
「 私もよ…… 」
レティは3度の未来を知っている。
それはその先の無い未来だ。
アルと私がいて、子供達がいて……
本当にそんな日が来る事があるのかと。
独りで無人島で釣りをしている姿しか想像出来ないわと言えば……
じゃあ2人で毎日釣りをしようと言ってアルベルトは笑った。
アルベルトが皇子じゃ無ければそんな5度目の人生も想像出来るが……
シルフィード帝国のたった1人の皇子であるアルベルトとは、そんな未来はある訳が無い。
5度目の人生は……
入学式の日に、独りでフェードアウトしようと言う気持ちはずっと変わらないレティであった。
レティは4度目の今の人生が最後の人生だと思って生きている。
ずっとずっと恋い焦がれて来た皇太子殿下に愛される人生がこの4度目の人生。
結婚式の日取りは決まったが……
結婚式を挙げる事が出来るとは思ってはいない。
船から落ちないで、流行り病を終息させて、ガーゴイルを討伐してからの未来をレティは知らない。
その先にある4度目の死が……
あるのかも知れないし無いのかも知れない。
だから……
21歳の誕生日の日に、アルベルトと結婚式を挙げている未来がどうしても見えないのだ。
レティに見えるのは……
5度目の人生が始まる未来。
こんなにも自分の事を愛してくれるアルベルトが……
自分の事を全く知らない17歳の皇子となって、入学式の壇上に立っているのだ。
レティはアルベルトの背中に手を回して……
その逞しい胸に顔を埋めた。
そして……少し泣いた。
その後……
大人の時間を過ごした2人が外から帰って来たので、警護の騎士達が大層驚いたのだった。




