狙われた婚約者
遅い昼食の後にレティは外務省に出向いた。
本来ならば、朝一番にここに来なければならなかったのだが。
部屋に入ると壁一面に世界地図があった。
流石に外務省と言った所だ。
レティを案内してくれたのは受付の女性の文官。
何時もは沢山の人で賑わっているのだが、人が少ないのは皆が出払っているからで。
外国客の通訳や世話係として忙しくしているのだ。
応接室に通されたレティは、通訳としての心得を簡単にレクチャーされた。
サハルーン語の通訳としてのアルバイトなので、サハルーン帝国の注意事項の書いた資料を渡された。
成る程。
ただ喋れば良いと言うもんじゃ無いんだわ。
習慣や禁句などが書いてあった。
赤ワインが駄目な事の説明を彼女にしたら、直ぐに追加で書き込んでくれた。
これは危ない所だったと彼女は安堵し、レティにお礼を言った。
「 それではディオール氏とご一緒に第2会議室にご移動願います 」
「 !? 」
そうか……
外務省にはレオがいるんだわ。
レオナルドがやって来た。
受付の文官が少し赤くなったのは見逃さない。
何時もアルベルトと一緒にいたら鋭くもなる。
レオナルドはの髪は青みがかったシルバーで、少しウェーブが掛かっている長めの髪を後ろで軽く三つ編みにしている。
瞳はエメラルドグリーンでやや切れ長。
流し目が得意な端正な顔立ちである。
背も高く……
確かに格好良い。
「 お前! どこ行ってたんだよ? 」
アルはずっと探してたんだからなとレティの側に来るなり叱られた。
「 ちゃんと通訳をして来たわ 」
遊んでいたわけじゃ無いんだからねと口を尖らす。
エドガーが騎士クラブの先輩なら、レオナルドは語学クラブの先輩である。
彼はずっとレティの学年の講師をしてくれた先生でもあった。
サハルーン語も彼と一緒に習った仲である。
レティはその後も騎士クラブでノアに会った時に、サハルーン語を忘れない様に会話レッスンをしていた。
第2会議室では、アルベルトとジャファルの会談が行われる事になっていた。
部屋には大臣達やその秘書達、通訳の2人と記録官の2人。
サハルーン帝国の要人達も来ていて、アルベルトとジャファルがやって来るのを待っている。
暫くすると……
カツカツと言う靴音と共に、アルベルトが秘書官のクラウドを連れて入室して来た。
皇太子と彼の側近もそれに続いた。
全員が立ち上がり頭を下げて2人を出迎える。
うわ~
王子様ランキングの1位と2位の登場だわ。
ふむふむ……
第2位のジャファル皇太子は……
姿絵よりはかなり妖艶な雰囲気。
カリスマ性があるのは流石に帝国の皇太子。
だけど……
我が国の皇太子の方が凄いのは間違いない。
1位と2位の差はかなり大きい。
レティがチラチラとジャファルを見ていたら……
アルベルトがコホンと咳をした。
隣にいるレオナルドに肘で小突かれる。
レティは慌てて下を向いた。
「 通訳をさせて頂きますディオールです。横の文官は助手ですのでお気にされませぬ様に 」
レオナルドはレティの名前を出すのはマズイと判断した。
ウォリウォールの名を出せば直ぐに皇太子の婚約者だとバレる。
皇太子の婚約者が文官の格好をしているのはどうかと思って。
会談は貿易の事から始まった。
率直な意見の応酬。
若干20歳の2人がこんな話が出来るのだから、2人共にかなり優秀な皇子だと推測される。
電話もメールも何も無い時代。
会った時しか話しを前に進める事が出来無いので、この建国祭は外交の場でもあった。
シルフィード帝国とだけじゃ無く、各国の各々が目の色を変えて会談をしている所である。
会談はシルフィード語とサハルーン語が混じっていた。
お互いがお互いの言葉を話せるので、自分達で通訳をしながらやっている。
レオナルドはもっぱらサハルーン語で話した内容を記録官に伝えている。
暇なレティはまたもやジャファルを観察していた。
何処かで見た事があるのだ。
金色の瞳の色と褐色の肌がノア君とジャック・ハルビンと同じだからかな?
会談が終わり一同が引き揚げて行く。
晩餐会までもう1つ他国との会談があると言う。
アルベルトもクラウドと共に足早に移動をする。
「 レティ、後で…… 」
……と、レティの頬をぷにっと摘まんで。
「 レティは外務省に戻って報告書を書いて来なよ 」
レオナルドも資料を持ってアルベルトを追った。
皆……
仕事をしてるんだわ。
お兄様もエドも……
ゴマメな自分が何だか有難い。
社会に出る事と言う事は自分に責任を持つ事。
何度も20歳を経験しているレティは自分に自信があった。
様々な事で困難を乗り越えて来たのだから。
だけど……
その鼻っ柱を見事に打ち砕かれた公務と言う特殊な世界。
国の代表として注目をされて、期待をされて……
失敗すれば殿下に……
国にも被害が生じてしまう事になる。
今は……
お気楽なゴマメで良い。
21歳になるまでは。
あんなに張り切っていた出来る文官から、ゴマメな文官になったレティはこの後は晩餐会で食べるだけ。
早くもお腹が鳴る。
レオナルドに言われた通りに外務省に向かってテクテクと歩いていると……
「 文官のご令嬢。少し話をしても宜しいですか? 」
!?
声の主を見ればジャファル皇太子だった。
レティは改めて膝を折り頭を下げた。
「 はい、先程の事で何かございましたでしょうか? 」
「 いや、私の侍女達が世話になったと聞いて…… 」
「 いえ……それは文官として当然の事をしたまでですので、お気になさる必要はございませんわ 」
「 まあ、そう言わずに少し私の話し相手になって頂けないかな? 」
「 はぁ…… 」
相手は他国の皇太子殿下だ。
断る訳にもいかないので、何時も利用しているサロンにジャファルを案内した。
サロンにいるメイドにお茶の用意をお願いする。
「 !? リティエラ様ですか? 」
眼鏡を掛けて文官スタイルのレティに、何時もお喋りしているメイドが驚く。
レティはシーっと指を立てて、何も言わない様にお願いをする。
分かりました。
今は文官なんですね。
前の女官スタイルもよくお似合いでしたが……
伊達眼鏡までお掛けになった文官スタイルも素敵です。
メイド達はレティのファンである。
レティのファンクラブを立ち上げようと侍女達と思案中である。
席に戻って来たレティにジャファルは近付いた。
そして……
顔を覗き込むといきなりレティの伊達眼鏡を取った。
何!?
後退りするレティにジャファルは妖艶な顔をして微笑んだ。
「 やっぱりそなただったか…… 」
ジャファルはレティの顔を凝視している。
そして……
「 オジョーサン、ウツクシイーデスネー、ワタシトケッコンしてクダサーイ 」
そう言っておどけた顔をした。
「 !? 」
あの時の……
ジャファルは……
昨年の温泉地への視察の旅で立ち寄ったドゥルグ領地で、ジャック・ハルビンの店で店番をしていた不思議な外人だった。
どうりで見た事があると思った。
いや……
それよりも……
あの時の変な外人がサハルーン帝国の皇太子なら……
ジャック・ハルビンは何?
レティは混乱した。
冷静になろうと必死で落ち着かせる。
「 思い出してくれた? 先ずはそなたの名前を聞いても良いかな? 」
「 ………はい……リティーシャと申します 」
ジャック・ハルビンにはリティーシャと名乗っている。
レオナルドもレティの名を告げる事を避けた。
これは……
本名を言わない方が良いのだろうと咄嗟に判断したのだった。
今夜の晩餐会ではバレるのだけど。
ん?
名字が無い?
彼女は平民なのか?
サハルーン帝国では平民には名字が無い。
だからジャファルは単純にレティを平民だと思い込んだ。
勿論、シルフィードには平民にも名字がある。
成る程……
この娘は平民だったのか。
港でアルベルトと初めて会った時に、ドゥルグ領地のジャックの店で会った彼だと直ぐに分かった。
こんな美丈夫は彼しかいないのだから。
あの時に、シルフィードの皇太子がドゥルグ領地に視察に来ていたのは知っていた。
なので……
お忍びで彼が店に来た事は不思議では無い。
だけど……
皇太子と一緒にいたこの娘を彼の婚約者だとジャックは言っていた。
あの時、婚約者は同行して無かった筈だ。
それに……
ジャックは彼が皇太子だとは知らなかった。
私もシルフィード帝国の港で気付いた位なのだから。
平民のこの娘はアルベルト殿の愛妾。
だったら……
この娘に護衛騎士が就いてるのも納得がいく。
サロンの外でずっと私を警戒している。
それに……
先程の会談でも、アルベルト殿はこの娘をやたらと見ていたのだから。
成る程……
彼女がアルベルト殿の愛妾だと言う事は、皇宮では既に知られた存在で、身分違いの彼女の事を余程大事にしてるらしい。
こんな綺麗な娘だから当然だろう。
婚約者を溺愛するあまりに側室制度も廃止したと言う話が伝わって来たが……
所詮は彼も私と同じなんだよな。
まあ、彼に婚約者以外に女がいるのは当然だろう。
まだ2、3人位はいるのかも知れない。
男は……
同時に複数の女を愛する事も出来るのだから。
私も含めて。
ジャファルには正妃はいないが3人の側妾が既にいる。
側妾である彼女達はジャファルの世話をする為に同行していた。
そして他の7人は側妾の世話をする侍女達。
サハルーン帝国は一夫多妻制で、皇子は成人したら直ぐに後宮が持てる事からどの皇子も沢山の側妾がいた。
後宮はハーレムである。
このハーレムの中には平民も勿論いる。
視察先では、平民であろうと人妻であろうと気に入れば皇子達は後宮に連れ帰ったりしている。
サハルーン帝国はその辺はかなり緩い。
正妃はこの側妾の中から選ばれる事もあるが、身分の高い王女や貴族がなる事が殆どであった。
それだけ婚約者を寵愛してるのに手放さないこの娘をジャファルは俄然欲しくなった。
婚約者を拐え無くても……
平民のこの娘なら持ち帰れるだろう。
ジャファルはそんな風に考えてしまった。
世界一の美丈夫から女を奪うのはゾクゾクする。
「 フフフ……君だけにこっそり教えちゃうよ。私はアルベルト殿の婚約者を奪いに来たんだよ 」
今回の外遊の目的の1つはそれだと言う。
公爵令嬢と言う高い身分もさる事ながら、医師である彼女は大層優秀で、グランデルの王太子と決闘して勝利する程に騎士としての腕が立つのだと聞いた事から、自分の正妃には彼女が相応しいと思ったのだと。
レティは心臓がバクバクするのを堪えながら言う。
「 でも……公爵令嬢は……我が国の皇太子殿下の婚約者です 」
「 そんなものは関係ないよ。拐って行けばね 」
大昔の戦争の大概はね、優秀な王妃の奪い合いだったんだよとジャファルは声を上げて笑った。
優秀な子孫を残す事が王家の使命。
愚かな王妃から愚鈍な王子が生まれたら、その国は破滅するんだからねと言う。
レティは唖然とした。
それが王家の考え方かと。
だけど……
納得の行く話である事は理解できる。
国を……
国民を守る為にも愚かな王は必要無い。
賢い王が必要なのは当然の事で。
「 だけど、戦争をする訳には行かないからね。だから婚約者である今のうちに彼女を拐いに来たんだよ 」
王妃ならば奪い返す為に戦争を起こせるが、婚約者を拐っても戦争の大義名分にはなら無いからだと言う。
たとえ拐われたのが皇太子妃であろうとも戦争の大義名分にはならない。
その国の王妃だけが特別な地位にあるのだった。
「 それに……そなただってその方が良いだろ? 邪魔な婚約者を追い出せるんだから 」
ジャファルはレティがアルベルトの婚約者だと言う事は知らないで、こんな話をしているのだ。
えっと……
何だか状況がイマイチよく分からない。
「 愚かな私には良く分かりません 」
レティはそう言って頭を下げて急いで退出をした。
公爵令嬢を婚約者に持ち……
側室制度を廃止しながらも平民を愛妾にするシルフィード帝国の皇太子。
実に面白い。
今夜の晩餐会でアルベルト殿の婚約者と会える。
ジャファルは気分が高揚していた。




