サハルーン帝国の皇太子殿下
長期休暇も終わりレティは元気に学園に通っている。
公務も、千年に1度の採掘も、皇太子殿下の婚約者と言う立場も……
そんなものとは全然関係の無い世界に帰って来た。
彼女はまだ、学園帰りに行く友達との寄り道が楽しい学生なのだから。
皆も領地に行ったりして各々の長期休暇を楽しんだ様で。
なんとマリアンナは婚約者の領地に行っていたらしい。
キャアキャアと赤い顔をしながら、彼女のスリリングな話に花が咲く。
いやいや……
レティは昨年も婚約者と婚前旅行に行っているのだが、全くそんなフワフワな気分は無い。
昨年の温泉地への旅は女官として……
その後のポンコツ旅と今回の旅には兄がいたし、ましてや今回の旅は公務だったのだから。
アルベルトは相変わらず公務に忙しくしており、皇宮では1ヶ月後に控える建国祭の準備に追われていた。
招待国からは参加の可否の返信の書簡が届き、外務省を始め各省庁の文官達も忙しくなり、ルーカスやラウルも帰りは深夜にまで及ぶ事もあった。
まだ学生であるレティは、今年も学園の休みの3日間だけを、皇太子殿下の婚約者として晩餐会や舞踏会に参加する予定になっている。
そんな中……
サハルーン帝国の皇太子殿下がシルフィード帝国に外遊に来るとの一報が入った。
3年前にドラゴンに襲撃されて、国が壊滅的になった時に……
ルーカスがウォリウォール領地にある備蓄をいち早くサハルーン帝国に送り支援をした。
国の備蓄を送る時はその手続きに時間が掛かるが、ルーカスはウォリウォール家の所有する備蓄を直ぐに送ったのだ。
勿論、ロナウド皇帝陛下の名で。
彼は出来る臣下なのである。
その後も国とは別に定期的に個人の支援物資を送ったりもしている。
その迅速な対応でもサハルーン帝国は遠い国で、物資が届くまでにはかなりの時間を要したが。
それでも大量の食糧は帝国民に全員に行き渡る事になり、国民の飢えを救ったのだった。
そのお礼も兼ねて建国祭のお祝いにやって来るのだと言う。
世界にある帝国はシルフィード帝国とサハルーン帝国の2ヶ国だけ。
サハルーン帝国が王国から帝国になったのはシルフィード帝国よりも浅いが、近年では、次々と周辺国の小国を合併して行き、その勢いに周辺国を怯えさせた。
シルフィード帝国の先代の皇帝時代に、サハルーン帝国の隣国であるグランデル王国とマケドリア王国の国王が、3国での婚姻の話を持ち込んで来たのも、そんなサハルーン帝国の驚異があったからである。
そんなサハルーン帝国だが、3年前にドラゴンに襲われて首都やその周辺地域に壊滅的な被害があった事から、その勢いは影を落としていた。
シルフィード帝国と同格のサハルーン帝国。
その皇太子がやって来ると言うのだ。
サハルーン帝国の皇太子殿下のシルフィード帝国への外遊のニュースは、瞬く間に世界に広がった。
周辺国はこの来国が吉と出るか凶と出るかと興味深く見守っているのであった。
***
ある夜。
レティは帰宅したルーカスに書斎に呼ばれた。
改まって父親に呼ばれるのは、アルベルトとアリアドネ王女の婚姻が議会で決まったと言う話を聞いた時以来。
「 お父様……お呼びですか? 」
「 ああ、入りなさい 」
大きな執務机があり、ソファーも茶色で統一された落ち着いた部屋である。
主に領地管理の執務をする事に使用していて、書棚には領地の資料で埋め尽くされている。
最近ではラウルも領地の仕事を手伝っていて、よくこの部屋に出入りをしていた。
ルーカスが言いにくそうにしているのも……
何だかあの時と似ている。
「 お父様? 」
「 サハルーン帝国から皇太子が外遊に来るのは知っているな? 」
「 はい、お兄様も言っていましたし……学園でも皆がその話をしておりましたわ 」
「 レティはサハルーン語が話せるんだったな? 」
「 はい、片言ですが…… 」
「 通訳として皇宮に来て欲しいのだが…… 」
「 はい。わたくしで良ければ…… 」
ジャック・ハルビンが……
あの時に何を叫んでいたのかを知る為に習っていたサハルーン語が役に立つなんて……
何だか嬉しいですわ。
ニコニコと笑うレティだが……
ルーカスは、色好い返事が貰えたのにも関わらず浮かない顔をしている。
「 それで……2週間程……学園を休んでは貰えないか? 」
「 えっ!? 」
レティは青ざめた。
アルベルトと王女の婚姻の話を聞いた時よりも青ざめた。
「 学園を? わたくしは学園を休むのですか? 」
「 ……そうして欲しいのだが…… 」
ルーカスはレティの座右の銘を知っていた。
『 無遅刻無欠席 』
レティはとても良い子なのである。
ミレニアム公国への外遊には1ヶ月の予定だったが、レティの学園が始まってしまう事から3週間になった。
嵐になって船が航海出来なくて、日程が伸びる事を考慮して。
だから……
あんなに公務が詰まってしまった事をレティは知らない。
「 もうすぐ学園祭もあるのに……最後の学園祭に優勝する為に皆で命を掛けようと誓いあったのに…… 」
「 でもな……サハルーン語を話せる女性がいないのだよ 」
ルーカスは困っているのだと言う。
「 後、半年で卒業なのに……どれだけこの4年間を張り切って学園に通ったか…… 」
「 だから……学園長に頼んで無遅刻無欠席扱いにして貰う 」
「 そんな問題ではございませんわ! 皇命でもお断りしますわ! 」
レティはプンスカと怒りながら部屋から出て行った。
レティがこんなにルーカスに反発をするのは初めての事で。
「 ダメ元で聞いてみたが…… 」
流石のルーカスでもこれ以上は何も言えなかった。
レティがどれだけ学園生活を大切にしていたのかを知っているからで。
***
9月も終わりになり……
10月の建国祭が近付いて来た。
1週間前にはロイヤルブルーの帝国旗が至るところに掲げられ、色とりどりの花で皇都の街はお祭り一色になる。
特に3日間は休みとなる事から街にはかなりの人が集まって来る。
その3日間は音楽が常に奏でられ、広場では大道芸人が演技をし、夜になると灯りが灯り、歌って踊る人々は酒を飲み陽気に騒ぐのである。
シルフィード帝国万歳!皇帝陛下万歳!皇太子殿下万歳と叫びながら。
皇宮では、各国から続々と王族や大使達要人が来国し賑やかになっていた。
王族の来国にはアルベルトが直接港まで出迎えに行く。
我らが皇子様が白馬に乗り、騎士団を引き連れて皇都の街を駆け抜けて行く姿を見る事は、人々にとっての建国祭の楽しみの1つとなっていた。
そんな中……
いよいよサハルーン帝国の皇太子殿下の乗った船が、港に着岸した。
サハルーン帝国旗が掲げられた、シルフィードの船と変わらないデカい船である。
船から降りてきた皇太子はガラベーヤと言う筒型の白い民族衣装を着用していて、お供の者達は黒で女性達はオレンジ色のガラベーヤを着ていた。
出迎えに来ていたアルベルトと握手を交わす。
「 ようこそシルフィードへ 」
「 出迎え有り難うございます 」
彼の名は、ジャファル・ナフィシス・ナイラ・サハルーン。
アルベルトと同じ20歳。
青い髪に金色の瞳。
金色の瞳はサハルーン人の特徴で、学園の騎士クラブにいるノアとその叔父であるジャック・ハルビンも金色の瞳である。
背はアルベルトの方が高い。
顔はやや濃いめで、目は少しタレ気味の妖艶な甘いマスクをした皇子だ。
サハルーンからの要望で20台の馬車が用意された。
フローリア皇女の輿入れの際には、グランデルに30台の馬車を要求した事から考えても、これはかなりの規模のだった。
皇太子の乗る馬車にはサハルーン帝国旗がお供の者達によって取り付けられた。
赤いサーベルがクロスする金色の帝国旗は異様な雰囲気を漂わせる。
青の軍服で赤いマント姿の白馬に乗ったアルベルトを先頭に、騎乗した騎士達が護衛する中、馬車は港から皇宮に向かってゆっくりと進んだ。
帝国民の歓声と共に。
砂漠の国サハルーン帝国。
一夫多妻制であり、皇帝には5人の妻がいて7人の皇子と12人の皇女がいる。
ジャファルは第3皇子だが、正妃である皇后陛下の子供なので、生まれた時から皇位継承権第1位の皇子であった。
皇子は成人したら新しい住まいの後宮が与えられ、側妻を持つ事が許されていた。
学園は貴族だけのものだが全員が通う訳でも無かった。
皇族は成人するまでに教育者によって各々の教育を受ける事になっているので、学園に通う事はなかった。
身分制度はこの時代ではどの国も当たり前だったが、サハルーン帝国には奴隷制度もまだあり、男尊女卑の激しい国でもあった。
***
「 遥々遠い我が国までよくぞ参られた 」
謁見の間では皇帝陛下への挨拶が為されていた。
総勢30人がロナウド皇帝陛下の前に膝を付いた。
白い衣装のジャファル皇太子を始め、黒、オレンジのガラベーヤの衣装は華やかであった。
皇帝陛下の横にはアルベルトが立ち、その横には大臣たちや騎士達がずらりと並んでいる。
「 皇帝陛下にご挨拶を申し上げます。この度は我が国へのご支援誠に有り難うございます。我が父も大層喜び、貴国への感謝の念を申し上げる様に賜って参りました 」
ドラゴンの襲撃から3年余りが過ぎ、サハルーン帝国もやっと復興の兆しが見えて来たと言う。
彼がシルフィード帝国に来た目的の1つは魔石でもあった。
隣国ミレニアム公国への口添えをして欲しいと。
ミレニアム公国は閉鎖的な国で、魔石は必ずしも他国へは十分な数は渡らない。
ドラゴンに街を破壊されたサハルーン帝国としては、何とか1つでも魔石が欲しい所なのであった。
グランデルの王太子も、シルフィードの魔石による魔道具に感銘を受けた事もあり、只今国王がミレニアム公国と交渉中である。
挨拶は滞りなく終わった。
ジャファル皇太子はシルフィード語で話をした。
彼はアルベルト同様に5ヶ国語が話せると言う。
風習もしきたりも考え方も……
何もかもが違う異国の皇子がやって来た。
建国祭の行事は3日後に始まる。