噂のヒーラー
ポーションを飲んだルーピンの回復は一瞬だった。
虎の穴にある自分の執務室のベッドに寝かされたルーピンは、呼ばれた医師の指導の元に、薬学研究員達に見守られながらポーションを与えられた。
呼ばれた医師はこの日当直だったユーリだ。
意識の無いルーピンの口に、吸い口でポーションを少しずつ流し入れるだけで、ルーピンは瞬く間に意識を取り戻した。
改良されたとはいえ流石はドラゴンの血。
医師であるユーリも薬師であるミレー達も歓喜したのは言うまでも無い。
ルーピンは……
身体の中にある魔力を溜める袋の様な物に、少しずつ魔力が流れて行くのを感じた。
ああ……
生きている。
良かった。
そして改めて思う……
命のキスをした彼女の事を。
***
すっかり回復したルーピンは数日後、後皇帝陛下、皇太子殿下、宰相との極秘の話をする席を設けて貰った。
通された応接室のソファーには、皇帝陛下の横に皇太子殿下が座り、陛下の前には宰相、その横にルーピンが座り、人払いをして貰う。
皆は何事かと鋭い眼差しでルーピンを見つめる。
この面々の前では緊張して声が震えるのは仕方がない。
意を決してルーピンは口を開いた。
「 単刀直入に申し上げます。 リティエラ嬢はヒーラーでございます 」
「 何だと!? 」
「 ヒーラー!? 」
「 私の娘が!? 」
ヒーラー
未だ世界にはその存在は明らかにされていない。
しかし……
冒険者の物語の中にはよく登場する事で、言葉だけは世界的に有名であった。
ヒーラーとは……
魔力使いの魔力を回復させるエネルギーを注ぐ者。
あの、レティの愛読書である『魔法使いと拷問部屋』のシリーズにも出てくる、魔力使い達と行動を共にする能力者の事だ。
「 じゃあ……レティも魔力使いなのか? 」
「 いえ……ヒーラーは魔力使いではありません 」
「 聖女の浄化は魔力なのに、ヒーラーは違うと言うのか? 」
「 殿下? 我々は他の魔力使いの魔力を感じる事が出来るのではありませんか? リティエラ嬢にそれを感じましたか? 」
「 いや……彼女に魔力を感じた事は無い……じゃあ何だと言うのだ? 」
私が調べた事なので、確実な事だとは言えませんが……と、ルーピンは前置きをしてから話し始めた。
「 彼女のヒーラーとしての能力は、我々魔力使いにのみ施されるもの。殿下もお分かりでしょ? 彼女から貰えた熱を…… 」
「 ああ……あれは俺だけに与えられた愛の力だと思っていたが? 違うのか? 」
「 はい。先程の火事で……私もリティエラ嬢に…… 」
「 何だと!? 」
ルーピンがレティに実験をしたがっていたのは知っていたが……
皇太子命令で彼女に触る事を禁止した筈だ。
「 貴様……まさか……レティにキスをしたのか!? 」
アルベルトが殺気立って、目の前に座っていたルーピンの胸ぐらを掴む。
立ち上がった拍子に、テーブルに置かれていたカップがガチャガチャと音を立てて床に落ちて割れた。
「 まさか……そんな事はしてません……誓って…… 」
ルーピンは慌てて否定をするも……
リティエラ嬢の手に……掌に口付けをしたのだと言うと、アルベルトは更にルーピンの胸ぐらを締め上げた。
「 よさないかアルベルト! 」
皇帝陛下が諌めるも……アルベルトの怒りは収まらない。
手の甲ならまだしも……
掌にキスをした事が……また許せない。
アルベルトはルーピンの胸ぐらをギリギリと締め上げる。
もはや殺意すら感じる。
「 アルベルト! それのお蔭で鎮火出来たのだから、許してあげなさい 」
あの夜はあれだけの風が吹いていたのだから、並大抵の水の魔力では駄目だったのだろう……と、言う陛下の言葉にルーピンは助けられた。
「 次は無いと思え! 」
アルベルトはコクコクと頷くルーピンから手を離すと……
彼はゴホゴホと咳き込んで、喉元を撫でた。
ルーカスが応接室のドアを開けて、部屋の前で控えているメイドを呼び何やら指示を与えている。
すると直ぐに床に落ちて割れたカップを片付けに入り、新しいお茶が出された。
ルーピンは改めて話を続ける。
歴史的にもヒーラーなどは存在した記録はない。
だだ……
違和感を感じた国があるにはあったのだと言う。
その国の戦いでは、炎の魔力使いが活躍したが……
魔力使いの魔力には限界がある。
なのに……
エンドレスで炎の魔力使いが攻撃をする事により、その国が勝利をし、どんどんと巨大になった国があると。
魔力がエンドレスに使える筈が無い。
ならば……
そこにヒーラーがいたと考えると合点がいく。
「 もしかしてそのヒーラーがいた国と言うのは……あの国か? 」
「 はい……およそ百年前に急に頭角を表したあの国です 」
「 サハルーン帝国 」
百年前に、小さな砂漠の王国だったサハルーン王国が、戦争で近隣諸国を手中に治め、サハルーン帝国になったのは、そんなエンドレスの魔力を使えたからだろうとルーピンが言う。
あくまでも想像の範囲ですが……と付け加えて。
それが本当ならば……
そんなサハルーン帝国ならヒーラーを探している筈だと、ルーカスが苦虫を潰した様な顔をした。
「 それで………娘はどうやってその能力を? 」
「リティエラ嬢のヒーラーとは……誰かを助けたいと強く願う気持ちが起こす奇跡のエネルギーではないかと思われます 」
医師であり薬師である彼女には、誰かを助けたいと願う気持ちが人一倍強いのだと。
すると、ルーピンがアルベルトを見た。
「 殿下……その誰かとは殿下なのでは? 」
アルベルトは……
ルーピンのその言葉に胸が熱くなった。
「 それで……リティエラ嬢がヒーラーだと言うことは本人に伝えますか? 」
「 いや……それは…… 」
今度はルーカスがアルベルトを見た。
「 伝えない方が良い。彼女の事だ……事ある毎に試そうとするし……魔力使いの為に懸命に尽くすだろうから 」
「 私としましては……尽くしてくれた方が有難いのですが 」
「 ルーピン! レティは俺のものだ! 彼女は俺専属のヒーラーで良い 」
お前はポーションを使えと、アルベルトは独占欲を隠さない。
当たり前だ。
己の婚約者にキスをする事を許すなんてあり得ないだろうが!
「 まあ……言わない方が良いだろう。 ヒーラーは他国からも狙われる存在だ 」
戦争で、エンドレスで魔力使いを攻撃させる力……
どこの国も彼女を欲しがるであろう。
皇帝陛下は、これは4人だけの秘密で絶対に他言無用だと申し付けた。
***
「 殿下……その誰かとは殿下なのでは? 」
ルーピンの言葉が頭の中を反芻する。
レティは騎士でもあるのだから、彼女が皇子である自分を守ろうとする気持ちが強い事をアルベルトは知っている。
きっと……
2度目の人生の医師としての彼女が、3度目の人生で騎士となって……
そして今、誰かを守りたい、助けたいと願う気持ちがより強くなったのだろう。
その誰かが……
自分なんだと思ったら……
もういてもたってもいられない。
アルベルトはレティに会いに公爵邸に行った。
応接間に通されると……
レティは真剣な顔をして新聞を読んでいた。
可愛い……
前に、お金を数えていたのも可愛かったが、新聞を読んでる姿も可愛いじゃないか。
アルベルトはソファーに座るレティの横に座り、チュッと彼女の頬にキスをした。
「 何を熱心に読んでいるの? 」
「 あっ!? アル…… 」
レティは新聞を畳むと、アルベルトを自分の部屋に引っ張って行った。
レティ……
2人っきりになりたいなんて……
最近は少し積極的になって来たのかな?
……なんて思いながら、デレデレとレティに手を引かれて付いていく。
アルベルトをソファーに座らせると、レティはテーブルを挟んだソファーに座った。
あれ?
そんな所に座るとイチャイチャ出来ないじゃないか。
横においでと言おうとすると……
「 あのね……前の火災なんだけれども…… 」
マーサがお茶の用意をして退席すると、レティが言いにくそうにして話し出した。
「 私……あの火災を知っていたの 」
「 えっ!? どう言う事? 」
北区の火災は、市場から火の手が上がり、結局市場一帯の全焼で鎮火した。
火事の規模としてはかなり大きい方だ。
だけど……
あの強風なら、もっと広がっていてもおかしくない状況であった事は間違いない。
水の魔力使いであるルーピン達の活躍が無かったらどうなっていたか。
それに……
医師レティがあの場にいたから、あれだけの火災でありながらも、死亡者は0だったのだ。
レティは……
3度の人生で、この時期に起きた火災が、北区の半分を焼け野原にした事を新聞で読んでいたと話した。
「 もっと早く思い出していれば……防ぐ事も出来たのに…… 」
そう言って泣きそうな顔をして唇を噛み締めた。
アルベルトはレティの横に移動をして……
苦しそうに唇を噛みしめているレティの頬に手を添え、親指で下唇を引き出しながら、一つの仮説だが……と、話しだした。
「 君のループしている世界が全て現実ならば、小さな事件や事故はともかく、大きな事件や事故はどんな形であれ必ず起きるのでは無いのかな? だから、その事件や事故を最小限に抑えれた事は凄い事だとは思わないか? 」
アルベルトは建国祭での爆発の事がそうだとレティに話した。
建国祭では君とグレイが負傷したが……
あの大シャンデリアが落ちなかった事で、俺やホールにいた沢山の人達も怪我をしなかったのだからと。
「 水の魔力使いであるルーピンに消防団に行けと言ったのも君だろ? 」
アルベルトはレティの顔を覗き込みクスリと笑った。
「 そして……君があの火災現場にいたからこそ、助けられた命もある。もうこれは、3度の人生とは違った結果になったのではないのかな? 」
レティは涙をポロポロと溢していた。
アルベルトの言葉に少し救われた様な気がした。
可哀想に……
ずっと自責の念に苦しんでいたのだろう。
今日は来て良かった。
「 あっ! ルーピン所長は、私との命のキスで魔力が回復した? 」
レティはルーピンに掌にキスをされた結果を聞いてきた。
あの掌のキスの意味を知っていたのか……
「 ルーピンは……回復しなかった……ポーションで回復した話は薬師達から聞いただろ? 」
「 うん……じゃあ、命のキスの効力はアルだけなのね? 」
「 そうだよ。あれは愛し合う2人だけにしか効かないんだ 」
いつの間にかアルベルトはレティを膝の上に乗せて、その白くて小さな掌にチュッチュッとキスをしていた。
「 消毒 」だと言いながら。
くすぐったいと、キャアキャアと逃げようとするレティが可愛い過ぎる。
「 あのね……魔法使いと拷問部屋の本に出てくるんだけれども……この世界の何処かにヒーラーがいると言う噂があるのよ。もしかしたら私がそのヒーラーなのかと思っちゃった 」
レティは……
自分の手を前に翳しながらエイっと力を込めた。
可愛い……
「 でも……ルーピン所長を助けられなかったから、私は違うのよね。あれは物語の中だけのお話ね 」
残念だわとレティが笑った。
「 君は似たようなもんだよ。医者として人の命を助けるんだから 」
そうねと言いながら、彼女は嬉しそうに自分の手をヒラヒラさせて見ていた。
そう……
ヒーラーなんて言う存在はただの噂で良い。
物語の中だけの存在。
だから……
君は俺だけのヒーラーであれば良いんだ。
君のこの小さな手は……
何十人、何百人と人を助ける……
医師の手なのだから。




