勇敢な彼女
ルーカスには来るなと言われていたが……
結果、レティが乗り込んで来た事でこんなにも早く言質が取れ、バルタンとアイリーンを捕らえる事が出来た。
いや……
何処かで皆は、レティは来ると思っていた。
殿下の一大事に……
あの公爵令嬢が来ない訳が無いのだと。
最近の皆が思うレティの立ち位置は、皇子様を守る騎士化している。
だけどそれはあながち間違ってはいない。
レティは皇子様に守られたいお姫様では無く、皇子様を守りたい騎士なんだから。
「 レティ…… 」
涙の跡を頬に残しているレティの頬に、アルベルトは優しくキスをする。
自分の事を想い、1人で乗り込んできたレティが愛しくて愛しくてたまらない。
見つめ合ったままの2人の長い沈黙が続く。
レティに何か言って欲しいのか……
眉毛を上げて優しく見つめて来るだけの綺麗なアイスブルーの瞳。
この顔はレティの大好きなアルベルトの顔。
レティはキッと睨み付け、逞しい胸にグーパンチをして、アルベルトの腰に手を回してその胸に顔を埋めた。
うっ……!
アルベルトは一瞬顔を歪めた。
レティのパンチは本当に痛い。
こんな茶番劇を早く終わらせたかったアルベルトは、最初から全力でアイリーンに迫っていった。
アルベルトが完全に魅了に掛かった演技をしたからこそ、魅了の魔術使いのあの言葉を引き出せたのである。
アイリーンに口付けをしようとする振りをしても、中々思う様に口を割らなかった。
だんだんとイライラして来た。
何でこんな女に……
勿論、端からキスなんかする気は無かったし、ここまでやって駄目なら他の方法を考えようとしていた所だった。
押して駄目なら引いてみる作戦だ。
当然ながら、俺がレティ以外の女を抱く事は無い。
父上も、何も本気で女を抱けとは言ってはいないだろう。
俺はレティだけだと知っているのだから。
人払いをしたのも、周りに魅了の魔術に掛かる人がいなければ、何とかなるだろうと言う考えから。
レティが店に入って来た。
レティの涙を見たら……
もう、何もかもがどうでもよくなった。
だけど……
結果的に、あの兄妹の口から魅了の魔術使いだと言う言質を取れたのだから、それで良かったんだろう。
絶妙なタイミングでレティが現れた事が、功を奏した形になったのには間違いない。
だけど……
ショックだったよな……
芝居だと分かっていても。
レティにあんな場面を見せてしまった。
涙をポロポロ流していたレティを思うと胸がズキリと痛んだ。
しかし……
アルベルトのそんな気持ちを余所に、レティはあの邪悪な2人を思いっきりぶん殴った事でスッキリしていた。
そう……
レティにとってのトラウマはイニエスタ王女だけ。
それ以外でアルベルトに纏わり付いて来る女は、どんな女が来ようと蹴散らせば良いだけのどうでもいい女なのである。
レティは………
アルベルトに頭をスリスリされながら、ギュウゥと抱き締められていたが、その腕の中でクンクンしていた。
香水の匂いがする。
アイリーンが付けていた香水だわ。
でも何時も彼女が付けていた香水じゃ無い。
そう言えば……
今宵は一世一代の大勝負だって言ってたわね。
とっておきの香水を付けてアルを落としに来たのだわ。
ムカつく……
往復ビンタをしてやれば良かった。
でも………
この香水は嗅いだことがある。
レティの1度目の人生でのお洒落番長の時の記憶を辿ったが……
何処で嗅いだのかが思い出せなかった。
抱き締め合う2人に気を利かせたのか、いつの間にか店には誰も居なくなっていた。
アルベルトは、今夜はこのままレティを皇太子宮の自分の部屋に連れて帰った。
アルベルトのベッドの上で……
優しくあやす様にレティを抱き締めながら眠った。
沢山の愛の言葉を甘く囁き、何度も何度も口付けを交わしながら。
バルタンとアイリーンの兄妹はあのまま処刑場に連れていかれ、処刑された。
シルフィード帝国に来てから、彼等は罪を犯したのかどうかも、まだこの時点では分からない事。
ラウルにしても、本気でアイリーンに恋をしていたのかも知れないし、ローズも単にバルタンのファンなだけだったのかも知れない。
ローズとラウルの異常さを感じたものの、あの兄妹が魅了の魔術使いである事は、ルーカスの憶測でしか無かった。
だからこそ、魅了の魔術使いだと言う自白が必要であった。
まさか……
罪を犯してもいない人をいきなり拷問をする訳にもいかない。
その言質を引き出せば、シルフィード帝国で罪を犯していなくても、彼等を処刑出来るのだから。
シルフィード帝国での実害はまだ無かったが……
彼等を処刑する前に、ナレアニア王国での罪状を読み上げた。
彼等は、少しは自分達の犯した罪の大きさを理解出来たであろうか……
こうして魅了の魔術使いの事件は幕を閉じた。
毎夜アイリーンの歌を聴いていた事から、重症だったラウルは……
3日程で魅了が抜けた。
抜けると、憑き物が落ちた様に冷静になる。
だけど自分がアイリーンに恋い焦がれていた時の事は覚えていて……
魅了が抜けた今は、全く自分を理解できない状態だと言う。
魅了の魔術が掛かっていたと言う事を知れば心の整理が出来るが、もし知らないでいたらかなり落ち込むだろうなと、ラウルはルーカスに伝えた。
宰相として……
この事件を、後々の資料として残す為の事情聴取をしている所である。
もし、アイリーンに殿下を殺せと言われたらどうするのかと言う質問をする。
ラウルは、魔術が掛かってる時はアイリーンの言葉が絶対だから、それはあり得る事だったと答えた。
ただ……
アルを前にしたら、実際には殺れずに自決を選ぶだろうと……
俺達は親友だからと笑った。
ナレアニア王国では自殺をした者も数多くいたと聞く。
なんて事だ……
人の心を弄び、これ程までに苦しめるとは……
ルーカスは改めて魅了の魔術の恐ろしさを痛感した。
それにしても……
魅了の魔術に掛かったローズから、一瞬にして魅了を抜けさせた殿下の魅力は、流石に我が国の皇子だとその凄さを改めて実感する。
しかし、その反面……
レティが私の男に手を出すなと言い出したのを、どうしたものかと、ローズと共に頭を痛めていたが……
今なら理解出来る気がする。
何時も殿下には相当数の女性が言い寄って来ていたのだろう。
殿下がレティの為に側室制度を廃止してくれたのを、本当に有り難く思う。
今回レティには、可哀想な目に合わせてしまったと今更ながらに胸が痛んだ。
どうか恨むなら殿下では無く自分を恨んで欲しいと……
10人の爺達は……
自分達も魅了が効かなかったのだから、魅了の魔術使いを誘惑するのは自分達が適任だったと皇帝に直訴した。
妃様が可哀想だと。
しかし……
見事にスルーされて……
何故じゃ?……と、憤慨していた。
それから暫くして……
ナレアニア王国に、シルフィード帝国の一連の騒動の詳細が伝えられた。
そして……
この2年に亘るナレアニア王国の騒動が、魅了の魔術使いが引き起こした騒動であったと言う事も。
国王達は項垂れた。
シルフィード帝国が今回ラッキーだったのは、宰相ルーカスの家族に異常が見られた事だった。
もし……
ローズが劇場に行かなければ、ラウルが店を開いていなければ……
やはりこんなに早くに気付く事は無かったんだろう。
遠い領地にいる元王太子であったドルーア侯爵とクリスティーナ夫人にもこの事が書簡で伝えられ、2人は言葉を失った。
自分達の進むべき未来を……
当たり前の様にあった未来を……
たった2人の魅了の魔術使いによって歪められたのかと。
今でも……
わたくし達を、わたくしの両親を、わたくしの知り合い達を滅茶苦茶にされた残像に苦しめられていると言うのに。
この憤りを誰にぶつければ良いのか……
最後に……
シルフィード帝国の皇太子殿下の婚約者が、クリスティーナ公爵令嬢の分だと言いながら、魅了の魔術使いの兄妹をぶん殴ったと言う事が記載されていた。
見ず知らずのわたくしの為に……
クリスティーナは少し救われた様な気がした。
彼女は涙を浮かべながら、わたくしもぶん殴りたかったですわ……と、笑った。
いつか……
その勇敢な彼女に会ってみたい。
クリスティーナは遠い空を見上げて思うのであった。




