騎士─慕情
旅に出て9日目である今日の午前中はバイトを休む事をクラウド様に伝えてある。
以前の診療所への訪問は仕事扱いにしてくれたので、今回は休みを取りやすかった。
何せ私は時間給のバイトなのである。
そして、馬を借りる事も了承して貰えた。
クラウド様からはちゃんと殿下にお出掛けする事をお伝えする様に言われたけど……
殿下に言えばオオゴトになる。
護衛を付けられるか、最悪殿下が付いてくるかも知れない。
そうなると殿下に護衛が付くので更にオオゴトになるのは目に見えている。
ちょこっと行ってちょこっと帰って来るだけであるのだから、戻ったら殿下に潔く叱られる事にしよう。
うん……一生懸命謝ろう。
朝早くに馬に乗るのは気持ち良い。
夜が明けて辺りが白々と明るくなって行く様を楽しんだ。
この林を抜ければ……
広い平地が目の前に広がる。
ここに皇太子殿下が騎士団と国境警備隊の陣を張り、ガーゴイル討伐に挑んだ場所。
そして……私が死んだ場所………
馬から下りて、あの日の自分に手を合わせ、途中で見掛けて摘んでおいた小さな花を添えた。
あの日……
何故辺りが暗くなる程のガーゴイルが発生したのか?
それが疑問だった。
まだ魔獣の生体は分かってはいないし、その研究をしているのかさえ分からなかった。
少なくともシルフィード帝国ではしていない。
自分がいる帝国の研究機関である虎の穴ではそんな研究をしていないからだ。
出現する魔獣をひたすら討伐してるだけ……
ドラゴンが現れ、街が壊滅的になった国もあると言うのに。
現に国を滅ぼす程の数のガーゴイルが発生したではないか。
いや、発生するのだ。
だから虎の穴で論ずるだけの爺達を調査に向かわせたのだ。
流行り病に魔獣の襲来。
シルフィード帝国に訪れる不幸な未来を阻止したいが為に。
この土地はまだ人間の手付かずで草や木が鬱蒼としている。
目指すは森!
行くぞ!
「 はぁっ! 」
レティの可愛い掛け声と共に馬の腹に合図を送り馬は駆け出した。
ガーゴイルに矢を射続けた平地を駆け抜け森の入り口に到着する。
ここから一斉に何百ものガーゴイルが飛び立ったのだ。
近くで見ると太い木々が生い茂りかなり深い森の様だ。
ここから先は馬では行けないので、入り口の木に馬を繋げる。
「 1人ぼっちで寂しいけれども、少しだけ待っててね 」
馬の頬を撫でながら暫しの別れを告げると弓矢を手に持つ。
何かと遭遇するかも知れないと弓矢を持ってきたが……
弓矢は接近戦では役に立たない。
何か飛び出してきたら矢の先で突き刺そうと矢を握り締める。
帰り道を迷わない様にと草を結びながら進む。
これは騎士時代に習った独特の結び方。
手が勝手に結んでいる。
覚えているもんだとクスリと笑う。
領地の自然の中で育ったレティは、虫も蛙も蛇も平気だ。
ウォリウォール邸の裏には川が流れているので、毎日の様に自然と向き合いながら育ったのである。
魚釣りが何より好きなのはごく自然だと自分では思っているが、いくら川が側にあっても魚釣りをする令嬢なんてどこにもいやしないのだが。
太陽が昇り、明るくなってる筈なのに深い森は薄暗い。
一歩一歩辺りを警戒しながら前に進む。
随分と奥深く来たのでは? ……と、思いながら先へ進んでいると、何やら銀色に光る物が見えた。
近くまで行くと銀色に光っていた場所は沼だと判明する。
水質は?
レティは持って来た小瓶に沼の水を入れた。
魚はいるのかと、どんな魚なのかとワクワクしながら耳を済まし水音を確かめる。
魚釣りをしたい衝動を抑えながら辺りを調べたが、ごく普通の森で普通にある沼だった。
ここで何かがあったのかは今は考えにくい。
レティは暫く薬草摘みに精を出した。
ここは薬草の宝庫だった。
図鑑でしか見たことの無い薬草や木の実があちこちにある。
まだ見たことの無い草は別の袋に入れて、持ち帰って研究をする事にしよう。
ガーゴイルに関しては収穫は無かったが、薬学研究員としては大いに満足の行くものであった。
これはミレーさん達薬学研究員の皆に報告しなければならない。
夢中で薬草を摘んでいたら……
「 キャア!? 」
足が木の根に挟まりレティは妙な転び方をした。
「 痛……イタタタタ…… 」
痛さのあまり足を動かせない。
どうやら足を挫いてしまった様だ。
湿布薬を作らなければと先程摘んだある薬草を揉み拉く。
これは揉むと冷たくなる葉っぱだ。
その時
ガサガサと何かが近付く気配が……
段々と草を掻き分ける音がどんどん大きくなる。
駄目だ!逃げられない。
レティは立ち上がり弓矢を構える。
音からしてかなりの大物であるのは間違いない。
魔獣か?
ガーゴイルが出現した森である。
他の魔獣がいても不思議では無い。
矢尻を最大限に引き何時でも放てる様に構えた。
緊張が走る……
茂みから現れたのはグレイだった。
「 わっ!……リティエラ様!? 」
***
グレイは何時もの通りに剣の稽古をする為に夜明け前に目覚める。
他の騎士達も毎朝の訓練は怠らないので、夜勤以外の騎士達は直に起きて来るだろう。
井戸に行き顔を洗っていると……
蹄の音と共に馬に乗った人影が駆けていく。
泥棒か!?
剣を握り後を追い掛ける。
「 えっ!?……リティエラ様!? 」
馬に乗った彼女は施設から出る所だ。
……1人なのか!?
グレイはたまたまそこにいた女に声をかける。
「 君は、殿下付きの女官だな? 殿下にリティエラ様が馬で出ていったと伝えてくれ! 」
「 …………はい 」
グレイは馬に馬具を装着し、急いでレティの後を追う。
「 一体何処へ?……追い付いてくれ! 」
レティの姿は見えない。
グレイは何度も道を行き来しながらの探索の為、かなりの時間が経過して焦る気持ちを抑えながら広い平地に出た。
「 ここにも居ないか…… 」
グレイが去ろうとした時に、遠くに馬の姿が見て取れた。
流行る心を落ち着かせながら馬の側まで駆けて行った。
まさか……
この森に入ったのか?
地面を見れば草が踏み潰され人が通った後がある。
グレイは躊躇する事無く馬を残し森に入って行った。
先に進んで行くと……
グレイは草の結びを見て驚いた。
これは……
騎士団の特有の結び目である。
帰り道が分かる様にする事と、敵と戦い森に逃げ込んだ時に、この草の結び目を頼りに歩いて行けば、仲間に出会えると言う2つの意味を持つ結び目。
結び目と次の結び目の間隔も敵に悟られない様に、騎士団で決められた間隔があるのだった。
何故彼女がこれを知っているのか?
これは入団したばかりの新人教育の時に特殊訓練で習う事なのだが。
頭の中で疑問を感じても、あまりにもの鬱蒼とした森に本当に彼女は何の為にここに来たのかと言う疑問が勝ってしまう。
何が飛び出して来るか分からないので警戒を怠らずに、握る剣で茂る草を伐採しながら草の結び目を頼りに前に進むと銀色に光る物が見えた。
それが沼だと理解したと同時に、弓矢を構えている彼女の矢尻の先が確実に自分を捉えているのを見た。
「 わっ!……リティエラ様!? 私です! グレイ・ラ・ドゥルグです!! 」
安堵の表情を見せ矢を下ろす彼女が、銀色に輝く光を浴びて息が止まるかと思う程に美しく、しばし見惚れた。
「 グレイ班長…… 」
彼女は時に自分をそう呼ぶ。
部下達からはそう呼ばれてはいるが何故彼女がそう呼ぶのかは謎だった。
彼女は崩れる様に座り込んだ。
座り込んだ彼女はその美しい顔を苦痛に歪めている。
「 もしかして、怪我をしているのですか? 」
「 はい、どうやら少し挫いた様で、これを足に貼ろうと…… 」
先程揉み拉いた薬草を手に取りグレイに見せる。
彼女の側に駆け寄り「 失礼します 」と言って靴を脱がす。
「 大丈夫です! 自分で貼りますから! 」
レティは慌てて足に手をやる。が、グレイは構わずに靴を脱がした。
綺麗な小さな白い足は腫れて来ており、これはかなり痛いに違いない。
「 失礼します 」
グレイが足を持つと彼女は顔を歪めた。
彼女が持っていた薬草を手に取り彼女の足に貼る。
「 痛いですよね 」
レティは眉をしかめて目を閉じてコクンと頷いた。
「 おぶります 」
グレイは後ろを向き、片膝を付いておんぶする姿勢になった。
「 でも…… 」
「 歩けないでしょ? それに、ここにずっといるわけにはいかない 」
レティは意を決してグレイの背にそっとおぶさった。
肩にそっと手をやるとグレイは立ち上がり歩き出した。
広い背中だった。
鍛えられている逞しい肩。
「 お言葉に甘えます… 」
グレイは思ったより軽い彼女に驚く。
耳元で話す彼女の声にドキドキする。
「 ずり落ち無いようにしっかりと捕まって下さい。でないと歩きにくいですから 」
肩をそっと持っていた彼女が恐る恐る手をグレイの首に回して来た。
更に密着して来た彼女に更に胸が高鳴る。
一歩一歩を大切に噛み締める様に歩く。
「 重くないですか? 」
「 私は殿下もおぶって走れますよ 」
「 殿下もですか? あんなに大きいのに? 」
「 はい、どこまでも走って逃げれますよ 」
「 逃げてるんですか!? ……何から? 」
「 うーん…… 」
あら?
真剣に考えてるわ。
何から逃げてるんだろうと期待しながらグレイ班長の答えを待つ。
「 皇后陛下ですかね? 」
「 えっ!? 皇后様からですか? 」
「 殿下はお強いですから……逃げるなら皇后陛下からかと…」
アハハはは……
レティが笑い出した。
グレイに回した細くて白い腕をギュッとして、笑いを堪える様に顔をグレイの肩に伏せた。
彼女の声、息使い、回された手の温もり、柔らかな甘い香りが胸を熱くする。
一歩一歩……足を踏み出す。
永遠に続けば良いとさえ思う貴重な時間だった。
来る時はあんなに遠く感じた鬱蒼とした薄暗かった森が、徐々に明るくなり出口が近い事を悟る。
森から出ると
皇太子殿下が騎乗しながらそこにいた。
ある騎士の切な過ぎる想いはそこで終わった。
この話で騎士シリーズは終わります。
旅はもう少し続きますので宜しくお願いします。
読んで頂き有り難うございます。
 




