逃げ切ればいつかは諦めると思っている
Side エイダの街の魔女
ここまで私は避けるべきなのか。
そう思っても私は避けてしまっている。
いや、時間が解決する。
彼と私は時の流れが違いすぎる。
王族であれば、義務が発生する。
見ている限り、時間はないだろう。
彼はどんな形であれ子供を作らねばならない。
その相手は私でなくてもいい。
「久しぶりだな、『エイダの街の魔女』。」
急に現れて、二マリと笑う目の前の男。
昔は少女のように可愛かったのに、見る影がなくなったな、と小さく思った。
「お久しぶりですわ、イライジャの皇帝陛下。」
飲みかけの紅茶を置きながらそう答えた。
目の前で席に座っていたダナは苦笑いをしていた。
ここは彼の居城であるから、彼がここにいるのは当たり前のことだ。
だが、今日は会いたくはなかった。
「サングロウの王太子に求婚されているんだってな。噂がイライジャにまで届いているぞ?」
ニヤッと笑いながら言う坊やは本当に可愛くなくなったと思った。
「影か何かで聞いたのでしょう?」
「いや、外交官の話だったな。」
「……魔女を妃にという気狂いは早々いないでしょうね。」
ジッと坊やを見ていれば、ダナの耳元で何かを言ったらしく、ダナは小さな溜息を吐いた。
「エイダ、飲み物のおかわりは紅茶でいいか?」
「ええ、構わないけれど、貴女が淹れるの?」
「俺が飲むものはダナ以外には淹れさせない。」
そう言う坊やは嬉しそうだった。
ダナは小さく笑ってから部屋を後にした。
「幸せそうね、ダナは。」
ジッと出ていったダナの背を見送った。
もし彼女の周りに花の精霊がいたならば、大量の花を咲かせるだろうな、と思う。
精霊の祝福が煌めく茶器からは紅茶と花の香り。
カップと皿を手に取り、更に一口、紅茶を口に含んだ。
「ん!?」
呑んだ瞬間、口に広がる違和感。
驚いて茶器を戻し、そして目の前の男を見た。
紅茶を鑑定すれば、『紅茶:自白剤・痺れ薬入り』と出てくる。
「何故?」
本来なら立ち上がってしまいたい。
だが、立ち上がれば足に力が入らずに床に崩れ落ちるだろう。
――床に臥すぐらいなら、このまま座ることを選ぶ。
「油断したな、『エイダの街の魔女』。別に危害を加えるつもりはない。単純な疑問だ。何がお前の問題点なのだ?」
――本当に油断した。
先程まで飲んでいたものであったから気にせずに飲んでしまった。
喋りたくない、そう思ったが、坊やの周りの精霊たちが逃げていない。
つまり、これは私に加護を与えている精霊王が望んでいることなのだ。
涙が流れそうだった。
けれども、泣いてたまるか、そう思って坊やに笑いかけた。
「問題点などたくさんありますわ。」
「やはりダナと並ぶ魔女だな。どうにか話さないようにしている。
なら質問を変える。一番の懸念は何だ?」
ああ、本当にこの坊やは聡明になった。
つまり一番の知られたくない問題点を話させようとしているのだ。
これ以上は苦しくなってくる。
あきらめて口を開いた。
「私の、本当の名前は『グローリア・ヘーゼル・リヴェインシュタイン』。」
「……リヴェインシュタイン?」
多分、聡明な坊やは頭の中で繋がってしまったのだろう。
リヴェインシュタインと姓を持つ人間はもういないはずの、『リヴェインシュタイン大公国の大公家に名を連ねた人間』だと。
「大公家の第一大公女として生を受けました。」
ああ、ダナにすら話したことがないのに……。
そんなことを思いながら、もう全部話してしまえと自棄になった。
「五十年前、リヴェインシュタインで大水害が起きて、穀物地帯であった都市が二つ、壊滅状態になりました。我が国が飢饉なのに、隣のサングロウ王国とイライジャ帝国では豊作。その状況で市民の憎悪がどこに向くか分かります?」
ニコリと笑えば、坊やは段々と青い顔になっていく。
『魔女』だから、『呪われている』から、そんな問題はどうでもいいのだ。
「王族です。まあ、我が国では大公家でしたがね。大公家の宝石を全て売り払ってイライジャとサングロウから穀物を買う準備をしていたの。だけど、民衆は今日を凌ぐのが精いっぱい。どこからか噂が流れたの……大公家に食料がある、って。」
思い出して目を瞑る。
公邸を囲んだ数えきれない民衆。
なだれ込んできた彼らは父と母、私、妹、弟を王都の広間まで引きずり出した。
あの時の髪を掴まれた感覚はまだ残っている。
「私は家族と一緒に民衆に殴られて、何度も、何度も。石も投げられた。
『我々の貧しさを知らずに贅沢三昧している大公家』そんなこと言われたわね。」
そんな暴行はいつ終わるか分からなかった。
最初に動かなくなったのは八歳の弟。次は十歳の妹。
私もそんなに変わらず死んだ。
「何にも知らない民衆に私は怒りが湧いたわ。だって、私たちだってその日を凌ぐ民衆を思って食料を節約してスープだけだったのよ?なのに何も知らないのは貴方たちじゃない!そう思いながら死んだわ。」
いつ、何度思い出しても辛い。
だけど泣いてはならない。
その資格は私にはない。
「その瞬間に、思ってしまったの。『こんな国亡くなってしまえ。』って。」
そう言って笑った。
こうやって笑うのは得意だ。
あの願いを願ってしまった瞬間、もともと魔力量が膨大であった私の身体は違う変化を起こした。
多分、死と共に、私は『魔女』になったのだろう。
「それをリヴェインシュタインの精霊王は聞き届けたの。あの地が不作になったのは私の所為。……もちろん後悔したわ。でも、もうどうしようもなかった。私の願いを聞き届けたリヴェインシュタインの精霊王は眠ってしまった。」
そう、彼は私が死んだ瞬間に願ってしまった願いを叶えた。
リヴェインシュタインは小国だった。
小国とは言え、その全土を不作にした精霊王は眠りに落ちた。
何度問いかけても、その姿を見せてくれず、私は泣くしかできなかった。
「私はリヴェインシュタインの精霊王の眠りを少しでも少なくさせるために両親と兄弟の亡骸を聖域に葬りました。」
あの時、本来であれば土に返すべきだったのだろう。
でも精霊王が加護を与えた人間の亡骸は精霊の力が宿る。
リヴェインシュタインの大公家では代々、その亡骸は精霊王の聖域で眠らせる。
建国以来、ずっとそうだった。
――今でも私の家族の亡骸は聖域で眠っている。
「私には使命があります。リヴェインシュタインの精霊王が再び目を覚まして、私の願いを消してくれる日まで、待ち続けなければならいのです。」
「……なあ、その後どうする気だ?」
ああ、本当に聡明で腹が立つ。
顔色がどんどんと悪くなっている。
気付かれたのでしょうね、まあ、ダナは知っていることだから言っても構わないか、そう思った。
「精霊王が私の願いを叶えるには膨大な魔力が必要でしょうね。ですが、魔女の私一人で事足りでしょう。」
「お前一人を犠牲に、それをするのか?」
「馬鹿ですか?貴方も『皇帝』ならば同じ選択をするでしょう?
『百人と一人の命、一人の命で百人を救えるならば、一人を犠牲にする。』
国の考えとしては間違いないでしょう。だから、私は……。」
その瞬間、口元が手で覆われた。振り返れば何とも言えない表情のダナ。
手のひらで魔法を展開させている。
自白剤の効果も、痺れ薬の効果も一気に消えていった。
「エイダ、私はその選択を君にして欲しくはない。」
はっきりと言い切った彼女の手を退かして、ニコリと笑いかける。
「……これは私の最後の『義務』なの。もう五十年、まもなく精霊王は目を覚ますでしょう。その時までは私は生きるわ。」
その言葉にダナは少しだけ寂しそうだった。
坊やの方はなんと言葉を掛けるべきか悩んでいるようだ。
そんな顔をしないで、私は私の意志で死ぬのだから。