09 アーノルドの初恋
その日の夜からディアは高熱を出した。アザが出来ている足首が燃えるように熱い。朦朧とする意識の中で、過去のアーノルドの記憶がディアの頭の中に流れてくる。それは、途切れ途切れで、まるで古い映像を無理やり流しているようだった。
アーノルドの母は、南部地域に残る異教徒の国の姫だった。同盟とは名ばかりで、人質のように今の王に嫁がされた母は、この国の全てを憎んでいた。そして、アーノルドが12歳の時に、「この国を亡ぼす力を貴方に」と言い残し病でこの世を去った。
それからアーノルドにだけ、化け物が見えるようになった。化け物はアーノルドが一人になったら現れてそのたびに『お前は、何が欲しい?』と聞いてきた。
「何もいらない」
アーノルドはいつもそう答えていた。産まれた時からこの環境だったため、母のようにこの国を憎んでもいなかったし、亡ぼしたいとも思っていなかった。
転機が訪れたのは、14歳になった時。公爵家の誕生日パーティに他の王子たちと出席したときだった。いつものように兄に殴られ置いて行かれた時に、一人の女の子に出会った。
女の子を見たとたんに、アーノルドは、なぜか自分と似ていると思った。たぶん、鏡に映る自分と同じように、女の子の瞳が濁っていたから。女の子が「私はお外に出ないように、お兄様に閉じ込められていたの」といった言葉を聞いてやっぱり一緒だと思った。
気が付けば「一緒に本を読む?」と誘っていた。アーノルドは、生まれて初めて人を誘ったが、女の子は頷いてくれた。それから、たくさん話した。こんなに普通に人と話したのも生まれて初めてだった。
王子だからと下手に出られたり、異教徒の姫の子どもだからと蔑まれたりもしない。ただ普通に話せたことがアーノルドは嬉しかった。
だからこそ、彼女が欲しくなった。
その日の夜、また化け物が現れて『お前は、何が欲しい?』と聞いてきた。アーノルドは答えた。
「今日、出会った、銀色の髪の女の子が欲しい」
化け物は『契約成立だ』と言い薄く笑うと、アーノルドの陰に溶け込んだ。
そこで、ディアが見ている映像の場面が切り替わった。
アーノルドは、過去のディアが知っている金髪碧眼の王子様になっていた。ディアとの婚約を化け物の力を使って成立させ、とても喜んでいた。ディアに好かれたい一心で、人気者の王子様になれるように努力もしていた。
1年ぶりにディアに出会った時、アーノルドは息ができないほど緊張した。それくらい、ディアは美しくなっていた。彼女の目が見られない、ろくに話すこともできない。手が震えてまともにエスコートすらできない。情けなかった。他の女性には簡単にできることがディアにだけはどうしてもできなかった。
ディアはそんなアーノルドに何も言わなかった。
例え、ディアの目の前で、アーノルドが他の女性と仲良くしても、ディアはただ黙って少し離れた場所で佇んでいた。
始めは、『自分は愛されている王子様だ』とディアにアピールするために、他の女性達とも親しくしていたが、そのうち、アーノルドに無関心なディアに腹が立ってきた。
ディアに気にして欲しかった。以前のように楽しくお話したかった。ただ、アーノルドは今まで一度も愛されたことがなかったので、愛し方も分からなかった。
そうこうしているうちに、結婚式の日がやってきた。そして、惨劇が始まる。
ここでまた、ディアの見ている場面が変わった。今までとは違い、映像がとてもクリアになっている。そこはお城の一室のようで、赤い髪のアーノルドが一人でベッドに腰をかけていた。
一般庶民と比べると豪華な部屋だったが、一国の王子が過ごすには粗末な部屋だった。アーノルドは、先程ディアと出会った時に持っていた緑の本を胸に抱えていた。
(これは……もしかして、今のアーノルド?)
部屋の隅から、化け物が出てきた。
--お前は何が欲しい?
(ダメ、アーノルド、答えたらダメ!)
ディアは必死に願ったが、アーノルドには声は届かない。何も答えないアーノルドに、化け物はもう一度聞いた。
--お前は何が欲しい?
アーノルドは本を抱えたままベッドに寝転がった。化け物の声がまったく聞こえていないようだ。アーノルドは、深いため息をついた。
「ディア……」
ぎゅっと緑の本を抱きかかえる。
「……見えそうで、見えなかった」
そう呟くと、アーノルドの顔が赤く染まり、またため息をついた。まったく相手にされていない化け物は、『また問おう』と言い残すと部屋の隅で静かに消えた。
(私のパンツの力……すごいな)
そこでディアは目が覚めた。




