31 パンツの力
ディアとエインベルを乗せた馬車がたどり着いた城は異様な雰囲気だった。王座が置かれた大広間には多くの人々が集められている。身なりから、この城で働いていた人たちや居合わせた貴族達のようだった。皆、平伏して物音一つ立てないように息を殺している。大広間の壁には獣にえぐられた大きな爪痕と真新しい血痕がいくつも残っていた。
エインベルは、左右に分かれて平伏している貴族の真ん中を足取り軽く歩いた。そして、王座に座ると優雅に足を組む。
「どうだい? クラウディア。なかなか良い景色だろう?」
アハハと楽しそうにディアに笑いかける。
「ほら、父上もこんなに喜んでいる」
王座の隣には、初老の男がまるで操り人形のように、天井から垂れた糸で吊り下げられていた。エインベルが『父上』と呼んでいることから、彼がこの国の王だろう。捕らわれた王の口から苦しそうな声が漏れる。
「ぐ、エインベル、馬鹿なことはよせ……」
「はいはい、父上はいつも俺に馬鹿馬鹿って言いすぎだ。結婚式が終わったら殺してあげるからね」
エインベルが手を叩くと、震えながら神官が入ってきた。
「ほら、さっさと終わらせて?」
エインベルに急かされ、神官は慌てて結婚式の儀式を始める。ディアは大広間に集められた人々を見回していた。赤い髪の人はいない。
(良かった、アーノルドはここにはいない。大丈夫みたいね。それが分ったらもういいか)
この先どうなるか分からないが、ソウレの加護のおかげで殺されることだけはなさそうだ。ディアはしばらくこの茶番に付き合って、隙を見つけて逃げようと考えた。
なので、誓いのキスのためにエインベルの顔が近づいてきた時も、仕方がないと大人しく目を閉じた。
「へぇ、こんな状況でも顔色一つ変えないなんて、氷の一族と呼ばれるペイフォード家は伊達じゃないね」
エインベルがディアのアゴに指をかけ無理やり上を向かせた。狂気じみたエインベルと視線が合う。
「何をしたら、このお高くとまった顔が苦痛で歪むのかな?」
エインベルが微笑んだとたんに大きな音がして、大広場の扉が開け放たれた。
「ディア!」
燃えるように赤い髪がディアの瞳に映る。
「アーノルド!」
驚くディアを見て、エインベルは楽しそうに拍手した。
「ははっ、ここにきてアーノルドか。お姫様を救い出す、王子様にでもなったつもりか? ちょうどいいから、お前も兄貴と同じように殺してやるよ」
エインベルの影から、鋭い爪を持つ手が何本も飛び出しアーノルドに襲い掛かった。アーノルドの背後から公爵家の騎士達が飛び出しアーノルドを守るように剣を構える。その中にはベイルやラルフの姿もあった。吹き飛ばされながらもなんとか鋭い爪を剣で弾いてる。大広間には悲鳴が響き渡り、集められ平伏していた人々が逃げまどっていた。
ベイルが叫んだ。
「陛下を救え! ディアを守れ!」
公爵家の騎士達が勇ましく呼応する。エインベルは舌打ちした。
「くそ、もっと力が欲しい。俺に全てをねじ伏せる力を!」
そのとたんに、エインベルが血を吐いた。
「……あれ?」
膝から崩れ落ちたエインベルの影から異形の邪神が姿を現す。
--やはりこの器では我を受け止めきれなかったか。しかし、血は十分に捧げられた。
エインベルの影がうごめき、アーノルドへと飛びかかった。よけきれず、影に包まれたアーノルドはその場に両膝をついた。
「アーノルド!?」
ディアが駆け寄ろうとすると、ベイルがディアの腕を掴んだ。
「様子がおかしい」
陰に取り込まれたアーノルドは、両腕をだらりと下ろしフラフラとした足取りで王座へと歩いた。
--身体と精神を乗っ取られたな。
気が付けば、ディアの側にソウレが浮いている。
「ソウレ様、アーノルドを助けて!」
--無理だ。我は人の定めに干渉しない。
「そんな……アルディフィア様! 助けて、アルディフィア様!」
必死に叫んでも返事はない。その時、ディアの脳内にアーノルドの声が聞えた。
--ディア。早く、逃げて……。
「アーノルド! まだ意識があるのね!?」
--すごく、苦しい……早く、逃げて……。
「嫌! アーノルドを置いていけない! 私が助ける!」
でもどうやって? ディアはなんの力も持っていない。
(あ、でも……)
一度だけ、ディアは自分で自分の力を『すごいな』と思ったことがあった。それは、アーノルドと出会った時に、風でスカートがめくれ上がり、パンツが見えそうで見えなかった時。その日の夜からアーノルドは異形の化け物の声を聞かなくなった。その時に、『私のパンツの力ってすごい』と思った。
(こんなこと、意味があるかどうか分からないけど……)
今はこれしか思いつかない。ディアはスカートの裾を掴むと顔を真っ赤にした。
「アーノルド、あのね……」
--ディア?
少しずつスカートの裾を引っ張り上に上げていく。
--え? ディア? え、ダメだよ、何をしてるの!?
あせるアーノルドの声が今までよりハッキリと聞こえてくる。王座にいたアーノルドが、フラフラとこちらに近づいてきた。
--ダメダメ! それ以上は !み、見える、見える! その、パ、パンツが!
「ディア、だめぇええええええ!!!!!」
絶叫と共に、ディアはアーノルドに両手を掴まれた。首から頬まで赤く染め、こちらを見つめる瞳が半泣きになっている。
「アーノルド?」
「う、うん? あれ?」
ソウレを見ると、『より強い思いで邪神をねじ伏せたな』と教えてくれた。
--これだから、人は面白く愛おしい。
楽しそうに笑うソウレを見て、『神様なんてろくなものじゃないわね』とディアは思った。気がつけば、ディアはアーノルドとベイルに取り囲まれていた。二人はとても怒っている。先に口を開いたのはベイルだった。
「どうしてエインベルに付いていった!? それに、今、何をしようとした!? 俺はお前をそんな風に育てた覚えはないぞ!」
「そうだよ! どうしてディアが危ないことをするの!? ディアがいない世界なんて生きていても仕方がないのに! それに、こんなたくさんの人がいる所で、な、な、なんてことを!?」
二人に怒られ言い訳する隙さえも与えてもらえない。
(ううっ、私なりにできることを頑張ったのに……)
ディアが俯くと、辺りは優しい光に包まれていた。顔を上げるとベイルやアーノルドの姿はなく、真っ白な空間にいた。目の前には神々しいまでに美しい女性が佇んでいる。




