30 邪神と契約した者
ベイルとディアが馬車から降りると、公爵家の騎士が駆け寄ってきた。
「ベイル団長、公爵様がお呼びです!」
屋敷内はざわつき騒然としている。騎士に連れられ、父の書斎に足を踏み入れると、父は「ベイル戻ったか」と椅子から立ち上がった。父はディアを見ると「部屋で待っていなさい」と優しく伝えたが、ベイルが首を振る。
「ディアはもう子どもではありません。話を聞かせるべきです」
驚いた様子の父だったが、小さく頷き「そうだな」と答えた。父は椅子に座り直すと、静かに口を開く。
「第一王子が亡くなった」
ベイルとディアが顔を見合わせた。
「父上、どういうことですか?」
「詳しくはまだ分からない。ただ、何者かに襲われて即死だったそうだ。犯人は捕まっていない。その場には、大きな爪痕が残されている」
「爪痕?」
「そうだ、まるで伝説のドラゴンにでも襲われたかのように天井から床までえぐられていたらしい」
ベイルと父の会話を聞きながら、ディアは思い当たることがあった。
(爪痕って……)
過去の16歳のディアの結婚式で、アーノルドが参列者を斬殺したのも大きな爪のようなものだった。
(もしかして……邪神? でもあれはアーノルドがやっつけたはずじゃないの?)
ディアは答えを知っていそうな人物の名前を呼んだ。
「ソウレ様!」
急に謎の名前を叫んだ娘に、父も兄も驚いている。でも、ディアはそれどころではなかった。もし、邪神の仕業ならアーノルドに害があるかもしれない。
--何用だ?
何もない空間から、ソウレが現れた。
「ソウレ様、アーノルドに付きまとっていた影の化け物は、いなくなりましたよね?」
ソウレは首を横に振った。
--いや、アーノルドを諦めて、別の者と契約したようだな。
兄と父が、急に何もない空中に話しかけ始めた娘の奇行を心配そうに見つめている。
(説明するより、見てもらったほうが早いわね)
「ソウレ様、姿を現してください」
--心得た。
ソウレがくるりと一回転すると、父と兄の目と口がこれでもかと開いた。
「お父様、お兄様。こちら、南部地域の豊穣と愛の神ソウレ様です。うっかり召喚してしまい、加護をいただきました」
父が驚愕しながらも「うっかりって……」と小さく呟いている。ベイルは真っ青だ。
「ディア、アルディフィア様という方がいらっしゃるのに、別の神を……?」
ベイルの質問には、ソウレが答えた。
--案ずるでない。この娘はそのアルなんとかの、愛おし子だ。何をしても罰は当たらん。
「ディアが、アルディフィア様の愛おし子? もう俺は、何から驚いていいのか分からん!」
「お兄様、今はそれどころではありません。第一王子を襲ったのは恐ろしい邪神なのです。このままにすれば、この国が滅びます」
父と兄は口を開けたまま顔を見合わせた。ディアは宙に浮かぶソウレを見上げた。
「ソウレ様、邪神が誰と契約したのか分かりますか?」
ソウレは狼のような獣耳をピクピクと動かした。
--ふむ。周りの者が、エインベルと呼んでおるな。エインベル・ウィルステンホルムという者にとりつき契約を交わしたようだ。
ベイルが「第二王子の名だ……」と呟いた。
--なるほど。邪神はどうしてもこの国を亡ぼしたいようだな。まぁ、そのために生み出された存在か。
ベイルが父に向って叫んだ。
「父上、アーノルド殿下を保護します! 公爵家の騎士を使うことをお許しください!」
「分かった。お前の判断に任せよう」
ベイルが部屋から出ていき、しばらくすると執事長が駆け込んできた。
「旦那様! 王家の者が兵を率いてこちらに向かっております! その、クラウディア様を直ちに王宮に寄越すようにと! 要求を飲まなければ何をされるか分かりません!」
父は「滅茶苦茶だ……」と呟いた。
「ディア、行かなくていい」
「いえ、私は行きます」
「何をされるか分からないんだぞ!」
父が怒った顔を生まれて初めて見たような気がする。心配してくれている姿がありがたかった。
「お父様、私はアルディフィア様とソウレ様から加護をいただいています。しかも、ソウレ様からは『自分の身を守る加護』をいただいているのです。私が行けば、お兄様が戻ってくるまでの時間を稼げます。ディアは必ず戻ります。お父様はここに残り、みんなをお守りください」
力なく項垂れた父を残し、ディアは書斎から出た。執事長に「私の部屋にメイドを寄越して。王宮に行く支度をします」と伝えた。
ディアが部屋に戻るとすぐにメイド達が駆け付けた。5人のメイドが一言も口にせず、ただ黙々とディアを着飾っていく。エイダはまだ神殿から戻ってきていないようだ。
「……できました」
一人のメイドが泣きそうな声でディアに伝えた。
「ありがとう」
微笑んでお礼を言うと、メイドの瞳に涙が溢れる。
「お、お嬢様、大丈夫ですよね? も、戻ってこられますよね?」
震えるメイド達にディアは満面の笑みで頷いた。
外に出ると王家の馬車がディアを待っていた。ディアを取り囲む王宮の兵士たちは、目が虚ろで操られているようだった。半ば連行されるようにディアは馬車に押し込められた。そこには先客がいた。金髪碧眼の身なりの良い青年は、遠慮なくディアを上から下まで値踏みする。
「何だ。ペイフォード家のやつらが必死になって娘を隠すから、どれほど見られない顔かと思っていたら、なかなか良いじゃないか」
青年の顔に軽薄そうな笑みが浮かんだ。
(この人、過去のアーノルドが変身していた金髪碧眼の理想の王子様に似ている)
「だが、愛想がないのは気に入らないな。未来の夫に挨拶くらいしたらどうだ?」
「おっしゃる意味が分かりません」
パンッと乾いた音がして、ディアの左頬に痛みが走る。
「クラウディア、俺は生意気な女は嫌いだ。もっと媚びてくれなきゃ君を可愛がれない」
青年の足元の陰から、異形の手が現れた。ディアの足を掴もうとしたが、見えない何かにはじかれ陰に戻っていく。頬は叩かれたもののソウレの加護は、確かに効いているようだ。ディアは思い当たる人物の名を口にした。
「エインベル、様、でしょうか?」
この国の第二王子エインベルは嬉しそうに微笑んだ。
「そうだよ。この国の王で、今日から君の夫になる。エインベルだ」
エインベルは整った綺麗な顔をしていた。もしかすると、過去のアーノルドは、エインベルの外見を真似て変身していたのかもしれない。ただ、今のエインベルの瞳には、邪神と契約したせいか狂気が宿っている。
「さぁクラウディア、城に戻って結婚式を挙げよう。そうすれば、生意気なペイフォード家のやつらも他の貴族たちもこの俺を真の王だと認めるだろう」
上機嫌に笑うエインベルを前に、ディアは『アーノルドは大丈夫かな』とそればかり考えていた。




