03 お兄様の心の声
鍛錬場に向かう間、一緒に来てくれるメイドのエイダに、ディアは怪しまれない程度に質問をした。そのおかげで少しずつ、自分が置かれている状況が見えてきた。
(今は、お母様が亡くなってから4年後。ディアが14歳の時なのね)
ディアが15歳になれば、アーノルドとの婚約が正式に成立してしまうので、残されている時間は後1年ほど。それまでに、どうにかしてアーノルドを心身ともに痛めつけて、ディアとの婚約の『こ』の字さえ口にできないほど社会的な制裁を加えたい。
(まぁ、その前に今はお兄様ね)
兄のべイル=ペイフォードは、ディアより3歳年上なので、今は17歳だ。公爵家の騎士団長を務めていて、ペイフォード公爵家の武力を全て握っている。
小説の『アルディフィア戦記』内では、公爵を継いだベイルが、後に英雄になる男主人公を手助けし、アーノルド王を倒すように導くという重要な役割で出てきた。
(小説内では、ベイルはカッコよかったけど、ディアのことは会うたびにすごく睨みつけてくるのよね……)
そんな兄を好きになれるはずがない。
ディアが鍛錬場に着くと、公爵家お抱えの騎士達が鍛錬していた。その中央でベイルが騎士達に指示を出している。
(今のところ、誰の声も聞こえないわね)
周囲を見渡していると、ベイルの側にいた一人の騎士と目が合った。とたんにディアの頭の中に声が響く。
--ああっ!? ク、クラウディア様!?
(もしかして、視線が合うことが、心の声が聞こえる条件なのかも?)
ディアはベイルに取り次いで欲しいと言う意味を込めて、ドレスの裾を持つと軽く会釈した。それを受けて勢い良く90度のお辞儀をした騎士は、隣にいるベイルの肩を叩いた。険しい表情でこちらを振り返ったベイルと目が合った。
(……何も聞こえない)
ベイルの心の声は聞こえないので、父とは違い、ベイルは本当にディアのことを嫌っているようだ。
(まぁ、それが分かっただけ、ここまで来たかいはあったわね)
ディアはベイルに会釈すると、くるりと背を向けた。そのとたんに、先程の騎士の声が聞こえてくる。
--あ、クラウディア様が行ってしまう! もしかして、団長、また頭が真っ白になってる!? もう、相変わらずクラウディア様のことが大好きすぎるんだから!
驚いて振り返ると、ベイルは騎士にガクガクと揺らされていた。ハッとなったベイルとディアは再び目が合った。
--か。
(か?)
ベイルは眉間にシワを寄せてディアを睨みつけた。
--かわいい。かわいい、かわいい。え? かわいいすぎるぞ。ちょ、もう無理、妹がかわいすぎてしんどい。かわいいかわいいかわいいかわいい。
さっきまで騎士を指導していた語彙力はどこにいった? と聞きたいくらい、ベイルは心の中で『かわいい』を繰り返していた。ただ、ディアに向けられたベイルの青い瞳には、冷たい光しか宿っていない。誰がどう見ても、鍛錬場に急に現れた邪魔者を睨みつけているようだった。ベイルの隣にいる騎士だけが、一人で慌てている。
--ああもう、団長! 何、クラウディア様を睨みつけてんですか!? 早く何かお声をかけないと!
騎士に肘鉄を食らわされ、ベイルはようやく口を開いた。
「なんの用だ?」
それはひどく冷たい声だった。隣にいた騎士が目を閉じ、『あちゃー』と言いたそうに自分の額に手を当てた。
--ああ、クラウディア様が可哀想すぎる!
(この騎士様は優しい人なのね)
ディアはもう一度ドレスの裾を持ち会釈した。
「お邪魔して申し訳ありません。お兄様」
そのとたんに、ベイルの視線がさらに鋭くなる。
--ディアが2年と16日ぶりに、俺に話しかけてくれたぁああああああ!?
(こっちも日数を数えてたの?)
父といい兄といい、どうやら似た者親子のようだ。でも、よくよく考えると、ディアも感情を表現することがとても苦手だった。そもそも貴族は余り感情を表に出すことを良しとしない。それに加えて、ペイフォード公爵一族は、皆、鋭い美しさを持っているので、より冷たく見えてしまうのかもしれない。
(自分で言うのも変だけど、ディアも黙っていたら、冷たそうな顔してるもんね)
ディアは少しだけ微笑んだ。
「急にお兄様のお顔を見たくなっただけです。失礼しました」
背後から、ベイルの『おぐはっ』という、ものすごいダメージを受けたような心の声が聞こえてきた。
(強面の騎士……お兄様は、テンパると頭が真っ白になってしまう可愛い人だったのね)
まだ兄の『う、うう、ディアがかわいい、かぁわぁいぃいい!』という心の声が聞こえてきたが、ディアはもう振り返らなかった。