29 覚悟
瞑想室から出ると、ベイルは入口に立っていたラルフを睨みつけた。
「俺はディアが乗ってきた馬車で帰る。エイダはお前が連れて帰れ。俺が乗ってきた馬は後から誰かに取りにこさせろ」
ラルフは青ざめながら「はい!」と勢いよく返事をした。ディアはベイルに掴まれている腕を後ろに引っ張った。
「お兄様、初めて瞑想室でアーノルド殿下にお会いしたのは偶然だったのです。ラルフもエイダも何も知りません」
ベイルの瞳がさらに鋭くなる。
「だから罰するなと?」
「はい」
視線を逸らさないディアをしばらく睨みつけた後、ベイルは小さくため息をついた。
「分かった。いいから帰るぞ」
さっきより少し怒りが収まったのか、ベイルの全身を包んでいた怒気が和らいでる。
馬車に乗り込んだベイルは、膝の上に座れとは言わなかった。ディアの反対側の席に座り、ぼんやりと流れゆく窓の景色に目を向けている。ベイルの心の中では、まるで走馬灯のようにディアとの思い出が流れていた。
--あんなこともあったな。こんなこともあったっけ。
温かい思い出にしばらく浸った後、うっ、くっ……と男泣きし出した。ただし、それは心の中だけでベイルの表情は一切変わっていない。
--ううっ「ディアはお兄様とけっこんするの!」って言ってたのに!!
(それは小さい頃の話よ、お兄様! あ、つい最近も言っちゃったっけ……)
ディアは何も言えずにただベイルを見つめていた。ふいにベイルと目が合った。
「ディア、いくつになった?」
「14歳です」
「そうか……」と呟き、ベイルはまた窓の外を見た。
--まだ14歳だぞ? 未成年だぞ、未成年!? 恋愛なんて早すぎるだろ!?
そして、ひとしきり文句を言った後、深いため息をついた。
--いや、本当は分かっている。14歳なら婚約しててもおかしくない年だ。ディアはもう子どもじゃない。ディアだって、いつか誰かと結婚して、子どもができ、できて、できでき。
(お兄様、動揺しすぎ!)
心の中では、口から泡でも吹きそうなほど動揺しているが、ベイルは顔には出さず、その横顔は少しだけ憂いを帯びているように見えた。
--分かっている! いつかこういう日が来ることは、俺は分かっていた! ディアだって、いつまでも俺に守られているだけじゃないと……分かっていたのに、実際にこの日が訪れると、寂しくて仕方がない。
(お兄様……)
--それに、俺の私情をのぞけば、アーノルド殿下は我が一族にとってそれほど悪い手ではない。もちろん、最善策とも言えないが。
ベイルはディアを見つめると、心で思っていたことをそのまま口にした。
「アーノルド殿下は我が一族にとってそれほど悪い手ではない。もちろん、最善策とも言えないが」
ベイルが心の声をそのまま口に出したのは、これが初めてのことだった。
「お兄様?」
ベイルはまたため息をつく。
「ディア、お前を子ども扱いするのはもうやめよう。我がペイフォード公爵家の一員として、これからは、お前も一族が置かれている状況を知っておいたほうがいい」
ベイルが言うには、この国の現王の具合があまり良くないらしい。そこで、次期国王を決めるための話し合いが繰り返されているが、貴族達の間では、第一王子派閥と第二王子派閥で真っ二つに分かれてしまっている。
「お兄様やお父様は、どちらの派閥なのですか?」
ベイルは小さく首を振った。
「我がペイフォード家はまだどちらにもついていない。俺たち以外にも、様子見をしている貴族は多くいるからな。正直に言うと、第一王子は残忍で弱者をいたぶり悦ぶ癖がある。戦乱時ならいざ知らず、今の平和な時代の王として相応しくない」
「では、第二王子ですか?」
ベイルは悩ましそうに腕を組んだ。
「第一王子に比べるとまだましなのだが……。問題は第二王子に婚約者がいないということだ。王子は女性遊びに熱心でな。特定の相手を作りたがらない。そんな王子を我がペイフォード家が支持すればどうなると思う?」
ディアは分からず首を振った。
「お前が第二王子の婚約者に選ばれる」
「え、嫌です!」
「俺も嫌だ。もちろん、父上も。そういうわけで、我がペイフォードは未だに誰も支持できずにいるのだ。そんな中、お前が第三王子を好きだと言った。悪い手ではない。だが、最善策でもない、第三王子を支持することは、第一王子と第二王子を敵に回すようなものだ。俺の言いたいことが分かるか?」
「なんとなくは……」
『次の王様になるのは、第一王子と第二王子どっちがいい?』という話なのに、『第三王子がいい』と言ってしまえば、第一王子と第二王子に『貴方たちは王に相応しくない』とケンカを売ることになる。
「お前が本気でアーノルド殿下と幸せになりたければ、上二人の王子を蹴散らし、アーノルド殿下が王位を継ぎ、お前が王妃になるしか道はない。この権力争いに負けると、お前たちはもちろんのこと、我がペイフォード一族もただではすまない」
(予想外にすごい話になってきた……)
ディアが青ざめていると、ベイルは「怖がらせてすまない」と謝った。
「ただ、公爵家の一人娘のお前が、アーノルド殿下を愛するということはそういうことだ。例えアーノルド殿下が王位を望まなくても、公爵家の後ろ盾がついてしまった第三王子を、他の王子たちが見逃すはずはない。覚悟が必要なのだ」
馬車が止まった。ベイルは「続きは、父上を交えて話そう」と左手を差し出した。その手に右手を重ねてディアは言う。
「お兄様、難しいお話はよく分かりませんが、私はアーノルドが次の王様に相応しいと思います」
小説の中のアーノルドは狂王と呼ばれつつも、男主人公に倒されるまで最強の王であり続けた。ディアが知っている未来のアーノルドは、いつでもこの国の王だった。その横にいたいなら、ディアは王妃になるしかない。言われてみれば、それはとても当たり前のことのように思えた。
「私はずっとアーノルドの側にいたいのです。そのために必要なら私は王妃にでもなんでもなってみせます」
まっすぐにベイルを見つめると、ベイルは少し笑みを浮かべてため息をついた。そして、ディアの手を優しく引いて抱きしめる。
「ディア、もう少しだけでいい……俺の可愛い妹でいてくれ」
「はい、お兄様」
ディアは慰めるようにそっとベイルの背中に腕を回した。




