16 神殿に行きたい
馬車の中で機嫌が良くなったベイルに、ディアはお姫様だっこのまま運ばれ、自分の部屋の中でようやく床に足を着けることができた。
「お兄様、ありがとうございます」
軽く頷いたベイルがそのまま去っていこうとしたので、ディアは慌ててベイルの服の裾を掴んだ。
「どうかしたか?」
「あの……」
アーノルドに会うためにも、10日後にもう一度神殿に行かなければいけない。
「お兄様、今日はご一緒できてとても楽しかったです。またディアを神殿に連れて行ってくれますか?」
「そうだな……」
ベイルが少し視線を逸らすと心の声が聞こえてきた。
--結婚の話は俺の勘違いだったようだし、ディアが喜ぶのならまた連れて行ってもいいか。ただし、今度はもっと地味な服を着せて、顔も隠れるようにフードを準備させよう。
(もうなんでもいいからオッケーして!)
ディアが上目遣いで見つめていると、ベイルによしよしと頭を撫でられた。
「分かった。いいだろう。ディアが行きたいときに声をかけてくれ」
「ありがとうございます!」
嬉しすぎて抱きつくと、『……まったくディアはいつまで経っても子どもだな。まぁ、こういう所がかわいくて仕方がないのだが』と、ベイルがフワッと微笑んだ。
普段は氷のように冷たく鋭い人が浮かべる笑顔は、急に訪れた春のように温かい。
(お兄様は、笑うと絶対にモテる……)
元からペイフォード公爵家の一族は、恐ろしいほど顔が整っているので、ベイルがモテないはずがない。それに、前よりベイルと会話が成立しているような気がする。
(過去のディアより、今のディアの方がずっと幸せだわ。時を巻き戻してくれた女神アルディフィア様には感謝しないと)
部屋から出ていくベイルの後ろ姿を見送り、ディアは一人ベッドに腰をかけた。そして、神殿で見た異形の手のことを考えた。見えたのは一瞬だったが、あの手はアーノルドに付きまとっている危ない神様の手だった。
(また私の足を掴もうとしていた……)
まさか、女神アルディフィアの神殿の中で、別の神に襲われそうになるなんて思ってもいなかった。天界で会ったアルディフィアは、『私の最後の力を使って時間を巻き戻します』と言っていた。
(もしかして、アルディフィア様の力はもう残っていないの? それとも、アルディフィア様の加護では守り切れないくらい、原始の神の力が強い……?)
どちらにしろ、原始の神の元の名前や、なんの神様なのか分からなければ、対策の取りようがない。ため息をつくと、ディアはベッドに寝転がった。
(今日はいろいろあって疲れたわ)
目を閉じると、ディアはそのまま深い眠りに落ちていった。
*
次の日の朝、ディアは全身が痛くてベッドから起き上がることができなかった。部屋に来たエイダが、起き上がれないディアを見て慌てて部屋から出て行く。しばらくすると、父や兄が医者と共に部屋に訪れた。
白衣を着た初老の男性は、ディアの身体を診察した後、父と兄に向き直りこう言った。
「筋肉痛ですね」
「筋肉痛……?」
父が冷たい視線を医者に向けたので、医者からは緊張が走った。
「はい、クラウディア様はおそらく普段からまったく運動をされていないのでしょう。昨日おでかけされたそうなので、全身が筋肉痛になってしまったのだと思います」
ベイルが「病気ではないのか?」と怖い声を出す。
「はい、クラウディア様は健康です。だからこそ、これからは、少し外に出て運動したり、日光を浴びたほうが良いでしょう」
医者は、湿布薬を処方すると、「2~3日もすればお身体の痛みはなくなります。では」と礼儀正しく頭を下げてから退出した。父と兄が安堵のため息をついている様子を、ディアはベッドの中から見ていた。
(は、恥ずかしい……。筋肉痛でお医者さんに来てもらうなんて……)
ディアが「お父様、お兄様、ごめんなさい」と、小さな声で謝ると父も兄も「気にするな」と首を振る。
「それより、ベイル。ディアに運動をさせよう。何かないかな?」
「父上、運動はディアにはまだ早いです。ディアは馬車に乗っただけで疲れてしまうほどか弱いのです。だから、しばらく神殿に通わせます。その往復に慣れて、移動に疲れなくなったら、何かディアにでもできる軽い運動をさせましょう」
父は「そうだな、それがいい」と頷いた。父と兄が仕事以外のことで話している姿を見たのは、母が亡くなって以来かもしれない。迷惑をかけてしまったと思いつつも、ディアは家族が昔のように仲良くなれたような気がして嬉しくなった。それに、アーノルドがいる神殿に通えるのもありがたかった。
父が「神殿に通うのは、月に一度にしようか?」とベイルに尋ねている。「いや、3か月に1度くらいでいいのでは?」とベイルが返す。ディアは、『それじゃあ、運動にならないでしょうが!』と思ったが、父と兄にツッコめる人はこの場にはいない。
仕方がないので、ディアはベッドの中から、「5日に1度がいいです」とお願いした。
(アーノルドには10日後って言っちゃったけど、別に何回会いに行ってもいいよね?)
昨日、アーノルドに会ったばかりなのに、ディアはもうアーノルドに会いたいと思っている自分に気がついた。
(なんだか、今のアーノルドって危なっかしくて、すごく気になるのよね……)
こうして、ディアは5日に一度、運動を兼ねて神殿に通うことになった。