13 お姫様抱っこから逃げられない
次の日、身支度を終えたディアは、フカフカのクッションを一つ抱きかかえながら、自室でベイルが来るのを待っていた。
(馬車の中までこのクッションを持って行って、お兄様の膝の上に座らなくて良いようにしよう。こんなにフカフカのクッションがあれば危なくないでしょう)
なぜかクッションを手放さないディアを、エイダが不思議そうに見ていたが、ふいに、ため息が聞こえた。
--あーあ、私もお嬢様と一緒に神殿に行きたかったわ。この後にお休みなんていらなかったのに。でも、ベイル様が一緒だからお邪魔したらダメよね。
エイダは朝からずっとその言葉を繰り返している。繰り返しながらも、仕事はきちんとこなしていて、ディアの銀色の髪を丁寧にとかし、清楚な白のワンピースを着せてくれた。そして、鏡越しに満足げに微笑んだ。
--今日のお嬢様も最高に可愛いわ。
しばらくすると、扉がノックされ、ベイルが現れた。
「……行くぞ」
冷たい物言いだったが、ベイルは心の中では『ディア……なのか? いや、これは天使だ。ディアが本物の天使だ!』と訳の分からないことを叫んでいた。
ベイルがエスコートするために右手を差し出したが、ディアはクッションを抱き締めていたので手が出せない。ベイルの瞳が鋭く細くなった。
「なんだ? そのクッションは?」
「馬車の中は揺れて危ないと聞いたので、このクッションを持っていきます」
ディアは決して離さないぞという意味を込めてクッションをぎゅっと抱きしめた。ベイルは呆れたようにため息をついたが、心の中では『妹の発想が、可愛すぎてしんどい……』と悶えていた。
「不要だ。置いていけ」
「嫌です!」
珍しくベイルに反抗してみたが、ディアとしてもこれだけは譲れなかった。移動中ずっとベイルの膝の上に座るのだけは避けたい。
「仕方がない」
ベイルはそう言うと、クッションを抱き締めているディアをお姫様抱っこした。
「お兄様!? 下ろしてください!」
「クッションを手放したらどうだ?」
仕方がないのでディアはクッションをエイダに手渡した。
「では行くぞ」
ベイルは、なぜかお姫様抱っこのままで歩き出した。ディアが「ちょっと、お兄様!?」と苦情を言うと、ベイルは珍しく口端を少しだけ上げた。
「クッションを手放しても、下ろすとは言っていない」
(騙された!)
ディアが気付いた時には全てが遅かった。ベイルにお姫様抱っこされたまま、馬車まで連行されてしまう。その先々で出会ったメイドから『あらあら』とか『仲良しね』など、微笑ましいものを見たような心の声が聞こえてくる。
(は、恥ずかしい……)
もう誰とも目を合わさないように、途中からディアはベイルの胸板に顔を押し付けて目を瞑っていた。しばらくして、ベイルが立ち止まったので、少しだけ顔を上げると、馬車の前で待っていたラルフと目が合う。
--うわぁ……団長がまた暴走してる……。
なんとなく状況を察したのか、ラルフの瞳は憐れみに満ちていた。馬車の御者は、礼儀正しく馬車の扉を開いた。ベイルは、ディアをお姫様抱っこしたまま、器用に馬車に乗り込もうとしたので、ディアは「お兄様、下ろしてください」と最後の抵抗をした。
(ラルフも何か言って!)
この場で唯一助けてくれそうな人に視線を送ると、ラルフは小さく首を振った。
--すみません、クラウディア様! 俺にはこんな嬉しそうな団長を止めることはできません! 止めたら、殺されそうだし!
ラルフが心苦しそうにディアから視線を逸らすと、馬車の扉は無情にも閉められた。