元・高校生活13日(最後の役目)②
お読みいただき、ありがとうございます。
もう少しで終わりです。
「私……戻ったの……?」
私が頬を触ると、鏡の老女も同じ動きをする。
ついこの間まで毎日見ていた“私”の顔。
「すまない。私の計算では明日……いや、今日の夕方六時ごろに『ロリニナール改』の効き目が切れるはずだった。しかし、木曜日の朝からあなたの心拍数や、週始めに計っていた血液成分から、薬の効果が早めに切れるのではないか? という、予測値が昨日の昼に出たのだ」
「そうですか……」
「……意外に冷静だな」
「だって、私はもともと“検体”だったはずです。薬の効果の実験で若返っていたのですから……想定外もあり得るでしょう?」
「それは……そうだが……」
梅先生らしくない、しゅんとした表情。
「ただ……茉央ちゃんたちに、ちゃんとお礼とお別れができなかったことが………………あっ!!」
その時、頭をかすめたのは『トラック事故に遭う二人』の未来だった。
「先生、大変です! 茉央ちゃんと美穂ちゃんが……!!」
「もしかして『暗闇の眼』か?」
「はい。実は……」
私は詳細を話し、二人に起きる危険を回避できる方法を付け加える。梅先生は頷きながらメモをとると、携帯でどこかに連絡をとり始めた。
「…………では、その辺りを警戒してくれ。頼んだぞ。じゃあ」
「先生…………」
「明乃さん、二人のことは安心していい。分かる危険ならば、あなたが動かなくても回避はできる」
「そうですか……良かった」
梅先生がちゃんと信じてくださったので、二人は事故に遭うことはないわ。
「梅先生、何から何までありがとうございます」
「礼にはおよばない。そうだ、礼といえば……」
「……? なんでしょう?」
先生は胸元から折り畳まれた紙を取り出す。
「予定よりも早くなったが、検体の終了に伴いあなたにうちの組織から謝礼が出る。それがこれだ……」
紙を広げると、そこには『謝礼目録』と記されている。
「謝礼金……三千万円!? な、なぜ、こんなに……!?」
「身体と時間の提供の分だ。それに加えて、元の病院でのこれからの治療と、リハビリテーション費用の負担もこちらから全て出させてもらう」
「そ、そんなに受け取れません!」
「いや、妥当な金額だと思うが。あなたがこの『ロリニナール改』の実験体になってくれて、新たな治療の可能性が広がったのだから」
梅先生が言うには、私の実験データから『若返った身体』で筋力のトレーニングを行うと、その年齢で運動した時と同じ筋力の増加と回復が見られたそうだ。
「あの……でも、今は身体中が痛みますが……?」
「ふっ……それはあれだ、『筋肉痛』というやつだな。それは筋肉が壊れた後に回復し強化する証。その痛みはこちらの薬で治せる」
「これですか……」
梅先生に渡されたドリンク剤を飲むと、少しずつだけど痛みが楽になった。たぶん、朝には完全になくなるだろう……ということ。
「あと一つ。これは初めての被験者である、明乃さんだからこその特例だ」
「何でしょうか……?」
「あなたが望むなら……もう一度、肘川北高校で学生生活ができる。もちろん、若い姿で……だ」
「え……?」
「再び、足立や篠崎と同級生になれる」
ドキンッ……と心臓が痛いくらいに跳ねた。
「また、茉央ちゃんや美穂ちゃんに会える……?」
「そうだ。元に戻った時間から二十四時間以内に、こちらの『超絶ロリニナール』を使ってもらえばいい」
「それで……」
「だが」
梅先生が眼鏡を指で直す。
「もう……元の姿には戻れない」
「え?」
「若返って、そこから人生を新たに始めてもらうことになる」
「―――――へ?」
若返って、新たな人生……?
「それに、ご家族には二度と会えない」
「――――――っ!?」
ヒュッと息が無理やり肺に押し込まれたように、呼吸が苦しくなった。
「………………なぜ……?」
「この薬は『若返りの薬』としてではなく、筋肉の改善薬としてこれを世に出すことになっている。この薬品の製造、使用例を知っているから『特例中の特例』の人間だ。つまり…………若返ったあなたを極秘の存在として我が組織に受け入れるために、一般人となるご家族とは離れてもらわなければなりません」
つまり、今後はこの薬を使う場合は姿の若返りはないということ。
特例で私が若返ったら、梅先生が所属する組織で仕事をしながら暮らすということ。でもそれは、何かあった場合は一般人の家族を巻き込まないようにしなければならない足かせがある。
私が若返えりを選べば、家族には先生たちが説明してくれるというけれど…………
「もし………若返えりを断れば?」
「薬品の存在を世間に秘密にするという念書を書いていただき、ここにある謝礼を静かに受け取ってもらうだけ。元の老人としての人生に戻るだけ……」
「私…………」
元々はおばあちゃんだから、元の生活に不満なんて……
「若い身体は楽だったはずだ。走ることも、好きなものを食べることも、遠くに出掛けることも自由だった。あなたの若い頃には想像もできなかった、新しい経験もこれからたくさんできる」
「でも…………」
私が戻らなかったら、家族はどう思うかしら?
「若返えれば、家族と別れるという最大のデメリットはあるが、人生のやり直しなんて滅多にできることでないぞ? 別に死ぬわけではないし、ご家族もあなたの幸せは願ってくれるはずだ」
「人生のやり直し…………?」
やり直す? 今まで生きてきたことを?
「あなたの居場所や戸籍も全て保証しよう。悪い話ではないと思うが……あなたの『暗闇の眼』も、組織の人間は誰も恐れたりはせずに受け入れる。私たちはあなたを歓迎する」
「……………………」
「まぁ、いい。夜が明けてから、まだ薬の効く昼にまたここへ来る。それまでに考えて、返事をもらえないか? 明乃くん」
「……………………」
梅先生はもう一つ、疲労を取るためのドリンク剤を私に飲ませてから、部屋を出ていった。
今日の昼過ぎには、もう二度と若返えることはできない。
“私たちはあなたを歓迎する”
“別に死ぬわけではないし、ご家族もあなたの幸せは願ってくれるはずだ”
梅先生の一言一言が、私を勧誘しているように聞こえた。
たぶん、先生の組織は私を待っているのだ。
「私、私は……」
急に眠気が襲ってくる。
さっき飲んだドリンク剤のせいか、身体がポカポカして心地良い気分になっていく。
「私が、もう一度……若返えれば……会える……」
眠りに落ちる瞬間、茉央ちゃんと美穂ちゃんの笑顔が頭の中を過った。
キーンコーン…………
チャイムが鳴って下校時間になったが、何故か席を立つ気になれず、そのままぐだぐだと腰掛けていた。
絵井「おい、どうした?今日はなんか変だぞ?」
微居「別に」
絵井「……はっ!まさか、お前……弥生さんのこと……」
微居「『好き』だったとかじゃない。それは自己に確認済みだ。それに、たった二週間だぞ。足立たちみたいに仲良くしてたわけでもないし」
絵井「そういえば、二週間だけだったよなぁ……」
絵井・微居「……………………」
考えても分からない。
何故か落ち込む……までいかないような、しんみりした気分になっているのだ。
絵井「うん、じゃあアレかな…………例えるなら、そう。『最近見付けた陽当たりの良い昼寝場所が、急に移動されて日陰になった』…………的な?」
微居「…………何の例えだ」
絵井「猫になって考えろ。せっかく心地良いと思ったものが無くなった悲しみを!」
時々、まともな絵井は変なことを言う。
絵井「……でも、その場所は“お前だけのお気に入りじゃない”。みんながそんなモワッとした気分なんだ」
微居「みんな……か」
そういえば、先生があいつのことを言った時、みんな分かっていても少し大人しくなっていたな。
いや、それよりも…………
微居「なぁ、絵井?」
絵井「ん?」
微居「何で、猫?」
絵井「いやぁ、ただ、なんとなく……」
峯岸「…………私を呼んだかねっ!?」
絵井・微居「っっっ!?」
峯岸「『ネコニナール』装填!! とぅっっ!!!!」
微居「なっ!? ぐっ……んがぐぐっ!!」
絵井「微居!?」
峯岸「では、絵井。『ひだまりの縁側』はお前に託したぞ!! さらばだ!!」
絵井「せ、先生!? 先生ぇぇぇぇぇっ!!」
ごつん。
絵井「微居……?」
微居「……………………」
ごつん、ごつん、ごつん、ごつん……
絵井「え?痛くないけど、何で頭突きして……」
微居「……………………」
ゴロゴロゴロゴロ……
……………………。
次に気付いた時はもう夕方だった。
困り果てた絵井を下敷きに、丸くなっていたようだ。
絵井「微居~!!やっと正気になったか~!?」
微居「…………あぁ」
この時、絵井には申し訳ないとは思うが、もやもやした胸の中はスッキリしていたのだった。
※頭ごっつんは猫さんのごあいさつ。




