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1-⑥

「私の授業、そんなにつまらないかな?」

 その言葉がもうほとんどキレ散らかしているということを察せる程度には浅めの眠りだった。

 それでもハッとした動きは隠しきれなくて、ガタっと椅子の鳴る音がする。背中にじっとり汗をかいている。時計は十一時十分を指している。何の授業中だったかも井原はすっきりはっきり思い出せている。いちばん嫌な科目だったから。

『嘘』の授業中。

 寝ていた。

「どうなの?」

『嘘』の科目担当教師の飯岡は、非常に悲し気に微笑んで井原の顔を覗きこんでいた。

 教室は静まり返っている。飯岡は若手の教師にはあるまじきことに生徒を激詰めするのが得意中の得意であり、説教がとんでもなくねちっこい。いっそ一発怒鳴って終わりにしてほしい、とは授業中の居眠りを咎められた生徒が必ず口にする言葉であって、その説教の時間中他のクラスメイトたちはここぞとばかりに自習を始め、塾で出された膨大な宿題の片付けに勤しんでいる。

「あの、」

 飯岡に対する最適解が沈黙であることは、この学年の生徒であればほとんど誰もが知っている。口答え、言い訳、状況説明の類を飯岡は毛嫌いしており、それを口にすればするほど事態はヒートアップしていく。居眠りこいていた生徒が、自分はいかにして居眠りをこくようになったか、などと語り始めれば山火事クラスは免れない。

 しかし、口を開かずにはいられなかった。

「電車で大量虐殺が起こったんです」

 寝ぼけていたから。夢で見た景色のことが、そのまま口をついてしまった。

 さっきまで、こんな夢を見ていた。井原はいつもどおり電車に乗っている。ただでさえそこそこ混んでいる車両に、このクソ暑い真夏日にスーツをばっちり着込んだ中年太りのサラリーマンがさらに大量に駆け込んでくる。大混雑の車内で運よく座席に座れていた井原はご満悦で、サラリーマンたちが全員同じ顔をしていることなんかまるで気にしない。電車が発車する。しかしすぐに止まったり、あまつさえ戻ったりする。定員オーバーを知らせるブザーがずっと鳴っている。どんどん車内の温度が上がってくる。どんどん汗が滲み出てくる。誰かの電話が鳴るとサラリーマンが一斉に電話を取る。みな口を揃えて言う。「もうすぐ到着するのですが……」しかしひとりだけそう言わなかったサラリーマンがいる。代わりに悲鳴を出した。ぎょっとして井原はその声がした方を見た。フナムシでも避けるみたいに乗客が距離を取ろうとしている区画がある。もちろん満杯の電車内でそんなに大きく動けるはずもない。ないのに、どんどんその円は拡大していく。座り続けている井原には何が起こっているやらさっぱりわからない。その円が自分のところに広がってくるまで。血まみれの湊が立っている。手にはナイフを握っている。井原の隣に座るサラリーマンの内臓を抉り取るように刺す。ゴミでも捨てるみたいにそのサラリーマンを投げ捨てる。気付けば電車のドアは開いていて、サラリーマンの死体はどこにもない。風景は流れ、爽やかな風が吹き始める。湊は井原の目の前にナイフを持って立っている。口を開く。真っ赤な舌が見える。「永遠に着きませんよ」と言ってナイフを振りかぶり、

 黒板には「遅刻するときに相手を不快にさせない連絡の仕方」と書かれている。

 しばらく、飯岡はじっと井原を見つめていた。教室の窓は開いていて、クリーム色のカーテンが風に煽られて大きく膨らむ。一瞬めくれあがって、ちかっと白い光が教室全体を覆ったとき、とうとう飯岡はこんなことを言った。

「顔色悪いから、保健室行ってきなさい」

 優しい声色だったらしい。



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