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4-②

 真昼の夕焼けを見て、ほっとした。

 自分で自分の反応に不思議を覚えたけれど、それでもやっぱりほっとした。

 湊はいない。だから嫌な予感は完全には消えなかったけれど、図書室の方を振り向いて、また図書準備室を見て、太陽がふたつある光景を確認するだけでも、なぜだか心が軽くなった。

 もしかすると、あの日。

 平尾を連れてここを訪れたとき、すでにこの図書準備室から夕焼けが消えていたのは、湊がいなくなっていたからなのかもしれない。頭の中で、どうやって筋道を立てたのかは井原自身わからなかったが、そういう直感が巡っていた。

 しかし、湊はここにいない。

 ここ最近は湊のことばかり探しているが、実際に会った数はそれほどでもない。追えば追うほど捕まらなくなるような気がして、夏の逃げ水みたいなやつだな、なんて思ったりもする。これまでに会った回数を数えようとして、

「あ」

 ここじゃない、と気付く。

 そうだ。この日は湊と初めて会った日だ。

 慌てて図書準備室を、図書室を出る。なりふり構ってる場合じゃないな、と廊下も走るし階段も駆け下りる。

 思い出した。この日、学校をサボろうとして、湊に助けてもらったのだ。湊もそのまま学校を出て行った。途中まで一緒に歩いていたから帰り道の方向自体はわかっているが、それでも途中で別れてしまったから、早く追いつかないと見失ってしまう。

 昇降口から出て行く手間すら惜しむ。学校のプールに続く勝手口から飛び出る。靴に履き替えてる、と呪文のように唱えれば、上履きが運動靴に変わる。嘘というよりほとんど魔法だ。さっきまで履いていた上履きがどこに行ったのか、なんて考えたりしてしまってもすぐに開き直る。どこにも見つからなかったらそのときは嘘をついて新品を出してやる。元手なしから始める錬金術だ。

 校舎裏から駐輪所へ。好調に走っている途中で、キキッ、と。靴裏がアスファルトとの摩擦で燃え上がるような急ブレーキをかけた。

 出た。

 筋骨隆々社会科教師。

 そうだよな、と思う。自分のことを助けてくれたあの日の湊がここにいるということは、そのときの襲撃者も当然この場に居合わせているはずなのだ。

 しかし昔の自分ならいざ知らず、今の自分からしてみれば取るに足らない相手だ、と井原は思う。何しろこちらは未来から時間を巻き戻してここに来たのだ。そんじょそこらの地方豪族がいくら年月を経て教師に変化を遂げたところで太刀打ちできはしまい。

 しかし、どうやって切り抜けたものか。井原は悩む。選択肢が大量にあるだけに悩む余地も大きい。何でもいいがいちばん困る、という親の言葉がようやくここに来て理解できた。

 とりあえず、あまり派手なやり方は好ましくない。ただでさえついさっきとんでもない大技を使ってしまったのだ。目先の目標に向かって突っ走っている今だけは色々無視できているが、数十分前まで全然違う場所の全然違う時間にいたというのに突然こんな場所に放り出されるのは正直ものすごく怖い。地に足が着かない。一秒目を瞑って開けたらわけのわからない宇宙空間に投げ出されてそのまま冥王星めがけて数億年の旅をする羽目になっているかもしれないという馬鹿げた妄想が頭の中から離れようとしないし、なお悪いことには、その馬鹿げた妄想は口にするだけでおそらく達成できてしまう。

 あなたに私は見えません、とか言いながら行ってみるか。

 まるっきり怪しい霊能力者みたいだ、と思いながら、一歩踏み出そうとして、

「先輩?」

 驚きすぎて思考が麻痺した。

 後ろからだった。声を掛けられたのは。

 情けない声すら上げずに、バッと後ろを振り向く。

 いた。湊が。

 驚きは複数あって、それが重奏として頭の中で響いている。

 湊が自分の後ろにいた驚きが、シンバルのように頭の中で鳴っている。

 死んだ人間が目の前に現れた驚きが、シンバルのように頭の中で鳴っている。

 湊が自分をいきなり先輩と呼んだ驚きが、シンバルのように頭の中で鳴っている。

 シンバル三重奏。コアラの目覚ましにでもする以外に何の使い道もない音楽がこの世に爆誕した。そして井原には楽譜を起こす技能がないので、コアラの目覚ましにすら使われずに忘却の靄の向こうに消えていく。

 完全に消え去るまでに、たっぷり一分を要した。

「あ、えと、」

 というのがまずもっての井原の反応で、

「生きてる?」

 第二声からして明後日の方向にボールを投げてしまったが、

「おかげさまで」

 ホームラン。

 たった六文字の言葉で、非常に大きな認識が井原の中に生じる。わかっていたことではある。わかっていたことではあるが、それでも改めて、ちゃんと認識した。

 湊の方が、自分より上だ。

「ここじゃなんですし、場所、変えませんか」

「あ、ああ……」

 大人しく湊の後を着いていく。

 犬みたいだった。


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