3-⑤
最後まで空振りだった。
もう平尾から何かを言うことはない。市民センター。最後の張り込み場所。文芸展なんか開催されていなくて、高校生すらひとりもいなくて、子どもと老人だけで、保健所かどっかが出している医療保険のポスターと何十年前から飾られてるんだかわからないような郷土資料の掛け軸を眺めに眺めて、十分もすれば中をぐるっと一周し終えて、午前中のうちからもう駅に着いている。
「どうする?」
と平尾が聞いた。選択肢は結構ある。図書館に行って勉強する。ショッピングセンターに行って遊ぶ。駅前のカラオケ屋でだらだら時間を過ごす。少し歩いてボウリングに行く。
とりあえず飯を食う。
食って、そのままさらにドリンクバーと山盛りポテトを頼んで、四時間粘って、そろそろ帰るかという話になる。どうせ通勤ラッシュとか帰宅ラッシュとかそんなものは存在しない路線だけれど、そろそろキリが良いだろうという話にもなって。
ファミレスを出て駅ビルの一階からエスカレーターをふたつ上って、改札を定期券で抜ける。またエスカレーターに乗って、今度は下りていく。
杖を突いた老人がひとりで電車を待っているだけの閑散としたホーム。鳩。立ち食い蕎麦。駅ナカのコンビニ。向かいのホームにも人影はなくて、その向こうにある真っ青な空がそのまま見える。大して背の高い建物もないから、何の障害物もなく地平線まで見えそうになる。ホームの軒下は地下への入口みたいに暗いのに、線路の上と、その先の景色は目がおかしくなりそうなほど眩しい。次の電車まで十五分。冷房付きの待合室へ。
「あっちー」
入っても誰もいないから、そんな言葉を普通に交わせる。驚くほど誰もいない。平日昼間、午後四時昼の光に照らされながらも、一体何度で設定されているのか異様に涼しい室内は、人気のなさも相まってそういう廃墟みたいにも思える。
話すことはついさっきまでの四時間でほとんど話し切った。これからの夏休みどうしようかとか、平尾の行きたい大学のオープンキャンパスはいつだっけとか、ていうかお前軽音のバンドの練習とか行かなくていいのとか、それを言うならお前も夏季講習とかないのかよとか、一通りのこと。
話そうと思えばまだまだいくらでも捻り出せただろうが、今さら沈黙に耐えられないような仲でもなく、お互い自然な動作で携帯を開く。平尾が「おっ、新曲」と言えば、気を遣わなくていいように、井原は片耳にイヤホンを突っ込む。特にそこから何が流れ出るわけでもなく、平尾はその横で両耳にイヤホンを突っ込み、井原の指はSNSのトレンドを追う。好きな芸能人がいるわけでもなくハマっているゲームがあるわけでもなく、ほとんどの話題を素通りしていって、ふと、
『夏休み、子どもの水難事故多発』
毎年見ているようなニュース記事かもしれない。それでも同じ時間を共有する十六歳。気になってリンク先に移動して、毎年見ているような注意喚起文を読んでいって、関連記事で個別の事故のリンクが貼ってあって、ふとそこに見造里市の文字を見つけて、マジかよと驚いて、
『死亡者:見造里市在住の高校一年生、湊千尋さん(十五)』
電車の到着を予告するアナウンスが響いて、蝉が鳴き止んだ。いこうぜ、と平尾が立ち上がる。
「……おい、どした?」
たぶん、何もかもが最悪のタイミングだったのだと思う。
もう少し情報に気を配ったり無頓着だったりして、このニュースを見るのが早ければ、あるいは遅ければ。
もう少しファミレスで話し続けることに遠慮したり開き直ったりして、このホームに着くのが早ければ、あるいは遅ければ。
もう少し諦めをよくして、今日という日まで湊の捜索をしていなければ。
あそこに立ってるじーさんがもう少し遅くにホームに着いていれば。
あそこに立ってるじーさんがもう少しこの気温に晒されている時間が短ければ。
あそこに立ってるじーさんがもう少し若ければ。
あそこに立ってるじーさんがあんなに線路に近いところで熱中症になって、
崩れ落ちて、
平尾が大きな声を上げた。
電車がものすごい汽笛を鳴らした。
杖から先に空中に投げ出された。
井原の手から携帯が零れ落ちた。
今日もどこかで人が死ぬ、そんな夏の昼。
線路に向かって身を投げ出した人間が弾け飛ぶよりも先に。
携帯が地面とぶつかって硝子を撒き散らすより先に。
井原は嘘を吐いた。
たぶん、いちばん越えてはいけなかった線を、
そうと知らないまま越えた。




