3-④
「ぶっちゃけお前とこのまま友達やってていいもんかと思ってたんだけどさ」
ぶっちゃけすぎだ。
バスに揺られながら、平尾の言葉に井原はいたく慄いている。知らない間に縁を切られそうになっていた。
「なんで」
「いや、頭おかしいんじゃねーのこいつと思ってさ」
「本当の話だったろ」
「そりゃ今ではわかったけどさ。でもわかった状態でもそれお前完全におかしいやつだろ。信じねーから、普通こんなん」
「……まあ、」
「しかもそれだけならともかくすげえ真面目ヅラしてストーカー始めるしよ。通報しないのがせめてもの情けで友情って感じで、色々終わりにしようかと思ったぜ」
真に友情があるなら友達が間違ったことをしているときは真正面から説得して止めてやるべきではないのか、よしんばそれができなかったとしても通報することの方こそがよりあるべき形ではないのか。井原はそう思ったが、あえて口には出さなかった。誰だって我が身が可愛い。
「まあでも、こないだのやつ見てやっぱなって思ったよ」
「何が」
「やっぱこいつ、根はいいやつだよなって」
照れて、
「でもこれはマジのストーカーのやつだし絶対やめた方がいいと思う」
やめない。
ふたりの乗るバスは、いずれ大型ショッピングセンターに辿り着く。それ以外には辿り着かない。駅とショッピングセンターを結ぶだけのバスが存在する。見造里市はそういう街で、商店街は死にかけで、若者は何の躊躇いもなく都会へ飛び出していゆき、酔狂な観光客はインターネットに写真を上げて「世界の果て」と名前を付ける。
しかしショッピングセンターにはなけなしの人口が詰め込まれている。家族連れ、行き場のなさそうな若者、公民館の代わりに冷房を当たりにきている高齢者の一団、一学年下の後輩の居場所を探して本屋に張り込む高校生、それをドン引きしながら眺めている友人の高校生、その二人とたまたま遭遇した爽やか高校生。
東堂だった。
バスケ部で、弁当を必ずふたつ持ってきて、牛丼屋に行くと並盛とライスを並べて足が速くて、爽やかで、歌が下手な去年のクラスメイト。
「よ」
「お」
「おいす」
奇遇か、と聞かれればそんなでもなかった。
このあたりに住んでいる高校生のいるところなんて大抵駅前かこのショッピングセンターくらいしかない。しかも駅前に安定して存在しているのは精々カラオケ屋とフードコートくらいのものだから、映画でも見たくなれば、楽器でも買いたくなれば、眼鏡でも新調したくなれば、ここまで足を伸ばすしかない。一種の生活拠点だ。だから東堂も、
「映画?」
と、前置き抜きでそう聞いてきた。いや、と言おうとした井原を遮るように平尾が、
「そんなとこ。お前は、」
東堂が担いでいるばかでかいエナメルバッグに目をやって、
「部活帰り?」
「そーよ。毎日練習練習」
シュッと手首を返す動きをして、
「てかちょうどよかったわ。あ、いまふたり時間ある?」
「うん」
井原が頷いて、
「したらさー、今日参考書買おうと思って来たんだけど、どれ買おうか迷ってんだよね。なんかおすすめとかない? 特に井原」
どういう意味だ、と平尾が膝で東堂の足を小突く。井原の方が頭いいだろ、と東堂は笑う。
頼られて悪い気がするような男ではない。どの教科、ぜんぶ、お前それ相当やばくね、行ける大学あんのか怖くなってきてるよ、とか言葉を投げ合いながら、自分の使っている参考書含め、棚の前でガイドする。
財布がピンチだ、なんて言いながら勧められたうちの四冊を抱え込んだ東堂は、待ってて、と言ってレジへ向かう。待っていて、そのうち戻ってくる。さんきゅな、と言って、
「ついでに飯行かね?」
井原と平尾は顔を見合わせる。携帯も見る。確かに時刻はもう十三時過ぎ。人のいない時間に食いに行こうぜ、と話していたからまだ胃の中は空のまま。
人の集まるところフードコートあり。
三人はエスカレーターを下りて適当な席を取る。適当に並んで、適当に食べる。井原はハンバーガーを食べ、平尾は牛丼を食べ、東堂はハンバーガーと牛丼の両方を食べた。
もう一度、さんきゅな、と言って東堂は去って行った。これから自転車で家まで帰るらしい。このあたりなのかと聞くと、ここから三十分と言う。高校からここまでも自転車で三十分弱かかる。ショッピングセンターの外壁すら太陽の熱で溶けだしそうな日和に、流石体育会系はちげーな、と井原と平尾はふたりして感心する。
さて、
「どうすんの、これから」
平尾が聞いた。
井原は困った顔をした。
「無理あんだろ、一日いんのは」
確かにそのとおりだった。
図書館と本屋は違う。図書館なら参考書を広げて一日中勉強していられるが、本屋はそうはいかない。延々本の背表紙を眺めているだけで暇を潰せる暇人でもない限り、ビニールが被せてあるばかりの本屋で一日中来るか来ないかもわからない目当ての人物を待ち続けるのには無理があるのだ。
朝から来て、昼過ぎ。腹も膨れた。湊の来る気配はなかった。
「……映画でも見る?」
平尾は待ってました、とばかりに笑った。
大して映画に詳しくもない、どころか大して映画館に来たこともない井原は、平尾の勧める映画にとりあえず頷いて、平尾の後にくっついて列に並んで、平尾の隣の席に座って、平尾の隣の席でスクリーン上の怪獣の大暴れに大感動した。
そのあと本屋をちらっと見て、いなくて、もう一度フードコートに戻って、映画は絶対映画館で見るのがいいという平尾の持論を聞いて、本屋をちらっと見て、いなくて、平尾が楽器屋に寄って、ばか高い値段のベースを見ながらばか高えと驚き、ちらっと本屋を見て、やることもなくなって、もうすぐ五時。
帰っか、と言った。
うん、と頷いた。
外に出ても、まだまだ陽射しは燦々と輝いていて、いつごろ今日を終わりにする気でいるのか、まったく見当もつかなかった。
「なんか普通に俺ら夏休みエンジョイしちゃってるよな」
結果的に、と平尾は言う。まあ確かに、と井原は頷く。続けて平尾が、
「もうよくね?」
「何が」
「湊さん探しさ、もう十分やったっしょ。つか、これ以上探すとこねーし。別に図書館に通って課題片付けるののついでってならもう何回か付き合ってもいいけどさ、もうやれるだけのことやったろ」
アリバイ成立、という言葉に、井原も頷きかける。
でも、と思う。思って、口に出そうとして、
「まあやっちゃった罪悪感あるのはわかるけどさ、これ気持ち悪さの上塗りだかんな」
ぐうの音も出なくなる。だから、視線の動いた先に行動や意識を移して、逃れてしまう。
「あ、おい」
井原の動いた先には、ぼとり、とショッピングモールの屋根の下、影に手のひら大くらいのものが落ちている。平尾も遅れて近付いてきて、それが何だかを見て、
「うお」
と声を上げる。
鳥だった。
燕。もう飛べなくなったものまでそう呼んでいいのなら。
「ああ、ここに巣があんのか」
平尾は近くの貼り紙を見ながら言う。『燕が巣を作っています!』見守ってあげてくださいと言いたげなほのぼのとしたイラスト。
井原はじっと見ながら何も言わない。羽のねじれた、どう見たって今後生きてはいけないだろう、無残な物体。自分よりも大きな鳥に襲われたのかもしれない。どこかの壁にでもぶつかったのかもしれない。アスファルトに乾いた血の跡。
でもまだ生きている。
「おい、」
空気入れみたいに膨らんだり萎んだりしている白い腹に、井原は指で触れる。夏の気温よりも、さらに熱を持っている。
指先を羽の方に滑らせれば、少しだけ身じろぎ。羽毛の感触よりも、固まった血の角の方が皮膚に伝わってくる。
「治ってるよ」
鳥が飛ぶのを見る。
次で終わりにしようと、そう思った。