2-③
相変わらず美人だったしスタイルもよかったから、そのへんの激安店で千円もかからずに買ってきたような、文化祭で女装するお調子者くらいしか買わなそうなぺらぺらのメイド服でもめちゃくちゃに合っていた。ありがとうヴィクトリア朝、と井原は西の方を向いて祈る。これからはもっと真面目に英語も勉強しようと思います。
「いや話しかけにいけよ」
「なんか緊張しちゃって……」
白波瀬の所属しているのはふんわかだかほんわりだかよくわからないひらがなの名前のサークルだった。
何してるところなんですか、と聞いてもその答えすらふんわりしていて、ゆるいスポーツをしたりだとか、都内の美味しいお店を巡ったりだとか、留学生と異文化交流をしているんだとか、本当に一体どういうサークルなのかはさっぱりわからなかった。
ご注文お決まりですか、とやってきたウエイターは当然のように茶髪で細身で背が高い。鼻も高いし目もぱっちりしている。見造里一高にも当然顔のかっこいいやつはいるが、こういうタイプのやつはいない。たとえば去年同じクラスだったバスケ部の東堂はほとんど誰もが認めるかっこいいやつだったが、朝食う用と昼食う用で弁当を必ずふたつ持ってきてるし、牛丼屋に行くと並盛とライスを並べて食う。リレーのアンカーを走ったときは南風そのものみたいに爽やかだったけど、その後の打ち上げで行ったカラオケではあまりの音痴ぶりに人気ランキング上から三つ目の切ないラブソングが小学二年生の歌う合唱曲みたいになった。
「アイスティーふたつで」
「はいよ、ちょっと待っててね」
このウエイターにはそんなところはなさそうに見える。運動のできる割に食べる量は普通も普通、牛丼屋よりもイタリアンを好むタイプで、仮にリレーのアンカーを走ったとしてもあっと思う間もなくゴールテープを切っていそうだし、カラオケはセミプロかよと思うほど上手い。どう考えてもこれが偏見なのは自分でわかっているのだが、でもやっぱりそう見える。少なくとも大学の文化祭の喫茶店でメニューを見て、アイスティー以外の飲み物が一体何物なのかさっぱりわからないようなことは絶対にない、そういう人種だ。
嫌な予感がした。
とりあえず案内図を広げた。
「いやそんな場合じゃねーだろ」
呆れたように平尾が言うのにもっともだと頷く自分がいたが、あえてそれは無視して、
「行ってこいよお前、目当てはここだろ」
無視し切れなくて。
井原は店内を見回す。大学の教室を改造しただけの喫茶店。テーブルクロスだとかインテリアの小物だとかそういうのは確かに凝っているんじゃないかと思うが、元々の建物が古びているからだろう、そこまで煌びやかな印象はない。
いちばん煌びやかな人もいない。
「いないからいいよ」
視線を戻す。じれってえなあ、と平尾が言った。
そうだろうなと井原も思う。自分が逆の立場だったら半ギレになっていると思う。でも仕方のないことなのだとも思う。
話しかけられない理由はふたつある。
一つ目は、もともと憧れの先輩だったから。
高校にいたころだって本当のことを言うと白波瀬の方から話しかけてくれるのを待つばかりで、ろくに自分から話しかけにはいけなかった。おそらく白波瀬の目から見た井原は同級生たちの目から見る井原の五倍も六倍も大人しくて恥ずかしがりやで無口な少年のはずである。
二つ目は、理性が、
「よっ!」
「うわっ!」
吹っ飛ぶかと思った。両肩に柔らかい感触。上から軽く押さえつけてくるような力。それだけでは何もわからなかったけれど、後ろだって振り向けないから顔を確かめることだってできないけれど、声だけですぐにわかった。後ろにいるのは、自分の肩に触れているのは白波瀬先輩だ。林檎みたいなめちゃくちゃいい匂いがする。
「さっきはごめんねー」
「あ、いや。いっすけど、別に」
肩にさらに体重が乗ってくる。頭に布が掠る感触がする。話しかけられた平尾は無難な返事をするが、視線はちらちらと井原の顔に注がれている。たぶん自分は今すごい顔をしているんだろうな、と他人事のように井原は思う。
「どこ回るとか決めてる?」
「いや、これから決めるところで」
「案内しよっか」
不意を打たれた平尾が井原を見る。井原は何も答えない。
「もうすぐシフト終わるからさ。よければ」
井原が何も答えないので、平尾は気を遣ったのだろう。
「じゃあ、すみません。お願いします」
井原からしてみればともかく、平尾にとって白波瀬は知り合いですらないのだ。友達の付き添いで来た見知らぬ場所で、自分だけがまったく関りのない付添人を引き連れる覚悟はなかなかできるものではない。お茶でも飲んで待ってて、と白波瀬が立ち去った後、平尾は静かに、
「ここ、お前の奢りな」
井原も静かに頷いた。