侮蔑の視線と、不思議な偶然と。
婆やに案内されて着いた最上階の連絡通路で、俺は周りを歩く人の姿をそっと観察しながら、やっぱり別の場所で食べようかな……と考えはじめてしまう。
前世でも、グレンになってからも一定のマナーは身に着けていたが、そうしたマナーを必要とする場所よりは、気軽に足を運べるような店の方が好みだ。
だったら婆やに案内してもらう前に察しておけという話ではある。
だが、忘れていたのだから仕方ない。そう、仕方がないのだ。
「…………帰ろっかな」
足を運ぶ客が身なりのいい者だらけであろうことは分かり切っていた。勿論、その人たちが護衛や給仕を連れていることも。
また、人種も中々興味深い。
肌の色の違いに加え、いわゆる異人と呼ばれる種族の姿も見える。
異人は身体つきは人間でも、文字通り獣のような姿をした人や、爬虫類に似た姿の人もいた。
前者の場合は獣人と呼ばれることもあると聞いたことがる。
――――大陸中の国々から人が集まっているというし、人種的、また文化的にも複雑に入り組んでいるように見えた。
(それで……)
気になったのは、獣の姿をした異人だった。
(物凄い目で俺を見てる……)
この際だ。蔑称ではなく別称だと聞くし、彼らのことは獣人と呼ぼう。
……どうしてその獣人が気になったのかと言うと、彼らが俺に向けていた目がどうにも侮蔑交じりと言うか、嫌悪感を孕んでいるように見えたからだ。
無論、俺にはまったく身に覚えがない。
服装や立ち居振舞いに問題があったのかと思ったが、その様子もない。ここに問題があったら、別の人々も今のような目を俺に向けていただろう。
まぁ……別にいいや。
気にしたところでどうしようもない。直接聞くなんてとんでもないし。
――――といったところで、俺は本格的に宿の外に出ることを模索しはじめる。
獣人の視線に気分を害したわけではないけど、わざわざ進んでこの場に残る必要はない。
俺はこうして、ガラス張りの連絡通路の窓際に立つと、眼下に広がる町を見て考えた。
でも、さすがに怒られるだろうか? 俺も今回ばかりはシエスタ代表の添え物として、普段通りの行動は控えるべきかもしれない。
それなら部屋に帰ってルームサービスでも頼もうか。
さっき、婆やが別れ際にそれも可能だと言っていたことを思い出した。
そうと決まればさっさと帰ろう。短い散歩だったな。
俺が振り向いて自室に戻ろうとしたところで、不意に香ばしい匂いが俺の鼻孔をくすぐった。
あれは――――。
匂いがしたのは連絡通路の真ん中付近で、こじゃれたカフェのような店からだった。思えばここは絶好の夜景が広がるというし、夜にはここで外を見ながら酒でも嗜めばぴったりだろう。
昼と夜で顔が変わる、そんな店のように見えた。
ここから見える限りでは、店内は解放感に溢れている。しかし席と席の間は麻布のように透ける布で仕切られていて、人の目は避けられそうである。
獣人たちが俺の何を気に入らないのか分からないが、顔と身体が見えなくなるなら文句もないだろう。
俺は香ばしい匂いに誘われるように足を進め、連絡通路の真ん中に鎮座するこじゃれた店に向かった。
……途中で獣人たちとすれ違う際に分かりやすく舌打ちされたが、それに気が付かないふりをして。
◇ ◇ ◇ ◇
やっぱり、俺を気に入らないのは獣人だけだった。
店員は勿論のこと、他の客とすれ違うときには何もなかったし、遠巻きに噂する姿もなかった。
俺に問題があれば帰ろうと思ってたけど、大丈夫らしい。
「ふぅ……」
ようやく息を吐ける。
通された席に座った俺は折りたたまれたメニューを開くと、腹を満たすために目を通した。
獣人たちのことはすぐに忘れ、周囲から漂ういい香りに意識が向いていた。
それにしてもこの店はいい。色々、丁度良い。
格式が高すぎるわけでもなく、周りがうるさいこともない。
ちょっと値段が高いカフェというと、しっくり来た。
店の奥では音楽が奏でられているようで、穏やかなBGMもまた丁度良かった。
「失礼いたします。お客様」
そう言って、足を運んだ男性のサービス係がテーブルの横に膝を付く。
彼は俺に注文はどうするか、と尋ねてきた。
「えっと――――この、パルトっていうのは?」
「そちらは東方で作られた麦を挽き、粉末にして練ったものをお湯で煮た食べ物で、お好みのソースと敢えていただくお料理になります」
なるほど……パスタだコレ。
それならイメージしやすい。海産系のソースが良い。
厳密にはパスタと別物だろうが、俺はパスタのような料理であるとして、前世の好みを思い浮かべた。
見つけたのは、俺が良く知る町の名前が書かれたソースだ。
「それならパルトを」
「畏まりました。ソースはどうなさいますか?」
今まさに俺が住んでいる町の名を冠するソースは、使われる素材の欄を見るに明らかな海鮮系。
俺は間違いの無いようメニューに指を差して口を開く。
「では、フォリナーの恵みでお願いします」
『では、フォリナーの恵みをお願いしますわ』
俺は嬉々としてその名を口にしたのだが……後ろの席から、俺が口にしたのと同じ名前が聞こえてきた。
その声は店の奥から届く音楽よりも澄んでいて、もう一度聞きたくなる、言葉に出来ない魅力があった。
(絶対に後ろの人も分かってる)
俺だけじゃない。後ろの席の女性もしんと黙ってしまった。
お互いに同じ注文をしたことに驚いているのが分かった。
さっき俺の注文を聞いたサービス係も一瞬、きょんとして、小さく苦笑していたほどだ。
「――――お客様」
彼はこほん、と咳払いをして改めた。
「パルトの硬さはいかがなさいますか?」
彼はつづけて言ったけど、メニューに硬さの欄があるわけではない。こればかりは好みならしく、客の注文に合わせる仕組みである――――という旨がメニューに添えられていた。
「芯に髪の毛を一本残すぐらいでお願いします」
『私、芯に髪の毛を一本残したくらいの硬さが好きなの。ご対応いただけるかしら』
……ほう。
最後まで被るとは思いもしなかった。
俺がふっ、と小さく笑ってみると、後ろの女性も吐息交じりに小さく笑い声を漏らしていた。
サービス係の男性も今度は苦笑ではなく、朗笑を浮かべていた。
「承知致しました。こちらのお料理には暖かいお茶が付きますが、いつお持ち致しましょう」
夏真っただ中だし要らない人もいるだろうが、俺は食事の前に暖かいお茶を飲みたい派だ。
「食事の前で大丈夫ですよ」
『私も食前で。あちらの彼の分と一緒に持ってきてくださる?』
後ろの席の女性はもう笑い交じりに、楽しそうな声で口にした。
――――食べ物の好みが完ぺきに同じとは驚いた。
見知らぬ人と、しかも、薄布越しに今のようなやり取りを交わすことになるとは思わなかった。
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