到着した日の夜に。
懐かしい光景が視界いっぱいに広がったのは、日が傾きだした頃だった。
草原を進み、森を抜け、丘陵を越えたところでたどり着いた、懐かしき故郷ハミルトン。帝都やフォリナーの町並みと比べると人の少なさは目に付くが、活気だつ人々の営みは、大都市と違った人情を感じさせる。
町のいたるところに灯された松明。
唯一の大通り沿いに並んだ露店がいくつか、店じまいをはじめていた。
『グレン』
馬車の外から聞こえた父上の声へと、俺はすぐに窓を開けて返事を返す。
「到着しましたね」
「ああ、やっとだ。馬車はこのまま屋敷へ向かうが、私は途中で別行動となる。代官の家へ寄らねばならんからな」
と、父上は窓の外で馬上から俺に言った。
いつの間に馬車から乗り換えていたのかという疑問は口にしない。ひと先ず、それよりも気になることがあった。
「俺たちの屋敷に住んでたわけじゃないんですね」
「私もそのつもりだったのだが、固辞されてな。町外れに新築の家を贈ってある」
代官は年老いた騎士と聞くし、むしろそのほうが気を遣わなくてよかったのかもしれない。
「分かりました。俺たちはそのまま屋敷で休んでますね」
「そうしてくれるか。――――隣で急な会話となってしまいましたが、第三皇女殿下。アリス嬢」
「はいはい! 私たちのことは気にしないでください!」
「ええ。ハミルトン子爵が居るというのに、私たちに狼藉を働く者が居るとも思えないわ」
それに、城から連れて来られた騎士や魔法使いも居る。
皆、ミスティと近しく実力のある者ばかりだと聞いている。
「すぐ傍にグレンだって居るものね」
「――――光栄です。グレンにはお二人の傍にいるよう厳命しておりますので、何かありましたら、何なりとお申し付けください」
すると、父上は去り際に俺の耳元で。
「一年前のグレンに今の状況を聞かせたら、なんと返事をするであろうな」
「口にした父上を指さして笑ってたと思います」
「私もそう思う。では、くれぐれも二人のお傍を離れぬように」
そう言って父上が先頭へ戻って行った。
窓の外からは徐々に歓迎の声が届きだす。俺たちが帰ったことに気が付いた民が近づいて来るのも分かったが、同時に身なりのよい騎士を見てどよめいた。
さすがにこれほどの田舎でも分かって当然。
皇家の紋章が刻まれた甲冑に身を包んだ騎士たちと、その後ろを進む同じ紋章が刻まれた馬車を見れば、誰かしら皇族が乗っていることはすぐに察しが付く。
聞けば、ハミルトンのような田舎の方が皇族に対する畏敬の念が高く、地域によっては神のように敬う者たちもいるそうだ。
――――つまるところ、さして厳重な警備は必要なくて。
父上と俺が相手ならすぐ傍まで駆け寄って来ていた民たちは、一定の距離を空けて土の地面に領膝を付いて頭を下げていた。
(すげぇ)
皆例外なく、軍隊のように。
いや、少しは居た。
と言っても幼い子供たちぐらいなもので、残る全員は俺たちが乗る馬車が通り過ぎるまで頭を下げつづける。
ミスティの顔を見ると、気が引けているようだった。
「歓迎してくれるのは嬉しいんだからね?」
そう、ただ仰々しすぎるだけなのだ。
屋敷に着いてからは色々と懐かしむ暇がなかった。
見たことのない豪奢な馬車が並ぶ光景がどうにもしっくりこなくて、郷愁の中に筆舌にし難い感情が生じていた。
でも、悪い感情じゃない。
ただ単に、このド田舎の屋敷とミスマッチしている馬車の存在感がすごすぎただけ。
取りあえず、到着して馬車を下りると婆やが二人を案内した。
楽しそうにしていた二人を見て、ほっとしたのを覚えている。
俺はといえば二人に「荷物を下ろしていく」と伝えて別行動に。
「いいんですか?」
と、ミスティと共にやってきた女性の騎士に声を掛けると。
「はい? 何かございましたか?」
「いえ、第三皇女殿下の護衛なんかは――――」
「ご心配なく。この周囲は確認済みですし、いざとなればグレン様もいらっしゃいます。近くにはハミルトン子爵もおりますので、問題ありません」
そういうことじゃないんだが…………。
少なくとも、婆やの案内は問題ないらしい。
俺としてはミスティにはもっと厳重な警備の下、案内がされると思っていたのだが、若干、拍子抜けである。
「今更か」
「今更か…………とは?」
「すみません。独り言です」
「そうでしたか。――――では、グレン殿。我らはこれで」
「あ、あの! どこに行くんですか!?」
「我らは必要な人員を残し、町の宿に宿泊いたします」
またあっさりとそんなことを。
唖然とした俺へ女性の騎士は頭を下げ、きびきびとした動きで去って行ってしまう。残されたのは四人の騎士だけ。魔法使いに至っては全員が共に去って行ってしまった。
「グレン様。お荷物はどちらに運べばよろしいでしょうか」
他に残っていた者と言えば、こうして声を掛けてきた給仕たちのみ。
「ひとまずリビングに運ぼうと思います」
と、俺は強引に納得して給仕に答えた。
よく考えてみたら、ミスティは一人で帝都からフォリナーまで来ていた皇女だ。辺境とは言え、そう厳重な警備は必要ないのかもしれない。
しかも、三属性使いとなれば殊更なのだろう。
◇ ◇ ◇ ◇
父上は夕食時になって帰ってきた。
さすがに調理に関しては厳しい管理をするためにも、ミスティに連れてこられた給仕たちが担当するのかと思いきや、普通に婆やと協力していたからそういうものらしい。もう考えないことにした。
懐かしの書庫で夜風を浴びながら星空を見上げ、一人頷く。
「思いっきり緩いなあ…………」
遠出だし、いつもと違うのかと思っていたらこの状況。うん。やっぱり考えなくていいのかもしれない。
しかしハミルトンは涼しい。港町だからとフォリナーでも涼しさを感じていたが、この町も負けていなかった。
というか恐らく、自然に囲まれているからだろう。
見渡せば町外れにはすぐに森が広がっているし、すぐ先では俺が四ツ腕を倒した場所に行くことだって出来る。
だが、決してド田舎と言ってはいけない。
自然豊かな地方なだけなのだ。
俺は書庫の窓から町並みを見ながら、頬を緩めて想う。
ここはやっぱり、いい感じの田舎である、と。
貶す意図は微塵もない。居心地の良さを表現したかっただけ。
生まれて間もなく願ったスローライフを過ごすには絶好の町だった。父上と婆やと共に静かに暮らして、偶に農民の仕事を手伝って悠々自適な暮らし。それが許されるのがここ、辺境都市ハミルトンである。
ほんの一年少し前まで願っていた生活があっという間に変わってしまったことに対し、俺はここに来て自嘲した。
「すべては――――」
あの男のせい。
そう、ラドラムのせいだ。
縁が出来てしまったことが運の尽きなのだろうけど、かと言って、今の生活を捨てて静かな暮らしを得たいかと思うと――――。
「…………」
不満だった。
想像するだけでもしっくりこないのはどうしてだろう。
違いと言えば、ラドラムとの縁がなければアリスはおろか、ミスティとだって知り合うことはなかったということか。
…………なんとなく、もやっとする。
どうやら自分で思っている以上に今の生活を気に入っているらしい。自覚がなかったわけではないが、こうして故郷に帰り、フォリナーでの生活を考えて強く理解してしまった。
「二人とも、なにしてんだろ」
なんとなく話したいと思って椅子から立つ。
確か二人の部屋は一階の客間だ。並び合った客間が用意されていたはず。
書庫を出た俺はすぐにその部屋を目出して歩きはじめるも、途中でふっと考える。
いや、さすがに入らせてはくれなかろう。
だって皇女とその幼馴染の居る部屋だ。
夕食後に二人は湯を浴びたと聞いているし、猶更、併せてくれるわけがない。ここがフォリナーの屋敷ならさることながら、給仕や騎士がいるのに通してくれるはずがないだろ。
自分の浅慮に笑いつつ、食堂で飲み物でも貰おうと思って足は動かす。
途中、客間へつづく廊下の前を横切ったところで。
「ごきげんよう、グレン様」
ついさっき話した女性騎士が俺に声を掛けてきた。
「あれ。宿に行かれたのでは?」
「言葉足らずで申し訳ありません。交代で参ったところです」
「ああ、道理で」
「グレン様はまだお休みになられないのですか?」
「俺は食堂で飲み物でも貰ってこようかと。そのまま書庫に戻って涼むつもりですが」
「でしたら、姫様とお話になられては? アリスティーゼ様もいらっしゃると聞いておりますよ」
「――――はい?」
この返事はどうしたものかと迷いつつ、目の前の女性の意思を探ろうとするものだった。だが彼女と言えば、俺の声に小首を傾げてしまっている。
この際、アリスはいいとしよう。
なんだかんだとハミルトン家に奉公に来ているような身だし、いくらミスティと幼馴染だからと言って、一介の騎士に口を出す権利はない。
しかしだ。
同じ部屋にミスティが居ると言ったじゃないか。
「失礼。寝る前に訪ねるのは無礼かと思って、つい」
「これは失礼いたしました。私も配慮が欠けていたようで――――」
そうだろう。俺の価値観が間違いなくて助かった。
「入る際には扉の前に居る給仕にお尋ねくださいませ。恐らく問題ないとは思いますが、これでお部屋の中に居る二人にも伺いを立てられますので」
「――――なるほど」
勘違いしていたようだ。
俺の価値観は依然としてこの場においては正しくないと知らされてしまった。何かおかしい気がするから、ついでに尋ねてみることに決める。
「第三皇女殿下には何人かご兄弟がいらっしゃると聞いていますが」
「はい。帝都にはおりませんが、兄君や姉君もいらっしゃいます。皆さま、陛下のお言葉に従いシエスタを導いてくださっておいでですよ」
「その皇族の皆さまに騎士や魔法使いが付いていらっしゃるんですよね?」
「仰る通りです。城勤めの者たちは基本的に、仕える主となる皇族のお方が決まったら、特別な事情がない限りは配置換えもございません。私も、姫様が幼き頃よりお傍で見守って参りました」
なるほど。忠心を養えそうでよい仕組みだと思う。
ではそれを前提の下で尋ねよう。
「俺が第三皇女殿下の姉君のお部屋に行こうとしたら、どうなるのでしょうか」
「間違いなく門前払いになるかと存じます。ご自室に殿方が参るのはあまり常識的ではございません」
「…………でしょうね」
「当然、家格が上の貴族が相手の場合も同じことでございます」
子爵家の者である俺からしたら、アリスも同じということだ。
「しかしながら、お付きの者たちの判断もございます。とはいえ、基本的には門前払いとなることをご理解くださいませ」
「大丈夫です。それを試みることはないと思いますので」
「ご理解いただけて幸いです。――――それで、いかがなさいますか? お二方とお話されるのは」
「うーん。なんかこう、噛み合ってるようで噛み合ってない気がしますね」
「も、申し訳ありません…………私に出来ることでしたらすぐにお答えするのですが…………」
「いえ、気にしないでください」
こういうもんだと思うしかないらしいから。
「お飲み物でしたら、給仕に用意させますので」
「分かりました。入ってもいいか給仕の方に聞いてきます」
話をしたかったのは事実なのだ。
この際、遠慮なく進ませてもらおう。
どうせ給仕には門前払い――――もしくは、朝にしてくれとやんわり断られるのが落ちだろうけど、聞くだけなら構わないはずだ。
「これはグレン様。ごきげんよう」
先ほどの女性騎士のように声を掛けられた俺は、扉から距離を取りながら。
「二人に会いに来たんですが」
分かり切った答えを求めた。
しかし不思議なことに、その分かり切った答えがどちらか自分でもはっきりしていない。どちらであっても、それが予想していたものだと考えられるはずだ。
「さすがに夜遅いですし――――」「問題ありませんよ。ただ、さすがにお着換えの最中ですと問題ですので、少々ここでお待ちくださいね」「――――あ、りょーかいです」
さすがに問題ありませんとすぐに返ってくるのは予想してなかった。
『ど、どどどどうすればいいの…………!? 肩がこんなに出ちゃって――――あーもうっ! 上着も持ってくればよかったっ!』
『大丈夫ですよミスティっ! 私みたいにストールで肩を隠しちゃえばいいんですっ! ね、簡単で――――ふぇぁあああっ!? 動いたらほどけちゃいましたっ!?』
『もうっ! そうしたら見えちゃうじゃないっ!』
『おっかしいですねー…………ほどけないはずだったんですが…………ま、まぁいいです。別のこのぐらい肩が見えたって、見られるのがグレン君なら――――』
『お二人とも、外に声が聞こえてしまいますよ』
賑やかな声につづき、先ほどの給仕の冷静な声。
ああ、聞こえていましたよ。
聞こえないふりをしようかとも思ったが、いきなり聞こえてきてしまったのだから、あれぐらいは許してほしい。
もう聞こえないように耳をふさいでいるから。
――――とんとん。
ふと、肩を叩かれた。
「大変申し訳ありません。もう少しだけお待ちいただけますか?」
それはもう気が引けた様子で言われたが、こっちこそ申し訳ない。急に来たのは俺なんだから、明日の朝にでも改めよう。
「出直してきます」
「いえ、大丈夫ですよ」
…………そんな俺の後ろに回り込みながら言わなくても。
「でも、声が――――」
「どうかご容赦くださいませ。姫様にはかねてより、だらしないお姿はやめるよう申し伝えて来たのですが。アリスティーゼ様とご一緒の際には、どうにも気が抜けてしまうらしく」
「急に来たのは俺ですし」
「グレン様でしたらお二人とも問題ないので、ご安心を。私はお飲み物を用意して参りますので、こちらでお待ちいただけますか? お二人が大丈夫と仰ったら、そのまま中でお待ちいただいて構いませんので」
「…………あの」
「冷たい飲み物でよろしいでしょうか」
「それは――――はい。夏ですし――――」
「畏まりました。ではお部屋の中にお持ちいたしますね」
去り行く給仕の背に手を伸ばし、力なく項垂れること十数秒。
本当に入っていいのかと迷っていると、客間の扉が静かに開かれて。
「グレン君。グレン君」
アリスが手招き。
ネグリジェと言うほどの服装ではないが、明らかに部屋の中で着るような薄着姿で、肩を薄い絹で作られたストールで覆っていた。
隙間から漂う風はアリスの髪を攫い、脳が溶けてしまいそうな甘さを漂わせた。
「ミスティが隠し持っていたケーキが多すぎるんで、ちょっと一緒に説教してくれませんか?」
どうやら先ほどの甘い香りはそのケーキが発していたらしい。
はぁ、と深く深くため息を吐いた俺は緊張やこれまで考えていたことを忘れ、アリスに誘われるまま扉に近づく。
入り際、やっぱりその甘い香りはアリスからだったと知り、胸が僅かに早鐘を打ったのだった。
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