色々と緩いけどそういうものらしい。
俺たちがフォリナーを離れる前日。
今日も今日とて無駄に二度寝宣言をしたアリスだったが、俺は定期的な仕事のためにシエスタ魔法学園にやってきていた。
昼食を終え、午後の仕事が一段落したところで、椅子を立ちあがってうんと背を伸ばす。茜色の空が広がる窓ガラスの前に立っていると、外から聞こえてきた声に気が付く。
「おーいっ!」
「…………」
「ほう! この私を相手に目を反らすとは大物じゃないか! どれ、今から君の屋敷に行ってアルバート君を交えて説教でも――――」
俺は勢いよく窓を開けた。
「なんですかッ!?」
「最初からそうしたまえ! まったく…………アルウィンもそう思うね?」
「いえ、私は特に」
「やれやれ、どうして私の周りの者たちはこうも冷たいんだい」
アルウィンという名を聞くのは珍しい。彼女は俺を呼んだジルさんの補佐を務める女性の名前だが、あまり耳にする機会はなかった。
「まぁいいや。下りて来たまえ」
どうせ断ったら変なことをされる。屋敷に来て説教と言うのが現実味を帯びてしまうだろう。
そんなことは避けたい。父上に迷惑をかけるからとかじゃない。単に、ジルさんが屋敷に来て賑やかそうとする姿が想像できるからだ。
「はぁ…………」
急に何かと警戒しつつ荷物をまとめ、部屋を出る。
夏休み中の学園内を歩く生徒は極僅だ。夕方となれば特にそうで、次週に来ていた生徒か、学内活動に励む生徒とすれ違うことがあるぐらい。
早朝から補習もあるらしいけど、アリスとミスティは参加していないそうだ。
自由参加&成績優秀者とあって必要ないらしい。
「これはハミルトン殿。本日もお疲れさまでした」
「ええ、それでは」
見慣れた教員と言葉を交わし、あっという間に昇降口へ。
外に出る前に呼吸を整える。
いかなる不意打ちにも対応できるよう、若干身構えることも忘れずに。
「急にどうしたんですか」
校門までつづく豪奢な庭園のど真ん中に立ち、腕を組む緑髪の佳人が口を開く。
「帰ろうじゃないか」
「――――あ、はい」
え、それだけ?
そんなことのために大声で呼んだのか?
「グレン殿。どうかお許しください。学園長は私に日ごろの振る舞いを叱責されているところにグレン殿の姿をお見かけして、話をそらそうとしてお呼び立てしてしまったんです」
「ふっ――――」
「いやなんで得意げなのか分からないですし。途中までご一緒させていただくのは構いませんが、叱責されていたのなら道中でつづきをしてもらってくださいね」
「ありがとうございます。助かりました」
「不思議だなぁ…………私の予定と違うじゃないか…………」
ぶつぶつ不平を垂れるジルさんが前を歩く。
俺と補佐を務めるアルウィンさんは互いの顔を見て苦笑してから後を追い、校門をくぐって帰宅の途へ。
この辺りは少し高い地形で、港の方角が一望できる。
赤めの橙色の光を反射する海が眩しかったけど、趣があって個人的には結構好みだ。
「アルバート君はあの剣について何か言っていたかい?」
「いい物を貰ったな、と。護身用だから危ないことはするなとも言ってました」
「ふふっ、よくそんなことを言えたもんだな。彼の方が随分と危ないことをしてきたくせにね」
「え?」
「学園長。おやめになった方が」
「別に構わないだろう? 調べればいくらでも分かる話だし。剣鬼アルバートと言えば、ガルディア戦争当時、誰よりも苛烈に戦ったと恐れられた騎士だからね」
「――――本当に怒られても知りませんからね」
「平気だとも! 私とアルバート君は戦友なんだし、このぐらいで怒ったりはしないはずだ!」
また初耳なことを言う。
歩きながら、俺は二人の顔色を伺いながら。
「ジルさんもガルディア戦争に参戦してたんですか」
「うむ。アルバート君とは何度も背を預け合ってたたかったものさ。クリストフもちらほら傍にいたが、あれの魔法は対軍にもってこいとあって、あまり同行はしなかったよ」
「…………ああ、確かに」
「おや、クリストフの魔法を見たことがあるのかね?」
「アンガルダに行った際に、何度か」
まさに化け物だった。広範囲どころか、都市そのものを容易に滅ぼせる一個人であることは今でも思い出せる。
そのクリストフに魔法を教わっているのだから、恵まれている自覚はあるのだが。
「君のお父君はそのクリストフより強くてね。それはもう畏れられていたわけだよ。隣国で言うとケイオス王国の時堕ですら――――そういえばここ最近、時堕の姿が見えないらしいじゃないか!」
「学園長。どちらからそれを?」
「とある筋からさ。ちなみに若者はどうしてか知らないかい?」
「なんで俺に聞くんです」
「アンガルダに足を運んだじゃないか。結局、時堕とは会えたのかね?」
俺の顔を見ず、楽しそうにジルさんが言う。
しかしプレッシャーがあった。
目に見えない圧力が俺の影を掴んでいるようだった。
「いえ、分かりません」
「――――ふむ。残念だ」
すぐ傍で仕方なそうに。
額に手を当てたアルウィンさん。
「そろそろ、お説教のつづきでもしましょうか」
話が流れたと思い込んでいたジルさんは驚愕した。さっきまでの緊張感は瞬く間に消えてしまい、逃走の足取りを。
しかし数歩駆けたところで回り込まれ――――。
結局、首根っこをぐわしと握り締められていた。
「逃がしませんよ」
「いやだな! 転びそうになっただけなのだがね!」
「安心しました。町外れのお屋敷までまだありますから、十分お話しできますね」
このタイミングでジルさんの住まいを知ることになるとは………。
帝都から来てると勝手に思っていたが、意外にも近くに住んでいたらしい。
それにしても。
(明日か)
水平線の彼方が薄暗くなってきた。
やがて、この町にも夜の帳が降ろされるだろう。
「遠足前の気分かもしれない」
「む、何か言っ――――」「学園長!」「――――聞いてる。聞いてるとも」
隣で繰り広げられる叱責――――もとい説教の声を聞きながら。
俺は明日のことに思いを馳せ、そういえば……………と。
(考えてみたら、パーティに参加することになってからか)
それから一度もハミルトンに帰っていないことに気が付いた。
あれは帰る途中のことだったが、ラドラムが派遣した爺やさんに止められ、俺だけ先にこの町に来たからである。
我ながら慌ただしい引っ越しだったと思う。
今回の里帰りはアリスとミスティの二人もいるし、賑やかになりそうだ。
◇ ◇ ◇ ◇
これほどの田舎を進んだ経験があるのかと聞いてみたところ、答えは「何度もあるわ」とのことだ。
あぜ道に似た農地の合間を進む中、民家を探しても数える程度の辺境の光景を、ミスティは頬杖をついて楽しそうに眺めていた。
「私は討伐の仕事で都を離れることが多かったから。でもそうね、アリスは今回がはじめてって言ってたわよ」
「そこにいるアリスが?」
「ええ。私の膝の上で寝てるアリスが」
決して間抜けな寝顔を晒しているわけではないとフォローを添える。
馬車に揺られるうちに寝てしまったアリスは、数十分ほど前からミスティの膝の上で寝息を立てていた。
「昨晩は宿に泊まれたから、心配しないで平気だと思うわ」
「何か言ってた?」
「有り余る元気をどうすればいいか分からない、って」
「俺より楽しみにしてたようで何より」
「ふふっ――――おかげで寝不足だったみたい」
それ故、ハミルトンが近づいてきた今も目を覚まさないわけだ。
さすがにもう少し進んだら町はある。何だかんだと、辺境”都市”なわけで、ここよりは人が多いから二人には安心していただきたい。
「この前も言ったけど、ありがとう」
「ん、なにが?」
「私たちのパートナーを引き受けてくれて。夜会に一人で参加する人もいるのだけれど、あまり外聞が良くないから」
「構わないよ。俺も七国会談がどんな舞台なのか気になってるし」
「…………それだけ?」
ふと、彼女が馬車の窓から顔を反らし。
ちょっと唇を尖らせて俺を見た。
不満げなそれと違って目元は若干儚げだ。
「私は一緒に夜会に出られることも楽しみだったのに」
「――――そのことか」
「もうっ! そのことか、ってなによっ!」
わざわざ言うのも気恥ずかしいから言ってなかったけど、俺だってちゃんと楽しみにしている。この言葉を、今度は俺が窓の外に広がる風景を眺めながら口にすると。
「…………良かった」
と。
ミスティは安心しきった吐息を漏らしていた。
視界の端に見える彼女の顔は緩んでいた。頬に浮かんだ喜色は隠しきれていないし、細めた目の端が下がっている。
気を抜くと、膝の上で寝るアリスを強く抱きしめてしまいそうだ。
「でだ」
そのアリスの呼吸を見て。
「寝たふりをしている駄猫はどうしたもんかな」
「ッ――――!?」
「寝たふりって…………も、もしかして、アリスっ!?」
「起きてると思うよ。寝たふりって聞いて顔がピクって動いたし」
大方、起きるタイミングを失ったからだろうが。
先ほどのやり取りを聞かれていたと知って、氷の美姫の顔が上気していく。僅かに潤んだ瞳で膝の上を見下ろして、猶も起きようとしないアリスに指先を伸ばした。
つんっ、と突いたかと思いきや、彼女は勢いよく白い頬を詰まんだのだ。
「ひ、ひふぁいでふよっ!?」
「もうっ! 本当に起きてるじゃないっ!」
「ふぉふぁいですっ! これはふぉふぁ――――こほん! これは誤解です! 話しかける頃合いを見計らってただけですってばっ!」
「本当に? 私の目を見て言える?」
「本当ですって! そこまでいうのなら、私がグレン君の部屋からパクってきたタオルケットを賭けてもいいですよ!?」
「一枚消えたと思ったら道理で…………」
「はぁ…………いずれにせよ、借りた物は返しなさい」
借りたんじゃない。パクったんだ。
絶対に返すつもりなんてないぞ。
「おお! 綺麗な場所ですね! こういう場所ははじめてですっ!」
「ちょっとっ! 誤魔化さないのっ!」
「怒らないでくださいよぉー…………! 三人で居られるのが楽しすぎて、気が緩んだだけなんですってばぁっ!」
そう言われるとミスティも弱いらしい。しかも、アリスが今の言葉を本心から言っているのは俺たちにもわかるし、ここで怒るのも気が引ける。ずるい。
「だいたい考えてみてもくださいよ。アリスちゃんもミスティと同じ質問をしたと思いませんか? 仮にグレン君が七国会談のことだけを言及していたら、私たちとパーティに出るのは楽しみなじゃないんですかぁっ!? って詰め寄りますよ?」
妙に早口で言われるが納得だ。
それはもう、ウザいテンションで尋ねられるに違いない。そして俺はと言えば、返事を間違えた事実を知らされるわけだけど、理解して素直な感情を吐露したところで、アリスは追及を止めず絡んでくるに違いない。
言葉でも、そして実際に身体を使って首とかにも。
「ということはつまりですよ! 私を怒るのはお門違いということになるわけです!」
「…………確かにそうなのかも」
いいや、それとこれとは話が違う。
狸寝入りしていたことはまったくの無関係だ。流されそうになっているミスティを見てほくそ笑むアリスがそれはもうウザい。
にゅふふー、と笑った声がまた、人間離れした美貌と相まって妙にウザい。
「――――いいえ。考えてみたら関係ないじゃない」
「くっ…………気が付きましたか」
「いっつもそうなんだから! 私のことをそうやって言いくるめようとするのは昔から変わらないのね!」
「言いくるめられる方が悪――――あ、待ってください。それは危険です。いくら真夏で暖かいとはいえ……………ミスティ? お手てから冷たい空気が出てま――――ひゃぁんっ!? 冷たいですってばぁっ!?」
まぁ、偶にはこういうのもいいんじゃないだろうか。
手元に冷気を纏わせたミスティに頬を挟まれ、くすぐったそうに身をよじるアリスを見ていると、不思議と制止する気にはなれない。
というか、これはこれで楽しんでいるように見える。二人とも笑っているし。
「ふわぁ」
こうしていると、今度は俺が眠くなってきた。
目の前でじゃれつく二人を見ていると、俺だって気が抜けてくる。
気が付くと瞼が重くて、あっという間にうとうとして――――。
――――それから。
どれぐらい経ったかは不明だけど、目が覚めた時には二人とも静かになっていた。
てか、姿が見えない。
馬車はまだ動いているのに、どこに行ったんだ。
「あれ…………」
さすがに馬車から落ちたわけはないだろう。離れているが、他の馬に乗っている騎士たちもいるし、落ちていたら保護されているはず。
だったらどこに。立ち上がって窓から身を乗り出してみようと思ったら。
「すぅ…………すぅ…………」
「んぅ…………グレン……………」
寝起きで色々と鈍かったせいか、二人の寝息に気が付けなかった。
規則正しく寝息を立てるアリスと、寝言で俺の名を呼んだミスティ。二人は左右で俺の肩に顔を乗せていて、目を覚ます気配が少しもない。
いったいあの後、何があったって言うんだ。
「ふむ」
動けん。ついでに誰かに見られたらよろしくない気がする。
打開策を模索していると、馬車が停まった。
『失礼致します』
外からミスティが連れてきた城の給仕の声がした。
返事をせずとも彼女は扉を開けてしまう。開けてはならない状況がこの馬車の中であるはずはなく、逆にそれを確かめるべくという立場でもあるからだ。
ああ、終わってしまう。
この光景を見られてしまうと悟り、放心してしまいそうなのに必死で耐えた。
なんて怒られるのか不安そうにしていると、給仕は俺たちを見て微笑んだ。
「これは申し訳ありません。姫様がグレン様の肩をお借りしてしまったようで」
「――――怒らないんですか?」
「私たちは姫様がお幸せそうにしているのなら、それで十分でございますよ」
そういうもんかと呆気に取られていたら、給仕はあっさり引き下がる。休憩か何かで馬車が停止したから、ただ様子を見に来ただけ。本当にそれだけのようだ。
「では私はこれで」
「あ、はい…………分かりました」
給仕が去っていた後で気が付いた。この状況をなんとかしてもらえばよかったじゃないかと。
しかしながら、寝ている二人を起こすのは忍びない。となれば結局、このままか。
「よし」
寝よ。
大概のことは現実逃避をしとけば何とかなる。
意外にも俺は寝つきが早かった。
二人に挟まれてどぎまぎしていた自分には気が付いていたが、同時に安心感もあって、自分でも驚くほど早く寝付いたのだ。
――――十数分後。
休憩だというのに降りてこない三人を不思議に思ったアルバートが、婆やに行って様子を確認してもらっていた。
馬車の外で待っていたアルバートは、片足で何度も地面を叩いて忙しない。
「三人とも寝ていました」
「起こした方が良いのではないか? お二人とも立場のあるお方だぞ」
「構わないかと。男性と同じ馬車に乗っている時点で今さらですし」
「…………しかしだ」
「あ、失礼致します。第三皇女殿下がお休みなさっていることはご存じですか?」
婆やが通りすがりの給仕に尋ねると、給仕はすぐに頭を下げる。
「ハミルトン家のご令息にご迷惑をおかけして申し訳ありません。問題でしたら私が起こして参りますので、何なりとお申し付けください」
「む? 待て! 問題となるのはどちらかというとこちらであろう?」
「いいえ。肩をお借りしているのは姫様ですので。我々はグレン様に問題があるとは思っておりません。ただ、姫様も最近は公務つづきでお忙しかったお方です。もしよければ、あのままお休みさせていただけたら幸甚に存じます」
「む? いや待ってくれ。肩を借りてと言ったか…………?」
「ですがアルバート様。給仕殿がこう仰っているのですから、我らが気にすることではございませんよ」
「――――そういうものか?」
嫁入り前の令嬢と姫なのに、と。
気にしすぎなのは自分なのかと思って小首を傾げ、腕を組んだアルバートが空を見上げていた。
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