歯車に囲まれて。
――――でも。
何故か、その光が不意に消えた。
「予定変更です。あと数分待ちましょう」
出鼻をくじかれた気分になった俺は担がれたまま小首を傾げた。
「どうかしたんですか急に」
「昨晩のうちに確かめたように、五分もすれば時間は遡り終えます。わざわざ遡りつつある最中に移動するまでもありません。何かあってからでは遅いですからね」
「あ、ああ……なるほど」
極彩色に染まった霧の壁は徐々に色を変え、灰色に。
いつしか白く染まっていった。
逆再生したような動きを見せる人々の動きも、不意に凍り付いたように止まってしまう。
でも――――それが。
時計の針が0時ちょうどを差した頃、打って変わって息を吹き返す。
「そろそろですか」
「ええ。準備はよろしいですか?」
「大丈夫です。何があっても離れないようにしがみ付いてますから、振り下ろそうとはしないでくださいね」
「まったく……何を仰るのかと思えば」
笑ったクリストフの髪がふわっと舞い上がる。
身体に雷光を纏い、同化していった。
背負われた俺も一緒にその光に包まれた。
「グレン少年が怪我をしたら、憤怒に駆られたアルバート殿と私の戦いで帝都が崩壊してしまいます」
「そんな馬鹿なことは――――」
「あります。グレン少年は剣鬼の強さを見たことがないから出鱈目と感じるでしょうが、アルバート殿はそれができる一個人です」
やり取りはこの辺にして、クリストフが杖の石突きをトンッと叩いた。
「参りましょう」
『雷の速さ』と『光速』は別物だ。
そんなのは重々承知だが、俺は光のような速さで宙を駆けていた――――と感じていた。
嵐の日に見れる稲妻を思わせる輝きで、僅か一瞬、ひと息すら遅く感じる刹那のひと時。見上げていたはずの大時計台は最初からあったかのように、瞬く間に俺の目の前に現れる。
気が付くと、文字盤にある針の上。
すっと立ち止ったクリストフは夜風を浴び、さも当然のように。
「着きましたよ」
とだけ言い、針の上に俺を下ろしたのである。
雷光は収まり、不思議な浮遊感も消えていく。
(嘘だろ……?)
まさか、本当に一瞬だとは。
まるで雷光そのものになれたような速さだった。あんな速度で移動できる魔法使いなんて、恐ろしさの塊でしかない。
――――雷帝。
稀有な才能の持ち主である三属性使い、それに該当するミスティが絶対に手を出すなと言った存在がこの男、雷帝・クリストフだ。
今のはただの移動手段、と考えてみよう。
だとすれば、戦いに用いる魔法はどれほどの脅威なのだろうか。
それこそ、あのバルバトスでは太刀打ちも出来ない実力者なのは想像できるが。
「グレン少年。何を呆けているのです」
「失礼しました。すごい移動だったと思って」
「お楽しみいただけたようで何よりですが、短針の上とは言えいずれ動きます。早いうちにあちらへ」
「…………分かりました」
文字盤の片隅に設けられていた扉を指さしたクリストフの後について、町中に比べて強い夜風に身体を煽られながら歩く。
いくら巨大と言っても、所詮は文字盤の針の上だ。
それなりの厚さはあったものの、常日頃から歩く場所として設計されている場所ではない。
……それはもう緊張感あふれる道だということなのだ。
(すごいな)
見下ろす町は夜になっても蒸気が漂い、灯りが僅かに蒸気を照らす。
やや武骨な夜景は洗練された都会の景色と言うと語弊があるが、この絶景と、前世では考えられない規模の大きさは壮観だった。
「幾度となく申し上げて来ましたが、絶対に私のそばを離れないように。いいですね?」
「分かっていますが、この中に時堕じゃない……たとえば、作業員とかが居たらどうするんです?」
「とりあえず気絶させますので、お気になさらず」
「…………はーい」
もう、別に俺が気にするようなことでもなさそうだ。
逆に俺が動かない方が都合が良さそうですらある。
――――扉を開けて中に入ると、そこは歯車が所狭しと並ぶ吹き抜けだった。
「あ、あん? 誰だお前ら……?」
「失礼。旅人です」
「おう……? 旅人がどうしてここ――――ぐゥッ!?」
案の定中にいた作業員はクリストフの手により、忽然と意識を手放す。
……彼は指を軽くならしただけなのに。
「中々悪くない景色です。グレン少年も見てご覧なさい。この、下まで広がるこの歯車の空間を」
「すごいですけど、簡単に気絶させてよかったんですかね」
「どうせ時間が遡るので彼もすべて忘れましょう。我々が時堕をどうにかしたとして、シエスタ帝国の者である証拠もありません」
「いえ、時堕ならクリストフ様が来たとケイオス王家に伝えるかと」
「構いませんよ。私はグレン少年を連れて観光に来たとでも言いましょう。当然、ケイオス側は信じないでしょうが、あまり強くは出られません。先日の第五皇子の一件がありますから」
「あ、ああー……確かに」
「外交なんて、意外にどうとでもなることの方が多いのです。根回しをするのも大切ですが、緻密な計算のもとで成り立つ外交がすべてではない、ということを覚えておきなさい」
こんなところで教えられることでもない気がするが、素直に頷いて辺りを見渡した。
地上階までは霞むぐらい遠い吹き抜けに、壁に沿って設けられた階段が今いる文字盤の高さまでつづいていた。
歯車が噛み合い、回る音。
それに、僅かに吹き抜ける風が奏でる低い音。
鉄臭さと、石造り特有の若干の湿っぽさ。
外部の荘厳さと違った精密さに取り囲まれたこの空間の上を見ると、両階段を経て最上階へとつづく道がある。
「間違いありません」
と、近くにある歯車に触れたクリストフが言った。
「まだ、時堕の魔力の残滓が残されています。あの男は確実にこの大時計台の中に居ます」
「では――――」
「上に参りましょう。残された場所は最上階だけです」
他には作業員らしき者もおらず、誰かの気配もしない。
(早いうちに屋敷に帰れるかな)
想像より早く時堕に出会えそうなことへの喜びが、時を飛ばす力に対する怖れに勝っていた。
きっと、一歩前を歩いているクリストフの存在も大きい。ついさっきのエルメルという魔法を鑑みれば、殊更、彼の実力は信ずるに値していた。
「これが例の歯車のようですね」
両階段を進んだ俺たちが見たのは、最上層の空間ほとんどを占有する巨大な歯車が横になって付けられた光景だ。
階段はその周囲を回るようにして、大時計台の一番上に造られた部屋に向かっている。一際巨大な歯車は数多の歯車と噛み合って、大時計台全体の動力を担っていた。
「作業員が毎日のように教えてくれた、入れ替えたばかりっていう歯車ですか」
「そのようです。見ての通り、他の歯車と違い表面が新しい。……しかしこの紋様は……歯車に施すようなものにしては仰々しい……」
紋様。
歯車の全体は磨き上げられた銀色の金属ながら、表面に刻み込まれた紋様が金色に輝いている。
鈍い音を奏でて動く様子もあり、存在感に満ち満ちていた。
狂いの無いリズムを刻みつづける歯車を見ていると、俺もクリストフと同じく、歯車に施すにしては仰々しいと感じてしまう。
「意味があるんでしょうか」
「ええ。これは魔道具の作成にも用いられるものですし、間違いなく、何か意味があって刻まれているはずです」
――――やはり。
この歯車が異変と――――時堕の魔法とかかわりがあるようだ。
今日もアクセスありがとうございました。




