ハミルトン家への依頼。
執務室は屋敷の中でも一階にあって、出入り口までそう遠くない。
屋敷を進み、外へ向かっていたところで。
「坊ちゃん! やっと執務室からお出に――――あら、ミスティ様! ようこそお越しくださいました」
食堂から出てきた婆やと遭遇し、婆やは俺たちを見て朗笑したのだ。
ところで、俺はラドラムからまだ話を聞けていない。
いや、正しくは濁されたと言うべきか。
「こんばんは、先生」
しかし、心からの笑みを浮かべたミスティと婆やの関係だけは教えてもらった。
何でもミスティが幼い頃は婆やに魔法を習っていたそうで、急な別れで会えなくなっていたそうだ。その急な別れが訪れた理由はミスティも知らない、と本人から聞いている。
理由を知るのは婆や自身と、幾人か。
(……あまり首を突っ込む話でもないか)
誰にでも隠し事や過去はある。
不躾に尋ねることは俺も趣味じゃない。
けど、婆やが皇族に魔法を教えられるだけの魔法使いだったことは驚いた。
加えて、再会した当初は距離のある二人だったが、ここ最近は違った。
「折角ですし、ご夕食でもいかがですか?」
「……ごめんなさい。お城で仕事があるから我慢するわ」
「あらら、でしたらお包みしますよ」
「ッ――――本当に?」
「ええ、こちらで少々お待ちくださいな」
自然体というか、互いに遠慮のない関係に変わっていた。
ミスティからすれば幼き日に魔法を習っていた相手であって、婆やからしても、ミスティ個人に悪い感情は抱いておらず、それどころか、ミスティを気に入っているのが節々から伝わってくる。
理由があって離れたことはあっても、二人の間にそれ以外の亀裂は入っていなかったのだろう。
「…………ふふっ」
背中で手を組み鼻歌交じりに楽しそうなミスティへと。
数十秒もすれば、あっという間に婆やが戻ってきて包みを渡したのだが――――。
「お待たせ致しました。お仕事の際、小腹が空いたら……おや?」
婆やが鼻を利かせ、鞄を見た。
ミスティが手にした鞄をだ。
すると、ミスティはハッとして鞄を胸に抱く。
「誤解よ」
「何がでしょう。私はまだ何も言っておりませんよ」
「きょ、今日は偶然なの!」
「ですから何も言っておりません。……しかしながら、ミスティ様の鞄から漂う香りが濃厚でございますね。どの程度、あの甘味をお持ちになられておいでなのですか?」
俺はその質問の意図を理解した。
ここ最近、似たやり取りを何度も重ねていたからだ。
「……これぐらいだけなんだから」
ミスティは指を一本だけ立てたのだが、婆やは飽きれてしまう。
「一個ですか? それとも十個でしょうか?」
答えないのが答えのようなものだ。
まさか十個もあのパンを買っているとは恐れ入る。
「十個も食べたら胸焼けしない?」
「平気よ。全然だいじょ――――は、嵌めたわねっ!?」
「いや嵌めてないし、答えなかった時点で自白したようなもんだし」
「はぁ……幼き頃よりお伝えして参りましたが、甘いものを食べ過ぎると身体に良くありませんよ」
――――咎めるというには優しい声で言われ、ミスティは唇を尖らせた。
「もう子供じゃないんだから、我慢できるもの!」
そのまま、歩いて俺の前を進んで外へ向かう。
婆やはその背を見て笑い、軽く頭を下げて「失礼致しました」と口にした。
俺はといえばミスティを追った。
外に出ると、皇家の馬車が。
執事と思しき老人が立っていて、ミスティを見つけて頭を下げた。
「今日は急に来てごめんなさい。最後に嵌められるとは思わなかったけど、楽しかったわ」
「それは何より。あと嵌めてないからね」
「――――こほん。そういえば、グレンに言うことがあったの」
「……俺に?」
馬車の前で立ち止り、振り向いたミスティが俺を見上げて言う。
「あのね、学園の先生が言っていたのだけど――――」
◇ ◇ ◇ ◇
――――時間は数週間遡り、第五皇子の遺体がエルタリア島に流れ着いて間もなき日。
港町フォリナーにあるハミルトン邸を訪ねたラドラム。
彼はグレンの部屋に足を運んで、共に交わした契約を守るべく場を設けていた。
「第三皇女殿下に正体がバレちゃったのは予定外だったね」
「すみません。俺が軽率でした」
「ああ、いや気にしてないよ! うん! 大した問題じゃないさ! 第三皇女殿下だって、グレン君の正体を知ったからって投獄しようとはしてないだろう? つまり、そういうことなんだ。――――彼女としても、大事にする気はないってことだよ。知らないけど」
最後の言葉は余計だと思ったが、グレンはそうであってほしいと願っていた。
いくらミスティを救ったと言っても、将軍バルバトスを討った事実は消えていない。というか、これはまさしく殺人である。
尋問されて当然、投獄されて当然なのだ。
「この分だと、アリスの正体もバレてるだろうね」
「何のことですか?」
「僕もね、この件は濁しておくべきであるってのが美学だった。けど、こうなっちゃったら僕とグレン君の間で濁しておくのもちょっと怖いだろう? ああほら、考えの行き違いがあったら困るわけさ」
「…………ああ、なるほど」
「言うまでもないけど、僕はアリスが何をしていたのかは知っていた。止める理由もないし、僕としても都合が良かったから好きにさせていたんだ。グレン君と仲良くなることは想定外だったし、あの日、アリスがバルバトスの屋敷に忍び込むとも思ってなかったけどね」
素直すぎる。
まさか、これほど直接的に語られるとは思ってもみなかった。
……耳を傾けるグレンは言葉を発さず、じっと耳を傾ける。
「だからこそ、なんだよ」
ラドラムはいつものように、楽し気に笑っていた。
「第三皇女殿下がグレン君を罰することができない理由だ。だって例の怪盗は暗殺者と深い関りがあるとされているからね」
「仮に俺を暗殺者であるとした場合、アリスにも調査の手が入るからですか」
「そうさ。――――もっとも、第三皇女殿下はアリスが関係なくともグレン君を罰する気はないと思うよ」
「随分と確信しているようですが、何故です?」
「彼女がグレン君を気に入っているからさ。そもそも彼女は暗殺者を毛嫌いしていなかった。だって暗殺したのがあのバルバトスだけだからね」
しかし、暗殺は暗殺である。
けど。
「細かな折衝は僕に任せてくれないかな。取りあえず、グレン君に仕事を頼んでいたのは僕ってことにするつもりだよ。こうした話は第三皇女殿下にしかするつもりはないけど、彼女としても、これで完全に知らなかったことにしてくれるはずさ」
「いいんですか? ラドラム様に面倒ごとが降りかかりそうですが」
「平気平気! 僕も第三皇女殿下を幼いころから知ってるし、大丈夫さ」
ひと先ず、ラドラムはミスティへと説明するそうだ。
内容はグレンとの関係と、昨年の騒動に関する事柄から。加えて、アリスのことはひと先ず触れないでおくとのこと。
悟られていたとしても、これは濁したほうが互いのためだと彼は言った。
「と、言うわけで」
ラドラムが居住まいを正した。
「グレン君が婆やと呼ぶ女性と第三皇女殿下の関係。それと、第五皇子がどうして婆やさんを欲していたかを教えてあげよう」
本題に移った。
契約を果たしたグレンへと説明するために。
「実は、二人は師弟関係にあったんだよ」
「ミスティア様が婆やを先生と言っていたので、軽く想像は付いていました」
「気になるのは、婆やさんが、今では名を轟かせる第三皇女殿下へと魔法を教えることができるほどの力の持ち主か、どうかってとこかな」
「…………そうなりますね」
「それは第五皇子が彼女を欲した理由にも繋がるんだけど……。婆やさん、以前は皇族に勤めていた女傑でね。魔法の才能にも恵まれていた方なんだよ」
グレンはその言葉を聞いて、言葉を選ばれているような気がしていた。
「ハミルトン領に居た頃の婆やさんって、偶に屋敷を空けることはなかったかい?」
「ありました。思えば何度もあった記憶があります」
「その時は帝都に戻って、第三皇女殿下の下に居たってことさ。更に遡ると、アルバート殿が帝都を去る数年前までは、婆やさんも帝都に居たんだよ」
「では、婆やはどうして城を去ったのですか? ミスティア様との仲は良好だったようですし、彼女にも城に帰って来てくれと頼まれていましたが」
「さぁね。残念ながら僕にもそこまでは分からないよ」
嘘をついているのか本当なのか、対するグレンは答えに迷った。
しかし確信していたのは、仮に嘘だとしても本当の理由は教えてくれないというものだ。
「分かっているのは、皇族に勤めていた彼女は特に第三皇女殿下の傍で魔法を教えていたことだけさ。普段はどんな仕事をしていたのかは知らないんだ」
「――――分かりました。そう言うことだと思っておきます」
「悪いね。大見得を切ったのにあまり情報がなくて」
「いえ、十分ですよ」
誰にでも過去はあるし、それを不躾に尋ねることは性に合わない。
特に身内であれば気になってしまうが、親しき中にも何とやらというものもある。前世の仕事のことを思えば、知るべきではない情報なんていくらでもあった。
気にならないと言ったら嘘になるが、無理に聞き出そうとも思えなかったのだ。
「ところで」
と、グレン。
「第五皇子の末路について、どう思われますか?」
「当然じゃないかな。別に彼がどんな死に方をしても僕は気にならないよ」
「あ、話は変わりますが、ラドラム様はあの事件の後どちらに居たのですか? 俺がローゼンタール公爵邸に戻っても居ませんでしたが」
「お買い物さ! あの騒動の後で祝いの席を設けたろう? 用意されていた料理は全部僕が選んだ食材でね! 港町フォリナーで楽しく買い物としゃれこんでいたわけさ!」
「そうでしたか。随分と酔い止めを買われたそうですが、俺はてっきり、ラドラム様は船に弱かったのかと思いまして」
「実は馬車も苦手なんだ。恥ずかしいから、内緒にしといてくれるかい?」
「はぁ……承知致しました。そういうことにしておきます」
何処までも惚けるラドラムに追撃を仕掛けても意味はない。
まず、グレンには彼を追い詰められるだけの話術が備わっていない。備わっている者を探すことの方が難しいぐらいだ。
「おっと、僕はそろそろ帝都に戻るよ。あの馬鹿皇子のせいで仕事が山ほどあってね……城に行って仕事詰めさ」
肩をすくめたラドラムはこれまで座っていたソファから立ち上がる。
「また近いうちに。帝都で決まったこととか色々話に来るつもりさ」
「いつもありがとうございます。――――では、外まで見送りを」
「いいのいいの! この屋敷に来るのも慣れたもんだし、僕一人でも大丈夫さ!」
そう言って、グレンの元を離れた。
屋敷の一階にある執務室を出た彼の足は真っすぐ、外へ。
しかし、その道中。
曲がり角で足を止めて、そこに居た女性の前で。
「上手なものでしょう? 貴女との約束を守り、グレン君との約束も守りました」
得意げに言われた女性――――婆やがため息交じりに口を開く。
「約束は約束。言い換えれば契約です。守って当然のことを誇るのは、あまりご立派とは思えませんよ」
「いたた……耳が痛いことを仰るなぁ……」
「外までお見送りいたしますので、どうかご容赦を」
「やだなぁ。見送るって言うけど僕を見張るためでしょ? もうこれ以上貴女の件には触れませんから、安心してくれませんかねー……」
「お客人を見送るのは給仕の務めですよ。ですので、ご遠慮なさらず」
脅しとまではいかないが、やはり見張りか。
信用されていなくて当然ある、こう思っていたラドラムも、半歩前を歩く婆やから漂う圧には居心地が悪そうに苦笑した。
◇ ◇ ◇ ◇
夜、寝る前に庭園で夜風を浴びていた俺の下へ。
同じく寝る前に関わらず甲冑姿の父上がやってきた。
「私は仕事で屋敷を空けていたが、今日も第三皇女殿下がいらしていたと聞いたぞ」
「ですね。アリスと一緒に帰ってきて、ちょっとだけですが話をしていきました」
「はぁ…………駄目というわけでも何でもないのだが、どうしてだろうな。あんな田舎で住んでいたときと違い、どうしてグレンの周りはこう賑やかになるのか」
「俺も不思議に思ってます。意図して賑やかにしてるわけじゃないことは分かってくださいね」
「知っておるとも。しかしまぁ……生きていれば色々なことがあろうからな」
父上はそう言って夜空を見上げた。
見下ろせる港の方では、夜の漁に出る船の灯りが見えた。
港町フォリナーは何時になっても賑やかで、交易の面も鑑みれば、夜の帝都にだって勝っているかもしれない、とこう考えさせられる。
「話は変わるが、来週から数日間は私のシエスタ魔法学園に行こうと思う」
「え、急にどうしたんですか」
「正式に依頼が届いてな。断ろうにもそれらしき理由が見当たらんのだ」
「――――もしかして」
「む? 第三皇女殿下から聞いておったか?」
恐らくその件だろう。
今日、ミスティが帝都に帰る前に口にして言った言葉だ。
「講師としてお呼ばれされたんでしたっけ」
「そうだ。近代の魔法使いも体技は重要だからな。剣を扱う者も身体強化魔法が必要なように、逆もまた然りだが。故にシエスタ魔法学園では身体強化や、身体を動かす授業があるわけだ」
「さっきは断る理由がどうのって言ってましたけど、別にいいんじゃないですか?」
「はっはっはっ! 私が人にものを教えられる人間に思えたかっ!」
「…………あんまり想像できませんね」
「だろう? 残念なことに感覚派とあって、理論的に教えることは難しい。ともあれ、無下にするのも難しいわけだ……やれやれ」
確か、せっかくだから剣鬼と畏れられる父上の教えを乞いたいとのことだった。
(面倒見は良いし、大丈夫だと思うけどね)
何だかんだ親身になって教える父上の姿が目に浮かぶ。
未だに隣でうんうん言ってる父上を見て、俺は密かに頬を緩ませた。
すると。
「名案があるではないか」
父上が不意に、俺の顔を見て目じりを下げたのだ。
「グレンが私を手伝えばいい」
「――――はい?」
「私一人では生徒を委縮させるやもしれん。私の補佐として共に参加せよ」
微塵も名案じゃねえ。
どうして俺が同年代の授業に参加しないといけないんだ。
「そ、そのような顔をするんじゃない!」
「…………」
「別にいいではないか!? 何が不満なのだ!?」
「言うほどですが……はぁ、仕方ないですね」
あくまでも補佐としてならという条件が付くが。
「父上が一人では心細いのも確かですし、補佐なら頑張ります」
「よく言ったッ! それでこそハミルトン家が跡取りよッ!」
果たしてここにハミルトン家の名が関係するかどうかは置いておくとして、肩をバン、バン! と叩かれた俺は仕方なそうに笑ったのだった。
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