騒動のエピローグ【前】
翌朝、シエスタ領海沖にて。
人知れず、民間の船に偽造して航海の最中にあった一席の船。その中に居たのは、第五皇子派の騎士が幾名かと、第五皇子本人である。
昨日は大変な目に遭った。
彼はベッドの上から小さな窓の外を見て、既に遠く離れたシエスタの方角に顔を向けていた。
そうは言っても、その顔に悲壮感はない。
決して予想外ではなかったのだ。
こうしたことになることは予想の範疇だったからこそ、逃走経路を擁してあったし、西方の諸侯との関係は潰えていない。
――――再起の時を待つことに、抜かりはなかった。
「失礼致します。例の船が見えて参りました」
足を運んだ騎士の声を聞き、第五皇子が頬を緩めた。
「さすが、国境に面した西方貴族です。第五皇子殿下と志を共にする同志ですね」
「奴らは肝が据わっているからな。それでこそ、私と共に強きシエスタを取り戻さんとする者たちだ」
「仰る通りです。……して、これより船を乗り換えますが、すぐに西方へ向かわれますか? 城の調査が入るかと思われますが」
「構わんさ。私はそれを見越して潜伏の支度をしてある」
「感服致しました。では、しばし休暇のようなものですな」
笑い合い、余裕に顔を笑わせるばかり。
こうしているうちにも船は近づいてきて、やがてタラップが繋がれた。船室を出た第五王子は騎士に先んじて歩を進め、その先に立っていた貴族を見て手を上げる。
「よく来てくれた!」
期待に明るく、喜色に染め上げた顔を向けた。
けれど、迎えに来た貴族の顔色は曇っている。
「だ、第五皇子殿下…………」
「どうしたのだ、何かあったのか?」
「何か……何かというよりは……」
歯切れの悪い貴族に業を煮やし、第五皇子が意気揚々とタラップを抜けた。
待っていた貴族の前に立ち、そして。
「支障が生じたのか?」
眉をひそめて尋ねたのだ。
すると、同時に。
自分が乗って来た船に居た騎士たちが悲鳴を上げ、ほんの数秒で全員が横たわった。
甲板を血で濡らして、間もなく物言わぬ肉塊と化してしまう。
「な――――何が起こっている!?」
「違うのです! こうしなければ私は……私の家族が……ッ」
「貴様ッ! 何をしたッ!?」
激昂した第五皇子が貴族の胸ぐらをつかむと、そこに聞こえてきた拍手の音。
「いやー、お見事でした。確か議事堂でもお伝えしたと思いますが、此度の第五皇子殿下の謀は称賛に値します。このラドラム! あまりの用意周到さには驚かされましたとも!」
足を運んだ船の中から現れたのは、今一番見たくなかった顔であった。
ラドラム・ローゼンタール。
この男が居るという異常へと、言葉を失ってしまうのは当然のことだった。
「ローゼンタール閣下! 私は約束をお守りしました……ッ! どうか妻と娘には手を出さないでいただきたく……ッ!?」
「おや、心配でしたか? でもご安心を! このラドラム、約束は守る男として評判なのですよ!」
「……信じてよろしいのですね!? 閣下のようなお人であればこそ――――」
「ご家族は助けるが、貴方自身は駄目だ、と?」
ラドラムと貴族は第五皇子を傍目に話をつづける。
「いやだなぁ……面倒な言い回しをするぐらいなら、今頃貴方も爺やに殺されてますって。ご存じでない? 私、面倒ごとは大嫌いでしてね。どちらかと言うと、後ろめたいことがある貴方には、是非ともこれからも私にご協力を賜れればと」
「ひっ……わ、分かっておりますとも……ッ! 是非、閣下とともに輝かしい未来を見たいものであります!」
「頼もしいお言葉ですね! 私としても喜ばしい限りです。――――さて」
すると、ラドラムは貴族に船内へ戻るように言って席を外させた。
後ずさった第五皇子だが、タラップを進んでくる爺やの手元を見て血の気が引いた。
手の甲に備え付けられた暗具から滴る、粘着質な鮮血を見てしまったからだ。
「貴様、私の手の者をいつのまに」
「私は仕事が早いとも評判なものでして。細かなことはご想像にお任せ致します」
「くっ…………取引をしないか」
「取引ですか。私が好きな言葉ですが、どのようなお取引を?」
「ラドラム。貴様が居れば、私は容易に古きシエスタを取り戻せよう。亡国ガルディアに勝る大国に至ることもそう遠い未来ではない」
それを聞いたラドラムが頬に浮かべていた笑みを失った。
何処までも冷たくて、失望した様子へと変貌した。
「もう少し面白いことを仰るかと思いましたが、見込み違いだったようです」
コン、と。
爺やの足音が近づいた。
「正直なところ、多少見込みがあったら使えると思っていました。グレン君にはいくら味方が居ても足りませんしね。アシュレイ家を付け、更に第五皇子殿下が皇位継承権を捨て、身を粉にしてくださるのならあるいは……と思っていましたが、残念です」
「ッ――――何故だ。どうして貴様はグレンを気に入っている?」
「気になりましたか?」
「当たり前だ。貴様ほどの男が入れ込む存在とも思えん。頭もキレるし多少は戦えるようだが、それだけだろう」
「ふむ……すべて間違っておいでですが、お教えする価値はなさそうですね」
また一歩、爺やの足音が近づいた。
「はっ! まさかミスティアをあてがうつもりか!? いずれミスティアを女王に推し、グレンを介して傀儡とでもするつもりなのだろう!?」
「…………はぁ?」
「おあつらえ向きだろうさ! あの女は貰い手が付かぬだろうし、貴様が考えることにはうってつけさ!」
吐き捨てるように。
でも、まだ希望を捨てきれず。
第五皇子は狼狽えながら言う。
「単純で、浅はかで、愚かで……まさにそれを浅慮と言う。ところで、話は変わりますが、第五皇子殿下はどうして第三皇女殿下が求婚されないのか、この理由をどこまでご存じですか?」
どうして今その話を?
疑問に思った第五皇子だが、彼は声を大きくして答える。
「すべてだ! あの女が生まれる以前より、同じくまだ生まれていなかった子との婚姻が決まったことも知っている! 相手家族のこともすべてなッ! そして、その相手が死したことも知っているぞッ!」
「ふむ、どうやら私が思う以上にご存じのようで」
「であればこそ、貴様の手駒に相応しいかろうさ! 貰い手が付かぬのだから、奴にあてがうのも悪くないッ! ハミルトン家――――ひいては、剣鬼アルバートという存在もいればこそ! 貴様の思惑にケチをつける者も少なかろうッ!」
すると、ここでラドラムが。
「くくくっ……ははっ……はっはっはっはっはっはっはっ!」
高笑いをして両手を広げた。
彼の見たことのない姿を前にして、第五皇子が今一度言葉を失ってしまう。
つばを飲み込み、すでに背後にいる爺やの気配を忘れた。
「第五皇子殿下は全て知っておいでのようですから、最期にお教え致しましょう。確かに第三皇女殿下の許婚は死した――――と、誰もがそう聞いているはずです。当然だ。相手が相手ですし、生きているはずがないのが普通ですからね!」
だが、違うのだと。
「貴様……何が言いたいのだ……ッ!」
ラドラムはここでいつもの微笑みを取り戻し、語調にも優しさを孕ませた。
「第三皇女殿下が厄を運ぶと言われるようになった理由は、先ほどの許婚が死したことも一因です。他にもお相手の血統がどうのとか些末事はありますが――――そもそも、その一因が間違っているのですよ」
「ッ――――まさ、かッ!?」
「そう。死んでいなかった、ということです」
「あ、あり得ないッ! そんなことは絶対にあり得んッ!」
「はて。死んでいないことは、第五皇子殿下もご自身の目で確認なさっているではありませんか」
「私が……だと……?」
「学園でお会いになっているでしょう? ご自身の派閥に勧誘なさったと聞いておりますよ」
「ッ――――!? 貴様、グレンがそうだというのかッ!?」
ラドラムは言葉にせず。でも楽しそうに頷いて返した。
驚きのあまり一歩後退した第五皇子の身体が、爺やの身体にトンッ、と重なった。
振り向くと、好々爺然と微笑んだ爺やと目が合った。
「爺や、ソレはもう要らないよ」
「畏まりました」
爺やはすぐに両手の暗具を第五皇子の胸に突き立てて、呆気にとられた彼の腹を蹴って海に身を投げ出した。
「かはっ……ぁ……貴様……はっ……だから……グレンのことを……ッ……」
「ご理解いただけたようですが、私は彼の人となりも気に入っていることを、どうかお忘れなく」
「この……貴様は……何をするつも……り……で……ッ」
「聞いたところで、迎える末路に差異はございません」
答えを聞くことはなく、第五皇子の身体は海に落ちた。
二度と浮上してくることはなく、辺りの海面を真っ赤に染めあげる。
爺やは暗具に付着した血液を払うと、ラドラムに近づいて腰を折った。
「本当によろしかったのですか?」
「いいよ。どうせ使い道のない塵だ」
「そうではありません。沈めてよろしかったのかということです」
「それも構わないよ。取りあえず、ケイオス王国に疑いを掛けちゃえばいいさ。どうせあの塵と結託してたわけだし、このぐらいの報復は覚悟の上だと思うよ。あちらとしても、皇籍を剥奪された第五皇子に価値を見出してるか疑問だし、始末しようとしたと疑われたら申し開きもないさ」
「……私が気にする話ではなかったようですね」
「爺やが優しくて涙が出そうだよ。ってわけで……よし」
ラドラムは水平線の彼方に浮かぶ朝日を見上げ、うんと背筋を伸ばして欠伸をして言う。
「帰るとしよう。僕にもまだまだ仕事があるからね」
晴れやかな横顔を見た爺やも笑い、船内へ戻るよう手で促す。
帝都へ、港町フォリナーへはしばらくかかる。
このことを思い出したラドラムは自嘲しながら目を伏せて。
「酔い止め……もう少し持ってくればよかったかなー……」
疲れた様子で、それを口にしたのである。
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