表と裏と。
宝石箱をひっくり返したような、なんてあり触れた表現だったと思う。でも、これ以外に相応しい表現はない。
帝城が遥か上層階より身体を投げ出した俺の視界一杯に、帝都の夜景が広がった。
摩天楼を駆け巡った前世のそれと比べれば遥かに劣る。
中世ヨーロッパにも見えるが、尚且つよく整備された町並みに低感覚に並ぶ街灯により、単純に中世ヨーロッパと言い放つには勿体ない。
やはり、空想の世界と言うべきか。
飛び降りた帝城だって、前世は見たこともない大きさなのだから。
「待ってってば……こんな風に飛び降りたら……ッ!」
「何とかなる。そっちだって、自分で自分を助ける術を持ってるだろ!」
「あるけど……でも、貴方はどうするのよっ!」
「だから、何とかなるって言ってるだろ」
仕方ないのだが、それでもやかましい第三皇女を軽くあしらった俺は城の下層を見下ろした。
瞬く間に近づく地面。
ただ、帝城の大きさもあってまだまだ遠い。
真正面から吹き付ける突風で呼吸が辛い。
ミスティアは驚きが勝っているのか、俺のローブをぎゅっと掴んで目をつむっていた。
「――――ちょうどいいわ」
ふと、彼女がそのまま口を開く。
「このまま、私を議事堂まで連れて行って」
「……はぁ?」
「な、何よその返事っ!?」
「訳が分からない。何故、好き好んで敵が集まっている場所に行くんだ」
「いいえ、敵じゃない。私を嵌めた兄以外は敵じゃないわ」
「いいや、敵だ。騎士も魔法使いも、皆がキミを捕まえようとするだろう」
「だとしても、私は敵だって思わない。皇族の言葉に逆らえないのは皆同じ。彼らはただそれに従っているだけなんだから」
綺麗ごとだと吐き捨てることも出来たが、俺は口を噤んだ。
ミスティアは精錬として芯が通った心の強さを。
凛然とした振る舞いに、覇気に似た何かを宿していた。
「お願い」
彼女を顔を伏せたまま、俺のローブを強く握りしめることで縋っていた。
「……寄り道をしてからなら」
「ほんと!?」
「いきなり大きな声を上げるな! 寄り道をしてからだぞ!」
すると彼女が顔を上げると、頬に喜色を浮かべていた。
顔が除かれそうになったことで俺は顔を反らす。
「お礼に、普段と違う話し方も許してあげる」
突風に霞んだ声は俺の耳に届ききらず、声は途切れ途切れであった。
聞き返そうとしたところで。
「想定、第三皇女殿下の奪還。生死は問わない、好きに戦え」
声がした。
明後日の方向から、城の壁の方から。
落下しながらも顔を向けると、そこに居たのは黒装束に身を包んだ十人組。
……クライトを襲っていた連中と同じ所属のようだ。
すると、奴らはリーダー格の男の声の後、闇夜に姿を晦まして。
「薄汚い暗殺者よ。貴様の顔を見せて見ろ」
俺の隣に現れて、抜身の短剣を両手に持って振り上げた。
片腕にミスティアを抱いたままではあまりにも防御し辛く、片腕に持った剣で防ぐも身体が勢いに負けてしまう。
「くっ……」
「大丈――――ッ」「いいから、黙ってろ」
ミスティアが俺を気遣う言葉を言い終えるより先に、彼女の口を手で覆った。
勢いに負けた俺の身体は宙に浮いたまま飛び、近くにあった城の屋根へ降り立つ。
すぐに十人組が俺を取り囲み、杖や短剣、はたまた暗具を構えた。
「十席」
「好きにやれと言った通りだ」
「――――はっ」
十席、こう呼ばれたのはリーダー格の男であった。
その男だけ黒装束の中でも目立っていて、腰に携えた何本もの短剣が存在を主張する。
顔半分を覆った布により顔つきの全貌は分からないが、整った顔立ちに浮かんだ冷酷な面持ちと、相手を射殺せそうな双眸の鋭さには目を見張る。
「彼らと戦ってはダメ」
と、ミスティアが小さな声で言ったが、俺は気にせず両手に剣を。
一瞬で現れた剣に十人組は不意に、目を見開いた。
「降伏すれば命は助ける」
こう十席と呼ばれた男が言うも、俺は思わず笑い飛ばした。
「馬鹿を言うな。どうせすぐに死にたくなことをするんだろ?」
「……さて、どうなるかはここでは言えないが」
ふと、男以外の九人が俺に飛びかかってきた。
踏み込みの速さも連携も、すべて先日の者たちとは似ても似つかない。
(精鋭か)
城を脱してすぐに現れたのだからそう思うのが当然である。
しかも、第三皇女の奪還をするとあれば殊更だ。
ところで、先日とは状況も違う。
一秒でも早くこの場を脱したい。ミスティアを城から遠ざけたかった。
だから、先日と違うのは俺も同じで。
「悪いが、俺は急いでるんだ」
九人に勝る速度の体裁きで。
剣を躱し、杖から放たれた炎を払い、暗具から飛び交う刃物を弾く。
まばたき一度の合間に交わされた攻防の後に、俺は。
「見逃してくれると助かるんだが、どうだろう」
一様に意識を手放した九人を傍目に、十席と呼ばれた男を見た。
「……刃を使うことなく、当て身だけで意識を奪うとは」
「そんなことはどうでもいい。俺を見逃すかどうかだ」
「分かり切っている返答をご所望であれば、いくらでも答えることは構わないが」
「ああ、やっぱりそうなるか」
俺が肩をすくめると同時に、男が俺の面前から姿を消した。
夜風に溶け込むような、清流のような動作であっという間に距離を詰めて、俺の懐に入り込む。
「フッ!」
至近距離からの蹴り上げは刃のように切れ味が良く、鋭い。
俺に交わされるとすぐに身体を反転させ、もう一方の足を振り上げて俺の首を狙いすました。靴の先端と踵に付いた刃が俺の髪の毛を何本か切り落とす。
気が付くと、俺の足元が強固な岩に覆われていた。
「貴様を尋問するのは諦めた」
すると、距離を取れなかった俺から逆に数歩離れた男。
奴は両手を広げ、俺の周囲に数多くの岩を生み出す。
そして……それを……。
「第三皇女殿下を救出し、後に死した貴様の身体から調べればいい」
それらは全体が砕かれ…………いや、目には見えない風に研がれて、いつしか石造りの剣へと姿を変えた。
恐らく、地と風の二属性を用いた魔法である。
見事な使い方だと頷きつつ、鋭利な石剣から目を離さない。
「足止めをして串刺しなんて、趣味が悪い」
だからと言って、負ける理由にはならない。
俺が両手に持った剣を構えると。
「ついでに手も止めてみようじゃないか」
「ははっ……もっと趣味が悪いな」
今度は屋根から岩が現れ、俺の手を抑えようと伸びて来る。
しかし、岩だ。
所詮は岩に変わりはないのだ。
手足を拘束されるより先に破壊すればいい。
俺の両手には剣がある。これだけで良かった。
「魔力で作られた岩を簡単に壊せるとでも思っているのか?」
「ああ、そのつもりだよ」
「馬鹿なことを――――なっ……ッ!?」
岩を断つことは叶わずとも、砕けた。
けど、これだけで十分だった。
「見事な身体強化だが……しかし!」
石の剣が一斉に飛び交い俺に向かう。
風に乗り、俺の全身を狙って。
「――――もう一度言うぞ」
足元の岩もついでに砕き、自由になった四肢を如何なく使い。
一本、二本……そして三本目。
石の剣を目視で砕いて次を見る。
俺は最後まで残された一本を砕いてから、男の懐に入り込み両手の剣を。
「俺は急いでるんだよ……ッ!」
男の黒装束は金属が混じった特別製。
それはさっきの九人に当て身を入れた時に分かっていたことである。
振り上げた剣は黒装束を断つことはできたが、男の磨き上げられた体躯を切り刻むには力が足りていない。
代わりに、肺から空気が消し飛んだはず。
「かっ……はぁ……ッ!?」
同時に内臓を襲った衝撃は言うまでもなく。
男は膝から下に力を失い、遂に目を見開いたまま倒れ込む。
「よし、行こう」
「よ、よしじゃないわよ! 末席とは言え、帝剣の一人を簡単に倒すなんて……っ」
「その帝剣ってのは良く分からないが、話はあとだ」
俺は固唾を飲んで見守っていたミスティアの傍に寄り、彼女の承諾を得ることなく身体に触れた。
彼女は特に抵抗することはなく、呆気に取られている。
取りあえず、さっさと抱き上げて城を離れようと思ったのだが……。
――――居たぞ!
――――急げ! 第三皇女殿下をお救いしろッ!
聞こえてきた多くの騎士たちの声に加え、周囲にはいつの間にか黒装束の者たちが何人も。
そりゃ、こんなところで時間を使ってしまったのだから当然さ。
このまま逃げても振り切るのは難しそうだ。
かといって、全員を相手にするのもどうかと思っていたところへと。
屋根の上へと、一つの水晶玉が投げ込まれた。
それが砕け散ると、俺の周りの景色を歪めてしまう。
「幻惑の魔道具……どうしてこんなものが……っ!?」
ミスティアが言っていることは良く分からないが、幻惑という言葉には心躍るものがある。
つまるところ、俺たちに有利ということが分かれば十分だ。
「急ぐぞ」
「え……ええっ!」
この機を逃がすわけにはいかない。
今のは一体、と思わないわけでもなかったが、俺はミスティアを抱き上げて屋根から駆けおりた。
◇ ◇ ◇ ◇
それから少しあと、グレンがまだ逃走中のことである。
帝城からほど近くにあるローゼンタールの屋敷にあった使用人たちの住居へつづく道へ、現当主のラドラムが楽しそうに出て来たところであった。
そこで、柱の陰に立っていた婆や。
「予言します。貴方はろくな死に方をしないでしょう」
「ははっ、怖いことを言わないでくださいよ。どうしたんです? 僕、何かしましたっけ?」
「――――惚けられるとお思いですか?」
彼女はいつの間にか抜いていた杖を宙に浮かべ、給仕服のスカートをふわっと靡かせた。
すると、ラドラムは首元に圧を感じ、息苦しさに頬を歪める。
「ラドラム様。貴方様は私にこう仰いました。――――城の警備系統を混乱させてくれれば、ミスティ様をお助けしてくださると」
「あ……ああ……そういいましたね……っ!」
「しかし、どうしてでしょう。私は去り際に見てしまいました。例の、帝都を賑わしたという暗殺者の姿をこの目にしかと焼き付けました」
「ふふっ……そりゃすご……い……っ」
「まだ惚けるのですか。はぁ……飄々としたお姿はお見事なものですが」
婆やは柱の陰から道に出て、自身の目の前に杖を浮かべたまま片手をかざす。
手のひらをラドラムに向けると、一本、親指を閉じた。
「がっ――――ぐ……ふっ……ふふっ……」
「もう一本閉じるのをご所望でしたら、お申し付けください。もっとも、その後の生死は保障致しかねますが」
「ま、まさ……か……っ! 僕は別に……貴女と敵対する気…は……ないんだけど……ね……っ!」
深く深くため息を吐いた婆やは苛立ちながら、浮いていた杖を手に取った。
懐に収められたところでラドラムは息苦しさから解放され、呼吸を整えながらも笑い、冷たい目をした婆やを見る。
「私は坊ちゃんが赤子のころから見守ってきたのです。立ち居振る舞いに含めて歩き方、癖まで把握しているのです」
婆やはこう言い、つい数分前までのことを思い出す。
グレンが出会った頃から変わらぬ若々しい容姿のままに。小柄な体躯に宿した獣の耳と尾が持つ可愛らしさは影もなく、明確な殺意を言葉に乗せて言う。
「坊ちゃんをたぶらかしましたね。今回だけではなく、以前のバルバトスの件もそうでしょう?」
帝城から飛び出した影はミスティアと、他でもないグレンであったと言ったのだ。
「た、たぶらかすなんてとんでもない!」
「言葉が直接的かどうかより、誘導的であったかどうか、なのです」
「どうでしょうね……それはグレン君の受け方次第ですが……」
なおも笑い、わざとらしく肩をすくめたラドラムに更に苛立ちを覚えた。
この男は間違いなく意図的で、しかも明確な考えがあってグレンと協力関係にあると悟る。
「それにしても、お見事ですね! まさか本当にあの帝城をお一人でかく乱してしまうなんて!」
「…………私は今から、旦那様の下へ参ります」
「いや、頼んだ際には半信半疑だったんですよ! ――――たとえ貴女が」
歩き出した婆やの背中へと。
無視をつづける婆やへと。
「皇室付き特務執行官、帝剣の次席だとしてもです」
彼が言うと、婆やが立ち止る。
次いで夜空を見上げ、目を伏せた。
最後、グレンの逃走を手助けした時を思い返しながら、彼が幼き日、はじめてハミルトンの屋敷二やって来た日を回想しながら。
「元、をお忘れなく。今の私は皇室に奉公しておりません」
「これは失礼。ですがあまり意味のない元でしたね。さすがは次席。元と付いたところで、歴代の暗部一の暗殺技術はまだ消えていないご様子。潜入もお手のものでしたか。……第五皇子殿下が貴女を欲した理由も良く分かります」
「…………」
「聞けば、帝剣のお人は席次が一つ上がるだけで、戦力として大きな違いが出るとか」
「それを聞いてどうしますか」
「いいえ、何も。ただ、おかげで面倒な人たちの相手をグレン君がせずに済んだな、と思いましてね。ああ! ご安心くださいませ! だから雷帝クリストフのことも議事堂に誘導しております! 城に残っていた戦力については、貴女の陽動で陛下のお傍に向かうだけ。陽動もあり、グレン君の下にいける戦力は安全であると踏んでましたからね!」
意気揚々と、饒舌に語りだしたラドラムの顔は作り物のようだった。
振り向いてそれを見た婆やは眉をひそめ、仮面のような笑みを唾棄する。
「私は契約を守りました。次は貴方が守る番です」
「勿論ですとも! 貴女の働きは十分なものでしたから、私としても最大限報いたい!」
そして、ラドラムも彼女に背を向けて歩き出す。
「どうやって私の過去を知ったのか、これも教えてほしいものですが」
「私も一応は法務大臣ですからねぇ……色々と伝手はあるということですよ」
「おかしな話です。元を含め、第一席から三席の素性は多くの皇族も知りえない。なぜならば、皇帝陛下の切り札だからです。故に皇帝陛下をはじめとして、魔法師団長を含むごく一部しか知りえないのですが」
「おお! どうやら、私もその一部だったようですね!」
どこまでも煙に巻き、答えようとしないラドラム。
婆やは情報を聞き出すことを諦め、歩き出す。
「私はもう行きます。それでは」
姿が見えなくなったところで、ラドラムは帝城を見上げた。
「……さて、後はアシュレイ家次第かな」
呟いて、足を進めるは使用人の住居へ。
足を踏み入れ、給仕たちに頭を下げられる横を笑って進んだ。
やがてたどり着いたその先で、一足先にやって来ていた爺やが頭を下げる。
「すでに目を覚まされております」
「うん、じゃあ話を聞いてこようかな!」
「私はこちらに居た方が?」
「そうだね、僕が一人で聞いてくるよ」
ラドラムは爺やが開けた扉の中へ進んで、ベッドの上で身体を起こしていたクライトを見た。
自慢の巨躯はさることながら、顔には微塵も覇気がない。
いつもの強気な態度は鳴りを潜め、幼き日に捨てられた捨て犬のような儚さがあった。
「やぁ」
「ッ……ラドラム様?」
「そう、僕だよ。早速だけど話をしようか」
無遠慮に近づいたラドラムはベッド横に置いてあった椅子に腰を下ろし、笑みに細められた目をクライトに向ける。
「嘘はよしておくれよ。僕はおおよその事情を調べてあるから、君のご両親が今どこにいて、どういう状況になっているのかも分かっている。当然、君が第五皇子殿下の手の者から逃げていた経緯もだ」
「……さすがです」
「これは確認に過ぎないんだけど、君たちアシュレイ家は第五皇子殿下に捨てられたってことを理解しているかい?」
クライトは黙りこくってしまい、更に俯いた。
「最近、第五皇子殿下とそりがあわなかったんだってね」
「――――止めたかったのです」
「ふむ?」
「私は殿下の計画を止めたかった。殿下の不評を買うことがあろうと、もしものことがあって殿下の計画が明らかになることを危惧していました」
「計画と言うと、今回の第三皇女殿下を嵌めた件かな?」
「はい。ですが――――」
「その先は分かってるとも! 自分の意にそぐわなかった君は捨てられたんだ! これは僕の予想だけど、アシュレイ家は万が一の際にはスケープゴートにされていただろうね!」
仮に第五皇子に容疑が欠けられたとして、その際には生贄にされていたと。
悔しそうにシーツを握りしめ、クライトは拳を震わせた。
「幼き日より殿下の傍におりました。捨てられた悲しみより、殿下を止めることができなかったことへの無力に腹が立つのです」
「ほー……。まだ忠義が残ってるとは驚きだね!」
しかし、その忠義が報われることはないとラドラムは言う。
つづけて立ち上がり、見下ろした。
「残念だけど、第五皇子殿下は止められないし、僕も止める気はないんだ」
仕方のないことだと分かっていたが、ここに来てなおクライトは項垂れた。
無力さを痛感し、幼い頃の思い出が脳裏を駆け巡り涙すら零してしまう。
しかし、彼が考えるべきことは他にもある。
そう、ここに来てすぐラドラムが口にしていたことだ。
「代わりに、城内に軟禁されている君のご両親についてなら、君の返答次第では手を貸してあげなくもないよ。……どうだい? 僕と取引をしないかい?」
「ッ――――父上と母上を助けて下さるのですかッ!?」
食い付きの良さにラドラムが笑む。
真理はともかく、救いの言葉であった。
「ああ! 僕は嘘はつかないから安心してほしい!」
「わ、私に出来ることなら何なりと! 両親は私のせいで軟禁されているのです! どうか、両親だけでもお助けください……ッ!」
「安心したまえよ! 僕は君のこともまとめて守ってあげられるからね!」
「本当ですか!? し……しかし、私に出来ることは決して多くありませんが……」
すると、ラドラムは笑みを浮かべたまま顔を左右に振った。
安心してくれ、こう添えて。
心に宿った真理は告げずに口を開く。
「実は、アシュレイ家には鞍替えをしてほしいだけなんだ」
ラドラムはこの言葉を口にして、クライトの耳元に顔を近づけたのである。
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