父が来たけど。
また10万字貯めるとかいっときながらのあれですが、あまりフラグとか関係なさそうな範囲だったので更新しようかと……。
翌日、まだ天球が瑠璃色に染まっていた早朝だ。
俺は早いうちから日課の鍛錬を終え、俺の部屋に設けられた浴室で寛いでいた。
高価な魔道具のおかげで、シャワーは当然温水。広い湯船はどんなに足を延ばしても、俺一人では端から端まで届かない。
屋敷には大浴場もあるけど、ここでも十分な広さがあった。
広い窓から差し込む朝陽を臨み、瞼をゆっくりと下ろして疲れを癒す。
それから十数分に渡ってゆっくりと過ごした。
今の俺にとって、一日で最も贅沢な時間だ。
湯船を出てからは、汗をさっと拭いてから服を着る。
髪の毛をドライヤーのような魔道具で乾かして、自室のリビングへと足を運ぶ。
「…………何か飲み物を」
ソファに深く腰を下ろしてから、喉が渇いてたことに気が付いたわけで。
いつもは先に水を用意して座るのだが、今日は忘れていた。
喉が渇いてしかたない。
飲み物を取りに行かないと――――って、ソファから立ち上がろうとした瞬間だった。
部屋の片隅、水差しが置かれたテーブルから届くアリスの声。
「どぞどぞ、氷も入れてありますよ」
「ああ、ありがと」
ソファの背後から差し出された一つのグラス。
受け取った手が、火照った肌がすっと冷やされる。
「ふふん、どうです? この絶妙な気の利き方!」
「不本意だけど、そういうとこは嫌いじゃない」
「もぉー! 素直に褒めてくれたっていいじゃないですかー。それにしても、今日もお疲れさまでした。相変わらずおかしいぐらいの訓練でしたねー…………バルバトスを倒せたのも納得です」
「ん、ありがと」
アリスは自室から、俺の訓練を眺めていたんだろう。
「途中から数えるのをやめちゃったんですけど、何回ぐらいやってたんですか?」
「6000回かな。前はもっと少なかったけど」
「ふぇ? なんで増やしちゃったんです?」
「そりゃ、バルバトスとの戦いがギリギリだったからだけど」
なにせ今思い出しても緊張を催すほどだ。
「普通に余裕だったじゃないですかー。いきなり消えたと思ったらバルバトスを貫いてたのなんて、別の意味で私の胸が貫かれそうでしたし!」
なかなかバイオレンスな価値観を持ったお嬢様じゃないか。
俺は一度ため息を漏らしてから、アリスの疑問に答える。
「でも言っとくけど、あの時、俺がまばたき一回でも遅れてたら死んでたよ」
遅れてしまえば、俺はバルバトスの魔法によって焼き殺されていたはず。
あの勝利は身体強化によって耐えられる限界と、俺の速度がなんとか噛み合った結果に過ぎない。
同じことをもう一度やれと言われても、きっとできないし勝てないと思う。
あくまでも、バルバトスが俺を知らなかったからの優位だ。
「だから前以上に鍛えてるってわけ」
「むぅ、私には良く分からない話みたいですね。――――そう言えば私の手を切ったときって、手加減してました? 手だけに」
「近頃の公爵令嬢って、つまらない冗談を学ぶ習慣でもあるの?」
「そんなことを言うグレン君はいずれ矯正してみせます。それでどうなんです? 手加減してたんですか?」
捕縛するつもりだったから、多少の加減はあると思う。
俺は声に出さずに、小さく頷いて返した。
「でも軽業は目を見張るものがあった。正直、アリスが怪盗だったなんて、今でも一割ぐらい信じてないよ」
「あっれぇー…………後半がおかしいような? ま、まぁ褒めてもらえたんでいいですけど! 許しちゃいますけど!」
こんなやり取りにも慣れたもんだ。
アリスもアリスで、俺の行動を理解してきた節もある。
先程のグラスのことがいい例だ。
わざわざ、俺の部屋で待って水を用意したんだから……ん?
「ん?」
ここは俺の部屋で間違いない。
すぐ傍にある浴室を出てきてから、すぐにこの部屋に足を踏み入れた。
じゃあ、なんでアリスが俺の部屋に居たんだよ。
「あのさ――」
と、振り返って尋ねようとした瞬間、俺の首に回されたアリスの腕。
「ついに気が付きましたね、私が忍び込んでいたという事実に!」
今日も今日とて妙に人懐っこい絡みだ。
俺の額を流れた汗が頬を伝い、アリスの素肌にポトッと垂れる。
アリスの右手には、俺が付けた傷跡が薄っすらと見えた。
目を滑らせて、手首、肘、そして二の腕まで眺めると、どこまでも白磁の素肌がつづく。
一瞬、訳も分からず開口したが、すぐに気が付いた。
どうして肌がこんなに露出してるんだよ。
「つかぬことを聞きたいんだけど、いい?」
「はいはい、なんですー?」
首筋にほど近く、アリスの吐息が俺の耳をくすぐる。
つづけて、俺の背中に押し付けられた柔らかい感触だ。
何処か挑発的でありながら、一方では甘えるように熱を伝えてきて止まない。
「妙に肌色が多い気がするんだけど」
あと、当たってるよ、とは言わない。言うと面倒な絡みをされるからだ。
俺の声を聞き、不敵に笑ったアリスが熱っぽい声で言う。
「そんなの、私もお風呂上がりだからに決まってるじゃないですか」
なるほど最高にわかりやすい。
で、服はちゃんと着てるんだよな?
尋ねるべきか、シカトするべきか。
「――――ちなみに私、グレン君になら見られても平気ですよ」
「ッ……ま、待ってって! ちゃんと服は――――ッ!?」
「そんな野暮なこと、今は関係ないじゃないですか」
凛としながらも、脳を溶かすような甘い声。
磨き上げられた令嬢らしさが今、俺の耳元で猛威を振るう。
朝からなんて状況だろう。
俺の首に回された腕は鎖骨の上で交差すると、大人し目に力を込めた。
「ははっ、嘘でしょ?」
「女の覚悟を笑っちゃうと、あとでひどいお仕置きが待ってますからね」
ぴったりと密着した状態が数十秒はつづいたと思う。
俺の動揺がピークに達したところで、
「グレン君、あのね」
耳元から声が届く。
唇がくっついてしまいそうなほど近い。
「本気にしちゃいました?」
「…………はい?」
「にゅふふー、グレン君ったら純情なんですからぁ! 薄い服をきてるだけですってばーもぅー! グレン君にじゃれつきたい女心は嘘じゃないですけど、さすがに裸は恥ずかしいですって。うんうん、まだもうちょっと早いですよねーって、あれ? どうして黙っちゃったんです?」
なんだコイツ、急に口数多くなりやがって。
俺は黙ってアリスの腕をほどき、立ち上がる。
アリスが着ている服は薄くて、上にカーディガンを羽織っているだけだった。
道理で肌の熱が伝わってきたわけだよ。
あと、風呂上りなことは嘘じゃないと思う。
若干火照った肌がそれを物語っていた。
「これは持論だけど」
と、俺は仕返しの口火を切った。
「友達が少ない人って、妙に距離が近づきすぎる傾向にあると思う。例えばボディタッチ、あるいは顔が近くなったりとかさ」
「う、うぐぅ!?」
「そのくせ家族とは距離が遠くて、裏返すように別の親しい人物と距離が狭まるんだけど。あれ? 急にどうして震えてるのさ。もしかして寒いんじゃない?」
「ええ寒いです、主に心がですけど。……はっ!? これは逆に、グレン君で暖をとってもい」
「確実に勘違いだから落ち着いた方がいいね」
俺は静かに言ってから、アリスのカーディガンのボタンを閉じた。
なんだかんだ、まだ寒いんだから軽装にも程がある。
「腑に落ちないと言うか何というか、なんです? グレン君だけ女慣れしてるみたいでモヤるんですけど。むしろ若干イラッとしてくるんですけど、どう落とし前つけてくれるんですか?」
「全部勘違いだから、勘弁してくれると助かる」
実のところ、あながち間違いではない。
俺は前世の経験があるわけで、丸っきり女性慣れしてないというわけでもないからだ。
気のせいということで片付けたい。
「父上ももうすぐ到着するんだし、そろそろアリスも――――」
と、言ったところで俺は気が付いてしまった。何かこの屋敷の使用人のとは違う、二人分の足音が近づいてくる音に。
どちらも聞きなれたそれで、俺はすぐに正体に気が付く。
(ああ……)
手遅れだった、それも最大級に手遅れだ。
俺がそう思った刹那、部屋の扉が軽いノックの後で勢いよく開かれる。
「グレン! 遅くなってすまなかった! やっと到着し…………たのだ……が……」
父上の瞳にはどのように映ったのだろう? 俺がアリスの胸元に手を当て、ボタンを付けている状況と言うのは。
俺からすればボタンを付けてるのだが、父上からすれば、外しているように見えてもおかしくない。……ああ、間違いなくそう見えているらしい。
父上の顔には、ありありとそんな驚きが浮かび上がってきている。
きっと父上は、久しぶりの俺との再会を喜んでいたんだ。
だから返事もまたずに扉を開けたんだろうし、それを指摘するつもりは無い。
ついでに言うと、婆やも部屋の中を見てしまった。
「あらら……坊ちゃんったら」
決してあららでは済まないわけだが、久しぶりに見た婆やが元気そうで何よりだ。
さて、この状況をどう処理すべきだろうか。
目下の問題は、まさにこの一言に尽きたのだった。
アクセスありがとうございました。




