帝都での逃走劇。
「ほら行きますよ! グレン君!」
「え、本当に行くの? 俺は別に……」
「人のこと散々弄んでおいて何言ってるんですかぁー?」
さすがに店内だからか、アリスは声のトーンを下げている。少し俺に近づいて、他の客に声が聞こえないように気を使っていた。
しかし。
「あー…………ごめんなさい、やっぱりこのお店はやめておきましょう」
何かを見つけたアリスが踵を返した。
「待て待て待て。急にどうして外に――」
「急いで出ましょう今すぐ出ましょう」
「だから急に何をッ」
足早に店の外に出たアリスを追って、俺も慌てて外に出た。
「お店の中に悪者が居ました」
意味が分からない。
「それはラドラム様よりも悪い人ってこと?」
「比較にならない悪者です。私の生活を脅かそうとして、毎月のように手紙を送ってくる物凄い悪者です。あ、今の言葉はお兄様に伝えてもいいですか?」
「冗談だから勘弁して。で、その悪者の正体ってのは?」
俺がそう尋ねてすぐ、店の中から慌てて近づいてきた一人の男。
年の頃は二十代も半ばぐらいで、体格のいい大男だ。服装は小奇麗にまとめられていて、一目見て貴族だと分かる育ちの良さを感じさせる。
俺たちの目の前で立ち止り、さっと店のガラスで髪を整えた。
「失礼、アリスティーゼ様で間違いありませんね?」
ニカッと白い歯を露出させ笑う姿がさわやかだ。
だが俺の隣に居たアリスは、小さな声で「うわぁ……」と声を漏らしている。
「人違いだと思います。では私はこれで」
「いえ! 私が間違えるはずがありません! そのお髪に歩き方、間違いありません!」
男がそう言ってアリスの前で跪いて、彼女の手をそっと握った。
「近ごろはお忙しいと聞いております。先日のパーティでもお話しすることは叶いませんでしたし、私は寂しさを募らせつづ――ん? なんだ君は?」
うわあ、俺の方を向いてきた。
これ絶対に面倒な相手だし、確実にアリスに好意を向けてる男じゃん。
思わず頬が引きつってしまったが、さて、なんて答えるべきか。
「私は栄えある――伯爵家の――――で、騎士団では第五――にて」
何か語りだしたが、なんか肩書ばかりで覚える気になれない。
俺が辟易していると男がアリスの手を引いて宣言する。
「アリスティーゼ様は私の妻となるお方だ。そんな女性の傍に、どうして私が知らない男がいる?」
そんなの決まってる。
俺とお前が初対面だからだよ。
逆に知ってたら気持ち悪い。
一方でアリスは嫌悪感がさらに増したようで、目で俺に助けを求めている。
おい、妻となるってお前が勝手に願ってるだけじゃねえか。
それと、こんな時のための爺やさんじゃないのか! チラッと辺りを見渡すも現れる気配がない。
つまり俺にどうにかしろということかもしれないが、果たして、子爵家の者が伯爵家の人間に口答えをしてよいものか。
「アリスティーゼ様、このまま私とお食事でも」
男は強引だ。
アリスを連れて行こうと躍起になっている。
「グ、グレン君……ッ」
はじめて見るアリスのか弱い一面。その声は小さく、男に俺の名前が知られないよう気を使っているらしい。
俺としても、ここで動くと父上に何か迷惑が掛かるかも、なんて心配があったものの――。
「申し訳ないのですが、ご遠慮ください」
俺の身体は自然と動いていた。
別にアリスに特別な感情を抱いていたわけじゃないし、男に対していらっとしたわけでもない。
しかし、ラドラムから頼まれてるんだ。
アリスをよろしく、守ってね、と。
だから決してアリスのためじゃない。助けてと目線で訴えられかけたが、あくまでもラドラムの機嫌をとるためだ。
そう……だから別に、アリスを守ってあげたくなったわけじゃない。
あと何日も一緒に仕事をする中で、案外仲良くなった気がしなくもない。
友人みたいなもんだから、このぐらい手を貸してもいいさ――って、心の中で何度も言い訳して男をアリスから引きはがした。
「さっきからなんなんだ! どうして私の邪魔をする!」
「俺が先に約束してたんです。申し訳ないのですが、ご遠慮を」
煽るような返事になってしまった。
他になんと答えればいいのか分からなかったのは、俺がまだ未熟な証拠か。
男の声を聞いてか、いつの間にか俺たちの周りに人だかりができる。目立ちたくなかったが、こうなってしまっては仕方ない。
いい加減、爺やさんが来てくれないかなーと期待したところでだ。
人だかりを割って現れた数人の騎士、いや、私兵たち。
「この男を連れていけ。不遜にも、アリスティーゼ様のお手を掴み取った平民だ」
一応は俺も貴族なんだが、帝都の貴族からしてみれば平民みたいなものか。
しかし捕まるのは気分が悪い。
……よし、逃げるか。爺やさんが来ないし、ラドラムからアリスを頼まれてることもある。何かあったらアリスも口添えしてくれるだろう。
「アリス。名案があるんだけど」
私兵が俺に近寄ってくる間に、小さな声で語り掛けた。
「なななんですッ!? 打開できるならなんでもいいですよ!」
「それほんと? 後で身体に触ったとか怒ったりしない?」
「しません――――って、へ? 身体……?」
「言質はとったからな」
あと数歩もすれば私兵が俺を捕まえるところで、俺は皆の不意を突く行動をとる。
突然、アリスを抱き上げると、
「だから、少しの間だけ我慢してほしいッ!」
「えっ……えっ!? えぇぇえええ!?」
身体強化を駆使して走り出した。
駆ける、大通りを一気に駆け抜ける。
俺の胸元では、アリスが必死に俺の服を握りしめた。
「なっ……!? ま、待て! おいお前たち! あの男を止めろッ!」
後ろから声が届くけど関係ない。
俺は大通りから路地に駆けて行って、時折、背後を確認しつつ逃げつづけた。
「グ、グレン君! グレン君ッ!?」
「もうちょっとで振り切れると思う!」
「そーじゃなくってですね!? 私ってば思いっきりお姫様抱っこされてますよ!? ねぇ! 娶られそうな勢いじゃないですかぁ!」
「知ってる、だから怒るなよって言質を取ったんだろ! あと娶るわけがない」
「ででで……でもでもでも! うぅー!」
チラッと見下ろすと、俺の胸元に顔を押し当てたアリスの姿がある。
真っ赤に上気した横顔からは、異性への免疫のなさが窺えた。というより、こんな経験がはじめてだから戸惑っていると言ったところか。
アリスは照れくさそうにしているが、俺の服をさらに強くぎゅっと握りしめた。
「いつも俺の前でゴロゴロしてるじゃん!」
「ち、ちちち違うんです! ソレとコレとは話が違うじゃないですかぁ! 今は思いっきり抱きしめられてますし、ほら! 顔だってこんなに近っ……って、顔見ないでくださいよ!?」
確かに近い。
互いの体温が伝わるし、吐息もかかるほど近くだ。
「って言うか、グレン君はどうして平然としてるんですッ!」
「……え、なんで逆ギレしてるの」
「私だけ恥ずかしがってて何なんですか!? 女慣れですか!? 辺境で女を侍らせてんですか!?」
「頼むから人聞きの悪いことを言わないで……」
「あーもう! 最初は可愛い弟だと思ってたのにぃ! なんでこう偶にズルいんですかね!」
だめだ。アリスは気が動転してるようで落ち着かない。
「でもそろそろ」
追手を撒けたかもしれない。
ゆっくりと速度を落として立ち止ると、私兵の声どころか、人の声すら聞こえてこなかった。
で、ここは何処だ? 見渡す限り民家らしい建物が隙間なく並んでいる。
何度か道を曲がったりしてきたこともあって、大通りへの帰り道が分からない。
「アリス」
「……アリスですけどぉー?」
「どうやら撒けたみたいだ」
「……ですねー」
なにへそ曲げてるんだ、お前は。
いい加減顔を上げてくれないだろうか。
アリスの吐息が若干くすぐったい。
「急に抱き上げたのは謝るから……あの、帰り道を教えてもらえないかなって」
「……」
「分かった、先に下ろすべきだった」
俺がアリスを下ろそうとすると。
「このままでいいです。馬車を止めたところまで、私が道案内しますから」
「道案内はありがたいけど。抱いたままはさすがに――」
「こ・の・ま・ま!」
「……りょーかい」
俺の返事を聞いて、アリスがくすっと口角を上げたようだ。顔は見えないが動きで分かる。
声もさっきと比べて明るく、弾んでいる。
狭い空から雪が降りだしてきて、俺とアリスの肌に舞い降りる。
「雪が降ってきましたし、こうしてた方が暖かいんで」
もう慣れたのか、アリスからは恥ずかしそうな様子がない。
「はぁー……はじめて会ったときから、グレン君は弟っぽいと思ったんですけどねー」
「だからさっき、俺の方が兄だって言ったじゃん」
「ううん、そうじゃないの。グレン君はそのどっちでもなくて、私が勘違いしてたみたい」
じゃあ俺は? 尋ねるより先に、アリスがまだ紅い顔のまま俺を見上げる。
「グレン君は男の子だったんですね」
また真意が掴みづらい返事だ。
でも今のアリスの顔はいつもと違った。屈託のない笑みを惜しげもなくさらけ出して、何というか、俺を信頼してくれてるのが分かる穏やかな表情だ。
加えて、ぴたっと密着した身体からは熱が伝わってきて止まない。
「そりゃそうだ。俺は男で間違いないよ」
アリスはぶっきらぼうに言った返事を聞き、くすっと含み笑いを漏らした。
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