賭けの結果。
ラドラムは普段、目立つ振る舞いを避ける傾向にある。
それはグレンが目立つのを単純に嫌うのと違い、普段選んでいる選択が人目を忍ぶことが多いだけに過ぎない。
そんなラドラムが今、会場中の注目を集めていた。
「そなたがあのローゼンタール公爵だったか」
「おや? 私の名をご存じでしたか」
「知らないとでも思っていたのか?」
「これは嬉しい! かのリジェル・ロータス殿が我が名をご存じとは! シエスタに帰ったら自慢できそうです! ああ、なんと光栄なことでしょう!」
この時、リジェルは微かに眉をひそめた。
芝居じみたラドラムの振る舞いを前に、先手を打たれたと思った。
「……ふぅ」
そしてバレないよう溜息を漏らしてから言う。
「こうして話をするのははじめてだな」
彼の声は若干潜むようで、周囲の者たちには聞こえていない。
聞こえたのは、ラドラムとオヴェリアの二人だけだった。
「そうですね……やっと、という感じでございます」
「だが、想像していた通りの男だ。こうして声を掛けてきたことがその証明だ」
「おや? 何のことでしょう?」
「私がここでそなたを軽んじた対応をしてみろ。その一瞬でロータス家の威光が霞み、我々の間に何かあったと疑う者が現れる」
「急に声を掛けた僕を、無礼と一蹴すればよいでしょう」
「ローゼンタール家の格は我がロータス家と並ぶとも言える。そして背後のシエスタを思えば、無下には出来まい」
ここまで言ったリジェルは洗練された作り笑いを浮かべた。
「――――お会いできて光栄です。ローゼンタール公爵」
その声音は今までより抑揚に富んでいる、周囲の者たちへのポーズであった。
「オヴェリア。お前もご挨拶なさい」
兄の声はあまり聞いたことのない声だった。
妹のオヴェリアはその事実に対し、心の内で驚きを覚えていたが、慣れた振る舞いでカーテシーを披露すると、リジェル以上に洗練された微笑みを浮かべて言う。
「お初にお目にかかります。私は妹のオヴェリアと申します。以後、お見知りおきを」
「これはこれは! かのオヴェリア嬢からそのようなご挨拶を頂戴しては、この会場に集まった男性諸君に嫉妬されてしまいます! さぁ、畏まった態度はその辺で!」
すると、ラドラムはリジェルに手を差し伸べて握手を交わした。
つづけてオヴェリアに。
しかしオヴェリアは、手が重ねられて間もなく目の当たりにするのだ。
それは恐らく、悪意である。
ラドラムの精緻に整った顔立ちに浮かんだ無邪気な笑み。
その笑みに混じった双眸に潜んだ、オヴェリアが経験したことのない悪意を垣間見たような気がした。
「オヴェリアは席を外しなさい」
驚いたオヴェリアはすぐにリジェルの顔を見た。
周りの貴族たちが歓談に戻り、騒々しさが戻ったから少し隙を見せてしまった。
「どうしてでしょうか?」
「分からないのなら、お前はやはり半人前ということだ」
「ッ――――」
「だがこれは、これまで失敗らしい失敗を経験させなかった私の失態でもある。故に今回は厳しく言わない。そして、よくよく覚えておけ」
その様子を黙って眺めていたラドラムに対し、リジェルは隠すことなく本心を聞かせる。
リジェルはラドラムに目を向けた。
「――――未熟なお前には、まだこの男と話せるだけの力がない」
対するラドラムは「はは」と笑いながら、心の内で残念がった。
今みたく止められなければ、オヴェリアとの握手をきっかけに話しかけるつもりだった。それは、世間話をするような気軽さで。
しかし、守られた。
リジェル・ロータスはラドラムの期待通り、堅実に振舞ってみせたのだ。
「オヴェリア嬢。集まった方々とのご挨拶が終わったら、バルコニーに行ってみるとよいでしょう。今宵は星がきれいですし、あまり人が居ないと聞いておりますよ」
「ありがとうございます。せっかくですもの。ローゼンタール公爵が仰ったように、後で足を運んでみますわ」
「オヴェリア」
「分かっております。――――それではローゼンタール公爵。ごきげんよう」
オヴェリアは今一度カーテシーをして、この場を後にした。
挨拶を返したラドラムは既に目もくれず、目の前のごちそうにしか興味がない。
「ところで、僕のことを想像なさっていた件についてですが」
「言うまでもなかろう。そなたは自分で自分のことを分かっているはずだ。自分ほど、性格の悪い男は存在しないと」
「ひどいことを言いますねぇ……妹に暗殺なんてさせてるお人は、さすが言うことが違う」
「…………ほう、やはりそなたも性格が悪い。さすが、元将軍の振る舞いを見逃した男よ。自分の手は汚さず、何者かに暗殺させただけのことはあるな」
返す言葉にラドラムは笑う。
リジェルと同じく否定も肯定もせず、楽しそうに。
それは互いに、多く語るは不要と悟ったから。
「そなたの予定を聞こう」
「この後でしたら、夜会を楽しもうかと」
「楽しみ方は人それぞれだな。ではロータス家が当主、リジェルがそなたをもてなそう」
「おや? 夜会で人とお会いになる予定はないのですか?」
「あったが取りやめだ。相手がそなたほどの男であれば、客人方も納得する」
そう言ったリジェルが歩きはじめた。
彼はそのまま振り向かずに。
「――――そなた、どこまで知っている?」
背後のラドラムにこう尋ね。
「僕たち、協力できると思いませんか?」
ラドラムはこう返したのである。
◇ ◇ ◇ ◇
ラドラムと別れてから十数分後の俺は、アリスたちとの歓談を楽しんでいた。
本当にあの狸貴族に同行しなくてよかった。心の底からそう思う。特に十分ほど前のあの光景を見てからは、顕著に。
「グレン君。私とミスティがパーティのたびに考えていることを当ててみてください」
この駄猫はまた急にそんなことを言う。
見ろ、傍で父上も苦笑いしてるだろ。
「当てた場合の報酬は?」
「あー! ほしがりなんですからぁ! やれやれ……グレン君も人の子だったってことですね……」
イラッとした。頬を引っ張りたくなったけど我慢する。
「ミスティ。ヒントが欲しい」
「ダメですよ! ミスティも教えたら――――」「いいわよ。ヒントはテーブルの上にあるわ」「――――あれぇー……即答しちゃうんですか……?」
どうやらミスティは俺に同情してくれたらしい。後でちゃんと礼をしておこう。
…………ところで、ヒントを聞いた俺はすぐに答えが分かった。
「仲が良くない人と話してばかりなら、料理を自分たちの部屋に運んで、二人だけで楽しみたい、とか?」
「あっ、すごい。もう分かったの?」
「せーかいでーすっ! ちなみに報酬は私たちと一緒に街に繰り出せる権利です!」
なるほど。普段の休日にしてることと代わり映えしないようだ。
肩をすくめながらも俺たちらしいと喜んでいると、ふと、首筋にうっすらと汗が浮かんでいることに気が付いた。
ちょっと暑くなってきたかもしれないな。
魔道具を用いて会場を涼しくしているそうだが、そうはいっても夏は夏。暑くて当然だ。
「グレン君? どうかしましたか?」
「ちょっと休憩――――もとい涼んで来ようと思ってた。ちょうどいい場所とかないかな」
「えーっと……ミスティ、どこかないですかね?」
「バルコニーはどうかしら? 屋外だけど魔道具があるそうだし、ベンチもあるから気分転換になると思う」
「ちょっと気になってきました。みんなで行きますか?」
「いいね。じゃあ早速」
と、俺が歩き出したところで。
隣のテーブルから、甘い香りが漂ってきた。
「…………いい香り」
それでミスティの足が止まってしまい、俺とアリスが顔を見合わせて笑う。
「食べておいでよ。俺は一人で休憩してくるから」
「で、でも……」
「別に休憩するだけだし、気にしないでいいよ。じゃ、俺は行ってくるからまたあとで!」
こう口にした俺は半ば強引に歩きだす。
「父上、またなんですが」
「気にするようなことではないぞ。いいから、涼んでこい」
父上にも許可を得て、さっきミスティが言ったバルコニーへ向かう。
バルコニーまでは、ラドラムが背を預けていた扉から外に出る。
数十秒と経たぬうちにその扉の前に立った俺は、その傍にいたサービス係に声を掛ける。
「出ても構いませんか?」
「はい。今は他にお客様もいらっしゃいませんので、ごゆっくりお過ごしください」
サービス係は言い終えたところで扉を開けて、俺が出やすいように計らった。
礼を言ってから外に出ると、思っていたよりも涼しい風が俺を迎える。これならかなり過ごしやすそうだ。
バルコニーにはいくつもの木製のベンチが並んでいた。
しかしベンチと言っても、クッションが敷かれていて座りやすそう。その周囲はこの前足を運んだレストランと同じく布で仕切られていた。
「……よし」
夜景を見ながらの休憩は悪くなさそうだ。
心地良い気温であれば、特にそう。
俺は最奥にあるベンチを見繕い、そこを目指して足を進めた。
◇ ◇ ◇ ◇
オヴェリアは疲れを感じていた。
客人含み、こういった夜会やパーティの際に挨拶することは慣れっこで、いくら笑みを振りまいたところで顔は疲れないというのに、今日は精神的に疲れていた。
――――あれが、ローゼンタール公爵。
オヴェリアもラドラムのことは知っていた。
リジェルの口からその名が出たこともあるぐらいで、リジェルは以前、『あの男があと十年早く生まれ、ガルディア国王に仕えていたら、負けていたのは連合国軍だった』と、ガルディア戦争を例に出したことがあったほどだ。
垣間見えた悪意には、ただの眉目秀麗な貴族でないことが彼女にも分った。
兄の言葉とはいえ疑っていたが、それが間違いであることに気が付かされたのだ。
「誰か」
そんなオヴェリアが呼んだのは、この会場で忙しなく働くサービス係の一人である。
「少し休みます。もしもお兄様がお戻りになったら、こう伝えてくださるかしら」
「はい。畏まりました」
返事を聞いたオヴェリアは歩きながら、自分に興味を寄せる者に笑みを振りまいた。
特に異性の視線がすごい。慣れたものだが、凹凸に富んだ身体を視姦されつづけていると、あまりいい気分はしない。
早いうちに休んで気持ちを切り替えたい一心だった。
「外に誰かいるかしら」
バルコニーへの入り口に立った彼女は、ここに居たサービス係に声を掛けた。
だが、声を掛けられたサービス係は言いよどんでしまう。
「お客様が一人…………ですが…………」
「分かりましたわ。それなら構いません」
「で、ですが――――っ!」
どうにもはっきりしないサービス係に対し、オヴェリアはいつもと違いあまり耳を傾けず、自分の手でバルコニーへの扉を開け、足を進めてしまう。
「そっ、外のお客様は――――黒髪の――――っ」
加えて精神的な疲れのせいもあり、その声を聞き逃してしまった。
ただでさえ、サービス係は客人の容姿が関わるとあって言い辛かったのだ。声の音量も低くて、会場の音に入り混じり、余計に聞こえ辛かったろう。
「なんですの……まったく……」
オヴェリアはため息交じりに歩いて、夜景が良く見えるベンチを目指す。奥のベンチは広いスペースが設けられているが、二つしかない。
彼女はその左側に進んでから、右側のベンチに人が座っていたことに気が付いた。
会場の灯りで、間仕切りの布が透けていたから気が付いたのだ。
――――先客がおりましたのね。
普段なら距離を保つ。
オヴェリアは作り物の笑みを振りまくとき以外は、できれば他者を寄せ付けないでいたい性格をしていたからだ。
だけど今宵は、脚が自然に動いたのだ。
――――私、どうしてしまったんですの?
自分に驚き不思議に思っていたら、まさか……と思った。
胸が早鐘を打ちはじめ、期待で頬が少しだけ緩んだ。
「お隣――――」
口を開いてから後悔した。
どうしてこんなに掠れた声なんだろう、と。
理由は分かる。緊張のせいだ。
「――――座っても……いいかしら」
だけど逃げることはせずに言い切った。
『構いませんが……もしかしてその声は……』
彼の声を聞いて、胸が弾んだ。
心の底から喜んでしまっていることに気が付いて、どうしましょう、と呟き辺りを見渡してしまう。
両手を豊かな胸の上で重ね合わせ、鼓動を聞きながら呼吸を整えはじめる。
そして、整え終えてから。
「賭けは私たちの勝ちみたいですわね」
勇気を出して、この言葉を発した。
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