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「アルケミア王国の王都は、世界の半分。一度訪れれば、人は美しさ、雅さに頰を落とし、森の一部となる。」
アルケミア王国、王都アルケミア。人口十万。千年以上繁栄し続ける、大都市である。人波がどこまでも続き、冬明けだと言うのに寒さを知らない。僕はぐしゃぐしゃになったボロ紙を丁寧に広げ、赤い塔を探した。
「ん?坊主、探し人か?」
目を凝らして辺りを見渡していると、声をかけられた。昼間だというのに酒気を帯びた、骨太の男がニコニコしながらボロ紙を眺めた。何かに気づいたのか、男はジッと一点を見、僕を見た。
「ほお、ネオラント教会か。坊主は熱心だなぁ。」
「はい。ちょっと用がありまして…」
「えっと。ああ、この地図古いわ。何年前のだ?これ。」
「やはり、そうでしたか。困ったなあ。約束に遅れてしまいそうだ…」
「もし良かったら案内してやろうか?実は俺も教会に用があるんでな、ついでに頼まれようか?」
「うっ、すいませんが、案内をお願いできますか?何分、田舎出の小僧でございますので。」
男はにこやかに頰を緩め、僕の頭に触れた。
「丁寧な小僧だ。よし、案内してやる。」
左右から甘い匂い、肉香が漂う。気をぬくとフラフラ引かれてしまいそうになる。僕は財布を広げた。涙が出そうだ。鳴り止まぬ音は、喧騒に消える。
「何だ、小僧。腹、減っているのか?」
男はニコニコ笑い、僕を背負った。
「どれだ?ここからならよく見えるだろう?」
人波はさまざまな浜辺に帰着していた。肉屋、魚屋、八百屋、食べ物屋。人垣の先にビッシリと堤防が連なっている。口元を懸命に啜った。喉だけは潤っていた。ハッと気付き、赤面した。手足をバタバタ動かした。
「いえ。お腹、空いてません!お、下ろしてください!」
男は笑った。見ればあたりの大人が僕を笑っていた。ぶるりと震えた。日に当たる林檎のごとく、朱はを深めた。
「嘘つけ!さっきからグーグー言ってんじゃねえか。ほら、今も。体は正直だな。さ、どれが食べたい?おじさんが奢ってやろう。」
甘い匂いがふわりと香った。顔が釣られ、男は僕を一目見て、また笑いながらゆっくり歩き始めた。
「ち、ちがうんです!お腹は減ってません!僕はもう子供じゃないんです!」
「はいはい。えっと。あ、あれか!」
バタバタ、バタバタしているうちに目の前にクレープ屋が現れた。
「ですから、僕は!」
「クレープ一つ、頼むぜ!」
「かしこまりました。少々、お待ちくださいませ。」
少しすると生地の焼ける香りがした。ジュウウと上がる煙に誘われ、懸命に喉を潤した。
「はい、どうぞ。しかし、可愛いお子様ですね。ぼく、お父さんに買ってもらえて良かったね。」
「ハッハッハ。今日は機嫌がいいからな。じゃ、ありがとな。」
男は僕にクレープを向けた。
「だから…」
男は笑った。
「いや、俺が食いたいだけだ。小僧が要らねえなら俺が食うが…うん、うまい、うまいぞ、店主!」
「ありがとうございます。」
「さ、小僧も食ってみろ。遠慮は美徳なのかもしれねえがどんなこともし過ぎは毒だぜ?ほら。」
「じ、じゃあ一口…。う、うましゃあ!」
目が潤み、天を仰いだ。一口を出来るだけじっくり噛み締めて、何度も口を動かした。香りは体を駆け抜け、酸味ある舌触りが胃を躍らせた。蕩ける頰。初めて体験した感覚。僕は手を顔に当てて、甘美な世界に踏み入れた。
目が覚めるとクレープは無くなっていた。男はニタニタ僕を見つめると
「本当にうまそうに食うな。奢った甲斐があったぜ。」
僕は頰を赤らめて、背から飛び降りた。
「あ、ありがとうございました!本当にありがとうございました!」
男は緩く微笑んで
「大げさなぁ。良いってことよ。困ったらお互い様だ。だから、小僧。これから、もし、俺に困ったことが起きたら助けてくれよ。」
「はい!もちろんです。」
「あ、悪い。酒、飲みたくなった。」
男は酒を一口押し込んで、僕を背負った。
それからしばらくすると、赤い塔が見えた。動き出しそうな彫刻一つ一つが薄赤くそまり、活き活きとしながら、ヒンヤリとした空気がゆっくりと流れ出していた。
「小僧、着いたぜ。じゃあ、一旦お別れだな。楽しかったぜ。また、会うことあったらクレープでも食べようや。」
「ありがとうございます。で、でも僕は子供じゃないですから、次はあなたに奢りますよ。」
「可愛くない奴だ。ククッ。じゃあな。この大きいとこが入り口だから、後は神父に尋ねろよ。」
男は軽く手を振るとあっという間に波に飲まれた。しばらく波を眺めたが、静かな大門に目を写し、そろりそろりと門をくぐった。