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第0話 はじまりは失望とともに

 広大な自然の溢れる「トレイユの森」、物語はここから始ま……らなかった。


「ひぃっ、ひぃ……ひいいい!」


 少年は走る、走って、走って、逃げ続ける。

 後ろ迫る恐怖から。

 人より巨大な体格、全身を覆う鎧の如き剛毛、そしてそれらを支えてなお走り続けることのできる、四本の強脚。

 魔猪ボア――本来もっと深層部を縄張りする、しかし時折表層にも表れるため、ついたあだ名が「初心者殺し」。駆け出し冒険者の死因その約3割を担う森の死神。

 一緒に探索していた仲間はもういない――この世には、もう。

 剣を持っていた仲間がまず死んだ――魔猪と木とで挟み込まれて死んだ。

 次に死んだのは弓使い。自慢の弓を剛毛で弾かれひき殺された。

 最後に死んだのが杖持つ少女。呪文の詠唱なぞ待つものかと突進された――彼女の魔法を見ることはついぞ訪れなかった。

 今日が彼らの冒険者デビューであった、輝かしい栄光にあこがれ夢見てその代償として死んでいった。

 彼らは幸福かもしれない、夢を夢のまま終わらせることができたのだから。

 だが不運にも生き残ってしまった少年は認めるしかない、冒険の過酷さを、辛さを、そして何より怖さを認めなければならない。

 彼は物語の端役。一刀の下に悪を切る勇者ではなく、鶴の一声で全軍を鼓舞する英雄でもない、ただ化け物をみてズボンに黄色のシミを広がらせるだけの端役。

 だから、だから逃げ出すのは仕方がない。仲間の死を見て怒り、牙を向けないことを責める者がいたとすれば、その人物は幸運だ。自分が使い捨ての歯車だと気づいていないのだから。

「死にたくない」「助けて」「殺さないで」――夢から醒めた少年は本来の仕事を思い出せた、命をこい、真に選ばれた英雄に助けをこう本職を。

だが、現実は常に無常。分不相応なる望みを抱いた者を、死神は決して許しはしないのだ。


「うっ‼ ガッ……か……はぁっ……」


 黒き死神は少年を捉えた。猛獣は勢いを殺すことなく、その少年を突き飛ばす。彼の体は宙を舞い、大地に叩きつけられた。

 足が折れ、あらぬ方向にねじれている。

 悪魔はゆっくりと振り返り、獲物がもう逃げられないことを確認する。

 内臓をぶちまけた剣士がいた、押しつぶされ骨を失ったレンジャーがいた、可愛らしい顔が岩に当たって醜女のようになった少女がいた。

 そして今、そのすべてが未来の自分自身となる少年がいた。

 彼はまぶたを閉じる。

 きっとすべてを認めたのだろう、涙が少年の頬をつたう。

 命乞いの時間は終わった。ここからは未来に向けて祈る時間だ、「来世では幸せになれますように」と。

 ……

 どのくらい祈ったのだろう。終焉の鐘はいまだ鳴らず、彼の命の蝋燭は今だ暗闇を照らしていた。

 少年はゆっくりと瞼を開いた。

 そこには一人の少女がいた。

 うるしような髪をまるで清流のようになびかせて。

 姿勢はブレもなくただまっすぐにぶきを構える。

 意志持つ瞳は星の輝き。

「神のいとし子」「精霊の落とし子」そう呼ばずにはいられない、「少女」というテーマの完成形がそこにはあった。

獣と少女の視線が交わる。

 魔獣は感じた、こいつは化け物だ、と。今までの人間とは違う、これはそう脅威だ、己の生命を脅かす障害だ。

 四本の脚に力を込める、出し惜しみのないまさしく生涯最大の一撃のために。


点火イグニッション


 片刃の刃に紅蓮の炎が宿る。

 市井しせいの魔法使いとは違う、彼女はたった一小節で魔法を完成させたのだ。

 先に仕掛けたのは魔猪。


 一歩――加速。

 二歩――さらに加速。

 三歩――最大加速!!


 猪と少女の影か重なり合う、その瞬間――少女は剣となった。

 そもそも、刀とは腕で振るう物にあらず。持つ右手、添えられた左手、足腰にいたるそれらすべてを動かすこと、それこそが「刃を振るう」ということなのだ。

 故に、一切の余分な過程プロセスを挟まぬそれは、二の太刀要らず。

 猪は体と頭部がたもとを別れ、たおれる。

 彼女はそれを一瞥いちべつすると、少年の方に振り向いた。


「あなた、弱いんですね」

「……え?」


 そう言う彼女の顔には僅かながら失望が感じ取れた。

 少年はわけもわからずその場に立ちつくす、思考のオーバーヒートは彼から行動原理のすべてを奪っていた。


「あなたなら、ひょっとしたらと思っていたのだけど、ちがう、こんなに弱い人が『ロアの系譜』とは思えない」


 静寂が支配する森で、つぶやかれた言葉が少年の耳にわずかに届く。


「あ、あの……何を言って……」

「あなたは知らなくていい事よ、あまり詮索しないで、すると後悔するから」


 その言葉の意味が知りたくて、少年は彼女に問いかける。しかし、彼女の方は取り付く島もない素振りで少年を突き放す。


「それから、あなた冒険者には向いてないわ、悪い事は言わないから早く辞めた方が身のためよ。この仕事をする限りこんな光景は日常茶飯事、才能の無い者には残酷な世界なのだから……」


 それから女は少年から背を向けると、出口に向かって歩き出した。

 しばらく放心していた少年が動き出した頃にはもう姿は見えなくなっていた。


「……お礼、言いそびれちゃったな」


 ――こうして、若き少年ヒロの愛と勇気と希望の物語が幕を開ける……予定だ。

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