第六話 二人のシンクロニシカ
「きゅきゅきゅ!」
「きゅーきゅー!」
「きゅいきゅきゅいい!!」
ゼルが地面に着地すると、カーバンクルの群れたちはいっせいに彼に向かって飛び掛かってくる。その姿はまさにどう猛な肉食獣のそれだ。しかも、優に百匹程度はいるだろう。
ゼルは必死に、向かってくる赤い光を観察した。しかし、その中のどこにも青の光は見当たらない。
「くっ――!」
危うく群れに飲み込まれそうな距離まで接近して、ゼルはようやくその場から飛びのき、脱兎のごとく駆け出した。
逃げ出して距離を取っては、青い光を探す。逃げては、探す。それを何度繰り返したことだろうか、さすがのゼルも耐えかねて叫んだ。
「くそ、どこにも碧色の奴なんていねえぞー!?」
こんなことなら最初から全部ぶっ飛ばしておけばよかったと、小さく後悔する。だがそれもいまさら言っても仕方ない。すでに逃げ回り続けて相当な体力を消耗しているし、素早く動いてぶん殴ることしか能のないゼルにとって、自分と同じように素早い、小さな大量の獣というのは苦手な方の部類であった。
――でも、こんなとき、ほかのウィザードたちはどうしてるんだろう? 決してこういう局面が得意な奴らばかりでないはずだ。
たとえばアズラだったら。そう考えたとき、ゼルはあることを思い出した。先日の決闘のとき、アズラとディミは、ゼルたちとは決定的に違う部分があったのだ。それは、
『後ろですわよ、アズラ!』
的確に指示を出すディミの存在だった。
「普段からコミュニケーションを取っている」そう語っていたディミの言葉は、比喩でもなんでもなく、そのままの意味だったのだ。前線で戦うウィザードに対して、マスターが的確な指示を出す。それこそが、彼らの強さの一つだった。
そして、そのことを悟ったとき、ゼルの頭に最初に思い浮かんだのは、
「ミリアちゃん……」
愛しい自分のマスター、その人だった。
ゼルは急激に、ミリアの顔が見たい衝動に駆られた。だが、戦いの最中に不謹慎かもしれないと思いながらも、顔を上げて彼女を隠した岩壁の方に目をやった。
本当は、顔など見られるはずがなかった。ミリアには、自分がなんとかするから隠れているように言ったのだから。
――でも、彼女はそこにいた。
「――! ――――!」
なにをいっているのかはわからない。でも、必死で何かをゼルに訴えかけようとするその様子は、ゼルを彼女のところに戻らせるのに十分だった。
「きゅー!」
「邪魔だ!」
動きを止めたゼルに襲い掛かるカーバンクルを吹き飛ばし、ゼルは壁を駆け上る。
そして、そのままの勢いでミリアの肩を掴みかかった。
「……きゃっ!? ど、どうしたの?」
さすがのミリアも、ゼルの行動に困惑の声を上げる。だがゼルはそんなことはまったく気にせず、
「今、なんて言った!?」
と、せわしない口調で尋ねていた。
「えっ……何?」
「いいから! 今、なんて言ったの、ミリアちゃん!」
「えっと。碧色のカーバンクルは、あっちって」
「ひょっとして、いつもそうやって指示を……?」
「うん」
「アズラと戦ったときも……?」
「うん。ウィザードが戦っているとき、的確なアドバイスをするのはマスターの役目だから。……でも」
「……でも?」
「いつも、間違ってたらどうしようって思うと、大きな声が出せなかった」
「――――!!」
その衝撃的な言葉を信じられず、ゼルは少しの間言葉を失った。
自分は、常に一人で戦っているつもりだった。
ミリアは後ろにいてくれさえいればそれでいいと思っていた。
まさかいつも、彼女が自分に指示を出そうとしていてくれていたなんて。
まさかいつも、彼女も自分と一緒に戦ってくれていたなんて、夢にも思っていなかった。
「俺、ミリアちゃんを信じる」
ゼルはミリアにしがみつくのをやめた。それは、彼女の努力――夜を徹しての特訓、参考書の読破、など――に裏打ちされた彼女の知識量を悟ったからだった。そして、それはどれも自分にはないものだった。
「ミリアちゃんは決して間違ってなんかいない。ずっと努力してきたんだ、それは俺が保証する」
ゼルはミリアに背を向け、眼下に迫るカーバンクルの群れを見た。さきほどまでまったくどう対処していいかわからなかった敵たち。今もどうしたらいいかなんてわからないけど、ミリアが後ろにいるだけで、何の障害にもならないように見えた。
「だから、俺のことも信じて、指示をくれ!」
「わかってる」
視界の端に光が映って、ゼルはミリアの方に振り向いた。彼女が山吹色に光る杖を振りぬくと、その光がゼルの体を包む。
「『緑鱗の御盾』!」
ゼルは自分の体の変化に目を見張った。固く張った鱗がドーム状に展開されたそれは、さながら盾のような意匠を見せる。
「……これ、昨日の!?」
「碧色のカーバンクルの宝石は、額とは違う場所にある」
「! それって――」
ミリアは教室で実習ギリギリまで読んでいた本を開いた。『洞窟魔物図鑑』――その中のカーバンクルのページを指差して、ミリアは自信満々にゼルを見据えた。
「私に作戦がある」
それは、これまでゼルが思っていたような無気力でも、無関心でもない、一人のマスターの目だった。
「――わかった!」
ミリアの作戦を聞いて、ゼルは一つうなずくと、すぐさまカーバンクルのひしめく場所へと飛び降りる。
「さあ来い、キツネども! アオオオオーン!!」
ゼルが挑発代わりの雄たけびを洞窟内にとどろかせると、カーバンクルたちはいっせいに彼に向かって飛び掛かった。それを確認して、ゼルは姿勢を低くし、腕の盾にすっぽり隠れるような体制をとる。
そして、まるで小山のようにカーバンクルたちが縦の上に積み重なったの時、ミリアが追撃の呪文を叫んだ。
「『第二の竜眼』!」
その瞬間、ゼルは全身の筋肉が連動し、力がみなぎってくるのを感じていた。
「第二の竜眼」。それはドラゴン系のウィザードのみに使用できる補助魔術であり、その身体能力を数段上げる強力なものである。
ゼルは今の今まで、そんなもの必要ないと思っていた。自分自身の力で、十分に戦えると思っていた。
でも、撤回させてほしい。
ミリアと「二人で戦う」ための力というのは、なんて力強いものなのだろう。
「うおおおーー!!!!」
制御しきれないほどの力で、ゼルはまとわりつくカーバンクルたちを弾き飛ばす。
そして一気に吹き飛ぶ彼らの中――正確には、ひっくり返った腹部から、ひときわ輝く碧色の光を見逃さなかった。
「――見つけた!」
ゼルはその碧色のカーバンクル目がけて一足飛びに距離を詰める。
「うらあ!」
そして、その腹部の宝石目がけて、ありったけの力で拳を叩き込んだ。
小気味の良い音が鳴って宝石が粉々に割れていく。
それは、一組のマスターとウィザードの新しい始まりの音のようにも聞こえた。
◇ ◇ ◇
どうやら碧色のカーバンクルは、彼らの群れのボスだったらしい。
水を打ったように静かになった洞窟で、ゼルとミリアは座り込んで休憩を取っていた。
「…………」
相変わらず、気まずい沈黙が空間を支配していたが、それを打ち破ったのは、
「ゼル」
ミリアの呼びかけだった。
「えっ?」
「私が『違う』っていった意味、分かってくれた?」
ミリアは地面から目を逸らさないまま尋ねる。それに対してゼルは思わず、
「わかんねえ」
とため息交じりに返していた。
「ずっと黙ってて、何にも言わないし。こっそり俺に隠れて修行とかしてるし。そんなんで、わかるわけねえじゃん」
「……ごめん」
「だーかーらー!」
ゼルはいら立って、両の手でミリアの顔を掴むと、無理やり自分の方に向けた。
「これからも、教えてくれよ。その……二人での戦い方ってやつを」
「……うん!」
そう答えたミリアの笑顔は、ゼルが今まで見たことのないような、屈託のないものだった。
ウィザードの強さには、そのウィザードが生まれ持った資質に左右されることはないと、誰かが言った。
それはつまり、マスターとの一体化が最も大事だということである。
ゼルとミリアは、その意味では今まで最弱だったのかもしれない。
でも、これから先もそうだとは、誰にもわからない。
ゼルはこれまでの夢を捨てた。「ミリアを最強のマスターにする」のではなく、「二人で最強になる」ことを目標として歩み始めた。
「お、出口だ」
碧色のカーバンクルを倒したことで、ようやく教室に戻るための扉が現れたようだった。
先に立ち上がったミリアは、ゼルに向かって右手を差し伸べる。
「行こう、ゼル」
「……ああ!」
二人が初めて握り合った手がぬくもりを持つまで、さほど時間は掛からなかった。