第三話 そんなわけねえじゃん
ゼルたちウィザードは、マスターの生命エネルギーをもとに生まれ、生命エネルギーを消費して現世のさまざまに介入する。攻撃を受けた場合は生命エネルギーを消費し、それが尽きた場合にはウィザードは消えてしまう。
ただ、それは人間のように「死」を意味しているわけではない。再びマスターから生命エネルギーを切り分けてもらえば、理論上は何度でも蘇ることができる。
意識を失った(消えてしまった)あと、ゼルは寮のミリアの部屋の中で再び目を覚ました。彼女が教えてくれたところによると、アズラと決闘をしたその日の夜らしい。つまり、その日のうちに、ミリアがわざわざゼルを召喚しなおしてくれたということに他ならなかった。
ミリアの部屋はいつもどおりの殺風景だった。木造りのベッドと机、そしてびっしりと本が詰まった本棚。あとは何もない、女の子にしてはシンプルな部屋だ。ミリアは机に向かって座り、何かの本を読んでいるようだった。この学園に来てから一日として変わらない、彼女の日常だ。
「あの、ミリアちゃん……」
ゼルはミリアの背中に恐る恐る声を掛けた。薄手の紺色のカーディガンに、骨ばった肩が透けて見える。ミリアは今日も心配なくらい細かった。
「ゼルは悪くないよ」
ミリアは振り向かないまま、本をめくる手を止めた。そして続けて、
「至らなかったのは私の方だから、気にしないで」
それだけ言うと、再び読書に戻っていってしまった。
「…………」
ゼルは結局何も言うことができなかった。
自分とミリアの運命を変えるはずだった戦いは、無様な姿を晒しての敗北になってしまった。それなのに、謝罪の言葉一つも受け付けてもらえないのだ。
これでは、余計に惨めな気持ちになるばかりではないか。
「ちょっと俺、散歩してくる」
ゼルがそう呼びかけても、ミリアからの返事は帰ってこなかった。
一般に、ウィザードは二つの形態を持つ。戦闘や普段の活動時など、メインの形態である通常形態。もう一つは、人間の拳ほどの大きさまで小さくなった妖精形態だ。通常形態は、人間よりも大きなアズラや人間より小さいゼルがいるように、ウィザードによってその大きさはまちまちである。しかし、妖精形態はどんなウィザードでも小さくなり、マスターから離れすぎない限りは自由に移動・浮遊することができる。学園内でも、授業中などを除けば、この妖精形態でいることが望ましいとされていた。
ゼルは妖精形態を取ってから窓を抜け出し、寮の中庭へとやってきていた。学園の女子寮はカタカナの「コ」の形をしており、その中心部分には噴水やベンチがあって、寮生のみならずウィザードたちにとってもちょっとした憩いの場所となっていたのだ。
ただしすでに日も暮れて久しいこの場所には、ほとんど人はいなかった。
寮の最上階、三階にあったミリアの部屋からふよふよと力なく這い出てきたゼルは、ほど近いベンチにゆっくりと腰を落ち着けて、「ふう」と一つ息を着いた。
「ダメだなあ、俺」
上を見上げたまま、ゼルはひとりごちる。星のない夜空だ。背の高い広葉樹林の葉が空の半分くらいを覆って、なおさら夜は真闇に近づいている。
――完敗だった。
自分は、アズラ相手に何もできなかった。奴に触れることすら敵わなかった。
こんなことで、よくも「ミリアを世界一のマスターにする」などと言えたものだ、と自分のことながらおかしくなってきてしまうくらいだ。
「本当、俺、ダメだよなあ……」
ああ、いけない。
視界がぼやけてきた。
今日は雨が降るとは聞いていなかったのに。
こんなことじゃ、ミリアに笑われてしまう――
「あんた、こんなとこで何やってんの?」
背後から、聞きなれた声が聞こえてきたのは、その時だった。
ゼルは慌てて目をこすり、振り向いて、その姿を確認する。まずその足元――正確に言えば、植物の花弁のような形をした下半身に目が行った。ゆっくりと視線を上にあげると、紫色の肌をした人間のそれに近い上半身と、ちょこりと乗った小さな顔が見えた。さらに、
「そこ、私の指定席だから。あんたが座ると湿って気持ち悪いからどいてくれない?」
この歯に衣着せぬ物言いだ。
「んだよ、ラニか」
ゼルは「驚かせるなよ」という意味を含みながら、がっかりした声で彼女の名前を呼んだ。
樹婦人のラニは、今日の決闘の立ち合いをしてくれたミリアのクラスメイト、カヤのウィザードだ。カヤ自身がミリアと仲が良く、必然的にゼルとラニも話すことが多い。
もっとも、ゼルから見た彼女の感想は、「口うるさいやつ」程度の認識だったのだが。
「見てたわよ」
「あ?」
「今日の決闘。全然相手になってなかったじゃない」
ふんっ、と鼻から荒く息を吹き出しながら、ラニはベンチの隣に腰掛ける。どうやらどかなくてもよいらしかった。
「うるせーな」
「あんたって本当馬鹿よね。ウィザードのくせにマスターよりでしゃばりだし、目立ちたがりだし。そしたら今度は馬鹿みたいに落ち込んでるし。一体なんだってそんなに自己主張激しいのよ?」
「……俺は!」
ゼルは勢いよく立ち上がり、ベンチの上でふんぞり返った。
馬鹿馬鹿とうるさいこの女には、一度きちんと説明しておかなければならないと考えたからである。自分がなぜ、こうまでしているのかを。
「俺はな……ミリアちゃんが大好きなんだ!」
そう高らかに宣言した彼を待っていたのは、
「はあ?」
まるで自分には理解できないものを見たとき、思わず発せられてしまうような声だった。
しかし、ゼルはそんなことでは負けない。
「ミリアちゃんはかわいい! あの水晶のようなつぶらな瞳! 真一文字に結ばれつつも、柔らかそうな唇! そしてガラス細工のみたいに華奢な身体……すべてが完璧なバランスで成り立っているんだ!」
「…………」
「それだけじゃない。あのクールな性格の中に時折見せる優しさ……! さっきなんて、なんて言ったと思う!? 『ゼルは悪くない。至らないのは私の方だから、気にしないで』……だぜ!? くーっ! そんな風に自虐的になられたら、ますます俺頑張りたくなっちまうよ!」
「あのさ」
「はい」
「キモい」
「はい……」
中庭には再び静寂が訪れた。
あまりに辛辣なラニの物言いにゼルが何も言えないでいると、彼女も気まずさを感じたのだろう、
「なに。それじゃあんた、大好きなミリアのためにあの子を成り上がらせてあげようってわけ?」
とゼルの気持ちを推し量るように尋ねた。
「ああ! ミリアちゃんこそ、選ばれた人間しかなれない、マスターの中のマスター『マスターオブマスター』になれるはずだ! 俺はそう信じてる!」
「あーもう暑苦しい。ほんっと暑苦しいから止めてそういうの」
再び語り始めたゼルに対して、ラニの態度は冷え切ったものだった。そして、心底疑問に思ったという声で、
「だいたいそれ、ミリアはどう思ってるの?」
「――ん?」
ゼルの思考は、一瞬、停止した。
なぜそんなことを聞かれるかわからなかったからだ。
「え、なにその反応? まさか、いやだって、ミリアを持ち上げようってんだから、その話あの子にしてるのよね?」
「してない」
「なんでよ!?」
目の端を釣り上げて怒鳴るラニの勢いに圧されて、ゼルは思わずたじろいだ。
「だ、だって……『俺が』ミリアちゃんをトップにしてやろうっていうんだから、別にミリアちゃんがどう思ってるかなんて関係ないだろ。それに、マスターならその頂点に上りたいって必ず思うものだろ?」
「あんたねえ……」
ラニは心底呆れた表情で深くため息をついた。その反応にはゼルも不服だったが、あまりに想定と違う彼女の反応に不安を覚え、次の彼女の言葉を待たざるを得なかった。
「それって、あんたの思い込みじゃないの?」
そして今度は、ゼルの方が、
「……はあ?」
不可解の声をあげなければならなかった。
「俺が俺がって、実際に矢面に立つのはマスターのミリアなんだから、関係ないわけないでしょ。だいたい、ミリアは本当にそんなものになりたいの?」
「いや、マスターなら誰しも普通は抱く夢だろ!」
「普通ってなによ」
「それは……」
その問いに、ゼルの答えは出てこなかった。
たぶん、平均と似たような意味なのではないかとは思う。それでは平均はどこなのか、平均からどのくらいはずれたら「普通」でなくなるのか、それを説明する力は彼の中ににあるはずもなかった。
「……普通は、普通だよ」
そう返すことが精一杯だった。
「その程度だと思ったわ。少なくともカヤ……私のマスターは、そんなものになりたいなんて思ってないわよ。あの子の夢は、治癒魔術を使って私と一緒に医療現場で働くことだから」
「えっ!? そうなの!?」
「この学園は確かに戦闘訓練に力を入れてるみたいだけど。それだけじゃないからね、マスターの選択肢は」
ミリアが再び呆れた目でゼルを見る。どう見ても、「あんたそんなことも知らなかったの」という目だ。
「だいたい、ミリアなんて四六時中本読んでる大人しい子がそんなこと考えるとはとても思えないわ」
「…………」
「まあ、本当のところはわからないけどさ。ミリアの望んでることと違うようなら、あなたのはただのありがた迷惑な自分勝手よ」
冷たい目のまま畳みかけるラニ。
その口撃に、ゼルが返すことができたのは、
「……うるせえ!」
愚にもつかない意地だけで口から出た言葉だった。
「なんだなんだ、さっきから黙って聞いてりゃ好きかって言いやがって! 俺とミリアちゃんのことなんて、なんも知らねえくせに!」
「少なくともあんたよりはミリアのこと知ってるわよ。ってか、あんたが知らなすぎなんじゃない?」
「そんなわけねえだろ! 俺だって、ミリアちゃんのことなら……!」
そこまで言いかけて、ゼルはようやく気づいた。
後に続く言葉が、何一つ出てこないのだ。
確かに、はじめて彼女に召喚されたとき、最低限の自己紹介は聞いた気がする。でも、それ以上のこと――何が好きかとか、何が嫌いかとか、何がしたいとか、何がしたくないとか、ミリアのことは何一つ出てこなかった。
代わりに出てくるのは、何も知らない彼女への、自分からだけの一方通行な想いだけだった。
口を開けたまま何も言えないでいるゼルを見て、ラニはベンチから飛び降り、ゼルから背を向けた。そして、振り返らないまま、
「まあ、自信があるなら直接あの子に聞いてみればいいんじゃない? なんたって、『俺のマスター』なんでしょ?」
放り投げるように言って、ラニはどこかへと帰って行ってしまった。
「そんなわけ……ねえじゃん……」
力なく吐き出されたゼルの声は、響くことなく、彼の口先で空間に溶けて消え失せた。