第一話 ちょっとした出来心だったんです
はじめ、の合図とともに、ゼルは激しく両足を蹴った。
「うおおおおおおおお!!!!」
宙に飛び出しながら発した咆哮で、自分の体を覆う無数の緑の鱗が震えるのを感じ、ゼルは無意識に悟る。
今日も、絶好調だ。
ゼルは一蹴りで間合いを半分まで詰めると、その勢いのまま全速力で走りだす。
今日こそ証明するのだ。
この一戦が、召喚獣である自身と、そのマスターであるミリアの運命を変えるものであると、彼は確信していた。
「いっくぜ!! デカブツ!!」
――自らの拳が届く前に吹き飛ばされた、その時までは。
◇ ◇ ◇
召喚術。それは自分のパートナーたる召喚獣を生み出し、使役する魔術の一種である。
魔術の歴史の中で、召喚術というものが登場したのはごく最近のことらしい。もちろん、歴史書のなかでの「ごく最近」というのは数十年から百年程度のスパンを示すのだから、人の一生を鑑みれば存分長い。それでも、約二万年続く魔術の世界では新参者という扱いである。
では召喚術が軽んじられているかというと、まったくそんなことはない。むしろ逆だ。さまざまな特殊能力をもつウィザードの使役は、戦いの場のみならず社会システム上でも重要な役割を持つようになった。
世界は今、空前のウィザード社会なのである。
一つ重要な点は、ウィザードはただ人間に使役されるだけではなく、知性を持つ生命体だということだ。それだけに、ウィザードを使役する召喚士との一体化が重要とされている。
マスターとそのウィザードを教育する召喚学園アダムドラは、ウィザード社会の未来を担う子どもたちが、日々学ぶ場所であった。
「はいはーい先生、俺それわかるー!」
ある講義室で行われていた授業でゼルが手を上げると、教師も生徒たちも、こぞって奇妙なものを見る目を彼に向けた。
濃緑色の鱗に覆われたゼルの右腕は、視線をはねのけるかのように凛と天井に向かって真っすぐ伸びている。彼はそうしながら、「シシシ」と小さな笑い声を上げた。
「ゼルくん……あのね、私は今、マスターの皆に聞いてたの。ウィザードのあなたは、答えなくていいのよ?」
1-Aクラスの担任、メイルは、戸惑いながらもゼルを諌める。
彼女の言い分はこの学園の中では至極まっとうなものだった。
確かに、学園ではマスターとウィザードは常に一緒に行動し、一緒に学ぶことが必須とされている。それでも、主となるのはマスターであり、ウィザードはあくまでその付属、マスターに付き従う者であるという考えが強かった。
だから「竜戦士のウィザード」であるゼルが、マスターであるミリアの命令もなく勝手に手を挙げたことは、容認されることではない。そんなことは承知の上で、ゼルも手を挙げていた。
「えーなんでダメなんだよー。いいじゃん、わかるんだし」
「ダメったらダメ! あなたはミリアさんのウィザードなんですから」
ゼルが食い下がっても、メイルはまったく聞く耳を持たない。
「じゃあミリアちゃん、答えてよ」
ちぇっ、と言いながらゼルが隣に座るミリアに呼びかけると、
「……私が? どうして」
と、ミリアは鉄仮面のような表情を一切変えずに、こともなげにゼルの提案を却下した。
良く言えばクール。悪く言えば何を考えているのかわからない――ゼルのマスターであるミリアは、贔屓目を差し引いても美少女であるのは確かなのだが、積極的な態度とは正反対な性格をしている。
「わかると言ったのはゼル。私は何も言っていない。なのに、どうして私が答えないといけないの?」
その様子に、ゼルは「やれやれ」とだけ首を振って、あとは机の上に頬杖を突くだけだった。
ゼルは知っていた。ミリアが今の問の答えをちゃんとわかっていたことを。そして、おそらく正しいという確信も持っていたことを。
それでも、自分で挙手をして答えるということはしない。万が一間違っていたときに恥ずかしいからなのか、そもそも人前で話すことが苦手なのか、その要因はわからない。
いずれにせよ、自分のマスターながら、改善したい事柄の一つであることは確かだった。
「では代わりに私が答えますわ」
そう言って立ち上がったのは、ゼルの斜め前に座り、くるくるとしたツインテールが特徴の少女、ディミだった。
彼女は、はきはきとした様子で迷いなく答える。その声が耳に入っている間、ゼルは嫌な思いをしてため息をついた。
「……はい、さすが委員長のディミさんですね。正解です。座っていいですよ」
「ふふん、どんなもんかしら?」
ディミが鼻息を荒げながら、後方のミリアとゼルの方を見た。その視線を感じて、ゼルはまた一つため息をつく。ゼルがしていた嫌な思いというのは、ミリアの同級生であるディミの性格についてだった。
学級委員長、ディミ。ゼルはこの女がどうしても苦手だった。自分たちウィザードを人間の下僕か何かだと考えている、あの見下した目。なまじ優秀な成績をひけらかすような言動、態度。すべてが鼻持ちならない。
「すごいね、ディミ」
「どんなもんかしら」という問に正直に答えようとしたのか、ミリアは無表情なまま小さな声で答える。
「いやすごいねじゃねーって! なんか言い返せよミリアちゃん!」
「なんか?……なんか、って?」
「そんなの私もわかってたーとか、この程度でいい気になんな! とかだよ!」
「私はわかってたけど、答えたのはディミ。なら、私はすごくない」
「なんでこんな時だけ理路整然としてるんだよ!? そうじゃなくてさ、こんなやつにえらそうな態度とられて、悔しくないのかって……」
「わめくのはお止めなさい、トカゲのウィザードさん」
ゼルの言葉を遮って、憎たらしい憐れみの言葉を放ったのは、やはりディミだった。
「あなたがなんと言おうと、ミリアさんはこうですから。あなたも知っているでしょう? 彼女の性格は」
ミリアはへの字型に細めた目だけをミリアの方に向ける。意地の悪い声はそのままだ。
そして、彼女の言葉に「確かに」と思ってしまっている自分がいて、ゼルはまた嫌な気分になった。
彼がこうしてミリアを説得しようとして、折れてくれたことは一度もない。いつもマイペース。いつも、いつもどおり。これがミリアという人間を端的に表す言葉だった。
「まあそう言ってやるなよディミ」
沈黙を拾ったのは、彼の目の前に座るディミのウィザードだった。
ゼルと比べて、その違いは歴然だった。
まず、身体の大きさが違う。ゼルの身体は少女であるミリアたちの三分の二の程度しかないのだが、彼はミリアたちより頭一つ大きい。しかも、筋骨隆々とした四肢に銀色の体毛が覆うその姿は、彼が圧倒的な強者であることをまざまざと見せつけるかのようだった。
巨大なゴリラのウィザード――銀髪猩・アズラは、彼のマスターであるディミとまったく同じ、ゼルとミリアを見下した表情で、
「結局俺たちウィザードは、ディミのようにマスターがしっかりしていなければ何もできない。そう考えれば、こいつは哀れなトカゲ野郎なんだよ」
「――! なんだとー!?」
地鳴りのような低い声でニヤけるアズラに、ゼルは思わず怒鳴り返していた。
「アズラくん、今のはひどい」
「ミリアちゃん!」
珍しく、ミリアが静かな声で異を唱えていたことに、ゼルは喜びの声をあげる。
「ゼルくんはトカゲではなく、どちらかというとヘビ」
「そこかよ! 俺のために怒ってくれるのは嬉しいけど、リザードマンだからトカゲで合ってるから! ホントはドラゴンって言ってほしいけど!」
「私がしっかりしてないマスターなのは本当。反論のしようがない」
「ぐっはっは! ウィザードと違ってマスターはずいぶん潔い! 自分の無能さを理解しているというのは大事なことだ」
アズラの低い笑い声が教室中に響くのを聞きながら、ゼルの頭は惨めな思いでいっぱいだった。
無論、トカゲとバカにされた自分のことではない。マスターを無能と言われたことについてだ。マスターがマスターなら、ウィザードもウィザードである。二人とも、人のいやがることを的確について傷つける。
こんな経験は一度や二度ではないし、ゼルたち以外が対象になることも何度もあった。それでもゼルはミリアがまったく意に介していないので黙っていたのだが、今度こそ限界だった。
――自分だけならまだしも、マスターをバカにされて黙っていられるわけがない。
「いい加減にしろ! さっきから聞いてりゃいい気になりやがって……!」
気づけばゼルは机上に立ち、伸ばした人差し指の先をアズラに突きつけていた。
「俺と勝負しろ!」
ゼルの精一杯の啖呵は、教室中に響きわたって反響した。だが、
「……後悔するなよ?」
アズラのいやらしく歪んだ口の端を見て、ゼルは少しだけ後悔の念を抱いていないこともなかった。




