第1話
この話のみ少々暴力行為をふくみます。
どのような事情があったにしても、暴力は犯罪です。
暴力行為の推奨は一切いたしません。
その他、少々暴言をふくみますので気分を害される可能性があります。
申し訳ありませんが、言葉遣いが悪い文章を読むと気分を害される方はお控えください。
柊の品性は疑わないで下さるとありがたいです。
「お前もこれぐらい知っとかなきゃ都会の男とはいえねーよ」
なんて先輩に首根っこ掴まれて連れて行かれたオトナの飲み屋は、おねーさ
んが席に付いて水割りを掻き回すようなオトナさではなく。
木製のドアにカウベルの柔らかい音色が向かえてくれる、狭い店内に2つの
4人掛けテーブルと6つのカウンターがあるだけの小さな飲み屋だった。
狭い割に酒の種類は豊富らしく、バーテンダーの向こうに並ぶ酒瓶が天井ギ
リギリにまで達しているのはかなりの圧巻で。
安心と、ちょっとはあった期待が外れたことに小さく息を吐いたのが半年前
。
今まで行ったどの居酒屋とも違い、とても静かで、おだやかな空間を楽しめ
るオトナの憩いの場になっているその店は、いつ行ってもカウンター半分とテ
ーブルが埋まる程度の賑わいで、寂しくもなく、うるさくもなく…丁度良い距
離感をたもっていて。
大学では必ず人の輪の中にいる俺だったけど…それが楽しいと思ってたけど
…本当は、結構気を使っていたんだなって、初めて知ることが出来た。
それから、そのバー(飲み屋って言ったらマスターににらまれた)がおれの
フェイバリットスペースになったんだけど。
カウベルがコロンと鳴った店に入って早々、力ずくで連れ込まれたのは、中
々きれいにしてある個室1つに小用1つのこじんまりとしたトイレ。
背中を突き飛ばされて、小便器にしがみ付くようにしてタイル張りの床に倒
れこんだ。
振り返ると、歳はそう変わらないハイティーンの『悪ぶってます』感満載の
顔が3つ。…やべ、1つ心当たりあるわ。
そう思ったときには、その心当たりクンがおれの横っ腹に遠慮一切なしの蹴
りを見舞っていた。
「げぐっ」
ミシるアバラに息を止めてこらえると、あざける笑いの2重奏が耳に届いた
。
「ゲグ!だってぇ〜ちょーうける。ベラベラ喋るウザイ口から、げぐ!だって
〜。聞いた?」
「ひゃひゃ、あほくせえ。ストライク!ってことなんじゃねぇの?…おい、な
んか言ってみろよ」
ばか笑いする男と、頭をつま先でガツガツ蹴ってくる男、両方へ平等に腹を
立てつつ、唯一憎しみで見下してる…見覚えも心当たりもある男に向かって、
おれは顔を上げた。
「…は、てめえのは逆恨みってんだよ。あほはどっちだ。…因果応報ってやつ
だよ。リカが離れてったのはてめぇの悪行のせいだっての。悔い改めろよ。お
れにいくら当たってもムダだっつーの」
「人の女呼び捨てにしてんじゃねーよ」
見下す目の色には、本気の憎しみ。
…あぁチクショ。わかってたよ。この手の類が簡単には引き下がらないって
ことは。
「てめぇが色々リカに触れ込みやがったから、リカが別れたいなんて言い出し
たんだ。殴っても蹴っても言うこと聞きゃしねー。絶対別れるとか訴えるとか
さー。冗談じゃねーっての…てめえのせいだ。てめえがおれの女奪おうってん
だろ」
「…リカは前から暴力ふるう男は願い下げだったってよ。女相手に暴力ふるう
男はサイテーだよなって言ってやったら泣いて頷いてたぜ。…自業自得って習
わなかったか?小学校で」
「何いってんのコイツ。ガッコのセンセーかっての」
「いうこと聞かねー女の方が悪いんじゃね?殴られなきゃわかんねーのは悪く
ないんですかー。ぎゃはは」
どういう関係かは知らないが、下劣さは同格らしい腰ぎんちゃくの汚い笑い
声を無視して、俺はまっすぐ見下ろしてくる物騒な目線に睨み返す。
「人の女に手ぇ出したらどうなるかはわかってるよなぁ?」
言葉と共にこれ見よがしな指鳴らしのパフォーマンスに、げんなりしながら
抜けそうになる腹筋に力をこめた。
そんなの今時小学生でもしねぇっつの。つーかトイレでボコるってなに世代
よ?
暴力男だって聞いてたけど、喧嘩慣れしてるわけでもないらしい。
…ホント、転がった人間と女にしか手を上げられないサイテイ男だってワケ
か。
深くつきたいため息をなるべく細く吐き出して、おれは相談に来ている間中
泣き通しだったリカの青あざの痛々しい横顔を思い浮かべた。
リカ、別れるって言えて本当によかったな。頑張ったな。どれだけ殴られた
のか…蹴られたのか。ひどくなってなきゃいいけど。…頑張ったんだな。えら
かったな。
じゃ、おれもふんばらねぇと。こんな奴に致命傷なんか食らったら、ホント
にバカだ。
「フラレ男の八つ当たりに付き合ってやる気はねぇよ。心入れ替えて他の女捜
すんだな」
「…いまさら土下座されても許す気なんかねーけど、やっぱり腹立つわ。おま
え」
「殺っちゃう?おれもコイツすっげー気にくわねーし」
「はは、理由なんていんじゃん?ぶっ殺せば?」
…気安く物騒な単語を並べてくれる。
悪趣味な子供じみたやり取りに恐怖なんか感じもしないけど、その言葉が持
つ意味合いにブルっと体が震えた。
それを見て、あざけるように笑う奴らが気に入らないけど、こんな体ばっか
しでかいガキみたいな奴等と対等に成り下がる気はこれっぽっちもない。
ひどい癖毛の髪を掴まれて上向きにされるのと同時に、奥歯を噛み締めた。
ーいいさ。殴られるのには慣れてんだ。
一瞬浮かんだ痛みへの恐怖を、強く目をつぶってやり過ごす。
大丈夫。死にゃしねえ。
すぐやって来た痛みは、恐れたほどではなかった。
どれほど時間が経ったか。
痛みよりも、それに備えて力をこめ続ける筋肉が悲鳴を上げ始めた頃。
「…おい、次がつかえてんだ、用を足さねえんならサッサと空けろ」
この場に似合わないセリフが、不機嫌な声で現在進行形な暴行現場に掛けら
れた。
「あ?んだよ、取り込み中だよ見りゃ分かるだろ!」
「見れば用を足してねーみたいだから、よそ行ってやれって言ってんだろ。耳
悪いのか、それとも頭悪いのか?」
ン?としゃくったような、ドスの利いた低く響く声に、暴力に酔っていた男
達の手が止まった。
恐る恐る頭をかばった手の隙間から見上げると、3人組の背中の向こうに人
影がチラチラと見える。スーツの肩とツンツンな短い髪の毛。
体格は標準値を超えているらしく、当然今この場では飛び抜けて強そうに見
える。
「便所なら別の店行けよクソじじい!」
フラれ男が負けん気でがなるのを、両脇から慌てた目で凝視する滑稽なコン
トを見ていると、その向こう側から低い低い、ちっとも笑えない笑い声が胸に
まで響いた。
「口の聞き方には気ぃつけろよ坊ちゃん。今度はてめぇが顔面でトイレ掃除す
るか?」
楽しげな口調が怖いと思ったのは生まれて初めてだった。
その男は本気で実行するつもりで、そのことを楽しんでいるようなのだ。悪趣
味だが、強い。
それを同じく感じ取ったのか、左右の2人が慌ててトイレから出ようとあがい
た。
「お、俺もう飽きたからいいわ。じゃあな」
「俺も…」
入口に居る男を避けてコソコソ去って行く後ろ姿に、内心ケッと吐き捨てて
、まだ男とにらみ合っている最低男をうっすら見上げた。
「…さて、どーすんだ?オトモダチは泡食って逃げ出したみたいだが」
「…うっせーなクソじじい…てめぇこそ、こいつの二の舞いにしてやる!」
ヤケクソに叫んだサイテイ男の蹴りが、不意に眼前に迫った。
「クソ、バカが!」
ガツンと食らった衝撃にブラックアウトしたのはその直後だった。