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再会

「いったい……何なんですか、あれは」

 学園のグラウンドから少し奥へと行ったところにある丘の上。古代クラスを中心に十数人ほど、見物の生徒が集まっていた。皆が見ている先には、遠く、森の中に見える巨大な円形の草原地帯。

 今日まで、大木の広場と呼ばれていた場所だった。

 しかし今、本来ならば巨木がそびえ立っていた中央部分には跡形も無く、大地にぼっかりと巨大な穴が開いていた。だが皆の注目を集めているのはその穴ではない。穴から飛び出したであろうその生き物であった。

「あんな巨大な鳥……、初めて見ました」

 アリストテレスのその言葉に、皆一同はうなずいた。

 ゾウ数頭分に匹敵する大きさの巨大な黒い鳥が、穴の周囲を旋回している。時折、耳をつんざくような甲高い鳴き声を出す。

 ともに丘の上にやって来ていたアナクサゴラス先生がいつもとはまるで違う静かな口調で話し始めた。

「あれはガズールといって、十年前に学園を恐怖のどん底に落とし入れた伝説の怪鳥よ。ロック鳥というモンスター」

「も、もんすたぁ? だ、大丈夫なのソクラテスちゃん! 一人だけで相手なんて無茶だよぅ」

 プラトンが泣きそうな声をあげる。

「先生……どうしてソクラテスを一人で向かわせたんですか?」

「すべては十年前に遡るわ……」

 回想シーンに入りかけた先生を、アリストテレスは裏手で制止する。

「手短にお願いします」

 残念そうな先生。

「……えっと、十年前に怪鳥ガズールを倒したのがソクラテスだったから今度も頼んだの」

「え。……ソクラテスが? 十年前といったらまだ小学生かそこらですよね? あんな大きな鳥を? 本当ですか?」

「あの子は……昔から強かったのよ」

 遠く広場を見ながらつぶやく先生。怪鳥はそこを離れようとはしていない。ソクラテスもまだ広場に現れていなかった。

「信じられないです。あの人、強いのは知っていましたが……それほどだとは」

「もっとも、当時はまだガズールも、大きめの馬くらいのものだったけどね」

「…………え、先生、それ、かなり大きさ違いませんか?」

「そうね」

「……」

「……」

「……ソ、ソクラテスーっ! 逃げてーっ」

 再び悲鳴に近い声をあげるプラトン。

「大丈夫、落ち着いてプラトン。ソクラテスには回転の力が備わっているのよ」

「か……回転、ですか? いつも先生が言ってる?」

「ええ。私はかつてのまだ純粋無垢で私の言うことを素直に聞いてくれたソクラテスに、回転の力の素晴らしさを言って聞かせたの。回転は神秘だ、すべては回転で説明できる、回転こそ無限の力だ、回転寿司は美味しくて安い、回転を信じろ、エトセトラ、エトセトラ……」

「まぁ……その手の一点突破主義はこの学園では時々見られますが……。でもなんでそんな教えからソクラテスみたいな疑問炸裂型の問答屋が育ったんでしょう」

 アリストテレスの問いに、問題教師は首を横に振った。

「それは逆よ。あの子はもともとああなの。何でもかんでも、これは何あれは何? これは何故あれはどうしてと尋ねてくるから、いい加減面倒くさくなった私は、もう回転の一点張りで押し切ることにしたのよ」

「先生。教育者としての何かが地に落ちてますけど」

 そのとき、脱線した話をする二人の横で、プラトンが悲鳴にも似た叫び声をあげた。

「ソクラテスちゃん!」

 ソクラテスが広場に現れた。

 学園最強の拳を持つ少女は、一歩一歩、既に大木のない大木の広場の中央に歩を進めていた。近づいてくる少女に興味を持ったのか、怪鳥が旋回をやめ、広場の中央に着陸した。羽を閉じてじっと彼女のほうに首を向けて身構える。

「に、逃げて! ソクラテスちゃん!」

「せ、先生! 応援呼びましょう! 孫子とか墨子とかニーチェとか……一人じゃ危険すぎます」

「落ち着いてふたりとも。この件は内密に処理したいのよ」

「どうしてですか! 先生! ていうかもう内密はかなり難しいと思うんですけど」

 丘の上に集まってきている生徒は既に、それなりの数になりつつある。

「何を隠そう、私のペットだったの。ガズールは」

「ペ……ペット!?」

「どういうことですか!」

「十年前、私が特製の目玉焼きを作ろうと取り寄せたロック鳥の卵だったんだけど、うっかり孵化させてしまったの」

「先生! 何やってんですか昔から!」

「有精卵だとは思わなくて……。しかたないから育ててたくさん卵を産ませて元を取ろうとしたんだけど、孵化した時から既に大型犬くらいの大きさだったし、しかもあの気性でしょ? 部屋で飼うこともできなくて、こっそり学園のあの広場で飼っていたの」

「……」

「でも、あれよあれよという間に大きくなってしまって手がつけられなくなって。しかもオスでしょ? 卵も産まないんじゃしょうがないやと思って放っておいたら……。勝手にスクスク育ったあの子は、自力で鉄製の首輪を引きちぎって自由を手にしたの……。見事に学園をパニックに陥れたあの子を見た時は、さすがの私も覚悟を決めて転職先を探そうと決意したほどよ」

「先生がなぜクビにならずにいるのか私には不思議でならないんですが」

「でもその時! まだ幼いあの子が……ソクラテスがたった一人、近づくものを攻撃しようと暴れるガズールに近づいていったの。私は最愛の弟子と教師の職を同時に失うかもしれないという恐怖に震えたわ。でも、次の瞬間……」

「瞬間……?」

「私は思い知ったわ。あの子にたたき込んだ回転を信じろという教えが身を結んだことを」

 ぐっと拳を握りしめる教師。

「……」

 ごくりとつばを飲み込むアリス。

「それは見事な、コークスクリュー・パンチだったわ」

「……」

 アリスは、もうこの教師の言うことを聞くのをやめることにした。

「一撃で巨鳥を沈めた彼女は、危険だから殺すべきだという保健所の意見と、せっかくだから焼き鳥にすべきだという私の意見に逆らって、あの鳥の命を守りたいと言ったのよ……」


 *


 ソクラテスは立ち止まった。

 広場の中央にあいた大穴の前に見知った青年がたたずんでいた。その背後には巨大な黒い鳥の姿。出てきた穴よりも大きいんじゃないの、とソクラテスは思った。

 彼女は立ち止まった。青年と対峙する。

「で……答えは出た?」

 そう尋ねた。

「ええ、思い出しました。自分が、何者か」

 ソクラテスは頷いた。

「聞こうか」

 青年も頷く。

「ええ、僕は…………ガズール」

 くぃぃ、と巨鳥が叫び声をあげた。

「……卵のまま親と離され、この学園で十年前に産声をあげたロック鳥の子供です」

 青年は悲しげに答えた後、ソクラテスを見た。

「良かった。思い出せたのね」

 ソクラテスはそう言った。

「あなたはやはり最初から……知っていたのですね?」

 そう尋ねる青年に、ソクラテスは肩をすくめる。

「まさか。ただ、ここは私があなたを仕留めた場所だもの。姿はだいぶ違ったけれど、雰囲気からかな、なんとなくあなたかもしれないとは思ったのよ。何の気なしにね、ガズールの名前を出してみたら、ほとんど学園のことを知らない筈のあなたが知っていたじゃない。それでまあ……もしかしたら、とは思った、かな」

 ……青年は背後を振り返った。そこには既に巨木はなく、巨大なロック鳥が代わりに羽を休めている。

「そのわりに驚いた様子がないんですね」

「封印、解けちゃったわけね」

 ソクラテスは青年の問いには答えず、代わりに聞いた。

「あなたのその拳……」

 青年もまたソクラテスの問いに答えず、代わりに尋ねた。

「殴ることで、知性を宿らせる。そういう力なのですね。三度、いや四度か……あなたに殴られ続けて、ようやく僕にはわかってきた」

 ソクラテスは顔の前で手を振った。

「知性を宿らせるだなんて、大げさよ。私はただ、叩き壊しているだけ。どう言えばいいのかな、私にはね、話をしていると、視覚的に見えることがあるのよ。相手の頭の中にある、何かをわかっているという思い込み、みたいなものが、ね。それを叩き壊すの。外からショックを与えて、粉々にする。でも、それだけよ。思い込みが崩れた後、何を知っていくのか。私にはわからない」

「……十年前、僕は自分に知性があることと、自分以外に知性があるということをあなたに殴られて初めて理解した」

 ソクラテスは頷く。

「そしてあなたは、命まで奪われることなく、ここに封印されたのよ。当時学園に在籍してた、封印術を使える先輩のおかげでね。大木の広場というのはその時からの名前。今日まであったあの大木は、根であなたの体を包み込み眠らせ続けた、封印樹という特別な木なの。ただ……死なないようにエネルギーを送り続ける木の性質が、ここまであなたを成長させてしまうとは知らなかったけどね」

 そう言い、青年の後ろの巨大な影に目をやるソクラテス。

「僕はここで眠りながら力を蓄え続けた……。そして十年が経過した最近になって、僕は人間としての分身を作り出した。それがドルト。この体です」

 ソクラテスは、うなずいた。

「答えは受け取ったわ。それじゃ次の質問」

 ソクラテスは青年を指さした。

「あなたはなぜ、私を求めたの?」

「今ならわかります。僕は眠りながら、感じていた。自分の中の破壊衝動が日に日に抑えられなくなっていくのを。もう抑えられているのは嫌だ、地上に出て暴れたい、破壊したいという欲求が止められなくなっていくのを。だから、必要だったんです。もういちど、十年前にあなたの拳によって呼び起こされたあの知性の高ぶりが必要なんです。あれで僕は救われた。もう一度あれを。でなければ……僕は僕の内なる凶暴性を抑えられない」

 ドルトはそれが理由ですと叫んだ。両手を広げてソクラテスに哀願する。

「どうか僕を救ってください! あなたに殴られ気付かされることで、その知性で、僕の中のあいつを抑え込める筈だ。もうあいつが目覚めてしまった。僕を助けて欲しい! あなたならできる筈です。僕の凶暴な性質そのものであるあの鳥を……葬って欲しいんです!」

 そう叫んだ青年の言葉を、ソクラテスは黙って受け止めていた。そして、そういうこと、と呟いたが、風にかき消されて青年には届かなかっただろう。

 代わりにはっきりとした言葉で、ソクラテスは尋ねた。

「ドルト、あの巨大な鳥はなぜ、今おとなしくしているの?」

 そう言って青年の背後の巨躯を指さす。

「……?」

「あれがあなたの凶暴な性格の部分なのだとしたら、なぜこうして地上に出て自由な今、私を襲わないの? 悠長に待っているわけ?」

「それは……つまり…………」

 だが青年は答えを口にできなかった。

「答えられないのなら、私が答えてあげようか。分身であるあなたが私と話しているのを、待っているのよ」

「……」

「もう、わかってるでしょ? あの鳥もあなたも、同じものなのよ」

「同じもの……?」

 ソクラテスは、首を縦に振った。

「いい? ドルト。……一つ、勘違いしてる。知性で凶暴性を抑える、ですって? それは違う!」

 叫ぶ。

「知性こそが、凶暴なものなのよ!」

「……」

「あなたがやるべきことは、凶暴さを封じ込め続けることじゃない! 飼い慣らすことだった。でも……あなたは逃げてしまった。自分の中の凶暴さを置き去りにして、ドルトという別人格を作りだして助かろうとした」

「…………」

 それを聞いて、青年は震えていた。全身から力が抜け、倒れかけ、膝をついた。

 ソクラテスはぎゅっと口を引き結んだ。

「……」

 悲しげに怪鳥が鳴いた。いや、泣いていた。

「あの鳥もあなたよ。葬ってしまえば……あなたも消滅する」

「……この人間の姿は所詮かりそめ……偽物だったってこと……ですね」

「……」

「すみません。ソクラテスさん、最後までご迷惑をおかけします。今度は……あなたも手加減することはできないでしょうし」

 弱々しく微笑んだ青年に、ソクラテスもまた少し微笑んだ。

「何言ってるの。十年前だって手加減する余裕はなかったわ」

 ぼんやりと、ソクラテスの拳が光り始める。ドルトは弱く微笑んで、うつむき、そして糸の切れた人形のように大地に倒れ伏した。それを合図に。


 くぃいいいいいいいいいいいい……。


 細く長く、怪鳥ガズールが鳴き声をあげた。翼を大きく左右に広げる。真っ黒な体毛に覆われたその筋肉が膨張し、両翼で鯨の体長を超える長さの翼が大地に向かって圧縮した空気を叩きつける。

「ひゅぅ。さて、やるしかないわね」

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