表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

短編集

迷子の少年と憧憬の願い

「……ああ、帰りたい」


 ボクはそんなつぶやきを耳にする。誰が発した言葉なのだろう、と感覚を研ぎ澄ませると、人間界ではペンライトと呼ばれているモノを片手に、もう一方の手では腰あたりまで伸びる草木をかき分けながら進んでいる少年を見つけた。

 ここまで人間が来ることは珍しい。しかも、こんな森の奥まで来るのなんて、道から外れないと来られない。

 昼に鳴いていた蝉はなりを潜め、代わりにカエルの大合唱が奏でられている。

 少年はざっくざっくと、少し湿った土を踏みしめながらどんどんと奥地へ向かっていた。

 これより先に行くと、危険が多い。ボクたち野生動物でも危険なのに、軟弱な生き物である人間が行くことになれば、草木は掻き分けられないほど険しくなり、虫も大きくなっていくような過酷な世界だ。


「まさか迷うなんて……。こんなことなら肝試しなんかしなきゃよかった」


 はぁ、と肩を落とす少年の元に、一匹の巨大な水玉模様のカエルが飛び出そうとする。

 この少年は、まだ何もしていない。だから、このカエルが何かをするのはおかしな話だ。まだ見逃していいんじゃないか、と。

 だからボクは、カエルの前に躍り出た。ポン、と跳んで目の前に立ち、威嚇する。近くでみると、紫色の水玉模様はとても面妖だった。

 カエルは一瞬で怯み、ボクから逃げるように跳ねて逃げていく。追いかけるなんてことはしない。ボクは少年を、これ以上奥地に進めないようにしなくちゃいけないから。

 少年は進む。彼の両手を合わせた大きさのカブトムシがすぐ横を飛んでいたことにも気付かず、足元を斑模様の蛇がうねっていても気付く様子は全くない。

 少年はぐいぐい突き進む。彼らのような虫や動物は、まだ生ぬるい。

 進んでそれほど間もなく、少年と同じ背丈の草木になり、彼よりも大きな草木に囲まれながらかき分ける姿があった。

 これ以上行っちゃうと、ボクじゃ止められない動物や虫がたくさんいるのに。

 意を決して、ボクは近くにあった葉っぱを一枚千切り取る。大きな大きな刺々しい葉っぱで、一種の毒を持っている。それはボクの体を包み込むだけの大きさがあった。けれども、少年にとっては手のひらと同じくらいの大きさだろう。

 人間の女の子の姿を思い浮かべながら刺々しい葉っぱを体に巻き付けると、ボクの体がむくむくと大きくなり、少年より大きな草木の半分程度の背の低い人間の少女の姿に変わった。葉っぱは消えず、ボクの首に巻き付いている。

 これで大丈夫。

 少年の向かう先で待ちかまえ、足を重たそうにして歩く彼と出会う。周囲にはカエルや蛇、クワガタムシや手のひらサイズのありんこもいた。だというのに、彼は気付いていない。月明かりも、星明かりも、奥地にある泉の光もあるというのに。


「ぅえ⁉」


 立ち止まり、おかしな声を出す少年。コテリと頭を傾け、どうしたのだろうと思考する。でも、彼は待ってくれない。


「幽霊……本当にいたなんて……っ!」


 急に方向転換した少年は、走り出した。ボクを避けるようにして、茂みのない湿った土が露出している場所を通る。一歩踏み出すと、足がぬめりと少しだけ沈んでいた。

 知らないのだろう。茂みのない道が、一番危険な道なのだと。だから行ってしまった。

 だけどどうしてボクを怖がったんだろう?

 ユウレイ。そんな生き物は、この森にはいない……と言うより、聞いたことすらない。

 ボクが知らないだけで、人間界では有名なのかも。そう思うと、ストンと納得がいく。

 はやく追わないと。少年が向かった先を目を細めてみて、どうしよう、と考える。けれども、解決策は見つからない。出会う前に連れ戻すしか、方法は思い浮かばなかった。


 少年のあとを追いかけ、ようやく後ろ姿が見えた。たくさん走ったから、息が苦しくて呼吸が乱れる。

 些細なことだ、それは。この先にいる主と会うことに比べれば、大した問題なんかじゃない。

 少年より背の高かった草木は、湿った土の道以外を埋め尽くしている。だけど、木々はもっともっと大きくなって、彼が二人いても届かない高さだ。月明かりや星の光も遮られてしまいそう。


「すごい……」


 少年は立ち止まっていた。当たり前だ。この先にあるのは、彼がいまいる場所は人間界では見られない、とっても綺麗で美しい泉。

 木々のさざめきと同時に、水面も揺れる。波紋が広がり、泉に落ちた葉っぱがゆらゆらと透明な水の中を落ちていく。水底は一枚の大きな大きな岩があった。少年が四人いてやっと届きそうなくらいの水深がある。

 泉を覗き込もうとして、体を前倒しにしようとしている少年の服の裾を摘んだ。すると、びくりと体が震えてゆっくりとボクの方に振り返った。彼の手に、ペンライトは握られていない。


「ぎゃぁぁぁああああっ‼」


 突然の大声に、思わず摘んでいた服の裾を離す。少年は叫び声をあげたまま、背中から泉に倒れて行く。

 光の胞子が泉から飛び出て、少年の体を受け止める。胞子が柔らかく受け止めて、ぷにぷにと形が変わった。ぎゅっと押しつぶされそうで、胞子はもう受け止めきれないと言わんばかりに、ボクに向かってチカチカと点滅のアピールをする。

 あわあわしながらも少年の服をうんしょと引っ張っていると、彼も顔を怖くして必死にボクの手を握ろうとした。


「はぁ、はぁ、死ぬかと思った……」


 無事に引っ張り上げると両手を地面につき、少年は大きく息を吐き出す。

 どっはー、と言う少年はおかしくて、クスクスと口を抑えて笑った。


「ね、ねぇ、キミはだれ?」


 少しだけびくつきながら、少年が前のめりになる。ボクのことを見つめて、鼻の下が伸びていた。

 ふるふると首を振り、少年の問いには応えられないことを伝える。ボクは聞くことはできても、話すことはできない。だって、ボクは人間じゃないんだもの。


「ねぇってば」


 腕を掴んでくる手をゆらりと避けて、つんと顎をあげる。こうすれば、きっと話せないことをわかってくれる。


「も~! せっかく聞いてるのに!」


 上唇を噛む少年は、ボクから視線を転じる。彼の視線の先には泉があり、仄かに泉が光を放っていることに気付いたようだ。

 また乗り出す少年の服の裾をパッパッと連続して引っ張り、危ないよ、と伝えた。意思が無事通じたのか、彼は乗り出すのをやめた。


「キミ、なんの用?」


 それはボクのセリフだよ。どうしてこんなところまで来ているの?

 とは聞けず、ただ外を指差す。来た道を戻ろう、と服を引っ張っても、少年は振り払ってしまう。

 むかっと頭にきたボクは、少年の頭をチョップした。


「いったぁ~! なにするんだよ!」


 涙目になってボクを睨み付ける少年。でも、これだけじゃ終わらない。ここにいたら危険だから、はやく戻らないと。


「言いたいことがあるなら言ってよ! 出っ歯!」


 ぴたりと動きを止め、懐かしさに想いを馳せる。けれど、あの人に付けられたその名前は特別なモノで、少年に言われるのはナニかが違う、と感じた。

 ボクはチョップをやめ、来た道を戻る。たびたび振り返って少年をみるも、彼は光の胞子や周囲の景色を楽しみながら、泉の底を何度も覗き込んでいる。

 もう、知るもんか。

 首に巻き付いていた刺々しい毒素を持った葉っぱをはがし、元の姿に戻る。


「うわぁぁぁあ‼」


 ――あの子の叫び声!


 何かが……いや、何かじゃない。主が現れたんだ。

 慌てて駆けつけようとしたけれど、ふいに足が止まる。

 どうして助けにいかなくちゃいけないんだろう。ボクの忠告を散々無視したのはあの子なのに。


「誰か、助け……! 出っ歯ぁあ‼」


 卑怯だ。

 このタイミングでボクに助けるのは、卑怯だ。助けを求められたら、行くしかないじゃないか。

 ボクは湿った土に足を取られながら、駆ける。短い手足を必死に回して、泉の光を目指して走った。

 光が突然消える。夜の暗闇が訪れた。けれどそれは、急に夜に変わったわけじゃない。泉の光を遮るほど大きな体を持つ何かが、ちょうど入り口に立った。そんな大きな体を持つ生物は、この森には主しかいない。ただそれだけで光は遮られ、本来の夜闇が取り戻される。

 つまり、少年の身に危険が差し迫った、切迫した状況であることを教えてくれている。彼を助ける。ボクは真っ直ぐ、精いっぱい走り抜けた。

 体が小さくて軽いから、湿った土のぬかるみに足を取られることもない。人間の体はやっぱり不便だと、こういうときばかりは思ってしまう。でも、人間には人間のいいところも、悪いところと裏返しのように備えていることを、ボクは知っている。

だから助けたい。助けなくちゃいけないんだ。少年だって、好き好んで主に襲われているわけではないのだし、彼は何もしていない。そう、何もしていないんだ。


「いやだっ! こっちに来ないで‼」


 小さな声。語尾は強く、本人は叫んでいるつもりなのだろう。けれども、その声は異常に小さく、震えている。

 怖くて怖くて、たまらない。心がボクに直接響く。それが、ボクに力を与えた。全身から力が漲るように体温が上がる。力が強くなったわけではない。だけど、ボクの助けを待ち、恐怖に怯える子どもがそこにいる。力の源なんて、こんなものだ。


 ――見えた! 闇を体現する黒くて大きな体を持つ主は、絶対に倒すことはできない。そんなことができるなら、ほかの動物たちが既に成し遂げている。


 渾身の突撃。全身全霊をかけた一撃だ。

 少年が五人くらい入りそうな巨体を持つ主が、ぐらりと体を傾けた。その隙に、彼は地面を這って主から逃げていく。

 服がどろだらけだ。そんなんじゃ、お母さんに怒られちゃうよ。あとで、川に案内してあげよう。

 でもいまは、そんなことを考えていられない。余計なことは全てシャットアウト。主から目を離さず、少年をチラリと見る。彼の足は震え、どうにも立ち上がれそうになかった。


 ……ボクが主を仕留める? そんなことできっこない。


 わかりきっていることだ。できないことをする必要はなくて、ボクにはボクのできることをするのみ。

 じゃあ、ボクにできることは?


「うぅぅぅ」


 めそめそ涙を流しまくる少年。泣く暇があるなら走れ! と言えたらどれだけ楽なことか。


「グルルァ」


 主が唸る。闇のように深い黒の体にドスの効いた低い声。突然の不意打ちだ。機嫌も相当悪いように見えるし、ボクに気付かれる前に逃げたかった。

 少年がちゃんと走って逃げてくれていれば、ボクは見つからずに逃げられただろう。


「グルァ!」


 主の爪が空を裂き、ボクを襲った。あんなの見えない。見えるわけがない。怖い……!

 空中に吹き飛ばされたボクは、意識が飛びそうな痛みの中、ぽちゃん、と落下する。

 あれだけ澄んでいた泉の水は、中に入ると真っ黒けだった。月と泉の光に照らされる明るい夜とは違い、深く、時間の流れがないと思わせるほど静かな闇の世界。

 ああ、少年を助けないと。そう思いはしても、体中が軋む。打ち付けられた体に力が入りにくい。

 暗くて、何も見えなくて……怖い。どうして少年を助けようとしていたのだろう。どうして、ボクはこうまでして彼を……。

 人間が好きだからかもしれない。昔、一緒に旅をしていた青年の意志を、ボクが継いでいるからかもしれない。あれはまだ、ボクが子どもの頃だった。


『なにシケたツラしてるんだ? ネズミなのに。俺と一緒に来いよ』


 ワハハ、と快活に笑う青年がボクをひょいと持ち上げ、ボクがどれだけ矮小な存在なのか、旅をしているうちに知った。人間になりたいと思わせてくれる、優しく温かい人。

 彼も、ボクのことを「出っ歯」と名付けていた。同じ名前で呼ばれて、懐かしみもある。ただ、それが許せない自分もいるけれど。

 だからだろうか。少年を助けてやりたいと思うのは。あのときの青年のように。

 掻けるわけがないのに水を掻いて、いつの間にかボクは水面に浮上していた。


「出っ歯……?」


 少年がボクを見て、ゆっくり、それでいて確実に、大きく目を開いていく。

 青年に教えてもらった特殊な毒を持つ、ボクにしか効果のない刺々しい葉っぱを体に巻いたりはしていないのに、先ほどと同じ人間の女の子の姿になっていた。

 わからない。こうなった理由も、経緯も。けれど一つだけハッキリすることは、この姿でなら少年の手を引いて逃げられるということだ。

 近くに斑模様の蛇がいた。少年の足元をずっとうろついている蛇だ。そして、ボクの友達でもある。森の友達は心強い。

 この場を任せても、彼は死なないだろう。うまく逃げおおせるに違いない。ある種の信頼が、ボクたちの間には存在している。

 少年の手を力強く握り、思い切り足を踏み出す。無理やり彼の体を起こし、行くよ、と目で訴えかけ半強制的に連れ出した。


「出っ歯、お前……」


 あたふたしつつ、少年もしっかりと土を踏み、足を前に出し始めた頃。彼の表情は戸惑いの色を滲ませている。

 もうゆっくり歩いて大丈夫。後ろを確認して、ボクは走りを緩めて少年の手を離した。


「お前、なんで」


 パキリ、と。妙にその音だけが耳に残った。少年の声よりも大きな音のように聞こえたけれど、当然そんなハズはない。だけど、ボクの頭に警鐘が響く。

 ぎこちなく、ジジ……と横を見た。釣られて少年も、一緒にそちらを見た。


「うぎゃぁぁぁああああっ‼」


 斑模様の蛇が、ボクの友達がVの字を、体全体を使って表現している。うまく主を撒くことに成功し、ここまで追いついて来たと考えるのが妥当だ。

 思わずハイタッチしてしまい、それを見た少年は失神してしまった。仕方のない子だ。

 先ほどの警鐘は気のせいだったのだろう、と簡単に判断することはできない。ボクたちは、その本能の警鐘を何よりも信じているから。

 もう一度、ボクは全方位を確認した。特にこれといった問題は見当たらない。だから大丈夫。きっと、問題ないはずだ。

 それに、警鐘はとっくに消えている。ガンガンと鳴り響くようなことはない。

 斑模様の蛇と頷き合い、ボクは手のひらサイズのありんこたちと意思疎通を図って、少年を森の出口まで運んでくれないか頼み込んだ。ありんこたちもボクの森の友達。だから、快く引き受けてくれた。

 ありんこたちが頑張っているうちに、ボクは適当な大きさの葉っぱを体に巻き付ける。

このまま裸でいるのは、人としておかしい。

 やっぱり、ボクは人間になったのだろうかと思いはしても、人間になったという確信はない。人間に化けることはできても、ずっとその姿でいることなんてできやしない。

 だからこそ、ボクはボクの扱いに困る。


「ん……」


 腰程度の高さになった草木に、左右を挟まれた土の道。少年が少しずつ瞼を持ち上げて行き、目を開く。彼はきっと、横になりながら地面すれすれを運ばれる経験は、もうしないだろう。

 ボクが歩みを止めると、ありんこたちも止まった。少年が目を覚まそうとしているのだから、少し待ってみよう。


「んっ……出っ歯?」


 少年が体を起こし、ボクを見た。

 もうじき森の外だ。ボクは道の向こうを指差して、いつの間にか斑模様の蛇が拾ってきていたペンライトを彼に渡す。


「あ、これ!」


 表情が一変し、嬉しそうにペンライトを握ると、少年は立ち上がった。


「その、いろいろ……ありがとう」


 たった一言。けれど、これを聞くために助けたのかもしれない。


「しゃべれないのか?」


 悲しそうにして上目遣いでボクを見る。かつての青年と重なって見えて、思わずぶるりと体が震えた。


「あいつら、心配してるだろうな……。出っ歯、俺さ、もう戻らなきゃいけないんだ」


 それくらいわかってるさ。ボクだって、人間界にいた時期があるんだから。


「だから、俺と一緒に……」


 ドキリ、と胸が高鳴る。

 ボクの期待とは裏腹に、少年はおちゃらけたように笑う。


「なんてな!」


 はぁ、と落胆するボクを見て、彼はボクの顔を覗き込んだ。


「まぁ、あれだ。いろいろ怖かったけど、おもしろかったし、また来てやってもいいぞ」


 こくん、と頷くと、少年は手を差し出してきた。ボクもすかさず手を伸ばし、互いに手を握り合う。


「こういうときは、またなっていうんだ」


 ほら、と少年は催促する。

 声なんて出ないよ。でも、せっかくだし口を動かしてみよう。それで納得してくれるハズだ。またな、というのは、別れと再会の意味を込めた言葉だと、青年から聞いている。

 ボクは嬉しさを感じながら、少年と向かい合った。ボクの心の準備を待っていたかのように、少年は同時に口を動かす。


「「またな!」」


 その言葉を最後に、彼は走っていった。


お久しぶりの投稿っ!

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] RT~のツイートから来ました! この度は、RTしてくださりありがとうございました! 作品の雰囲気が個人的に好きです! [一言] これからも頑張ってください! 応援しています!
2017/05/05 00:06 退会済み
管理
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ