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(9) 発見

読者の皆様、お待たせいたしました。

今回は、第9話「発見」をお送り致します。

山中へと突入した和馬達の前に厄介な障害が立ちはだかります。

それでは、始まり、始まり。

「こいつは、ちょっと……。まいったなあ」



「はあ〜。まさか、こんな状態だとは……」



予想とは違い、余りの状況の悪さに唖然として、立ち尽くす2人の目の前には、高さ5m程の常緑樹が密生し、更にこれら樹木の下には、人の腰程の高さの草や蔓植物が生い茂る藪が一面に広がっており、クライミングの次には、「藪こぎ」の試練が、2人を待ち受けていた。



「やれやれだぜ」



2人は、顔を見合わせて苦笑いをすると、これから、行く手を阻む藪へと挑む為に、腰の位置にベルト固定しておいたマチェットを取り出す事にした。

黒い樹脂製のグリップを握り、次にシースロックを外すと、2人は、シース(さや)から、ゆっくりとマチェットを引き抜いた。



「さて、こいつを使って前進するとしますか」



「大島さんが、見つけてくれた、このマチェットが早速、役立つ事になったな」



「全くですね」



黒い刀身を持つマチェットを手に握った2人は、隙間が無い程に生い茂る藪を刈払いながら、少しずつ前進を開始する。



目の前に広がる藪の中では、上部にも樹木の葉や枝が生い茂っている為、ある程度は、直射日光を遮ってくれており、夏の強い日差しだけは、何とか避ける事が出来るのだが、代わりに、ほとんど風が通らない為、とにかく、うんざりする程に蒸し暑い。

ただし、暑いからといって、上着を脱いでしまう事は、ここでは厳禁であり、肌を露出させ様ものなら、生い茂る枝やトゲの類によって、たちまち、皮膚を傷つけられてしまう可能性が高い。

その為、例え暑くても、ひたすら、我慢せざるを得ず、更には、重いザックを背負いながら、体を動かしている事により、その分、大量に汗が噴き出し、同時に体力も奪われてゆく。

更に、そこに追い打ちをかけて来るのが、蚊の存在だ。

ヤブカは、2人の顔や首筋など、少しでも肌が露出している箇所を狙って、ひっきり無しにつきまとい、何とか刺される事を防ぐ為に、暑いというのに、頭や首にも、タオルを巻く羽目になる。

藪、暑さ、蚊、更にはトゲのある樹木や足元に絡まる蔓植物など、うんざりする様な物が、和馬達の前へと立ちはだかる。




『一刻も早く、ここを出たい……』




この時、和馬と雄太は、全く同じ事を考えていたのだが、行けども、行けども、なかなか藪の終わりは見えてはこず、この見通しの利かない樹木の海は、まだまだ続く。

この、全く先が見通せず、周辺の変化に乏しい上、進む為の目標となる物が全く無い藪の中では、自分達の位置を把握する事すら出来ず、方向感覚さえも失いかねない。

また、行く手を阻む藪によって、視覚で方向を知る術が無いばかりか、更にはコンパスを持っていない2人は、方角すら把握する事が出来ず、この状況では、下手をすると、藪の中を当てもなく、延延と、さ迷い歩く羽目になってしまう。

しかし、そんな不安な状況の中で、和馬達が唯一、頼れる物があるとしたら、それは聴覚、そう、音であった。

例え、今が視界を遮られている状況だとしても、海から聞こえて来る波の音を頼りにして、音の聞こえて来るエリアから、絶対に離れず、歩いて行けば、少なくとも迷わずには済む。

そこで、和馬達は、波の音が聞こえて来る範囲から外れる事が無い様に注意しながら、それから、ひたすら3時間、藪こぎを続けた。

やがて、前方の樹木が、少しずつ減り始め、地面も緩やかな下りの傾斜へと変わり始めた。



『やっと、藪の終わりが見えてきたな』




少しほっとした和馬は、顔中から流れ出る汗をタオルで拭いながら、あともう一息だという意気込みで、マチェットで懸命に藪を刈払う。

こうして、通り道を作りつつ、時間を掛けて長い緩傾斜を下りきり、前方を塞ぐ、背丈程に伸びた草を刈払うと、急に目の前が開けた。



「よし!やっと、藪を抜けたぞ!」



「ふ〜う。やりましたね。ここから先は、浜の様ですよ」



2人の目の前には、膝下程の草が繁っている程度であり、この草むらを抜けさえすれば、その先は、もう砂浜である。

2人は、草むらの中を並んで進み、強い日差しが 照りつける砂浜へと出ると、再び、波打ち際を目指して歩いて行く。



「これで、何とか岩場を迂回出来ましたね」



「ああ、かなり苦労はしたけどね。ああ〜、それにしても、疲れた……」



かなり体力を消耗し、すっかり疲れはてた様子で波打ち際近くまで歩いて来た2人は、手に持ったマチェットをシースの中へと収納しながら、岩場が広がっている方向を向いて、現在の様子を確認し始める。



「おい、和馬君。あれ……」



「あ〜、やっぱり」



眩しい日差しを避ける為、目の上に手を翳す和馬達の目の前に見えたのは、岩肌の剥き出しになった切り立った崖と、その岩肌に直接、強い波が当たり、砕けている光景であった。



今は、すっかり満潮を迎えているのか、歩いて通り抜けられる様な岩場は既に無く、完全に水没してしまっている状態である。

どうやら、2人が早目に岩場を迂回し、急斜面を登るルートを選択した事は、正解であり、その後、苦労した藪こぎは、無駄では無かったのだ。



「やっぱり、俺達の判断は正しかった様だな」



「あのまま、岩場を進んでいたら、絶対にまずい事になっていましたね。かなり苦労はしたけど、結果的には良かった。そうだ。雄太さん。そろそろ、ここらで、ひと休みしませんか?」



「ひと休み!その一言、待ってたよ!かなり、喉も渇いたし、水分補給もしないとな」



「ええ、本当なら、もっと早く休憩をとりたかったんですけど、あのヤブカだらけの藪の中じゃ、ちょっとねえ……」



「そうだよな。あの中じゃなあ……」



随分と、藪こぎ中にヤブカに悩まされていた雄太は、しつこく、まとわりつく蚊の集団を想像しながら、思わず身震いをする。



「あ〜、いかん、いかん。思い出しただけで、身震いしちまった」



「あの蚊の集団には、本当に参りましたからねえ。さあてと、それじゃ雄太さん、休憩しましょう」



「そうだな。休憩、休憩っと!」



背中に背負っていた重いザックをゆっくりと降ろした2人は、上部カバーを外し、ジッパーを開けると、中から、飲料水の入ったペットボトルを取り出し、スクリューキャップを回す。

開栓したボトルに口をつけた雄太は、渇き切った喉へと、ゆっくりと水を流し込む。



「ふ〜う。体に染み渡るなあ。ちょっと、ぬるいのが残念だけど」



口から、こぼれてしまった水を袖口で拭い取っている雄太の隣では、和馬もボトルを傾け、喉を鳴らしながら、水を飲んでいる。



「ああ〜。本当は、ここで冷たく冷やした奴をきゅ〜っとやりたい所何ですけど、今はこれで我慢ですね」



「無事に人を見つけた、その時には、冷たい飲み物で乾杯しようぜ」



「じゃあ、その時まで、楽しみにとっときましょう」



「そうだな。さてと、和馬君。ここから、先の方を見てみると、どうやら、もう岩場は無いみたいだな」



「そうですね。あるのは、また長く続く砂浜だけですよ」



夏の強い日差しを遮る為、目の上に手を翳す和馬は、眩しさの為からか、目を細めながら、遠くを見つめる。

その視線の先には、日差しによって焼けた白い砂浜が延々と続き、暑さによって、ゆらゆらと陽炎(かげろう)が揺らめいている。



「ああ〜。流石に暑いな。照りつける太陽が恨めしい」



「この暑さじゃ、せっかく休憩していても、この場でじっとしている事、自体が辛くなってくるな。和馬君、どこか日陰を見つけて、そこで改めて休憩しないか?」


「全く同感です。木陰を見つけて、そこに腰を下ろしたいですね」



「よし、決まりだな。じゃあ、ここから前進しよう」



和馬達は、再び、重いザックを背中に背負うと、波打ち際近くをゆっくりと歩き始める。

片手に持った木の棒をストックがわりに地面を突きながら、もう片方の手に握ったペットボトルに時折、口を当てながら、水を含み、乾いた喉を潤す。




『暑い……。とにかく、暑い。汗も一向に止まらないし、早く、涼しい所で腰を下ろしたい。どこかに木陰はないのか?』




容赦無く照りつける夏の日差しと暑さによる体力の消耗から、一気に疲労度が増してきている2人は、眩しさの為から、目を細めながら、木陰を探して前方を見つめる。

その先に見える物は、海・砂浜・藪・建物……。



「ん?建物?建物がある!おい、和馬君、あれを見ろよ」



「あっ!確かに建物だ!雄太さん、これは、もしかしたら、人がいるかも」



「おう!その可能性有りだよ」



全く予想外の発見に興奮し、声が大きくなり始めている2人の位置から、更に500m程先、砂浜よりも、もっと陸側の藪の側に、確かに白い建物が建っているのが見える。



「よし、和馬君、行ってみよう」



「まさか、こんなに早く、人に出会えるチャンスがやって来るとは……」



今、2人が、背負っているザックの重量を考えると、流石に走って行く気には、ならない様ではあるが、高まる期待による物なのか、歩くスピードは、次第に速くなってゆく。

やがて、白い外壁の建物へと近づいた2人は、膝下程に伸びた草むらの中を歩きながら、人に出会える期待を込めつつ、建物の玄関前へと立った。




『誰か居てくれよ。頼むから、絶対に居てくれよ』




和馬は、建物内に誰か人が居る事を願いつつ、まずは、建物外観を見回した。



「ん?何だ?和馬君。この建物、やけに古くないか?」



和馬の隣で、同じ様に建物の外観を観察していた雄太は、腑に落ちない様子で首を傾げながら呟く。




『古い?いや、これって、ただ古いというよりも、もしかして……』




今、和馬達が観察している、この建物は、外壁に白いコンクリート壁を持つ2階建ての建物なのだが、見た目から言っても、やけに状態が悪すぎるのだ。

白く塗装されている壁は、薄汚れている上、無数の大きなひびが入り、1階の大きなガラス窓の一部は、割れたままの状態だ。

玄関へと上がる手前に設置された木製ステップへと目をやれば、酷い腐食によって傾き、隣に突き出した木製テラスは手すりが外れ、草むらへと倒れままとなっている。

更に建物周辺においては、膝下程の草にびっしりと覆われ、まさに荒れ放題といった様相だ。



「雄太さん。あれ、見て下さいよ。普通は、割れたガラスは直しますよね」



「ああ。それに、庭の手入れだってするよな」



「はあ〜。何だか、嫌な予感しか、して来ないんですけど」



先程の高かったテンションとは、打って変わり、2人の声のトーンが次第に小さくなってゆく。

この建物の外観と周辺の状況を見た感じでは、人の住んでいる気配が全く感じられず、これは古いというよりも、どちらかといえば、廃墟に近いイメージだ。



「外から見た感じでは、誰も住んでは、無さそうに見えるけど、中に入ってみない事には、何とも分からないな」



「ええ、この状況では、余り期待出来そうには、ありませんけど、まあ、確認の為、中に入るだけ入ってみましょう」



「うん。よし、行こう」



これより、2人は、建物内の様子をみる為、玄関入口の方へと歩いてゆく。



「和馬君。玄関前のステップが腐っているから、足元には、注意しろよ」



「了解です。あ〜、確かに随分とボロボロになっていますね」



和馬は、腐食によって傾いた、玄関ドア前の木製ステップを踏み抜かない様、念の為、軽く2度、3度、つま先で踏んで安全を確かめる。




『何とか、大丈夫そうか』




安全を確認後、ゆっくりとステップに足を乗せ、玄関前へと立った和馬は、呼び鈴を押そうと、スイッチを探してみるが、見つからず、今度はガラスドアを数回ノックしてみる事にした。




『ん?やっぱり、誰も居ないのか?』




ノックをしてから、少し待ってみても、中からの返事は無く、仕方無しに和馬は、ガラスドア越しに中を覗いてみる事にした。

潮風による塩分と埃によって曇り、薄汚れたガラスドアの向こう側には、何やら棚らしき物が幾つか置かれているのみで、肝心の人の姿は見当たらない。




『やっぱり、誰も居ないな……』




「雄太さん。俺、ドアを開けて入ってみますよ」



「あ、ああ。わかった」



後ろを振り返り、雄太へ、これから建物内へと入る事を伝えた和馬は、薄汚れたドアノブを握ると、ゆっくりと回し始めた。

最後まで、ドアノブを回し切った後、そのまま、今度は押し始めると、錆びついた蝶番が発する軋み音と共にガラスドアは、内側へと開いていった。




『どうやら、鍵は掛かっていないみたいだな』




和馬は、開いたドアの隙間から、恐る恐る顔を出して覗き込み、建物内の様子を伺う。




『やっぱり、誰もいないのか』




覗き込んだ部屋の中は、やはり人の気配は全く無く、まるで自分の心臓の鼓動が相手に聞こえてしまうのではないかと思える程に静まり返っている。



「すみません。誰か、いませんか?」



自分達の様な、よそ者が急にやって来た事で、住人が警戒し、部屋の奥へと隠れてしまっている可能性も考えて、一応、和馬は住人への呼び掛けをしてはみたものの、相変わらず、返事は無く、室内は静まり返ったままだ。



「雄太さん。どうやら、中には誰もいない様ですね。俺、先に中へ入ってみます」



「うん。わかった。あ、和馬君、足元に気をつけてな」



「了解です」



ここで、和馬は、ガラスドアを最後まで、開ききると、家の中へと足を踏み入れた。

いざ、屋内へと入ってみると、薄汚れた幾つかのガラス窓から、差し込む陽の光によって、照明が無くとも、室内は思いの他、明るい。

ゆっくりと室内を見回してみると、奥側には、カウンターがあり、埃をかぶった古い年代物のレジスターが1台ぽつんと置かれているのが見える。更に手前側には、商品陳列用だと思われるスチール棚が幾つか並んでいるが、商品は全て持ち出されてしまっているらしく、今は何も置かれてはいない。

これら、棚やカウンターには、白い埃が積もり、コンクリート製の床には、割れた窓から、風によって吹き込んで来たのか、海からの砂や細かなゴミが一面に入り込んでいる。

恐らく、この建物は、室内の様子から見て、雑貨屋か何かでは無いかと思われるが、この有り様では、既に随分と前に閉店している様であり、その後は、誰も立ち入る事が無かった様である。



「あ〜。ここ、店だったみたいだけど、こりゃあ、もう随分と前に閉店しているみたいだな」


和馬の後から、屋内へと入ってきた雄太が、埃まみれの棚板を指先でなぞりながら呟く。



「雄太さん。建物の奥の方も見てみましょう」



「そうだな。行ってみよう」



2人は、更に建物内の様子を見る為、そのまま、部屋の奥へと歩いて行く。

白いコンクリート製の床を一歩ずつ進む度に靴底で踏みつけたゴミが嫌な音をたてる。

カウンターを抜け、更に奥へと進んだ先には、2階へ通じる階段と畳の敷かれた和室やキッチン、バスルームといった生活空間があり、部屋には家財道具の類いが残されてはいるものの、全てが埃にまみれており、長期に渡って、住人が不在である事を物語っていた。



「やっぱり、人は誰もいそうにないな。ほら、和馬君。あの壁に掛けられたカレンダーだって、相当、前の物だ」



「ああ〜。本当だ」



雄太が指差す先には、木の壁に画鋲で留められたカレンダーが貼られており、その年号は、1975年と印刷されている。



「全部の状況をひっくるめると、この建物は、既に、もう放棄されていると考えて、間違いなさそうですね」



「そうだね。ただ、そこに2階へと上がる階段もあるし、一応、上も見ておくか」



「ええ。そうですね。行ってみましょう」



すぐに和室の部屋を出た2人は、2階へと向かう為、埃が、随分と積もった状態の木製階段の前へと立った。



「じゃあ、雄太さん。俺から、先に上がります」



「わかった。和馬君、埃が凄いから、足を滑らせ無い様に充分、気をつけてな」



「ええ」



和馬は、2階へと一直線に続く、急階段の1段目へと、ゆっくりと足を乗せる。




『この階段、見た目からも随分と古いけど、大丈夫だろうな?』




和馬は、階段の板が腐ったりしていないか、足で何回か、軽く踏んで安全を確かめながら、ゆっくりと上がり始めるが、足を乗せる度に、板が軋んで、大きな嫌な音をたてている。

こういった、海沿いの放棄された建物は、吹き付ける海風による塩害や強い湿気によって、思いの外、腐食が進んでいる場合が多いのだが、幸いこの建物内部については、痛みが、それ程でも無かった様で、何とか問題無く2階へと上がる事ができた。

先に2階へと上がった和馬は、後ろを振り向くと、階下で待つ雄太へ向かって、この階段に問題が無かった事を伝える。



「雄太さん。一応は、この階段、大丈夫みたいですね。ただ、念の為、ゆっくりと上がって来て下さい」



「了解。今、俺も行くよ」



和馬に続き、雄太も慎重気味に階段を上がり始め、何事も無く、2階へと上がると、待っていた和馬の後ろへと立った。

今、2人が立っている短く狭い廊下のすぐ先には、ドアが開け放たれたままになった、12畳程の広さの部屋が1部屋だけあり、照明が無くともガラス窓から差し込む強い陽の光によって、部屋内の様子は、はっきりと良く分かる様だ。



「やっぱり、誰もいませんね」



「うん。ここに、誰かが入って来るのは、恐らく本当に久し振り何だろうなあ」



今、部屋の入口へと立った2人が見回している無人の部屋内には、タンスやベッド、机などの家財道具が一揃い残され、そのどれもに、随分と埃が積もっている事から、この部屋にも、長期に渡って、誰も人が入っていないのは明らかであった。



「最初は、随分と期待していたんだけどなあ。結局は、人には会えずじまいか」



全く期待外れの展開により、がっかりした口調で呟いた和馬は、部屋内へと入ると、そのまま窓際まで歩いて行き、側に置かれた木製机の引き出しを開けてみる事にした。




『何だ。この中も期待外れか』




もしかしたら、机の引き出しの中に、この場所についての何か手掛かりが残されているのではないかと期待した和馬だったが、実際には、筆記用具の類いが少数残されているのみであり、他の引き出し内についても、全て書類の類いのみが持ち出されているか、もしくは空であった。




『この家は、引っ越した後、何だろうな。家財道具の類いがあっても、肝心の中身が残っていない』




隣にいる雄太は、側にあったタンスの引き出しを開けて覗いているが、やはり衣類は無く、全て持ち出されている様だ。


「残念ながら、ここには、人はいないし、場所を知る為の手掛かりさえも残されてはいなかったな」



「はあ〜。がっかりですね」



2人は、全く期待外れの結果に力無く笑い、急に緊張の糸がほどけたのか、かわりに今度は、どっと疲れが出てくる。



「雄太さん。ここいらで、ひと休みとしますか」



「そうだなあ。ひと休みというか、ふた休みしたいねえ」



「ははは。そうですねえ。そういえば、この部屋、ちょっと暑いから、窓を開けてきます」



「うん。わかった」



窓際へと歩いて行った和馬が、建て付けの悪い窓を何とか開けている間に、雄太は、背負っていたザックを床へと下ろし、そのまま座り込んだ。



「ふ〜う。やっと、窓が開いた。おっ、涼しい」



和馬が、窓を開けた事で、海からの心地良い潮風が、部屋内へと入ってくる。



「さあて、俺もひと休みするか」



ザックを床へと下ろし、胡座を組んだ状態で座った和馬は、ザック内に詰め込まれた荷物の中から、1本の缶コーヒーを取り出した。



「やっぱり、これですよね」



「考えている事は、やっぱり同じだね」



和馬の真正面では、雄太が、手に持った缶コーヒーのプルトップを開けようとしており、和馬も開栓する為、プルトップのリングに指先を掛け引き起こす。

開栓した飲み口に口を付け、流れ出るコーヒーを口に含むと、ミルクコーヒーの甘さとほろ苦さが同時に口内に広がり、疲れた体を癒す為のちょっとした至福のひとときが訪れる。



「あ〜、旨い」



「なんか、この甘さが、疲れた体に染み渡っていく様な気がしますね」



「ああ〜、そうだねえ。ただ、この缶コーヒーが冷えていれば、もっと良いんだけどなあ。でも、旨いから、まあいいや」



2人は、缶コーヒーを一気に飲み干した後、ふ〜うと、大きな溜め息をついた。



「雄太さん。この家は、結局、期待外れでしたけど、この辺りには、他にまだ家とかは、あるんですかねえ」



「う〜ん。どうだろうねえ。この建物が、以前は店だったのだとすると、ここ1軒だけって事は無いんじゃないのかな。恐らく、周辺を探してみれば、他にも家は、ある様な気がするよ。折角だから、これから、周辺を調べてみるかい?」



「ええ。そうですね。上手くすれば、人に出会えるかも知れないし、例え、無人だったとしても、この場所の事を知る為の何か手掛かりが見つかるかも知れませんよね」



「そうだね。よし、休憩が終わったら、この周辺一帯を見てみよう」



「今度こそは、人がいて欲しいですね」



飲み終えた後のコーヒーの空き缶をザックの中にしまいながら、雄太は呟く。



「ああ、今度こそは、見つかるさ」



やがて、休憩も終わり、たちあがった2人は、再びザックを担ぐと、先程、開放した窓を閉め、この部屋を後にした……。




最後まで、読んで頂きましてありがとうございます。

今回の話の中で和馬達が大量の藪蚊につきまとわれる場面が出て来ますが、僕も藪蚊の大群である蚊柱という奴を見た事があります。

話には、聞いていたんですけど、実際に見ると、あの集団が全部、蚊だなんて驚きますよ。

それでは、また。

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