(22) 決意
読者の皆様、本年もよろしくお願いいたします。
さて、今回の話は、漁労長の体験談が中心となります。
それでは、第22話の始まりです。
今、和馬と雄太が、画面に釘付けとなって見ていた映像は、全て、付近に建っているビル屋上から撮影されていた物であったが、もう既にこの撮影場所も安全では無く、撮影カメラのすぐ後ろからは、複数の叫び声が聞こえて来ていた。
やっと、我が身への危険を感じ、慌てて振り返る撮影カメラの前には、走り迫って来る感染者の姿が一瞬だけ映り、次に映像がぶれ、大きく乱れた後に唸り声と絶叫が響き、そのまま映像はぷっつりと途切れた。
今まで、映像を見ていた和馬と雄太は、全く想像もしていなかった、余りに衝撃的すぎる事実を知ってしまった事により、強いショックを受け、固まった状態となっていた。
両手を固く握り締め、強張った表情のままで、再生が終了した後の真っ黒なテレビ画面をじっと見つめている2人に対し、漁労長は言う。
「まあ、今までの映像は、2人にとっては、余りに衝撃的な内容過ぎて、にわかには信じられないとは思うが、これは、全て世の中で現実に起こっている事だ。それから、後1つだけ、付け加えておくと、最後に見た映像は、今から1ヶ月位前の物だ。あれから、テレビ放送については、その後も何とか放送は続けてはいたんだが、結局、今は全て途絶えちまったし、レコーダーに記録してあった映像についても、これで全部だ。さて、何か聞きたい事はあるかね?」
ここで、和馬が小さく手を挙げて質問をする。
「あのう、テレビ放送が、中断している理由は何ですか?」
「恐らく、停電によって、放送局への送電がストップしたか、もしくは放送局そのものが、感染者の襲撃を受けてやられたんだろう」
「そうか。テレビ局は、全滅なのか。あの、もう1つ質問してもいいですか?」
「何だね?」
「この騒ぎがあった時、漁労長は、本土から、この島に避難して来たんですか?」
「いや、本土じゃなくて、俺達は、元々、この近くの新島に住んでいたんだ。1ヶ月位前に新島でも、殺噛症が発生して、島内全域がパニックになったよ。あっ、ここから先は、少し長話になるがいいか?」
「ええ。どうぞ、続けて下さい」
「あの時、俺には、女房と一人娘がいてな。ある日、突然、女房も娘も意識を失って、そのまま倒れちまったんだよ。俺は、訳が解らず、慌てて救急車を呼んで、病院へと連れて行ったんだ。それで、病院へ着いてみれば、同じ様に意識不明になった患者は大勢いて、病院内は患者達で溢れかえっていたよ。もう、救急車による搬送も間に合わなくなり始めていたみたいでな。俺の所みたいに、すぐに救急車が来てくれたなんて運がいいと、医者からそう言われたよ。何しろ、あの時、漁師仲間の中には、車が無くて、倒れた家族を病院に連れて行く事が出来なかった者も何人かいたしな。ただし、何とか、病院に連れて行く事が出来て、受け入れて貰えたとしても病院側としては、これが一体、何の病気なのか、その病名すらも、全く解っていなかったらしく、対処が全く出来ない状態だった」
「そうか。政府から、その病気の病名が殺噛症だと発表されたのは、もう少し後の事だったんですね」
「そうだ。結局、病院側としては、原因が解らず、治療が上手くいかない上に、更に次々と患者が運び込まれて来るものだから、機能そのものが、マヒ状態に陥ろうとしていた。だから、少しでも詳しい情報を知ろうとテレビを観ても、解る事といえば、この病気が全国的に広がり、日に日に状況が悪化しているという事だけだった。この後に起きた事については、さっきのビデオ映像で観た通りだ。あれと全く同じ事が、新島でも起きたよ。突然、目覚めた患者達は、周りにいた人間をすぐに襲い始め、事態に気付いた俺は、すぐに病院から抜け出すと、生き残る為に漁師仲間と一緒にパニック状態となった市街地から脱出した。脱出の際に街中を徘徊している感染者の集団を目撃したが、その中には、全くの別人と化した女房の姿があった。なぜか、集団の中に娘の姿は無かったが、恐らく、娘も同じ状態だっただろう」
漁労長は、ここで一旦、話すのを止め、そのまま目を閉じた。
和馬と雄太が見つめる中、腕を組んだまま、少しの間、沈黙していた漁労長は、目を開け、深い溜め息をつくと、再び話を始めた。
「あれから、俺達は新島を脱出する為、漁港へと向かった。港には、俺が所有している船が係留してあって、この船が脱出の為の鍵だった。ところが、港に着いてみると、俺達の様に感染者から逃れて避難して来ている人達で既にごった返している状態だった。ここに避難して来ている人々の考えは皆、同じだったのだが、何だか解るかね?」
「皆、一刻も早く島を脱出する為に船が出港するのを待っていた」
「その通りだ。もう既にフェリー乗り場には、人が殺到していたし、それなら漁港に行って漁船に乗せて貰えば何とかなると考えたんだろう。だが、乗船させて貰おうにも、所有者が現れて、操船して貰わない事には、どうにもならない訳だ。だから、結局は、所有者が来る迄は、じっと、その場で待つしかないという事になる。ただし、そうやって待っている間にも、後方からは、感染者集団が迫って来ているし、いずれ、漁港にも押し寄せて来る事だけは確実だ。そう考えると、待っている人々は焦り、やがて緊張はピークになる。そんな状況の所に船の所有者が現れ、船で脱出しようとすれば、どうなると思う?」
「我先にと、人々がその船に殺到するでしょうね」
「ところが、実際には、殺到して来ただけでは済まなかったんだ」
「えっ?何があったんです?」
「次から次へと乗り込んで来ようとする人々に対し、その船の所有者は、そんなに乗せられないと判断して、慌てて止め様としたんだ。しかし、その結果は、酷いもんだった。所有者は、人々から船上で殴られたり、蹴られたりと酷い暴行を受けていたよ」
漁労長の話を聞いていた雄太は、余りの状況の酷さにおもわず顔をしかめる。
「そんな……。焦っていたとはいえ、所有者に対し、力ずくでいう事をきかせ様とした訳か」
「ああ。もう、この時点で人々は理性を失い始めていたのさ。何しろ、自分さえ良ければ……。そう、自分さえ、生き残れるのなら、何でもやるって感じでな。その後も、船の所有者が現れて、出船させ様とする度に、人々が殺到して同じ事が繰り返された。もう、あれでは、とてもじゃないが、船を出せる状況じゃなかったよ。その内、思う様に脱出が出来ない事に苛立った人々が、ある些細な出来事をきっかけにあちこちで、別の暴行を働き始めた。その暴行は、群衆の間で、あっという間に広がり、それに加えて略奪行為も始まった。ひとたび、こうなってしまうと、もう手がつけられないし、殺気だっている連中が、殺し合いを始めるのも、最早、時間の問題だった。もう、自分等の後ろには、感染者集団だって迫って来ているというのに、そんな事をやっている場合じゃないのにな。結局、あの時、俺らは、自分の船に乗る事も出来ずに仲間と一緒に近くの建物へと避難して、自分の身を守る事だけで精一杯だったよ。それから、しばらく俺達は、建物内に隠れて、窓から港の様子を窺っていたんだが、事態は更に最悪な状況へとエスカレートしていったんだ」
「まさか、とうとう殺し合いに迄、エスカレートしていったとか」
「いや、そうなる前に、もっと最悪な連中が押し寄せて来た」
「そうか。感染者が来たんですね」
「そうだ。殺気立った連中が、お互いに殴り合っている所に、とうとう奴等は現れた。それも、港に集まっていた人々を遥かに上回る数でな。皆が、団結して戦ったとしても勝てるかどうかも解らない相手だというのに、あんな数で押し寄せて来られたら、もう、ひとたまりもなかった。すぐに次から次へと人々は捕まり、奴等の餌食となった。必死の抵抗も虚しく、奴等に押し倒され、血を吸われてゆく様を目の当たりにした人々は、恐怖の余り、大きな悲鳴を上げながら逃げ回るが、やがては、同じ様な最期を迎えていった。辺り一面、目を覆いたくなる様な修羅場と化した港の中は、犠牲者の姿で溢れ、俺達は、身を隠したまま、その凄惨な状況に対し、震えながら、何も出来ずに、ただ、見ているしか無かった。人々は、何とか生き延び様と港を出て逃げ惑い、感染者達も、その人々を追い掛けて走り去っていった。それから、どの位の時間が経ったかな。ずっと、脱出の機会をうかがっていた俺達は、一度様子を見る為に隠れていた建物を出て、仲間と一緒に恐る恐る、漁港内へと入ってみたんだ」
ここで一端、話すのを止めた漁労長は、両腕を組んで、目を閉じると深く溜め息をついた。
「港内へと入って、目の前に広がる光景を目の当たりにした時、俺達は、体の震えが止まらなくなった。とにかく、もう……。ああ、とにかく、港は酷い有り様だった。そこには、もう生きている人の姿は無く、残されていたのは、全身が血塗れ状態になった無惨な姿の死体だけだった。俺は、目の前に広がる凄惨な光景を目にしているというのに、その時、不謹慎ながら、こんな事を思った。やっと、船で脱出出来るチャンスが訪れたと……。この島を脱出するには、港内に生きている者が誰もいない、今しかチャンスは無い。亡くなった人達には、気の毒だが、俺達が無事脱出する為の犠牲になってくれたんだとな。それから、俺達は、まるで物の様に転がっている幾つもの死体の間を通り抜けて、係留してあった自分の船へと辿り着いた。何とか、感染者や暴徒の連中が戻って来る前に、船に乗り込む事が出来て、やっと島を脱出出来たという訳だ。もしも、俺自身が自分の船を持っていなかったら、今頃は、奴等の餌食になっていたかもな。はあ〜、なんか長話をしちまったな」
「いえ。それより、ご家族は気の毒でしたね。しかし、それにしても、まさか、離島でも、本土と同じ事が起きているとは……」
「まあ、今回の惨事は、日本全土に広がっている訳だからな。これで、何故、あんたらが、この島に来た時、男共が殺気立っていたのかわかったろう」
「ええ。群衆による集団暴行に略奪、更には感染者集団の襲来……。色々、そんな目にあえば、突然の来訪者を警戒するのも仕方ありませんね。ところで漁労長、話は変わりますが、この島について聞いても良いですか?」
「ああ。何だね?」
「ここは、何という名前の島なんですか?」
「ああ、ここは、新島から10km南西にある扇島という、俺が所有している島だよ。後、もう1つついでに言うと、この島には必ず1人、常駐している者が居てね。その常駐者がさっきのニュース映像をレコーダーに録画していてくれたという訳さ」
「なるほど。後、もう1つ質問してもいいですか?」
「何かね?」
「これは、自分達を含めての事なんですけど、何故、殺噛症を発症していない人間がいるんですかね?」
今の和馬の質問に対し、漁労長は肩をすくめてみせる。
「さあな。その辺りの詳しい事は、俺にもわからんが、恐らく考えられるのは、元々、病気に対する抵抗力やら、免疫やらを持っていたとか、そんな理由じゃないのか。まあ、とにかく、今の所、俺達は運良く発症もせずにピンピンしているな。よし、じゃあ、今度は、俺から質問してもいいか?」
「ええ。どうぞ」
「一応、これで、今の世の中の状況が解った訳だが、これから、あんたらは、一体どうするつもりだね?本土の方は、あの有り様だから、もう帰る事は出来ないだろうし、何だったら、ここに残るか?住む場所や食べ物を提供してやってもいいぞ」
「う〜ん。その申し出は、ありがたいんですが……」
漁労長の提案を聞いた和馬は、顎へと指を当て、少しの間、考える。
『もう、状況は変わってしまった。それも、大きく変わり過ぎた。これじゃ、俺達がいた、あの島に助けが来る事は、もう絶対に無いだろうな。というよりも、あの有り様では、俺達が助けを求めに行く事自体、もう意味が無いか。なんたって、この状況下では、感染者がいない、あの島こそ、確実な安全地帯な訳だし、わざわざ危険地帯と化した本土に行く必要だって無いものな。そうなると、脱出計画自体、中止か?これから、島へと戻るか?いや、いや、待て、待て。それは、駄目だ。俺には、待っている両親がいる。俺は、両親を助ける為にも、絶対に本土に戻らなくてはならない』
これから、自分がどう行動すべきなのか、決心がついた和馬は、漁労長の目をしっかりと見ながら、申し出に対し、こう答える。
「今のありがたい申し出には感謝します。ですが、自分は、どうしても本土に戻らないとならないんです。そういう訳なので、申し訳無いのですが、ここには滞在出来ません」
先程の映像を観て、本土の惨状を知った事により、当然、この島に残るだろうと考えていた漁労長は、今の予想外な和馬の返事を聞いて驚きの声を上げた。
「はあ?何を馬鹿な事を言っているんだ!あんた、さっきの映像を観たんだから、本土が今、どういう状況になっているのか解るだろう!」
「ええ。もちろん状況については、良く解りましたし、本土へ戻るのは、危険を承知した上での話ですよ」
「あのなあ。危険を承知していると言ってもだなあ。う〜ん……。なら、一体どんな理由で本土へ戻るというんだね?」
「本土には、自分の両親がいるんです。両親を助け出す為には、どうしても戻らないとならないんです」
絶対に本土へと戻ると主張する和馬の言葉を聞きながら、漁労長は、大きく溜め息をつく。
「あのなあ。仮にだ。あんたの両親が、殺噛症にかかっていなかったとしても、もう既に感染者達に襲われてしまったかも知れんのだぞ。それに、本土の何処まで行くのかは知らんが、あんな状況では、死にに行くだけだ。なあ、悪い事は言わん。本土に行くのはあきらめて、ここに残れ」
両親を助ける為とはいえ、安全区域を離れ、敢えて危険地帯へと向かおうと考えている和馬に対し、漁労長は、何とか引き留め様とするが、それでも和馬の決心は変わらない。
「お気持ちは、とても嬉しいのですが、やっぱり自分の考えは変わりません。俺は、両親を助けに本土に戻ります」
「本当にいいんだな」
「はい」
「そうか……。よし、わかった。それで、本土のどの辺りに戻るんだね?」
「千葉です」
「千葉か……。ここから行くのなら、沿岸への上陸迄は、何とかなるだろうが、上陸後は、相当な危険が待ち受ける事になるぞ」
「ええ。それも覚悟の上です」
漁労長は、和馬の力強い返事を聞いて、その決意が固い事を感じ取った。
恐らく、もう和馬の意志が変わる事は無いだろう。
最後まで、読んでいただきましてありがとうございます。
それでは、次回をお楽しみに!
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