白い世界の部屋
「これ、食べても良いのかな?」
彼女はぽつりと呟いた。毒が入ってるかもしれない、そう思ってしまうのはこの状況だと仕方ないのかもしれない。
…匂いは、普通か?でも、無臭の毒なんてたくさんあるはずだ。
「ふふっ、雪雄くん犬みたいだよ」
「…ただの癖だよ、気にしないで」
自分の頬に人差し指を添えて笑うのが美桜。美しい桜と書いて、「みお」と読む。
味、確認するべきかな。ここにいるのは…この部屋の中にいるのは俺と美桜だけだ。もし、これが毒ならどちらかは死ぬ。
「雪雄くん、怖い顔してる」
そっと眉間によった皺を伸ばされる。
…彼女は、美桜はよくこうして触ってくる。ボディタッチをしてくる。
恋人関係にあるわけでもなければ、幼馴染みなどでもない。なので、詳しく考えないようにしている。あれだ、考えたら負け。
「まず、俺が食べてみる。それで5分ほど経っても生きていたら、好きなだけ食べると良い」
「…ぷっ、なにそれ」
彼女は口元を押さえているのに、笑いを押さえきれていなかった。いつものことだ。
笑い続ける彼女を無視し、ケーキへと近づく。
…可能性が低いとはいえ、死ぬのは怖い。ただ、女を守って死ぬ。それならば天国にいる父さんにも怒られはしないはずだ。
「…雪雄くん、本気なの?」
美桜は、涙目でありながらも声だけは真剣に尋ねてきた。だから俺も、真剣に答えてやろう。
「本気だ。俺の勘では、毒が入っている」
「毒、poison?」
「ああ、大方神経毒のパリトキシンだろう」
「パリト…?」
「パリトキシン、CAS番号は…11077-03-5。化学式は C129H223N3O54。海産毒素の1種で非ペプチド性の化合物ではマイトトキシンに次ぐ猛毒だ。ハワイに生息するイワスナギンチャクなどが持っている」
「く、詳しいね…」
「ああ、ネットの知識だ」
「そっかーネットは広大だねぇー」
美桜が呆れたように笑った。それはそうだろう、俺たちみたいな大学生たった2人を殺すためにこんな部屋に監禁し、猛毒を入れたケーキを用意までしている。
呆れたくもなる。
「…食うぞ」
「雪雄くん、手が震えてるよ?」
そりゃそうだ、いま俺が持っているフォークの先には猛毒がひっついていて。それだけではなく口に含まなければならないんだぞ!?
「おお、食べた。…お味は?」
「美味い」
「でしょう?」
なぜか彼女が誇らしげにする。
だが、毒ほど美味いと言われている。
とりあえず5分待ってみよう、遅効性でも多少効果が出ると良いが…。
「まーだー?」
「297、298、299、300…」
「5分だね!」
「…パリトキシンは3時間くらい待つべきなんだがな」
「まーてーまーせーんー!」
「だろうな。死ぬときは、一緒だ」
「嬉しくないし…」
そう言っても美桜は頬を緩ませている。
そして思いついた、と言わんばかりの表情をした。嫌な予感しかしない。
「…食べさせて?あーん」
「マジか、お前マジか」
「一緒に死んでくれるんでしょ?」
なるほど、最期の願いと言うわけか。ならば叶えてやるのが世の情けというものだ。
「分かった。あ、あーん…」
「あむっ。ん、美味しい、流石私」
「え?」
「あ…え、えっと。毒が入っててもすんなり食べれた!」
「確かにそうだな、俺よりも度胸がある」
美桜は慌ててまた口を開ける。おねだりのつもりか?
…ケーキを一欠片切り取り、美桜に食べさせる。その度に彼女は撫でられた猫のような表情をする。正直に言うととても可愛い。
彼女に毒を全て食べさせるのもアレだよな、だから俺も少しは食べて良いはずだ。
「あむ。やはり美味いな、糖分は頭に良い」
「…間接キス」
「死に際にんなこと気にするな。…いや、でも俺はキスもしたことなく死ぬのか」
坂本雪雄、19歳にしてキスの経験もなく童貞を全うした。歴史の片隅にでも名が残ることだろう。
「してみる?キス」
「はやくケーキ食べろ」
今度は俺がおねだりする番だった。いや、無理矢理ケーキを食べさせるのをおねだりとは言わない気もするが。
はむっ、と擬音のつきそうな感じにケーキを口に入れた彼女はまた何か思いついたのかニヤリと笑った。
「ゆひおふん…」
雪雄くん、だろうか?それ以前に口に物を入れて喋ってはいけないと親に教えられなかったのだろうか。
美桜はむっとする俺の頬を両手で挟みこむと唇を重ねてきた。そして驚いて軽く口を開けてしまった俺へとケーキを押し込んでくる。
やはり、美味い。今回のは特別に美味く感じた。
「…どう、だった?」
「新手のあーんか、なるほどこうする方法もあるのか」
「はは、は…頑張ったのに…」
美桜が真っ赤になりながら俯いている。そうか、やられっぱなしは申し訳ないもんな。
「美桜、こっち向いてくれ」
俺は最後の一欠片を口に入れると、さきほどされたように頬を両手で挟み、固定する。
「──ッ!?」
「すまん、舌が当たってしまった」
口の中のものを舌だけで押し出し、押し込むと言うのは存外難しいのだと学んだ。授業料は美桜の舌と俺の舌が接触したことか、重いのか軽いのかは分からん。
パパーン。
軽いファンファーレみたいな音がしてただの壁が内側に開いていく。そこがドアになっていたのか。
一方通行のドアが開き、出てきたのは…美桜の両親だった。
「美樹さん、桂馬さん」
「どうだったね、美桜の作ったケーキは」
桂馬さんが『ドッキリ大成功』の看板を持って朗らかに笑った。なるほど、ケーキに毒が入っていると思わせて実はただのケーキでしたというのか。
「雪雄君は一人暮らしでしょう?美桜が心配してばかりだから、もっとウチに遊びに来ても良いのよ?」
美樹さんはいつものような笑顔で笑いかけてくる。大学へ通うため上京し、神奈川で一人暮らしを始めた俺を気遣ってくれる優しい人だ。
「ここはウチの地下なんだがね、普段は空き部屋なんだ。もしよければここを雪雄君の部屋にしよう」
「いえ、俺も自炊程度は出来るようにならないと」
さっきから美桜が静かだな?
御両親へ頭を下げつつ、横目で確認すると…
「み、見られた…?キスしてるところ、見られた…?」
「美桜」
「ひゃいっ」
「またケーキ作ってくれよ、美味かった」
「…う、うんっ」
「ちなみにここからはどうやって出るんです?」
「ドアノブを外して板で隠してるだけさ、つけ直せばこちらからも開けられる」
「なるほど、ではさっそく…」
桂馬さんに目線で促すと、彼はどこからかドアノブを取りだし頷いた。
「ドアノブを持ってきたが、工具を忘れた」
「何してるのお父さん!出られないじゃない!?」
ここの家族は、仲が良いなぁ。
いかがだったでしょうか「白い世界の部屋」。
3つお題から考えたときに真っ先に思い付いたのが
雪雄「このケーキには毒が入っている…」
でした。そのせいで神経毒について調べ回る作者がここに。
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