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日本神話シリーズ

やさしい君の、そのあとで

作者: 八島えく

 風が少し強いその日。

 信濃の僕のお屋敷に、ひとりの客がやってきた。


「よう、諏訪」

 

 下駄をからころと軽快に鳴らすその男は建御雷。

 僕が鹿島と呼ぶ、高天原の雷神だ。



「鹿島か、よく来たな。お茶でも飲んでいくか?」

 風呂敷を抱えた鹿島は、驚いていた。

「あれ、珍しい。今までは『何の用だ』って威嚇してきたのに」

「おまえと色々付き合ってから百年以上経ってるんだ。僕だって少しは丸くなるさ」

「嬉しいねえ。それって俺を受け入れてくれたってことかい?」

「そうだよ。……で、今日は用なしか? 遊びに来てくれたのか?」

「んにゃ、ちょっとお嬢から伝言預かってな。それが終わったら茶を一杯ご馳走してくれ」

「もちろん」

 鹿島が風呂敷を解いて中身を僕にくれる。中身を見て、思わず僕の顔は緩んだ。


「これ……この前行ったっていう甘味処の? 買ってきてくれたのか」

「今日、新しい菓子を作ったって言っててな。これがそれ。諏訪なら食べたがるだろうって思ってさ」

「あ、ありがとう……。待ってろ、今お茶を淹れるから。客間はそっちだ! 伝言は菓子をつまみながらでも聞けるからな!」

 僕は早足で厨房へ向かう。

 その僕の背中を、おかしげに笑うあいつの声が聞こえた。甘いものに目がなくて悪かったな。



 お茶を淹れている間、僕はここ一年のことを思い出していた。


 一年と少し前、この日本は穢れに全土を侵食されていた。

 穢れというのは、汚染や災害、病気に死、血や人間・妖怪の負の感情などから生まれる。それは生物にとっては悪い作用をもたらす危険なものだ。

 普通、穢れは日本の地が持つ力で浄化される。だからほとんどの穢れは大した悪影響を持たない。

 だが、地上の浄化では追いつかない穢れも時々生まれる。一定の濃度を越えた穢れは形を成して『異形』と呼ばれる化け物になる。

 異形は生物を食う。人間でも妖怪でも神でも何でも。異形を倒すのは、八百万の神々と、訓練を受けた人間だ。


 異形が発生するのは、悲しいことに日本での日常でもあったりする。異形を倒すこと自体、珍しくはない。

 問題なのは、数が多すぎたことだ。


 その頃信濃では、極西から流れ着いた異国の神々をかくまっていた。

 彼らはマザーと呼ばれる母の命令のもと、日本の穢れを増殖させるためにあえて乱暴狼藉を働いた。

 その乱暴により、穢れは徐々に広がり、日本全土で異形が増え続けた。それを知っていてなお、僕は彼らを庇い続けた。


 取り返しのつかないことになったと知った時にはもう遅かった。日本は穢れに覆われ、あと一歩で終わるところだった。

 こうなったのもすべては僕のせいだとわかっていた。だからせめてもの償いに、神風を吹かせて穢れを吹き飛ばした。その時力を使いすぎて、記憶を失った。


 この事件以降、穢れによって荒れた日本の地を元に戻そうと復興作業が続けられていた。それも一年で終わらせることができた。

 一年があっという間に過ぎたのだ。それだけ、復興に忙しかったんだろう。


「鹿島、どうぞ」

 僕は客間でのんびりしていた鹿島にお茶を差し出す。

「わりーな。……ところで、菓子を一つくれないか? 毒見用に一つ」

「なっ、もう! 毒が入ってるなんて思ってないってば! まだ根に持ってるのか?」

「いや別に。お前甘いもん好きだからなー。こうでも言わんとくれないかと思ってさ」

「ひとつくらいならやる! まったく、おまえは僕を何だと思ってるんだ」

「かーわいい風神」

「可愛いは余計だっ」

 そりゃここ一年を費やしても身長は伸びてないし、むしろ働きづめでやせた感じがするし……でも男神として可愛いって褒め言葉じゃないだろうに。そして鹿島は僕の頭を撫でる。一年経っても子ども扱いは変わらない。それを悪くないと思ってしまう僕も僕だけど。

「ああ、そうだそうだ。お嬢から伝言預かってんだけど」

 鹿島が手を止める。彼の言うお嬢とは天照殿のことだ。

「そういえばそう言ってたな。なんて仰ってた?」

「いや、大したことじゃないのよ。もうさ、穢れの増殖したあの異変から、日本はもうすっかりもとに戻ったろ? 一つの区切りと慰労を兼ねて、高天原で宴を開くから、諏訪もどうかってさ」

 そう言って、鹿島はお茶をすすった。

「慰労……?」

「要するに宴会」

「身もふたもない!」

「だって実際そうだろ。お前が一番の功労者だから、ぜひとも来てほしいとさ」

「うぅ……いや、僕は功労ってほどのことは何も……」

 穢れを広げたのは誰でもない僕だったのだから。そりゃ神風おこしたり、記憶がなくなってからもできることを精いっぱいやったけど、それは国つ神として当然のことであって、褒められるほどのことじゃない。

 僕には負い目がある。だから正直、宴会といっても気が乗らなかった。

 それを察してかただの天然か、鹿島は飄々と笑って「だいじょうぶ」と言ってくれる。

「なあ諏訪、俺の顔を立てると思ってきてくれよ。顔を出してお嬢に挨拶するだけでもいいからさ」

「はい?」

「俺さ、お嬢が直接行くより俺が説得した方が諏訪も来てくれるって豪語しちまってさぁ、行った手前『ごめん無理だった』って手ぶらで帰る訳にもいかねーからさ……」

 な? と困ったように鹿島が首をかしげる。思わず、僕は笑いがこぼれた。

 鹿島は別に、自分の面子のことなんてちっとも心配していない。誰から嫌われたり笑われたりしても、いわれなき誹りを受けても飄々と構えているような男だ。そんな鹿島が、自分を立ててほしいとか本気で思っているはずがないと、今の僕にはわかる。

 鹿島がそう困ったように頼むのは、僕が少しでも宴へ参加しやすいようにという、彼なりの気づかいだ。鹿島に無理やり頼まれて、と言い訳すれば、僕も高天原へお邪魔しやすいと、そういう魂胆なんだろう。

 いつも、自分を道化にして誰かを助けてくれる。こういう奴だ、建御雷という神は。

 僕は鹿島のそんな道化に気づかないフリをしてやることにする。

「しょうがないな、鹿島がどうしてもというなら」



 鹿島に連れられ、僕は高天原へ久々にお邪魔した。

 宴が開かれたのは、陽が沈み始めてからだった。あの後僕らはのんびりと茶菓子を楽しみ、少し時間を置いてからここへ来た。

 高天原は、中つ国を見守ってくれている。その天上へ、国つ神である僕が足を踏み入れるというのは、何だか変な気持ちだった。

 宴の会場は造化三神の一柱である高木様のお屋敷だそうだ。高木様には兄の事代主がよくしてもらっているのでとても助かっているが、僕にはちょっと苦手だったりする。

 会場内にはすでに天つ神々がそろっていて、国つ神もちらほらうかがえた。菊理様を口説いているのは……あぁ、うちの父だ……。そして国之常立様にドロップキック食らってとどめと言わんばかりに天之常立様の鈍器で殴られている。父のことは尊敬しているけどあればっかりはしょうがない……。


「いらっしゃい、建御名方殿」

 鈴を転がしたようなかわいらしい声がした。ぱたぱたと僕に近づいて来たのは、天つ神のボス、天照殿だ。

「よかった、来てくれて」

「いえ、その……。僕、お招きされてよかったんでしょうか……」

「何を言っているの。気にすることはないわ。皆あなたを歓迎しているのよ。さあ、何なら建御雷の隣の方が落ち着くかしら」

「それなら……大丈夫、かな」

「よかった!」

 天照殿が僕の手を引く。会場はすでに賑やかだった。僕の見知った国つ神々もちらほらうかがえた。

 天照殿が奥の席に戻って、小さい手をぱんぱん叩く。


「みんな、少しいいかしら」

 その一声で、そこは一瞬でしんとする。


「この一年、日本の復興のために、よくがんばってくれました。今夜はそれをねぎらいたいと思います。……堅苦しい話はしないわ。好きに飲んで、好きに食べてね」

 また、賑やかさが戻って来る。



 八百万の神々というのは基本的に酒に強い。でも僕はどういうわけかお酒に弱い。果実酒一杯飲んだだけですぐに顔を赤くしてしまう。くらくらに酔って、へにゃへにゃになって近くの神に甘えてしまう。隣が鹿島でよかった。こんな恥ずかしい状態は、八坂にだって見せられない。

 だから僕は漬物とかジュースでやり過ごす。ときどき出て来るお菓子をつまんでいるだけだ。隣の鹿島は酒をすすめるでもなく、時々僕がぽりぽりかじった漬物をとっていくだけだ。

「おや、諏訪殿」

 話しかけてきたのは、カグツチ殿だ。赤銅の髪と生気の宿っていない目がよく目立つ。額と首と手足にと巻かれた包帯は新品だった。

「よかったー、来てくれて。ここんとこは忙しくて全然連絡もできなかったから、爺さん寂しかったんだよ~」

 へらへらと笑ってカグツチ殿が言う。爺さん、と自称してはいるが、見た目だけ言えば人間換算で二十代後半くらいだ。少しお酒が入ってるなこれ。

「か、カグツチ殿……ちょっとお酒が」

「あぁ、すまんねー。いい酒が入ったからさあ。そりゃもうあのヤマタノオロチもべろんべろんのいわくつき」

「カグツチ、ちょい離れろ。諏訪は酒に弱いんだから」

「んふふ、お前もすっかり旦那気分だねえ。爺さん妬いちゃう」

「うっせ」

 そういう鹿島はさりげなく僕とカグツチ殿の距離をひらく。こういう気遣いできたんだ。あんまり絡んできたせいか、経津主殿にナイフ一本を額に食らって、カグツチ殿は向こうへ引きずられていった。経津殿は僕に一礼してすぐにあっちへ行ってしまう。……カグツチ殿をとられて寂しかったのかな?

 

 カグツチ殿をはじめとして、僕らのもとへあいさつに来てくれる神々がぽつぽつ現れた。高木様がいらしたときはさすがの僕も体が固まった。萎縮してまともに言葉も出せない僕に、優しく声をかけてくれた。苦手意識が少し薄れたか……? と思った矢先に兄の事代主にちょっかい出して天之常立様に殴打されているのを見てあっけにとられた。

 スサノオ殿や月読殿が声をかけてくれた。どちらもひとりで好きに酒を飲んで好きに酔いつぶれる方々だ。酒の席ではほかの誰かを気にするタイプではないご兄弟が、わざわざ僕のもとへ、信濃のことを案じにきてくれた。

 それだけじゃない。怪我がまだ治っていない鳥船殿や、それを追うようにして思兼殿がちらっとうかがってきてくれた。思兼殿から干し桃を一切れお土産として受け取った。


「鹿島」

「あん?」

「僕、最初はここにいてよかったのかなってちょっと怖かったんだ。でも……今は大丈夫だなって、安心してる」

「……そりゃ何よりだ」

 鹿島はふっと笑って酒をあおる。

 

 酒の席の賑わいは、嫌いじゃない。見ているだけで楽しい心持ちになる。でも今は少しだけ、穏やかにありたい。

 少しだけと思って飲んだ桃の果実酒がまずかったらしい。常に隣にいてくれた鹿島が「おい……大丈夫か?」とやや真剣に僕の顔をのぞき込んでいた。グラスに注がれた水を鏡のかわりにして自分の顔を見てみた。結構赤い。

 頭もぼんやりしてきた。体がふわふわする。一杯の弱いお酒でこれだもんな、僕……。

「……。お嬢、諏訪をもう帰してもいいか?」

 鹿島がそっと、天照殿に耳打ちする。天照殿は手力殿にお酒をついでいた。天照殿の同意を得て、鹿島はすぐに行動に移る。


「諏訪、今日は早いとこおいとましよ。信濃まで送るから」

「でも」

「お嬢には言っといた」

「いいのかな。僕、ろくに挨拶もせずに」

「日を改めてくればいいさ。それに、酒に弱いお前さんにゃこの場はちっと毒かも知れないぞ」

 僕はざっと、周囲を伺ってみた。結構でき上がっているような気がしなくもない。酒の匂いと楽しさに満ちたこの空間は嫌じゃない。嫌じゃないけど、お酒の匂いがきつい。鹿島の言う通りだった。確かにこの場に長くい続けたら酔いつぶれるどころじゃすまない。神なのにお酒に弱い自分が情けない。

「うぅ……じゃあ、お言葉に甘えようかなあ……。天照殿にはまた後日うかがうから」

「そうしろそうしろ。ほら、つかまりな」

 鹿島がそっと手を差し伸べてくれる。僕は遠慮なくその手にすがった。

 なんかもう、僕の足はフラフラしていたみたいで、立って歩くのも困難なほどだった。果実酒一杯だけでここまでつぶれられるのも才能なんだろうか。

「大丈夫か……? ほら、よいせっと」

 鹿島は僕を軽々と持ち上げる。重たい体が宙に浮いて、何だか心地がいい。横抱きされてる。体の具合が絶好調であれば、「何するんだおろせっ!!」くらいは言えたんだろうけど、今は声を張り上げるのもおっくうだ。

「すぐに信濃へ着くからな」

 鹿島の声は、何だかいつもより優しい。



 意識が半分飛んでいる状態で、僕は信濃まで鹿島に運んでもらっていた。

 鹿島は僕のお屋敷につとめている神職の者に何かを告げている。たぶん事情を話してくれたのだろう。僕のところの神職と、鹿島のところの神職は、仲がよい。

 神職が僕の部屋に布団を敷いてくれた。鹿島と会話してるみたいだけれど、僕の耳には言葉として入ってこない。

 ひんやりと気持ちいい布団に寝かされる。鹿島が毛布をかけてくれた。

「ありがと、う」

「いいって。……お前、ほんとに酒に弱いんな」

 今は鹿島の声がわかる。何を言っているかも理解できる。どうしてなんだろう。神職はもう部屋を後にしていたようだった。

「鹿島、ごめん……。おまえだって、もう少し飲んでいたかった、だろうに、」

「酒なんていつでも飲めるさ」

 鹿島が僕の前髪をいじる。ずっと昔であれば「触んな」って突っぱねただろうに。

 意識がもうろうとしていると、どうも理性が緩んでくるらしい。普段からしっかりしなければ、とつねに心を戒めてるぶん、お酒が入るとそれも脆くなる。そして舌ったらずな舌がよく回る。

 

「鹿島」

「あん?」

「もすこし、一緒にいて」

「……いいよ」

 自然と、鹿島の袖をつかむ。ひとりはちょっと寂しい。

「鹿島、僕さ」

「何だい、諏訪」

「あっという間だったな、って思うんだ。穢れで日本がめちゃくちゃになったのも、戦いに身を投じて行ったのも、復興するまでの一年、も……」

「そうさな。あっという間だな」

「この一年、すごくめまぐるしかった。忙しくて、何も考える暇、なくて……。今になって、そういうの、全部出て来ちゃった」

「辛かったか?」

「んーん……。僕がやらかしたことだから、むしろ当然だ、って思ってた」

「お前のせいじゃない……って俺が何度言っても聞かねーもんなあ……」

 鹿島は苦笑する。

「今でも時々考えることがあるんだ。僕、まだここにいていいのかな、ってさ」

「……」

「日本を穢した僕には、まだ償いが足りないんじゃないかなって。誰も僕のことを受け入れないんじゃないかって。僕がここにいても、みんな拒絶するんじゃないかって」

 

 日本を穢れで満たすのは簡単なことじゃない。日本の地にはもとから浄化の力が働いているし、穢れが大きくなる前に神々や人間がそれらを駆除する。もし大きくなりすぎて異形になったとしても、それだって力を持つ僕らが倒すのだ。

 それほどの大きなことを、僕はやってしまった。多くの犠牲を払うことになった。本来であれば、神格を剥奪されてもおかしくないことなのだ。この行いは、この罪は裏切りにも近い。

 こんな気持ちを誰かに聞いてもらいたいなんて思ったことはない。この思いは僕の弱さだから。弱さを誰かに見せたくない。

 でも鹿島が相手ならへいき。なぜか、安心する。

「都合がよすぎると、自分でもわかっている。でもこわいんだ。目が覚めたらここには僕ひとりだけがいて、誰かに声をかけても振り向いてくれないかも、しれない、って……。おかしいよな、そうされてもしかたがないくらいのこと、していたというのに」

「諏訪」

「僕、怖いんだ。誰からも見放されるのがこわい。それを振り切りたくてこの一年は忙しくしてた。でももう忙しくする必要なんてないから、余計に考えてしまう。こんな身勝手なこと考えてる自分が嫌いで、でもひとりになるのもいやだなんて思ってる自分も嫌いで……」

「諏訪」

 

 ふっと、布団に何か温かい者が入ってきた。

 鹿島が、僕の隣に寝そべる。しなやかな胸に、僕を抱き寄せた。

「うぷっ?」

「つれーな。見放されるのは誰だってこえーさ。俺も嫌だ。……でも安心しろ。俺はお前を見離さないし拒絶もしない。本気で嫌いにもならないし、お前が望むならいくらだって一緒にいる」

「か、かしま……?」

「お前が俺を拒まなかったように、俺も諏訪を受け止める。そうさなあ……中つ国、高天原いや日本……んー、いや違うな。たとえ世界の全てがお前を拒絶したとしても、俺だけはずっとそばにいてやる」

 鹿島がやさしく語りかける。抱きしめてくれる腕があたたかい。

「だからもう大丈夫だ。もう考え込まなくていいんだよ」

 な? と鹿島は僕の頭を撫でる。

 なんて心が落ち着くんだろう。気が余計に緩んで、涙がとまらない。泣くのをこらえるのなんてわけないのに、鹿島にやさしくされるとそれも難しくなる。泣いちゃいけない、泣くのを止めなきゃと、普段なら必死で涙を拭くだろう。でも今は、思う存分泣いていい気がしている。鹿島がいるからなんだ。

 鹿島がいると、自分の弱みをさらけ出しても、ちっともこわくない。鹿島はふしぎなやつだ。

「かしま、かしまぁ……」

「相変わらず泣き虫だなあ。好きなだけ泣いとけ。すっきりするから。神職にも許可とったし、今夜一晩は一緒にいるよ」

「ありがと、ごめ、……鹿島、ありがと」

「いいんだよ」

 僕は安心して眠りについた。



 ――青い空が、視界にいっぱい広がった。これは夢だ、となぜか認識できる。瞼を閉じているのもわかっているのに、なぜか僕の目には青空がうつるのだ。

 体は宙に浮いている。背中には布団の感触がない。ふわふわと空中を漂って、身動きが取れないでいる。でも怖くはなかった。

 

 自分のそばに、誰かが寄り添う。誰だろう。知っている……もとい会ったことがあるはずなのに、誰なのか思い出せなかった。夢の中だからなんだろうか、顔もはっきりわからない。でも優しく笑ってるように思えた。夢だから? 僕が勝手にそう思い込んでるだけなのかな。


 ――もう大丈夫みたいだな。

 そういって、そのひとは僕の頭を撫でた。頭は鹿島によく撫でられてばかりだけど、鹿島の時とは僅かに感じが違う。控えめなその手はとてもあたたかい。

 きみはだれ? と声も出せない。口だけは動いたけど、声がでなかった。

 ――元気で。

 そのひとが、そう言葉を僕に与えて、ふわっと消えて行った。

 


 そして僕も、冷たいくらいにはっきりと、目を覚ました。

「……っ?」

 さっきまで夢の中にいたのに、頭はしっかりと覚醒していた。眠気はあとかたもなく消し飛んで、目が冴える。

 そばに寄り添ってくれていたあのひとは誰だったんだろう。他人の気がしなくて、懐かしさが込み上げてきた。

 もぞもぞと体を動かすと、鹿島が僕をしっかり抱きしめて寝ているのがわかった。

「ひぇ、え……?」

 な、何で鹿島が!? とひとりで驚いていた。必死で昨夜のことを思い出す。

 そうだ。天照殿のご招待により、僕は高天原の宴に出席していた。でも一杯だけのお酒に酔いつぶれて一足先に信濃へ帰ったんだ。

 その時鹿島が運んでくれて、床へ寝かせてくれて……えっと、その先があいまいだ。きっと酔っていたせいで記憶が飛んでいるんだろう。どうしよう、変なこと口走ったりしなかったかな。悪酔いして鹿島に絡んだりとか、してないよね……? 大丈夫だよね……!? どうかしてませんように!

 鹿島は僕をしっかり抱きしめていて、その腕から抜け出すのは難しい。鹿島はまだ寝てる。静かに寝息を立てて、気持ちよさそうに眠ってる。それを起こすのは何だか悪い。


「ん……」

 鹿島が寝ぼけて腕に力を込める。僕は今よりも強く鹿島にくっつかされる。変な声が出るのをあわててこらえた。

(わわ……っ。鹿島、僕を抱き枕か何かと勘違いしてるのかっ?)

 心臓に悪いよ、これ……。目が覚めてから胸がどきどきしてるし、鹿島の顔、近いし……! 不思議と嫌じゃないのが救いだけど。

(あ、)

 鹿島の寝顔がふにゃっと緩む。いつも隙のない表情をしてる鹿島が、寝ているとこんなに無防備になるのかと思うと、ちょっと意外というか嬉しい気がする。僕には気を緩めた顔を向けてくれると思うと、鹿島の特別になれたみたいで、不思議な気持ちだ。


 目が覚めたら、鹿島がとなりにいてくれる事実。それは僕を安心させてくれる。

 鹿島が近くにいてくれるだけで、僕は穏やかになれるのだ。

「かしま」

「んー……」

 鹿島はまだ目を覚ましそうにない。

 そうだなあ。復興は終わったのだし、今まで忙しくて休む暇もなかったのだし。


 もう少し。

 もう少しだけ、眠っている君と一緒に、このひとときをあじわおう。

『やさしさの境界線』の後日談第一弾となります。『やさしさ』本編を未読でも問題なくお読み頂けますのでご安心を!

時間的には『やさしさ』の騒動から一年、復興が終わり日本がもとに戻ったところからのお話となります。たまにはほのぼのいいね!!

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