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真っ白になりたい真っ黒  作者: 静かな雨
8/10

偽りの盾

五月下旬。暦の上ではとっくに夏という季節に入っている今日この頃。

俺達は嬉しいことなのか、はたまたそうではないのか分からないが、相変わらず部活動でゲームをする日々が続いていた。

ただ、変わらなかったのはその部分だけで、小森音さんと城森の関係はだいぶ変化していた。

小森音さんは城森のことを「麗花ちゃん」と呼び、城森もいつからか、小森音さんの下の名前である「紗莉亜」にさんをつけて「紗莉亜さん」と呼ぶ仲になっていたのである。

女子ってどうしてこう仲良くなるのが早いんだろう。全く恐れ入る。その能力を少しは分けてもらいたい。

そんなわけで今日も部室でゲームをしています。

「三上君、浮き沈んでますよ?」

「あ……」

なんて考えていたら魚を取り逃してしまった。

しまった。ついうっかりしていた。

「これで三上君の最下位は決まりましたね」

城森はニヤリと不敵な笑みを浮かべながら告げてくる。

「こ、これで勝ったと思うなよ!」

「……それは既に敗北を喫している者の台詞では……」

「三上君やっぱり負けちゃってるねー」

今俺達は、『第一回情報交換部やあらへんで!チキチキ!これやってみたかってん第三弾!アニフォレフィッシング対決~!!』をやっているまっただ中なのである。

今のところトップは城森の十五匹。次いで小森音さんの十二匹。そして俺は十匹となっている。

くそ、あの一匹釣れなかったのはやはり大きいか……。

などと後悔の念に苛まれていると、突然城森が俺達に向かって、台風の避難勧告のような物を発令した。

「……南條先生の足音が聞こえます。ゲームはしまった方がいいかもしれません」

「ま、マジかよ」

「と、とにかく隠さないと」

俺達は各々瞬時に思い付いたところへ愛機を隠す。

丁度隠し終わったのと同時なぐらいに、部室の扉ががらりと開く。

「やーやってるかね」

「……ここは居酒屋じゃないっすよ」

ハハハと笑いながら部室に入ってくる南條先生を見て、少しだけ懐かしく思えた。

だってこの人、あの廃部危機の時以降一度も顔出してないんだもの。

国語の授業の際に会っていると言われればそうなのだが、授業という括りの場では南條先生と特別会話をするわけではないので、こうして会話する状況になったのがちょっと懐かしく思えたのだ。

「小森音も辞めずに続けているし、とりあえず安泰として見ていいのかな」

「そうですね。それで問題ないかと」

城森がそう答えると、これまた嬉しそうにそうかそうかと頷く。

前から思っていたが、この人城森の機微に酷く敏感なような気がする。

……金か!やはり金の力なのか!

未だに疑っている俺を尻目に、南條先生は話を切り出す。

「小森音も三上も城森に話を聞いていると思うが、この部を存続させるにはやってもらわなければいけないことがある」

「はい。南條先生」

「なんだ、三上?」

「その先は聞きたくありません」

だってイヤな予感がするから。

「先生察しの良い子は嫌いだぞ」

さらっと俺は否定された。

いや、別に俺察し言い訳じゃないし、きっとあの言葉は俺に向けられた言葉じゃないよ……きっと。

……嫌いなんて言うなよ。……泣けてくるだろう?

「で、話というのはな……」

ああ、やっぱり話しちゃうのね。

「来週の火曜日にプチ行事があるのは知ってるな?」

「球技大会みたいなやつですか?」

俺がその行事とやらを明確なものにすると、南條先生はそうだと頷く。

球技大会……。運動があまり得意ではない俺にとっては、ある種高校生活三大イベントの一つである、体育祭より嫌悪するレベルのイベントである。

体育祭は大人数参加イベント……要は長縄跳びやら、綱引きやら、玉入れといった簡単なものさえ掛け持ちしてエントリーすれば、それでOK。

一人三種目までと言われてもなんとかなる。

しかし、俺と同じ考えのやつがいた場合、溢れるやつがいるのではないかと思う人もいるだろうが、その心配はない。

余っている他の種目は、百メートル走とか、二百メートル走とか、リレーと言った、走る能力に長けているやつが出なければ勝てない物になっている。

そうなったとき、自然と体育でやった五十メートル走の記録に着目点をおく。

そして、上位の人間からクラス委員長、または皆をまとめる様な存在のやつに、個人種目に出てくれないかと懇願されるのである。

で、大抵の人間は嫌々言いながらも、最後は承諾するのだ。

それはなぜか。だって速いのは事実だから出ても特に恥はかかないし、それにこのクラスの中心である人物に懇願されることで、物凄い優越感に浸れるのだ。

さらには承諾した途端クラスの皆に、アイツは人の嫌がることをやってくれるなんていいヤツなんだ。と呼ばれるようになる始末。

皆自分じゃなくてよかったと思っているからこそ、やってくれる人を無駄に褒め称えるのだ。

そして頼まれた側の人は、褒め称えられるのが今までの経験で分かっているから、大抵の人間は根負けしたフリをして承諾するのだ。

とまあこんな感じで、体育祭はなんとかなるのだが、この球技大会というやつは如何せんどうにもならない。

まずは種目なのだが、女子はバドミントンで男子はドッジボールなのである。

ドッジボール……俺が大嫌いな球技の一つ。球技大会が嫌いなのは、この競技をやるからと言っても過言ではない。

ドッジボールほど圧倒的強者が、圧倒的弱者をいじめるだけの球技は無い。

ボールをもった強者は、誰を狙おうかと舐め回すように相手のコートを見つめて、獲物が決まった途端、その手に持っているボールという名の暴力をその獲物へと投げつける。

相手がそのボールを受け止めきれなければ投げた側は当然沸き上がるのだが、受け止められてしまった場合でも強者だけは沸き上がる。

それぐらい強者は余裕があるのだ。

仮に弱者がボールを持ったとしても、相手を落とせる確率は低い。

なにせ、ボールを手にした瞬間……仲間、敵、外野全ての人間の目が一斉に手にした人に対して向けられる。

こうなってしまえば、投げられるものも投げられない。

咄嗟に外したときの事を想像してしまい、変に力が入って落とせるかもしれないものも落とせなくなってしまうのだ。

これほどまでに苦痛なことはない。

ドッジボールとは名ばかりでその実態は、ただ弱者に対する強者側からの一方的な虐め行為のことなのだ。

「その球技大会の準備とやらを手伝ってもらいたい」

「はい。南條先生」

「なんだ?三上 ?」

「そういうのって体育委員の仕事なんじゃないですか?」

よし、この穴からなら抜けられるぞ!こんなものの手伝いなんて絶対したくない。

「先生察しの悪い子は嫌いだぞ」

「さっきと言ってること真逆じゃないっすかね……」

と、思ったら行き止まりどころか、引き返す道を岩で閉ざされた。

結局俺の事言ってるじゃねぇか……。ぐすん。

「でも、確かに三上君の言うことも多分にあるかと」

最早死にかけている俺の事を、城森は擁護してくれた。

流石だぜ我が部長!

「実は体育委員には別の仕事があってな。それに当日もなにかと忙しい……。ってことで、君達に準備ぐらいは手伝ってもらおうかと職員会議で決定されたんだ」

「そうですか」

その職員会議ぶっ潰してぇ……。

まあ、そんなことやったら潰されるのは俺の方だろうけど。

俺が露骨に嫌そうな顔をしてたのを見て、南條先生は補足する。

「なに、別に二、三日とかかる準備じゃない。たかだか二、三時間で終わるような内容だ」

「はい。先生」

「先生は仏だから三度目はないぞ?それでもいいなら質問を受け付けよう」

「……自己解決しました」

「よろしい」

あんたのどこが仏なんだよ……。そんな鬼みたいな顔してよく言うぜ。

「……なんか言ったか?」

「いえ、ただ先生はいつ見ても美人だなと思っていただけです」

我ながらなんと素早い回答。

南條先生も満更ではない様子でそうだろうそうだろうと、無駄にうんうんと頷いている。

この人確かに美人なことには変わり無いんだが……怖い。

未だに独身なのはきっと、周りの男の人は手を出しづらいんだろうな……。

思いっきり捻られそうで……。

おっと、またこんな失礼なことを考えていたら、今度こそヤバい。

とりあえずこの辺で止めておこう。

「あの南條先生」

俺の思考を中断するのには、なんとも打ってつけのタイミングで小森音さんは問う。

「準備っていつやればいいんですか?」

「ああ、言うのを忘れていたな。来週の月曜日だ。まあ、球技大会の前日ってことになるな」

「わかりました」

あーもうこの流れはやることに決まったっぽいな。

まあ、南條先生は二、三時間で終わるっていってたしいいか。

「もう質問はないな?」

俺達に……というか俺の方を向いて、南條先生はこの話題の締めのような言葉を発す。

そ、そんなに見つめないでください。……もう無いですから。

「じゃあよろしくな。当日は私と体育委員担当の教師とで指示はするから」

そう言い終わると、南條先生はなんか無駄にかっこいい感じに手をヒラヒラさせながら去っていった。

「はぁ。本当にパシリとして使われるのか……」

「三上君の言い方とは大いに違いますが……。私はこの様なことがあると言いましたよ?」

城森は不思議そうな顔を浮かべて俺に聞いてくる。

「いや、確かに聞いたけどさ。なんか結局その話はうやむやになって、何にもなければいいなとか思ってたからさ」

俺は椅子の背凭れに倒れこみながら愚痴を放つ。

「急に現実を見た……みたいな感じ?」

「ああ、見事にそんな感じだな」

小森音さんが的確な言葉をついてきたので同意する。

やっぱりあの話は無しってことでみたいなことにはならないか。

世界はいっつも思い通りには動いてくれないな。

……もういいかこの話はしてもしょうがない。それに、俺一人でやる訳じゃないんだし。あまり愚痴愚痴言うのは格好が悪い。

「あ、そう言えば…………」

ふいに思ったことを洩らそうとして止まる。

「なんですか?」

城森は続きが気になったようで内容を逐ってくる。

「いや、城森と小森音さんはバドミントンのペアもう決まってるのかと思ってな」

言い淀んではいけない場面だったが、なんとか滑舌よく言えたのでホッとする。

今一度言うが、男子はドッジボールで女子はバドミントンが球技大会の種目だ。

男子のドッジボールは当たり前だが、ペアなんてものは無く、全員参加で一つのチームだ。

だが、女子のバドミントンはダブルスでの出場……つまり二人一組なのだ。

なんとなくそのルールが頭をよぎったため発言してしまったのだが……。

「「ああ、それなら」」

二人は同時に口火を切って続ける。

「小森音さんと」

「麗花ちゃんと」

「「組むことに(しました)(したよ)」」

「あーそうだったんだな」

俺は白々しい態度で言承けをする。

「私が麗花ちゃんを誘ってOKもらったんだ。麗花ちゃん運動神経良いから、足引っ張っちゃうかもって思ったんだけどね」

「なるほど。てか、城森って運動神経いいの?」

俺は城森自身に問い掛けたのだが、なぜだか小森音さんがフフンと鼻をならしながら声を出す。

「麗花ちゃん凄いんだよ!走るのだって速いし、今体育でやってるテニスも上手いんだよ」

言われた城森は照れた様子は特に無く、寧ろそうですか?と小森音さんに聞き返している。

まあ、小森音さんが嘘を言っているようには思えないし、たぶん城森は本当に凄いのだろう。

世の中には芸が多彩な人間は、憎たらしいが存在する。

勉強もできれば、絵もかける。歌もうまけりゃ、運動だってできる。その上イケメンであったり、もしくは美人であったり。

そんな人の一人に、もしかしたら城森は含まれているのかもしれない。

決め付けるという行為は極悪だが、今のところ容姿と、運動においての城森は優れているみたいだ。

「男子はドッジボールだっけ?」

「ああ」

「私ドッジボールって苦手だな……。なんか怖い」

「……そうなんだよ。この球技大会の時と持久走の時だけは女子になりたいって本気で思う」

だってせこくない?

小、中学校で八百メートル。高校でも千メートルって。

男子の千五百メートルと中々に差があるって……。

男女平等と公約を掲げるのならば、まずはこういうところを改善していってもらいたい。

……できれば男子が女子の基準に刷りよるような形でねっ☆

不意にピピピ、ピピピと一定のリズムの機械音が部室内に鳴り響く。

耳を便りに音の発生源へと目を向けると、城森がⅢDSの画面を俺と小森音さんに見えるような形で手に持っていた。

「あ……。そういや釣りしてたんだっけか」

その画面の真ん中には、赤文字で大きくタイムアップと書かれていた。

「やはり、三上君の負けでしたね」

勝ち誇ったような顔で城森は言い放つ。

無駄に可愛いのがこれまた余計に腹立つ。

「今の結果は南條先生が来たから無しだ無し」

「じゃあ、もう一回やる?」

俺が不満を唱えると、小森音さんが救いの手を差しのべてくれる。

「……それでお願いします」

「仕方ないですね……。では、また始めましょうか」

城森はやれやれと言った感じで、承諾してくれる。

くそ、見てろよ……。次こそは……必ず……!

こうして俺達は、下校時刻ギリギリまで対戦していた。

最終的な結果は……。

言いたくないので省略させてもらう。




★ ★ ★




時というものは否応無く進んでしまうもので、あっという間に球技大会前日を迎えてしまった。

俺と小森音さんと城森は前に言われた通り、球技大会の準備をするために体育館に集まっていた。

体育館で活動しているバスケット部とバレー部は、本日はお休みらしい。

それはそれとして、はー……。明日なんか来なきゃいいのに。

明日があるさなんて言葉は、今の俺にとってはなんの希望も沸きはしないどころか寧ろ、地獄へ叩き落とされるような感じがするほどに凶悪なモノへと変貌していた。

たかがドッジボールをするごときで何を喚いているんだ。

仮に俺が羞恥を晒すような事態になっても、そんなこといちいち覚えているヤツなんていないだろう。

第一俺のこと自体、気に止めてるヤツなんてのがまずいないんだから。

そう、何度も自分に言い聞かせては来たのだが、やはり嫌なものは嫌なのである。

世間じゃよく、大人になれば嫌なこともやらなくてはいけないとか言うらしいが、だったら俺はずっとトイザらスキッズでいたい。

大人になんてーなりたくなーい。

とは、言うもののチキンでリトルな俺は、学校をサボることすらできる気がしない。

……風邪でも引けば、変な後ろめたさも気にせず休めるというのに。

「おい、三上。ちゃんと今の話聞いてたか?」

「……すいません、右から左へ受け流してたんで聞き逃しました」

ペシっとファイルのようなもので、俺は南條先生に頭を軽く叩かれた。

そのせいか、俺の脳内には、ちゃらちゃっちゃっちゃらっちゃーみたいなムーディーなメロディーが流れてきた。

「全く……。いいか?とりあえず三上と小森音は、体育館内の準備室からバドミントンのネットとラケットを持ってきて、体育館内に設置する作業をしてくれ。ネットを掛ける支柱は既に準備してある」

そう言って南條先生は、辺りを見回す動作をする。

そこまでやったなら残りもやってくれよ……。という言葉を俺はグッと飲み込む。

もう嫌いなんて言われたくないからね。

「……わかりました。けどそれだと、城森は何するんですか?」

俺はもう一つの疑問を城森よりも早く南條先生に問う。

「城森は私と田中先生とで運動場にドッジボールのコートをセットすることになっている。……三上。本当に聞いてなかったようだな」

南條先生は手をおでこにあてながら、やれやれと首を振る。

……怒られるかと思って、思わず身構えちまったぜ。

田中先生とは体育教師の一人で、カッコいい言葉で言うならば熱血漢、悪く言うならめんどくさい、鬱陶しい、うざい。

悪く言う方の選手層が厚いのはこの際置いておく。

そんな感じのまあ、体育教師の如何にもなタイプの人である。

こういったタイプの教師は苦手だ。

俺はどっちかと言うと、南條先生の方が人としては圧倒的に好みである。

怖いと言えば怖いが、冗談を面と向かって言える人なので俺は好きだ。

「こっちの方が人手が多いから、そっちよりは早く終わる予定だ。終わったら手伝いに行くから安心しろ」

そして意外と優しい。そんでもって……。

「はぁ……。じゃあまあ、期待しないで待ってます」

「……手伝いは無用なようだな」

「先生が来てくれないと始まんないっすよ!待ってますから絶対来てくださいよ!」

「よろしい」

チョロい。

「じゃあ、各々作業を開始してくれ」

南條先生は手をパンと一つ叩いて、俺達が動き出すのを促す。

歩きだした南條先生の後を、城森は着いて行った。

「俺達も行くか」

「うん」

とりあえず歩いて数歩の距離にある準備室まで行き、ガラリと扉を開けてその瞬間俺は落胆する。

「バドミントンのラケットとネットってどこに置いてあるんだよ……」

準備室の中は散らかっているというわけではないが、色々な物が押し込められており、小さい道具はパッと見どこにあるのかわからない状態になっている。

「とりあえず探そっか」

「そうだな」

しばし固まっていると、小森音さんが止まっていても仕方ないと思ったのか行動の合図をあげる。

俺もそれに同意して適当なところを探し始める。

けど、闇雲に探したところで見つかるのか……。

「あ、これそうかな?」

そう言いながら小森音さんが持っているものは、紛れもなくバドミントンで使うネットだった。

はやっ!もう見つかったよ。

「そうそう。ナイス小森音さん」

「へへっそうでしょー?」

控えめに背中を反り返りながら、小森音さんは腰に手を置く。

全く本当にナイスだぜ、小森音さん。

「ネット入ってる籠二つあるから、一個三上君持ってくれない?」

「はいよ」

小森音さんはそう言うとネットが入ってる籠を持ち上げ俺に渡してくる。

籠の口は無駄に横に広く、取手もついていないため、一人で二つ持つにはちょっとばかり厳しい。

適当な籠を見繕ってきた感が丸分かりだった。

「ラケットは……。ネット張り終わってから探しに来ればいいか」

「そうだね」

小森音さんの方も同意してくれたので、俺達は準備室を出て体育館の床に佇む支柱へと歩き出す。

「じゃあ、そっち側頼むね」

「あ、あの三上君」

「ん?」

めんどくさい作業を始めようとしたところで、俺は小森音さんに待ったをかけられる。

「わ、私そのネットの張り方分からないん……だけど」

小森音さんは、申し訳なさそうな顔を全面に出して真実を告げてくれる。

「あーそっか。じゃあ教えるわ。……って言っても俺自身うろ覚えだけど」

「三上君は分かるの?」

「中学校の時、体育でやってたからね。えっとまずはネットを固定するんだけど……」

そうなんだと言いながら、小森音さんは俺の説明に真剣な顔付きで聞き入っている。

これが女の子との共同作業ってやつなのだろうか。

いや、ちょっと違うか。

……でも、なんか良い香りがします。

「…………で、最後にこのレバーで高さを調整すれば終わり……って感じだけど。俺の説明で分かった?」

「う、うん。なんとなくだけど」

途中、邪な思考に何度も邪魔されかけたが、なんとか説明を終えることができた。

「んじゃあとりあえずここのネット掛けてみるか。俺は向こう側でもう一回説明しながらやるから、小森音さんも一緒にやってみて」

「わ、分かった」

今度こそ共同作業と言ってもなんら不思議は無いだろう。誰がなんと言おうと俺は今、初めて女の子と共同作業をしているのだ!

思い起こしてみれば、初めて女の子と一緒にゲームをしたのも相手は小森音さんだったんだよな。

城森とは一緒にやったというか、一方的にやってたという感じが強い。

となると俺の二つの初めては、小森音さんに奪われたことになるな!……。

べ、別に初めてって部分に変な意味は込めてないよ?

「三上君!こっちは準備OKだよー」

「あ、ああ!こっちも大丈夫だ」

我ながら中々に気持ちの悪いことを考えていたから、小森音さんへの対応がキョドってしまった。

気を取り直して俺達は作業に取りかかる。

一つ一つの行程を俺は口に出しながら行い、それを追うようにして小森音さんも同じことをする。

それを何回か繰り返して、漸く一つ目のセットが完了した。

「これで、一応完成か」

「ごめんね。私のせいで遅れて」

軽く一息付きながら俺は言うと、すぐさま小森音さんは自分を卑下した発言をする。

「いや、そんなこと無いよ。小森音さんの物覚えがいいからもう出来たわけだし」

それに、一番の元凶は俺と小森音さんがネットの張り方を知っているのかどうかの確認を怠った人のせいだろう。

……誰とは言わない。なんか身の危険を感じるから。

「ありがとう……。三上君は優しいね」

「それが俺の売りなんで」

「えぇ、なにそれ」

俺のボケに対して小森音さんは、ふふっと笑みを浮かべてくれる。

優しい。よく優しい男はモテる!だなんて言われているが、あれは大事な部分がすっぽり抜けて伝わっている恐ろしい風潮である。

正確には、優しい男はモテる!※ただし、イケメンに限る。これなのだ。

もっと細かく言うならば、普段はそっけない態度、もしくはかなりツンツンした態度を女性に対してとっている男が、不意に優しさを見せることで世の女の人達は、キュン死にしているのだ。

だからイケメンでもなんでもない俺が、いくら女子に優しくしたところでキュン死することはない。

まあ、そんな狙って優しくしたところで、下心はバレバレなのだろうが。

「てことで、残りもちゃっちゃと終わらせるか」

「了解です」

ピシッと敬礼をしてくる小森音さん。

よっしゃあ!!元気百倍だぜ!!俺は単純な男だぜ!!

その後、俺達はぼちぼち会話をしながら、着々とネットのセットを完了していった。

そして、もう残りわずかというところになったところで、南條先生と城森、そして田中先生が手伝いにきた。

「約束通り手伝いにきてやったぞ」

「意外とそっちも時間かかったんですね」

「まあな」

南條先生は若干疲れた様子で言う。

「じゃあ、ネット張るの頼んで良いですか?俺、ラケット取りに行くんで」

分かった。と南條先生が承諾してくれた時に、横から田中先生が俺に助言をしてくる。

「三上。ラケットの籠は確か四つほどあったから、誰かもう一人連れていけ」

「わかりました……」

「あ、じゃあ私行きます」

田中先生の言葉を聞いて、小森音さんはすぐに俺の手伝いを買って出てくれた。

何て良い子なんでしょう。

歩きながら俺は、小森音さんにありがとうとお礼を言うと、いえいえ~と綻んだ顔で返してくれた。

開け放していた準備室の中へ再び入ると、またしても俺は落胆した。

「……しまった。今度はラケットがどこにあるか分からん……」

ただ、今なら近くに田中先生もいるし、ここから振り返って呼べば良いかと思った矢先、小森音さんからまたしてもありがたいお言葉を頂戴した。

「あの奥にあるのってラケットじゃない?」

そう言って小森音さんの指差す方に目をやってみるが、それらしきものは見当たらない。

「あ、私のところからなら見えるかも」

俺が見えていない様子を察したのか、小森音さんは自分が立っていた場所を離れて俺に譲ってくれる。


俺は横にスッと移動して再び小森音さんの指差した方へと目を向けると、準備室の一番奥の方に確かにバドミントンのラケットが入っている籠が見える。

「よ、よく見つけたな」

流石にこれは瞬時に見つかるってものには思えないのだが……。

「実はさっき、ネット探した時にちらっと見えたんだ。だから、田中先生に言われなくても私は最初っから三上君についてくつもりだったんだよ」

「な、なるほど。またしても小森音さんナイスだわ」

「そうでしょうそうでしょう~」

またしても得意気に言う小森音さん。

にしてもあの短時間でよく見つけたなー。

てか、ラケットとネット一緒に置いとけよと思うのは俺だけでしょうか。

「今度から無くし物した時は、小森音さんを頼ることにするわ」

「さ、流石にそれは難しいと思うけど、もしそうなったら……ぜ、善処します」

マジでやってくれるんかい。どんだけいい人なんだこの人。

「おーい。ラケットあったかー?」

改めて小森音さんの人の良さに浸っていたら、突然後ろから暑苦しい声が聞こえてきて一気に萎える。

「ありましたんで大丈夫でーす」

俺は適当に返事をして、さっさと籠を取りに行くことにした。

小森音さんも俺の後をついてくる。

「一、二、三、四……確かに四つあるな。じゃあこれ二つ小森音さん頼むわ」

「はーい」

小森音さんの承諾を得ると、俺は籠を一つ、二つと小森音さんに手渡して、自分も二つの籠の取手を手に握る。

こっちは取手あるんかい。ネットの籠にもつけろよ……。

「よし、戻るか」

「うん」

これ持って行ったら、もう向こうの準備終わってないかなーとか考えながら一歩を踏み出そうとした時、ガツンと何かかと何かがぶつかったような音が聞こえる。

「…………あ」

その瞬間、俺は無意識の内に両手に握りしめている籠を離して城森さんに飛びかかった。

「………っっ!」

ガラガラガラと俺の背中に、質量が中々にある物質が滝のように打ち付けてくる。

小森音さんが歩きだした時、小森音さんの左手に持っていた籠が、なにに使うのか今一わからない長さが区々な棒状の道具にぶつかって、その棒sが倒れ込んできたのである。

俺は小森音さんが籠をぶつける前に、それを一瞬だが目にしたことが功を奏して、なんとか小森音さんを庇うことができた。

今度は俺がナイスじゃない?なんてね。

「み、三上君!!大丈夫!?」

「お、俺は平気……。それより小森音さんは?」

「わ、私は大丈夫だけど……」

「……そうか。ならよかった」

小森音さんに怪我がなくて俺は心底安堵する。

これで怪我なんかしてたら、俺かっこ悪すぎるからね。

というかこれ端から見たら完全に押し倒しちゃってるよね?

早く退かないと。小森音さん嫌がってるだろうし……。

俺は満身の力を振り絞って起き上がる。

「……っ」

その時に背中に感じた痛みを顔に出してしまい、小森音さんは泣きそうな顔で俺の心配をしてくれる。

「三上君やっぱり怪我してるよ!あ、当たり前だよね私を庇ってくれたんだし……。急いで先生に見てもらわないと……!」

「いや、ホントに大丈夫……」

俺はとりあえず小森音さんを落ち着かせようとしたその瞬刻、またしても外野から暑苦しい声が聞こえてた。

「おい!なんかでかい音がしたぞ!?なんかあったのか!?」

そう聞こえた直後、段々とあのめんどくさい男がこっちにやって来るような足音が耳に届く。

俺はいつもの考えすぎる癖が出てしまい、ある一つのあるかもしれない程度の仮定を想像してしまった。

それが起こってしまう最大の要因として、近すぎる未来、この現状をを目にしてしまう田中先生が大きく関わってくる。

今現在、俺の周りには用途不明の棒が散乱した状態で置かれている。

一つは床に真っ直ぐ横たわっていたり、一つはバスケットボールが収納されている籠に引っ掛かって斜めになっていたり。

この光景を見た大半の人はまず間違いなく、立て掛けてあったこれらの棒を俺達が倒したということ事実が伝わるだろう。

そこはまあいい。当たり障りの無いように謝ればいいだけだ。

たが、問題は次の事柄にある。

それは、小森音さんがするであろう行動である。

田中先生が来た直後、もしくは小森音さん自身が今まさに立ち上がって先生の元へ行き、俺の状態を報告してしまうかもしれない。

そうなってしまえば、俺が怪我を負ったことが周知の事実になる。

今……というかこれからもそうだとは思うが、情報交換部を存続させるには定期的にやってくるであろうこの教師の手伝いというものが必要不可欠な物となっている。

だが、その手伝いをしている最中に怪我なんてされたと知ったら教師といえど堪ったものではないだろう。

なにせ今の時代、子供に対する親の執着は異常だ。

モンスターペアレントとか呼ばれる人達が社会現象にまで発展している状態にある。

そんな状態のため、どんな教師といえども厄介事にはできるだけ関与したくないだろう。

かといって見逃すとなれば俺がこの事を親に報告する、もしくは親が俺の怪我に気付くなんてことになって、生徒が怪我したのを教師が黙っていたとされて、余計に事態を悪い方へ悪い方へと運んでいくことになってしまう。

俺の親はそんなことで学校に乗り込んでくるなんてことはしないとは思うが、教師からしたらそんな事は知った事ではないのだ。

となれば今の俺達を見た田中先生がするであろう行動は、俺の手当てをした後にこれを他の教師陣に報告。

……そして今後はこんなことが無いようにと、俺の親への証明として、情報交換部が行う雑用の撤廃を掲げてくるであろう。

それでパシられなくなるぜ!ばんざーい!

と、なればいいのだが南條先生は言っていたはずだ。

情報交換部というもの自体は認めて貰えた訳ではないと。

さっきも言ったが、あくまで教師のパシリをするからこそ、存在出来ていると。

結果、どうなってしまうかは簡単に察しがつく。

……情報交換部の廃部。ただの一択だ。

こんな考えが一瞬なのか数秒かかったのかは分からないが、思い付いてしまった。

勘違いしてはいけないのは、これはあくまで俺の妄想である。完全に妄想した通りになるとは断言できない。

だが、最悪という名の花を咲かせる本の僅かな可能性を持っている芽であることには違いない。

咲いてしまってからでは遅いのだ。

その花を土から抜くことは出来ても、その花を見た人間の頭の中からは決して抜くことは出来ない。

だから、咲く前に摘んでしまう。それしか俺には思い付かない。

「せ、先生三上君が!……」

そう結論が出たところで、案の定小森音さんは立ち上がって予想通りの行動に出る。

「小森音さん!急いで準備室の扉を閉めてくれ!それと鍵も!」

「え、な、なんで?早く先生に見てもらわないと……」

「いいから!!あの人が来る前に早く!」

俺は声が外に漏れないように注意しつつ、急かすようにして小森音さんを促す。

「わ、分かった!」

小森音さんは雰囲気に気圧されたのか、俺の言った通りに準備室の扉を閉めて鍵を掛ける。

それを見届けた俺は、急いで倒れてしまった棒を元の立て掛けてあった位置に戻し始める。

小森音さんはその様子を見て、自分から手を貸してきてくれた。

「おい!なに閉めてるんだ!!早く開けろ!」

早くも田中先生は扉の前に来てしまったらしく、扉がガタガタと揺れている。

マズイな……。こっからどうするか……。適当に誤魔化すしかないな。

俺は忙しなく動きつつ、ホラを吹き始める。

「い、いやーちょっと中でゴキブリ見つけちゃいまして!退治してから開けますんで!」

「だからって鍵まで閉めることは無いだろ!それにさっきのでかい音はなんだ!」

「田中先生が扉を開けたら、そっちに逃げる可能性もあるじゃないですか!でかい音はゴキブリ見たときにビックリしてラケットの籠離しちゃっただけです!」

ちょっと苦しい言い訳になってしまっているがこの際しょうがない。

後少しで戻し終わるんだ。それまで適当に躱していればいい。

「いいからここを開けろ!ゴキブリなんてどうでもいいから!」

田中先生は扉をガタガタと震わせる力を強めて俺達に圧をかけてくる。

「あ!今ゴキブリ出てきたんで始末してから開けます!」

そう言って俺と小森音さんは最後の一本である、一番長くて重い棒を二人で持ち上げて立て掛ける。

これで終わった。後は……。

「小森音さん、扉の鍵外してきて」

「う、うん」

小森音さんに扉の方を任せて俺は、準備室の窓をガラリと開ける。

「せ、先生、今開けます」

鍵が外れた直後、扉は勢いよく開かれて痛々しい音が響く。

小森音さんはその音に怯えたようにビクッと体を縮こませる。

「お前ら!なんで扉なんか閉めたんだ!」

開口一番さっきと同じ質問を怒鳴り声で投げつけてくる。

この人ホントに喧しいな。

「さっきも言ったじゃないですか。ゴキブリが出たって」

「じゃあそのゴキブリはどこにいるんだ!」

「それが……。窓が空いてたんでそこから逃げていきました」

俺はさっき開けたばかりの窓に指を差して言う。

「……お前適当な事言ってないか?」

田中先生は少しクールダウンしたらしく、冷静な判断をしてくる。

ちょっとヤバイな……。かといって今更嘘を重ねたところでこの様子じゃ余計に疑われるだろうし……。

「まあまあ、田中先生落ちいてください。仮に三上が嘘をついていたとしても、この状況では三上自身に何ら得はありませんよ」

ジリジリと詰め寄られてきたところで、我が部の顧問である南條先生が何とも素晴らしいアシストをしてくれる。

「それはそうですけど……。いや、待ってください。三上達が何かしらの物を壊したことを隠蔽しようとしている可能性があります」

俺は誰にもバレないようにニヤリと笑みをこぼすと、南條先生のアシストしてくれたボールを思いっきりゴールに向けてシュートする。

「それなら田中先生が中にある道具を点検してみてくださいよ」

田中先生の中の奥底にある疑惑が、南條先生のアシストで明るみに出たことで俺達の隠蔽は成功したと言える。

俺達は別に物を壊してなんかはいない。

倒してしまった棒を直すときに一本ずつざっとではあるが見た時にはなにも破損した部分は無かったと記憶している。

無論その棒の落下点も異常はなかった。

ならばその、田中先生の疑惑とやらを解消してしまえば丸く収まるのだ。

「……わかった、もういい。とりあえずその散らかってるラケット片付けて早く持ってこい」

俺があまりに堂々と臆せず言ったのが決め手になったようで、田中先生は折れてしぶしぶ準備室を後にした。

ふーっ……なんとかなったな。

人間嘘じゃない事を言うときは自信満々に言えるものだね。

「南條先生ありがとうございます。……お陰で助かりました」

ははっと軽く笑いながら、俺は南條先生にお礼を言う。

「なに気にするな。…………で、三上。今言ってたことは本当なんだろうな?」

俺はピクッと体を反応させてしまう。田中先生は怖いと言えば怖いが、その理由として勢いが大半を占めている。

学生の俺達にとっては、それだけで中々に恐怖の対象になるのだけど。

ただ南條先生には、そういう勢いというものは特にないのだが、なぜだか体の奥底からゾワッと込み上げてくるものがある。

まるで全ての出来事を見ていたかのような印象を植え付けてくるその目が、俺が震えてしまう原因なのかもしれない。

端正な顔立ちは一転してしまうと、恐怖を倍増させるためのスパイスになってしまうのかもしれない。

「な、何言ってるんですか。嘘なんてついてませんよー。な、小森音さん?」

そう言って俺は顔を小森音さんに向ける。

田中先生の時とは打って変わって、俺は取り繕うことができなかった。

更には小森音さんに投げ掛けてしまう始末である。そうまでして俺は、この人の目線から逃れたかった。

「そうなのか?小森音」

俺の身代わりに、今度は小森音さんがあの眼光を突き付けられる。

俺は小森音さんに向けたままにしている目で必死に訴え掛ける。

合わせてくれ……。頼むから……。

「は、はい。私がゴキブリ見てビックリしちゃって……。そ、その時に三上君にぶつかっちゃって籠を落としたんです」

「……そうか」

俺の訴えがなんとか通じたのか、小森音さんは俺に合わせてくれた。しかも、それっぽい嘘までついて。

二人の嘘が重なった盾でなんとか南條先生の矛を防ぎきることができた。

覚悟を決めて南條先生の方へ顔を向けると、その目は既にいつもの切れ長で美しいモノに変わっていた。

「よしっ。じゃあ残りの準備終も終わらせるぞ」

南條先生は柏手を一つパンと鳴らして体育館に戻って行った。

今度こそ本当に終わった。最後の最後はマジで危なかったな。

それと、南條先生の恐さを改めて認識した。

「あ、あの三上君……。本当に大丈夫なの?」

南條先生が離れていくのを見た小森音さんだが、用心のためか小声で再び聞いてくる。

「大丈夫だよ。肩だって動くしそれに対して重くなかったらね」

俺もそこは合わせて小声にしながら、大丈夫という証拠に肩を回して見せる。

正直痛い。結構痛い。だが、小森音さんに負い目を感じさせるわけにはいかない。

「ならいいんだけど……。で、でも一応病院には行っといて……ね?」

「分かったよ。それとこの事は城森にも内緒にしておいて」

「わ、わかったよ」

俺は努めて軽い感じに振る舞いながら言った後、ラケットの籠を手にして準備室を出る。

「三上君」

「し、城森!?」

不意に声をかけられた方を見ると、城森が準備室の扉に寄りかかっていた。

てっきり向こうで待っているものだと思っていた俺は、ビックリして声が上擦ってしまった。

ま、まさか小森音さんとの会話聞こえてた訳じゃないよ……な?

後ろを着いてきていた小森音さんの方へ首だけ振り向くと、小森音さんは字の通りにアワアワした感じになっていた。はい、可愛い。

「な、なんだ?」

そんなことは今はどうでもいい。いや、どうでもよくないけど。

俺は恐る恐る要件を訪ねてみると、城森はしばし俊巡した後声を出す。

「…………いえ、なんでもないです」

だが、帰ってきた答えは俺の予想に良い意味で反していた。

「……そうか。準備も後少しだしちゃっちゃと終わらせようぜ」

「はい」

そうして俺達は残りの作業に没頭した。

五人でやればあっという間に終わった……はずなのだが、背中の鈍い痛みを顔や態度に出すまいと、必死に堪えた時間はやけに長く感じた。




★ ★ ★




現在の時刻は下校時刻手前の五時四十分。

ちょっとしたアクシデントはあったものの、いつも通り部活が終了する時刻の六時よりかは、二十分程早めに終わることができた。

「今日はお疲れさん。各自気を付けて帰れよ」

南條先生はそう言って体育館を後にする。

田中先生の方はさっき校内放送で呼び出しを受けて、既にここにはいない。

俺達の荷物は、準備があるということで部室には立ち寄らず、予めこの体育館の隅に置いておいた。

その荷物を持って俺は帰りの合図を告げる……前に城森が一手早く口火を切る。

「すみません紗莉亜さん。先に帰ってもらってもいいですか?……私は少し三上君に用があるので」

「え……俺に?」

困惑している俺をよそに城森は会話を続ける。

「私待ってるから大丈夫だよ?」

「いえ、もしかしたら長引く可能性があるかもしれないので、先に帰ってもらった方が私としては心持ちが良いのですが……」

「う、うん分かったよ。じゃあまた明日ね……」

そう言って小森音さんは俺に一瞥をくれた後、体育館を後にする。

あの様子じゃやっぱりまだ心配されてることには変わりないんだろうな……。

「……で?俺に何用でございますか?」

もしかして……告白!?なーんてねっ☆。

「ちょっと着いてきてください」

「ああ」

バカなこと思ってると置いてかれそうなので、とりあえず頭の中を空っぽにする。

城森は体育館を出て校舎に戻る。

「お、おいどこまで行くんだよ」

「いいから着いてきてください」

やけに強情になっている城森に着いていくと、急に城森はある部屋の前で立ち止まった。

お、おいここって……。保健室じゃないか?

え、なに?どういうこと?もしかして城森……。俺はごくりと生唾を飲む。

こ、告白とかデートとか色々すっ飛ばしてないかこれ?

いや、でもまあ据え膳食わぬは男の恥という諺もあるし……。いや、でも……。

「三上君」

「な、なんでしょう?」

俺が妄想の佳境に入っていると、急に城森に声をかけられて返事が吃ってしまう。

「後ろ向いてくれませんか?」

「へ?あ、ああ別にいいけど……」

俺は言われた通り城森に対して背を向ける。

ど、どういうことなのだろうかと考えていると、突如として背中に激痛が走る。

「……いって!!!」

俺は不意討ちをくらい思わず声が漏れてしまった。

そして直ぐ様振り返り城森に詰問する。

「い、いきなり何するんだよ!」

「……私は軽く押した程度ですけど」

「あ……」

俺は見事に墓穴を掘ってしまった。穴じゃないよ?墓穴ね、墓穴。

それにしても城森は迷うことなく俺の背中を突いてきたな。

ってことは即ち、もう誤魔化しがきかないことは明白だっていうことか……。

俺は観念して城森に問う。

「……いつから気づいてた?」

「気づいてたと言いますか、気になったのは準備室の中を覗いた時ですかね。立て掛けてある棒の並びが、以前見たときより少し異なっていたように思えましたので」

「よ、よく分かったな……」

え、この人、瞬間記憶能力とかあるタイプの人なの?

俺が露骨に驚愕した表情を晒すと、城森は言葉を付け加えてくる。

「あくまでなんとなくです。準備室から聞こえた音は何かが崩れるような音に聞こえたということと、準備室を覗いた際に、崩れてきそうな物をざっと俯瞰で見たときあの棒が目に入ったというだけです」

それでも十分凄いと思うのだが……。

城森は尚も続ける。

「確信に変わったのは今の三上君の反応を見たときですが、肩……あるいは背中をもしかしたら負傷しているかもしれないと思った切っ掛けはあります」

「……それは?」

「三上君の鞄の持ち方です」

「……鞄の持ち方?」

言われて俺は今手にしているこの鞄へと目を向けるが、なんら不自然な持ち方はしていない。

これで何がわかるのやら。

「いつもの三上君なら鞄を……肩にかけているはずです」

「……あ。言われみればそうかもしれないな」

俺は視線を下げて、もう一度手にしっかり握りしめている鞄を見る。

まさかこれだけで……?

ただまあ、俺が怪我していることはバレても、俺がそれを隠していた理由さえバレなければそれでいいんだけど。

それよりも……。

「最初は肩だけを負傷したのかと思いましたが、あの何本かある棒が全て肩だけに当たるというのは少し考え難い………………何ニヤニヤしてるんですか?」

城森に言われて自分が浮かべていたであろう表情を聞いてハッとする。

「いや、なんていうか……。城森って案外俺のこと見てたんだなって。ちょっとだけ嬉しくなってさ」

女々しい理由ではあるが、俺はそう思ってしまったのだ。

「な、何を言ってるんですか?休日以外毎日顔を合わせているんですからそういった事に気が付くのは当然のことかと……」

城森が慌てて理論を武装している姿が、俺には何だか微笑ましく思える。

「……とにかく」

ゴホンと一つ城森は咳払いをすると、保健室の扉を開けて俺を強引に中へと連れ込む。

「……とりあえず上着を脱いでください」

「……は!?」

あれ?やっぱりもしかして実はそういう展開だったりするのかこれは!?

それに……城森って意外と積極的なんだな……。ガンガンアタックしてくるじゃないか。

「早くしてください。また背中惜しますよ?」

ガンガンアタックしてくるどころか超アタッカーだった。

「わかったからもう押さないでくれ……」

俺にはMの気質なんてないからもうあの痛みを味わいたくありません。

俺は内心ビクビクしながら上着を脱ぎ終える。

「……少し手を前に出してじっとしていてください」

言われた通り手を前に出した後、モサッとした何かが背中に当たる。明らかに人の手でないことだけは分かる。

そしてその存在は背中から脇、そして前の胸部に差し掛かった時に正体が判明する。

「城森これ……」

「あくまで応急処置です。この後はちゃんと病院に行ってください」

モサッとした物の正体は包帯だった。

「右肩と左肩どちらが痛みますか?」

「右肩かな……。左はそうでもない」

分かりましたと城森は答えて、慣れた手付きで俺に包帯を巻いていく。

「……とりあえずこれで完了です」

「あ、ああ。ありがとな」

保健室にあった長細い鏡を見ると、満身創痍で勝った時の主人公のような巻き方をされた俺の体があった。

や、やべぇ……。かっこいい……。

「この状態では、差し詰め明日の球技大会は見学ということになりますね」

「……いや、出る」

包帯で厨二気分に浸っていた俺だったが、城森の言葉で一気に現実へ戻ってくる。

「なぜですか?今はまだ痛みに耐えられるとはいえ安静にしていないと危険です」

城森は微かに語気を強めて俺を頷かせようとしてくる。

その目は止めてください。もう睨まれるのは懲り懲りっす。

「それは分かってる。……けど、このタイミングで休むと……小森音さんが気にする」

これもまた可能性の話になってしまうが、小森音さんの数々の気遣いを受けてきた俺からしてみれば、どうしても小森音さんが自分のせいだと自らを責めるビジョンしか見えないのだ。

第一あんなに何度も大丈夫だと小森音さんに説いてしまったのだ。今更引けない。

「それはそうかもしれませんが……。それで症状が悪化した場合どうするんですか?」

「別に大丈夫だろ。ドッジボールって言ったって背中にぶつけられなきゃいいだけで、正面からきたボールを適当に触ってとっとと外野にいくよ」

応急処置してもらった時とは逆転して、今度は俺が城森を説得しにかかる……はずだったんだけど……。

「何も背中にボールを当てられることだけが症状の悪化に繋がる訳じゃないでしょう。転倒したり、もしくは走るだけでも背中に響いて、症状を悪化させてしまうかもしれません。それに外野に出たからっといってそれで終了という訳でもありません。もしかしたら私達の組が勝ち上がって、二戦三戦する可能性だってあります。そうなってしまえば三上君が態とぶつかっているということが、誰かしらに感付かれるというリスクも増えてしまいます。もしも誰かに感付かれ、その誰かというのがクラスにおいて影響力を持っている人間だった場合、自然とこの『三上君が態とぶつかってやる気がない』という事実がクラス内に蔓延するでしょう。それに勝ち上がれば上がるほどにクラス内のやる気も自ずと上がってくるので、そういった三上君の行為に立腹して、事実を蔓延させられてしまうという危険性が、試合数に比例して上がっていきます。こうなってしまうと男子内だけにその事実は留まらず、女子の耳にも届くようになります。そして紗莉亜さんがその事を……『三上君が私に気を使って、痛くて苦しんでいるのを我慢して出て、それでもやっぱり痛いからボールに態と当たって外野に避難している』と、人伝で知った時、三上君が最初から見学しているのを目撃するより遥かに心労が増えてしまいます。……ですので、三上君。明日は見学してください」

「…………ハイ、ソウシマス」

説得するどころか、俺がオーバーキルされてしまった。

後半何言ってたか全然わからなかった……。

俺は人より無駄に考えすぎると思っていたが……城森の足元にすら及ばないな……。

後、城森には絶対口喧嘩では勝てないと思いました。

「分かってくれてなによりです」

にっこりと柔和な微笑みを浮かべるが、今はそれが恐いです。とっても恐いです。

「……では、そろそろ帰りましょうか」

「あ、いやちょっと待ってくれ」

「なんですか?」

「見学することにはもう異論はないんだが……。見学するための理由が思い付かない」

「……なにを言っているんですか?」

物凄い冷めた目で見られた。もう今日だけで何回見つめられたんだか。

ドキドキしちゃうじゃねぇか。……別の意味で。

「……この怪我を理由にすることは避けたいんだ」

城森が思っているであろうことを、俺は城森が言葉にする前に否定する。

「なぜですか?…………もしかしてそれも……小森音さんを気にしてのことですか?」

「それもあると言えばあるが……問題はそこじゃないんだ」

「では、なぜですか?」

城森はぐいっと俺に詰め寄って答えを待ち構える。

「すまん……。それだけは言えない……」

言ってしまえばもう一人、無駄に責任を感じなくてはならない人間が増えてしまう。

それだけは絶対に避けなければいけない。

……相手のためというより自分のために。

「……そうですか」

「…………」

煙たい空間が俺と城森を取り巻いている。

城森を呼び止めてしまったのは悪手だったか……。

「……もう帰るか」

「……そうですね」

俺は足早に保健室を出て、昇降口へ向かう。

…………はずだった。

「待て、三上」

こ、この声は………。頼む!この予想外れてくれ!と精一杯願いながら左手に聞こえる声の主と対峙する。

女帝。そこには紛れもなく女帝と呼ばれるに相応しい雰囲気を纏う人がいた。

「……なんですか?」

「……すまんが城森は席を外してくれ」

「……はい。わかりました。では、三上君また明日」

「ああ、またな」

心の中で城森にしがみつきたい衝動を必死に抑え、なんとか別れの挨拶を口に出す。でも、やっぱり……。

置いていかないでくれぇぇぇぇ。

「さて、と……三上。城森に怪我の手当てはしてもらったか?」

城森の姿を完全に見失うまで待って、南條先生は言葉を吐き出す。

「え、ええまあ……。っていうか俺が城森に手当てして貰ったの知ってるんすっね」

「当たり前だ。誰がここの鍵を開けておいたと思ってるんだ」

「え!?そこから!?」

「よく考えても見ろ。下校時刻まで後少しとなっているのに、教室が施錠されていない訳ないだろ」

言われてみればそうだな……。というか、そんなこと考えていられるほど余裕がなかった。……妄想してたから。

「まあ、そんなことはどうでもいい。……三上。私に嘘をついていたな」

「す、すみません……」

「なに、別に嘘をつくことは悪いことばかりじゃない。今日の三上の用に誰かを庇うため、誰かの場所を護るため。……そんな嘘なら付いたって構わないさ」

「……!!」

もしかしたらこの人はあの瞬間から全てを察知していたのか?

……いや、そんなまさか。いくら南條先生でもそこまでは……。あれ?別に不思議じゃないぞ?寧ろもっと凄いことできそう。

例えば眼力で人を精神的に殺したり。そうです。今日の僕の実体験です。

「ただな、三上」

南條先生は俺の頭にポンと手を置いて言う。

「私にだけは嘘をつくな。いいな?」

「……今日みたいな時もですか?」

「そうだ」

「それってさっき南條先生の言ってたことと矛盾して……」

俺の頭に置かれていた手はいつのまにか形を変えて、ペシッとチョップをされた。

「私はそんなもの"きかん"。因みに今の"きかん"は、私自身が言ったことは私には対しては"効かん"という意味と、三上の言葉なんて"聞かん"という二つの意味が込められているぞ」

「……それならどのみち俺は聞くしかないじゃないですか」

そうだなと言いながらハハハと笑う南條先生の顔は、夕刻に見たあの表情とはまるで比べ物にもならないほどに優しいものだった。

「あ、それはそうと三上。明日の見学のことは私に任せとけ。体調不良ということで通しておいてやるから。包帯はうまく隠しておけよ」

…………本当にこの人はどこまで分かっているんだろうか。

「……ありがとうございます。じゃあまた」

俺はペコリと頭を下げて振り返り、昇降口へと向かう。

気を付けて帰れよーという声を、背中越しに受け止めながら。




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