特別からの勧誘
翌朝俺は、昨日の出来事を思い出してベッドの上で一人悶えていた。
いやーやっぱりいきなり声をかけたのはまずかったか。
過ぎたことを悔やんでもしょうがないらしいが、それでも考えてしまうのが人間っていうもので、あの時ああしとけばよかっただの、やっぱりしなけれぱよかっただの色々考えてしまう。
暫くボーッとしていたら、不意に一階の方から声が聞こえる。
「ご飯できたから下降りてきなさい」
声の主は母親だ。
未だに眠気と後悔がとれない体を奮い立たせ、部屋を後にする。
家は四人家族で、父、母、俺、妹がいる。
父親は単身赴任中で……みたいなどこぞのラノベ展開はなく、家から会社に通っている。
母親は週三日スーパーのパートをしている。
そしてパートが朝からある今日みたいな日は、俺に声を掛けて朝飯を食べさせてから家を後にする。
妹は現在中学二年生でがっつり思春期ど真ん中にいる。
懐かしいな中学二年…………。
そういえばゲームのハンドルネームとか†″DARKNESS″†だったなー。後はやたらとルビ振ってたな。突如吹いた突風の事をウィンドブレーカーとか。
でもまあ、俺は別に厨二病にはかかっていなかった事が唯一の救いだな、うん。
そんなノスタルジーな雰囲気に浸りつつ、階段を降りきって一階のリビングの扉を開ける。
「…………おはよ」
「……おう」
朝のお決まりの挨拶をされたのでふと声のする方を見ると、妹の「心」がもう朝食を食べ始めていた。
家族関係というのはどの家庭も様々だ。
家族全員仲がいいとかいう家庭もあれば、兄弟はいいけど夫婦がよくない。みたいなこともある。逆もまた然りで。
我が家はというと特に問題は無い。
ただ、これまたラノベやら漫画でよくある「お兄ちゃん大好き!」とか「別に、お兄ちゃんのことなんかなんとも思ってないんだからね!」とかいう兄妹特有の関係性っていうのはあまり感じられない。
互いに干渉をしていないっていうのが正しいのかもしれない。
心は世間で言う『今時の子』と呼ばれる類い含まれていると思う。とは言っても、別に派手な化粧をしている訳でも、携帯がやけにきらびやかでも、髪が口からザケルとかいう電撃を放つ少年のような金色というわけでもない。
ただ、常にスマートフォンを手に持っていたり、かなり際どいスカートの履き方をしていたり、「勉強なんかしたって社会に出ても役に立たない」とかなんとか言ってたり。
まあ、最後のは今時ってわけではないかもしれないが。
そんなわけで心は自然と学校内ヒエラルキーの上位に属している。家に遊びに来る心の友達の容姿や言葉遣いを見る限りそれに間違いはないだろう。
故に、俺とはあまり話が合わないのかもしれない。
まあ、それ意外にもあまり会話しない理由はあるのだが……。
それはとりあえず置いといて、俺はというと自分でいうのもなんだが、かなり下に属している………方だと思う。
いやーほらあれじゃん?三角形だし上に行くほど狭くなってくじゃん?それだと身動きとりづらいじゃないか。下の方が広々してていいじゃないか……。
そんなこんなで俺たち兄妹はあまり会話をしない。
これが俺達兄妹の『普通』。
別にどうこうする気もどうこうなりそうになる気もない。
とか、考えつつ飯を食べていると、早々に食べ終わった心が席を立ちながら食器を片付ける。
「昨日……」
「ん?」
「いつもより遅くなかった?帰ってくるの」
「あ、ああ。ちょっと野暮用でな」
「そう」
急に話しかけてきたと思ったら、なんちゅう質問をしてくるんだコイツは……。
昨日のこと思い出してちょっと動揺しちゃったじゃんか。
「ん?でも、なんで遅かったこと知ってるんだ?」
「お母さんが言ってたから」
あーなるほど。その答えを聞き理解する。
心は普段俺より帰ってくるのが遅い。なぜか。答えは簡単。友達と遊んで帰ってくるからだ。
俺は普段帰ってくるのが早い。なぜか。答えは簡単。家に真っ直ぐ帰宅するからだ。……ぐすん。
俺が帰宅した時にはまだ心は帰ってきていなかったから疑問に思ったのだが、心の返答で納得した。
「俺のことはいいけどお前はたまには早く帰ってこいよ。母さん心配するだろ」
「…………はいはい」
軽く受け流すような返事をして、心はそのまま洗面所へ行く。
時計を見ると俺もそろそろ家を出なければいけない時間になっていた。
だらだらと食べ進めていた食事のスピードを上げ、さらっと完食する。
「お母さん行ってきまーす」
それと同時に玄関の方で心の声が聞こえる。
ナチュラルに俺には挨拶してませんよ感が伝わってきてちょっとだけ泣きそうになった。
★ ★ ★
学校に着くなり俺は深い溜め息をついた。
いつも憂鬱になる学校だが、このときばかりは度合いが違った。
なにせもう既にあらぬ噂が蔓延っているのかもしれないからな。
いつまでも根に持ってしまう俺の悪い癖と、突飛な被害妄想癖が相まって、とんでもない陰鬱とした面持ちになっていた。
「なにも起こらなければいいけど……」
「なにが?」
突然声をかけられ驚きながら振り向くと、そこにはある程度予想のつく人物がいた。
「……だからそのいきなり現れる登場の仕方は止めてくれ……大地」
「別にいきなり現れてないだろ。紡が気づかなかっただけでしょー」
とかなんとか言いながら、大地は俺の肩に手を回してくる。
これ、大地だからいいけど他のやつにやられたら寒気がするな。
たまにいるんだよな、人のパーソナルエリアに土足どころか泥足で入ってくるやつ。ああいった類いのやつらとはたぶん合わない。
そう思ったのと同時にまたしても昨日の行いがフラッシュバックする。
俺も同じことしてんじゃねぇか!
「そういえばあれから城森さん戻ってこなかったなー」
「……ああ、そういやそうだな」
「もしかしてマジで怒っちゃったんかな」
「どうだろうな。まあ教室行ったら分かるんじゃないか?」
そうだなーと大地は言いながら、俺達は歩を合わせ教室に向かう。
でも、一つ言えるのはもし今日会って怒っているのだとしたら完全に俺のせいだよな……。
足取りが重いまま教室に着いてみると、城森はまだ来てはいないみたいだった。
少しだけ安堵感を覚えつつ、席に座っていつものように机とにらめっこをする。
やっぱりこの体勢無駄に落ち着くな。悲しいけど。
ガラリと扉の開く音がする。刹那静まり返る教室。それだけ誰が来たのかは想像がついた。
「お、おはよう城森さん」
「…………」
「昨日はどうしたの?」
「…………」
「ええ、えとあのそのあの……」
「…………」
オールスルー完璧な受け答えだ。後、最後のやつキョドりすぎだぞ。他人のこと言えた義理じゃないが。
スタスタと一人の人間が歩く音だけが響く。
段々と近づいてくるその音に違和感を感じた。
城森の席ってこっちじゃないような……そう思いながら突っ伏していた顔を起こして振り返ると、城森は俺の目の前で立ち止まり言の葉を発した。
「おはようございます」
「え……お、おはよう?」
「何故挨拶が疑問系になるのですか?」
「……それは俺自身聞きたいところだ」
こともあろうにこのお嬢さんは俺に話し掛けてきた。なんで!?何故!?why!?もしかして公開処刑されんのかな……。
城森はてくてくと歩いて俺の正面に回った。
「同じクラスだったみたいですね」
「あーそういや言ってなかったな」
なんてことない会話なのになんか緊張するな。
「ところで、三上君はなにか部活動に加入していますのでしょうか?」
「その部活動に帰宅部が含まれていないなら入ってないな。……けどなんでまたそんなこと……」
本当にわからない。何が目的なのか皆目検討もつかないよこりゃ。
「それは丁度良かったです。放課後少し時間を頂いてもよろしいでしょうか?」
城森は首を傾げながら問いかけてくる。あーやっぱり美人ですね。目、合わせられないっすね。
「あ、ああ。わかった。」
返事を聞くと城森はくるりと反転し、自分の席へと戻っていき、座ると同時にそれまで閑散としていた周囲が途端にざわめきだす。
「紡!お前城森さんとなんかあったのかよ!?」
やっぱりというか、案の定物凄い勢いで大地が近づいてきた。
「なんかあったといえばあったが……。別にあれは喋るようなきっかけじゃないと思うんだよな……」
それで、なんで喋ってたんだよ!とか、大地が聞いてきそうだったので先に補足しておく。
「でも、事実会話してたじゃないか!なんか約束事みたいなこともしてたし!」
「そう言われてもな……」
「はっ!もしかしたら今なら俺でもスルーされないかもしれない!」
根拠もへったくれもないようなことをいきなり言い出すなコイツは。なんか目キラキラしてるし。
そんな大地を止められる訳もなく……。
「よっしゃ!俺もしゃべってくる!」
そう言い終わる前に城森の方へたたっとかけていった。なんか嫌な予感がしないでもないな。
「城森さん!おはよ!俺、紡の友達の五色大地。よろしく!」
「…………」
「あっれー……」
見事にスルーされた大地は昼頃まで終始(´;ω;`)こんな顔をしていた。いや、どうやったらそんな顔できるんだよ。
★ ★ ★
放課後。
自らの周囲をとりまく人間の殆どが輝きの色を放つ時間。
普段ならまるで関係のないその時間に、俺は今日少しだけ足を踏み入れた。
学校 放課後 女子 約束 でクリック!
Google先生で検索するならこんなところか。
今まで生きてきた中でこんなことはあっただろうか。いや、無い!断じて無い!
でも、俺は浮かれたりはしない。そんな淡い期待を幾度となくしてきた。
向こうはなんとも思っていない。自分だけが相手に期待し自分だけが相手に絶望する。こんな疲れる感情はもういらないのだ。
なにより相手にとってはそんなこと知らぬ存ぜぬな訳で、勝手に期待され、勝手に妄想を抱かれ、勝手に絶望されるなんて、その感情を向けられた側からしたら迷惑きわまりないことだ。
そんなことを考えながら窓の外を見ていると、不意に声をかけられる。
「お待たせしました」
振り返ると約束事を交わした城森が立っていた。
「いや、待ってないよ。てか、どこか行くのか?」
肩に掛けてある鞄を指差し問いかけてみる。
「ええ、ここでもいいのですが、どうせなら移動した方がいいかと」
そう言いながら周りを一瞥して、呆れたように吐息を吐く。
あー確かに場所変えた方がいいな。俺達が会話をする度にまだクラスに残っている連中がヒソヒソと話をしているのだ。気が散ってしょうがない。
もう日が暮れかけているのにまだ残ってるってどんだけ城森の会話気にしてるんだよ。
「わかった。で、どこ行けばいいんだ?」
「昨日の部室でよろしいでしょうか?」
「了解」
移動する場所を聞き、俺達は二人で歩き出す。
それにしても意外だ。城森が周りを気にするなんて。
てっきりどこぞの奉仕部部長さんのような感じだと思ったのだけれど違ったようね。
イメージというのは自分の経験上だが悪い意味でしか効果を発揮しやがらない。
危うく城森を、勝手に完璧超人というカテゴリーに含めてしまうところだった。
全く……勝手な感情は害悪だとさっき思ったばかりだってのに。
目的地前に早速ブルーな気持ちになっていると、城森が俺の顔色を窺って気になったのか、声をかけてきた。
「なにか調子が悪そうですね」
「持病がでちゃってな。考え事してると毎回最後に暗くなるんだ」
「……そんな人が私に声かけてきたんですね」
なんか若干引かれた。
「ですが、三上君の雰囲気でなんとなく納得できます」
「早速陰キャラ認定ですか」
まあ、外れてはいないんだが。
「着きましたね」
ガラリと扉を開け元部室の教室に入っていく。
「で、話ってなんなんだ?」
早々と本題に入る。正直なところ間がもたない。いや、間をもたせられない。
「話というのはですね……。よろしければ三上君にこの部活に入って頂けないかと思いまして」
城森が黒板の方を見つめながら言う。
俺もつられて黒板の方を見てみる。そこには端っこの方に小さく情報交換部と書かれていた。
「……情報交換部?」
「はい」
聞いたことないな……。新入生歓迎会とかで部活については一通り紹介を受けたはずなんだがどうにも記憶にない。それより気になることがある。
「……ここってなにするところなんだ?」
「情報を交換しあう部活ですが?」
そのままかよ。可愛く首をかしげながら言われても困る。耐性がない。
「情報って言われても俺は別に頭もよくないし知ってる事なんて特にこれといってないぞ。『普通』の一般庶民だ」
寧ろ俺は世間知らずな方だ。新幹線の切符の買い方ですらわからない。インドア派だから外にでないし。だって外はお金がかかるのだもの。
「いえ、三上君は私の知らないことを知っています。私達は境遇や考えが違いますから」
うつむきながら城森は呟く。まあ、そうだな。俺とは全くと言っていいほど違う。少なからずリムジンに乗って学校に来るなんて事はないし、クラスメートの前でわざわざ孤立することを宣言するなんてできない。
「それに、三上君の言葉を用いて言わせていただくならばあなたの普通は私にとって普通ではないのですよ。……寧ろ『特別』です」
フフンと鼻をならし言ってやったみたいなドヤ顔をしながら言う城森の可愛さの破壊力は恐ろしい。マジデストロイ。
「だから、三上君に入部して頂けるととても助かるのですが……」
女子(美人)+お願い事=オールオッケー。
こんな公式が頭の中に浮かんだ。ああ、俺ってモテない訳だなー。
「…………わかった。どうせやることないし」
「そ、そうですか、ありがとうございます。……正直なところ断られるかと思っていました」
城森の言う通り、こんな厄介ごとにはできるだけ関与したくない。
ただ一言、俺には無縁の『特別』という言葉だけが心に……頭に引っ掛かった。
あれほどならなくてはいいと。自分は誰に会おうが自分という存在は『普通』なんだと。そう思っていたのに。いや、そう思うようにしていたのに……。
初めて自分の存在以外に自分というものを認知されたような気がした。
不意にガラッと扉が開く。こんな空き教室に誰が来たんだと思い振り返ると、微妙に絡んだことのある程度の女性が立っていた。
「よー城森。勧誘はできたかい?」
「ゲッ……女帝……」
「ゲッとはなんだゲッとは。せめてグッにしろ。親指を突き上げて」
女帝こと現代国語教諭『南條雪穂』が話しかけてきた。てか、女帝の部分は否定しないのかよ。
この人が女帝と呼ばれている理由は大地に聞いた話だと、容姿も帝と名乗ってもいいほどに整っていることもさることながら、一番の理由は南條先生が出す雰囲気らしい。
何事にも屈服しない。寧ろ自らが支配する側だと、私に逆らうものは私自身で弾圧してやろう……みたいな、ちょっとというかかなり威圧的なオーラがたまに出ることがあるみたいだ。
本人曰く、後半の部分は否定しているらしいが、いざ対面してみると……なにかしらは出そうな気がする。
しかも、前半の容姿の部分にはなにもいってこないらしい。いや、だから否定しろって。
「南條先生がなぜここに?」
思った疑問を吐露する。
「城森に聞いてないのか?私はこの部の顧問を務めることになったんだ」
「今から伝えようと思っていた矢先に先生が来られましたので」
なるほどなと南條先生が納得しているが、俺は全く納得していない。
なんでだよ。よりによって南條先生って。大して話したことのない先生よりかはマシだけどだからといってねぇ……。
「三上、何か失礼なこと考えてないか?」
「HAHAHA何を行きなり。藪からスティック、寝耳にウォーターですよ全く」
「国語の教師に向かって節々に英語を使ってくるとはいい度胸だな」
焦ってルーさんの口調になってしまった。
「てか、なんで南條先生がここの顧問なんですか?先生って進路担当で忙しいって聞いてましたけど」
話題をそらしつつ気になっていたことを聞く。マジ俺策士。孔明の次くらい策士。
「……ん、いやなに……」
南條先生には珍しく、なぜか歯切れの悪い返答が帰ってくる。
「それは南條先生自身に、私から顧問になってもらうようお願いしたからです」
南條先生に聞いた事を横から城森が答えてくるが、いまいちピンと来ない。
……それだけでこの人が動くのだろうか。
「そうなのか」
気になったが追求は止めとこう。なんか危険な雰囲気を感じる。
「あ、後文豪の方達を少々お渡ししました」
文豪の方?太宰とか森とかの本だろうか……。国語の教師ならある程度の物は読んだことあると思うが。
「主に学問のすすめの作者を」
「諭吉先生じゃねぇか!」
まさか紙幣に印刷されている方だったとは……。ん?てことは金か!金で雇われたのかこの人は!
ジーッとした薄目で南條先生を見ると、慌てて否定した。
「おい城森悪い冗談はよせ。私は黄熱病の研究者の方を頂いたまでだ」
「結局金じゃねぇか!」
しかも、文豪でもなんでもないし。まあとりあえず冗談ってことにしておこう。
「それにしても、城森と南條先生って関わりあったんですね。まだ城森はこの学校に来たばっかりなのに顧問をお願いするぐらいだし」
「ああ、まあな……。っともう下校時刻か。君達も遅いからもう帰りなさい」
なんか露骨にはぐらかされた。ホントに金もらってんじゃないだろうなこの人。
時計を見てみるともう六時を回っていた。高校生にもなって六時で遅いなんて事はないけど、今はこの人にしたがっておくか。
「では、私は鍵を返してきますので」
「了解」
城森は言うと、黒板の横に掛けてあったこの部室の物であろう鍵を手に取り教室を出る。
先生と俺も城森につられ教室を出る。それを確認して、城森はちゃっちゃと鍵をかけて去っていった。
さて、俺も帰るか。なんか明日から疲れそうだし。
「じゃあ先生。さようなら」
帰りの挨拶を済ませそそくさと後にしようとすると、後方から名前を呼ばれたので振り向く。
「三上……。彼女は気が小さい上に、よく気を使い、自分の思いはひた隠しにする人間だ。三上が上手くサポートしてやってくれ」
そう言って俺の肩をポンと叩いて、顧問も去っていった。
気が小さい上に気使う……って?
それに、城森が気が小さいとはあまり思えないんだが。
意味深な事を言われた俺は、グラウンドからの汗臭い声が響くだけの廊下を、今言われたことをぶつくさ考えながらゆっくりと歩いた。
昇降口まで歩き終わると、城森が下駄箱を背もたれにして呆けていた。こんな場所ですら画になるってなんなの?思わず写生したくなる勢い。うん、なにも間違っていない。
「遅いですね」
「悪いちょっとゆっくり歩いてた。…………ってか城森帰るんじゃないのか?」
「その予定でしたが三上君にさようならを言うのを忘れてしまっていたので待っていました」
無駄に律儀だな。朝のクラスメートの挨拶はスルーしてたのに。
でも、悪い気はしないね。寧ろ高揚感がハンパない。わーい俺って単純。
昇降口を揃って出た時に昨日見かけたあの真っ黒なリムジンが無いことに気づく。
「迎えまだ来てないのか?」
城森に聞くと、思いっきり頭の上に?のマークが浮かんでいるかのような顔をしていた。
「昨日の朝、黒いリムジン見かけたんだが………。城森のじゃなかったのか?」
「あれは転入の手続きをするために保護者を必要としていたのでついでに乗ってきていたまでです。登下校はバスを使用しています」
なるほど。保護者がリムジンに乗ってたと。なんじゃそりゃ。
「なんか色々と凄いな」
「そうでもありません。不便なものですよ」
そう言って城森は目線を少し下げた。金持ち特有の悩みとかあるんだろうなきっと。
俺の秤には乗せることすらできないような……そんな悩みが。
「だから悩みのレベルがあまり高くなさそうな三上君が羨ましいです」
「なんでナチュラルに貶してんだよ」
冗談ですと城森は笑っているが、割りと本気で泣きそうになった。
話しながら歩いていると、校門の外に昨日見た黒いリムジンが駐車していた。なんだやっぱり向かえとかあるんじゃないか。
「お嬢様!」
それを発見したと思った途端にリムジンの扉が勢いよく開き、中から初老と言うべき位のダンディーな男が姿を表した。
その人は急ぎ足で俺達のもとへと駆け寄りながら、お嬢様!と呼び掛けている。
執事のような格好をしているからきっと城森の執事なのだろう。お嬢様って言ってるし。
「こんなお時間まで学校で何をなせれていたのですか!」
「……少しばかり彼と談笑をしていただけです」
さっき話してたときより声のトーンがだいぶ落ちている気がする。それに、目がなんか怖い。
俺が城森に初めて話しかけた時みたいになってるな。
「……それはこちらの男性とにございましょうか?」
初老執事は俺の方を見てきた。
その顔は朗らかさを繕ってはいるが自らが醸し出す雰囲気までは繕えないようで、排除、駆逐、殲滅を確固たるモノとしているかのようだ。
この人が俺を敵と見なしているのは一目瞭然だった。
「…………違います。彼は同じクラスでたまたま下校のタイミングが合わさっただけで、談笑をしていた方は他にいます」
城森は雰囲気を察したのか事実を偽る。
そうですかと執事は頷くものの、俺から疑いの目を反らすことはない。
……居ずれぇ。さっさと退散するかこりゃ。
俺は何事も無かったかのように向きを変えて、駐輪場へ向かう。
城森に挨拶するべきか迷ったが、俺との関係を誤魔化したい様子なので止めることにした。
これが城森の言っていた不便なことなのだろうか。だとしたらとても面倒で嫌気がさす。背後でポツポツと会話が聞こえたのがやけに不愉快だった。
★ ★ ★
「お嬢様、これから遅くなられるときは前もって連絡を頂けますかな?私としても心配で心配で」
リムジンのサイドミラーから見える執事の顔は少しばかり曇っているように見える。
「すみませんでした。でも、私は大丈夫ですので」
麗花は満面の笑みで思ってもいないようなことを返事として吐き出す。
「…………お嬢様が何を考えているのか理解した手前でのご忠告です。談笑の相手がもしあの男だとしたなら傷を負うのはお嬢様なのですよ」
「…………ええ、わかっています」
更に執事は続ける。
「あの男でなくとしてもお嬢様の周りにつく連中は皆、お嬢様をいいように利用するような連中ばかりですので……。慎重に行動なさってください」
「…………」
麗花は車窓から流れゆく景色をぼんやりと眺めている。
窓の外には様々な人が行き交う。
小学生らしき少年は友達と一緒に、高校生らしき少女は交際をしているであろう男と一緒に、スーツを着ている男は会社の上司であろう男と一緒に。
辿り着く先はそれぞれ違うものだとしても、それまでの間、共に歩を進める人間がいる。
沈黙が続く車内でとても小さく消え入りそうな声が響く。
「はぁ……不便なものですね」